episode 06
時間は少しさかのぼり――
ルタが次にキールを押し込んだ部屋は、大きく切り取られた掃き出し窓のあるゲストルームだった。周辺に宿泊施設がないため用意された部屋である。ぴしりと整えられたベッドが二つ並び、その奥に一人がけ用のソファが二脚用意されていた。シャワールームやトイレも付いている。
ルタの祖父が存命だった頃はともかく、現在ではほぼ活用されることのない部屋だった。
(もっと埃っぽい部屋だったはずだけど)
ルタに続いて入室したキールは、帽子を手で弄びながら方々へ目を向け、部屋の奥にいた先客に気づいた。小さな先客はソファでクッションと膝を抱えていた。
「ね、調子はどう? 少し落ち着いた?」
ルタはやさしく話しかけた。茫洋とした相手の反応に苦笑しながら、キールを紹介する。
「こちらはキール。私の友人で仕事を手伝ってくれることもある。怖くないし、いい人だよ。……あのね、急な来客でそばにいられないから、代わりに彼を置いていくね。あまり一人にならないで欲しいんだ。いいかな」
人形師は〈ドール〉の頭をそっと撫で、「じゃ、よろしく頼むよ」とキールの肩を叩いて行ってしまった。初対面で気まずいキールと、反応の薄い〈ドール〉を残して。
滅多に見かけなくなったアナログの時計が、かちりと秒針を動かした。
少年っぽいカジュアルな格好をした少女タイプの〈ドール〉だった。白に近い金髪は肩より少し短めに切りそろえられ、ボーダーのシャツに、袖の長いカーディガンを合わせていた。壁際のコートハンガーにはファーのついた薄手のダウンジャケットがかけられている。おそらくはこの〈ドール〉のものだ。
小さく感じたイリスより、さらに小柄だった。人間であれば、三つか四つ年が離れているのだろうと感じるかもしれない。不安そうにキールを見つめた瞳は、イリスと良く似た鮮やかな青だ。それに顔立ちも似通っている。
(この子がお嬢さんの会いたがっていた〈ドール〉)
イリスの姉妹として、セルダン家が求めた家族だ。
(なぁんか、お嬢さんとタイプちがうなぁ)
初対面で引っかいてきたり、金が欲しいのかと言い放ったイリスと比べ、大人しそうである。格好はアクティブであるため、身体を動かすことは好きなのかもしれない。
『キールに見てて欲しい子はね、特殊な〈ドール〉なんだよ』
この部屋へ来る途中の会話が、キールの脳裏に蘇る。
『特殊? ああ、お嬢さんを護る影武者って奴?』
先ほど見た、中身のない人形をキールは思い出した。イリスに似せて作られたそれが動けば、双子と錯覚するかもしれない。身代わりとして彼女を守るためにちょうど良い存在である。
そう考えてキールは渋い表情を浮かべた。案内してきた少女が、家族だと言った〈ドール〉をそんな風に扱うとは思えなかったのだ。
ボディガード専門の〈ドール〉も存在するが、ラブロックの〈ドール〉はそれに向かない。専門のタイプでなくても、主人の身代わりやその身を挺して人を守ることに彼らは躊躇しないが――人を攻撃できないのだ。人命の尊重を第一に刷り込まれている。
自身と主人を天秤にかけることさえ、彼らにはできない。
何かが起こったとき、その身を犠牲にするしか方法がない。
しかし、そうプログラムした人間のほうが、その行為に耐えられない場合も往々にしてあった。人に限りなく似せて設計されているからこそ、道具だと割り切れなくなるのだ。――社会的な問題の一つである。
ルタも同様に違和感を抱いたのだろう。三つ編みを撫でながら「違うと、思う」と思案するように言った。
『私はまだセルダンさんからボディ換装の真意をうかがってないから、違うっていうのは憶測や希望なんだけど。――ちょっと変わってるんだよ。これから紹介する子は〈ドール〉として恐ろしく異端なんだ。祖父ちゃんに何か狙いがあったんだと思うんだけど』
『なんだそれ。あそこまで作り込んで今さら依頼が不審? しかもエリックじいさんが絡んでんの』
『事情が、考えていた以上にややこしかったって言うか。私も把握できてなくてさぁ! だからちゃんとあの小さな主人に話を聞きたいんだよ。その間、キールはあの子の傍にいてくれないかな』
頼むよー、と両手を合わせられたことを思い出し、キールはぬるくため息をつく。幼なじみは、気軽に面倒ごとを押しつけてくる。一番に〈ドール〉。二番に仕事。三番に工房。ルタ自身と、キールは何番目に優先されるのだろう。
(〈ドール〉のためにこんな良い部屋用意するのは、人形師でもルタぐらいだ)
とはいえ、目の前にいる不安そうな少女をキールは機械だと認識できずにいるが。
「あの……座られます、か?」
話しかけられ、キールは彼女を凝視していたことに気づいた。小さな〈ドール〉は一人がけのソファを譲るべく、居心地悪そうに立ち上がっている。
「あ、いいよ座って座って、あっちのソファ使うからさ。人形師じゃないし事情はよくわかんないんだけど、ルタに頼まれたんだ」
