episode 04
「キール、こっち」
薄暗い通路の向こうから、見慣れた顔がひょっこり出てきて手招きした。イリスに気づかれないよう呼び出されたキールは、「ちょっと様子見てくる」と彼女を置いて出てきたのだ。
ルタはしわの伸びたシャツに袖を通し、多少人前に出られる格好になっていた。シャワーも手早く浴びたのか、先ほどまでの薄汚れた印象が和らいでいる。キールは帽子でぺたんこになった髪を指先でかきあげ、少々うんざりしながら、幼馴染みの背中を追いかけた。
「なぁんか挙動不審じゃねぇ、お前」
イリスだと気づいたときの慌てようや、彼女の目的がわかっているような対応に違和感があったのだ。肩越しに振り返ったルタは、へらりと笑った。何かを誤魔化すときの笑みだと、キールは経験上知っている。
「何隠してんのか白状しろ。俺に協力して欲しいから残るよう言ったんだろ」
「いやぁ、まぁ、大したものじゃあないんだけどぉ」
項垂れた人形師は決まり悪く目をそらし、
「実は依頼を受けたんだ。まぁ、ついてきてよ」
掠れた声でそう言って、人形師は工房へ続く通路を進む。疲れているようで、その背中は珍しく丸められていた。とぼとぼ、という比喩が似合いそうな歩き方だ。真っ直ぐ背筋を伸ばして歩く普段のルタを知っているだけに、キールの眉間のしわは深くなる。
通路は工房の奥へ進むにつれ、素っ気ない内装へと変化していった。つるりとした床や天井に、靴音が冷たく反響する。店舗側や生活空間では見られた床板やクロスは剥がされていた。首都ではなじみ深い、無機質な空気が漂い始める。小さく低い機械音が、常に響く。工房の外に広がる自然とは真逆の空間に踏み入ったのだ。
一つの扉の前に立ち止まった人形師は、その脇に設置されたパネルに触れた。指紋認証を行いパスコードを慣れた動作で入力していく。さらに、アナログな金属の鍵をいくつか差し込んでいた。その警戒にキールは疑問を抱く。そもそもこの工房自体が〈ドール〉の情報を守るため、幾重にもセキュリティが巡らされているのだ。ルタの信用した人間以外踏み込めない領域で、何を警戒する必要があるのだろう?
(イリスお嬢さん、か? それにしちゃ物々しいっつーか)
無断で工房へ侵入しようとした少女を脳裏に描いたキールは、「違うな」と口の中で呟く。あの少女であれば、通常のセキュリティで十二分に効果がある。その必要もなく捕まえられるだろう。
〈ドール〉だ。
今、この工房には稼働中のラブロックの〈ドール〉がいる。電子ロックのみならずアナログな手段まで用いたのは、セキュリティが役に立たないためだ。当然である。〈ドール〉は本来人間よりも機器の扱いに長けている。まして身内のシステムであれば、ほぼ意味をなさない。
工房内部にはこういった鍵付きの部屋が複数あるが、そのどれも重要なパーツや情報を扱う場所である。
(うっわ、嫌な予感……)
扉が音もなくスライドする。落とされていた照明が、人の気配を察知してともった。部屋自体はルタが普段作業している部屋と同じような雰囲気だった。窓がなく、キールには馴染みのない機器が壁一面に並んでいた。木の根のように足下を這うのは、それらへ繋がる配線だ。一通りの作業は済んでいるのだろう。作業中であれば機器や細かな器具やパーツが乱雑に散らばっているのが常だが、珍しく綺麗さっぱり片付いている。
そして、その中央にある作業台で横たわるものを確認し、キールの口から嫌そうなため息が零れた。
「……これって」
「半月ぐらい前かな。〈ドール〉の新しいボディを急ぎで用意して欲しいって依頼が入って」
キールはルタの徒労に得心がいった。こんなものを造っていたから、しばらく姿を見なかったのだ。食事や睡眠時間を削って作業へ没頭していたに違いない。今浴びてきたシャワーは数日ぶりのものだろう。身繕いもろくにせず、よくぞ客前へ出たものである。
(お嬢さんも握手しなかったし。ルタと微妙に距離置いてたし)
体力も精神力もレッドゾーン