ソファへ座り直した〈ドール〉の前にしゃがみ、キールはにっと笑みを浮かべる。
「名前、聞いていいかな。俺はキール。キール・フォルジュ」
「……コレットです」
「コレットか。イリスお嬢さんが付けた名前?」
イリスの『コレットに会わせなさいよ』という怒鳴り声が脳裏で繰り返され、キールはふっと笑いを堪えた。
「そうです。――イリスをご存じなのですか?」
「深くは知らないけど、少しなら。きみのご主人ちょっと凶暴だろ。ほら、この傷はあのお嬢さんがつけた傷」
冗談交じりにトントンとキールが頬を指差すと、コレットは戸惑ったように小首をかしげた。
「イリスはそんなことしません……。凶暴なんてあの子を形容する言葉ではありませんが……」
「本当に? じゃあ、俺ってそんなお嬢さんの気に障ったのかな? 言動も刺々しかったもんな。用がないなら早く帰れとか、うるさいから黙れとか。金が必要なのか、とか」
「……それは、どなたのことですか」
少女型の〈ドール〉がじいっと疑いと非難めいた眼差しを向ける。キールは肩をすくめた。
「信じられない? この傷をつけたのはきみの主人……イリス・ジェラーティ・なんとかセルダンだよ。これぐらいの身長で、黒っぽい髪が腰ぐらいまである、お嬢さま学校の制服を着た女の子」
コレットの表情に、つうと不審と動揺の色がまざる。
「コレット。きみの名前を何度も呼んでいたよ。出てきなさいって顔真っ赤にしてさ、すごくご立腹で、俺関係ないのに怒鳴られっぱなし。猫が毛を逆立てて威嚇してるみたいでさ」
「……本当に、イリスと名乗ったのですか、そのかたは」
小さな〈ドール〉の声が揺れた。
「そう本人がハッキリとね」
キールが肩をすくめた瞬間、コレットはがばりと立ち上がった。抱いていたクッションが膝から転がり落ちる。
「嘘に決まっています」
ちょうどかがんでいたキールへ詰め寄り、服をつかんだ。
「イリスは大人しくて、人を傷つけるような子じゃないし、やさしいし、頑張り屋で、学校をサボるなんて一度もしたことのない真面目な、いい子なんですから! 怒鳴ることだってほとんどない子なんです!」
気色ばむコレットが肩を上下させる。乱れた気息を整えるように。
キールは、そんな仕草も人間と変わらないんだなぁと内心で感心しつつ、
「なんか俺の知ってるお嬢さんと、違うね?」
「別人です!」
「じゃあそれだけ取り乱していたってことか、大事な〈ドール〉が行方不明で」
ざくり、と刃で切りつけられたように、コレットは固まった。その総身からゆっくり力が抜けていく。どさりと毛足の長いラグへ膝をついた。
ゲストルームに冷たい風がながれた。柔らかな日差しとは違う、まだ冬の冷たさを感じさせる風だ。キールは開いていた窓を静かに閉めながら、
「今、来てるよ。ついさっき俺が案内したんだ、ここまで。カペルの駅前でチンピラに絡まれてたから声かけたんだよね。精一杯虚勢を張っていたあの子に」
「……イリスが、きている……?」
床に手をついて、ははは、とコレットが顔を歪めた。転がったクッションをぎゅうっと抱きしめ、
「……それも嘘ですよね。イリスは、だって学校があるんですから。こんな遠くの小さな町に、いるはず、ないんです。悪い人に絡まれるような危険を、あの子が冒すはずありません。きっと別人です」
「ルタに向かって、コレットに会わせなさい!って啖呵切ってたよ。怒鳴り慣れてないんだろうな。声裏返っててさ。むせたりしてさ。工房へ不法侵入までしようとしていたんだ。止めたけど」
ぎょっとしたようにコレットは息を呑み、次に胸をなで下ろす。工房の凶悪な防犯システムを彼女は知っているのだろう。
そこへキールはやさしく、けれど残酷に問いかけた。窓からの光を背中で受け止めながら。
「なぁ、きみが嘘だって否定する彼女は、きみの主人のはずだけど。どうしてきみはお嬢さんだとわからないんだ?」
きみは、本当に彼女の〈ドール〉?
言外にそう伝えられた言葉は、コレットの柔らかな部分を容赦なく切り裂く。
「わた、私、は……私は、イリスの……イリスのための……イリスに一番近い〈ドール〉……あの子のことは、一番、私が……」
かち、かち、かち、と秒針の音が響く。しばし様子を見守っていたキールは、動きを止めた少女の腕を取った。顔の前に手をかざしても反応がなく、本当に人形のようだ。
「俺は別に責めたりしてないし、お嬢さんが来ているけど、会わなくていいわけ? って言いたかっただけなんだけど」
脳裏に「よろしく頼むよ。キールのコミュ力に期待してるから!」と手を合わせた人形師の姿が浮かんで、大きく息をついた。
(俺のコミュ力ってなんだよ。フリーズしてますけど、これ。そんな難しいこと訊いたっけ?)
本気で面倒くさいと辟易しながら、キールはコレットを荷物のように担ぎ上げた。ルタからのオーダーを実行するために。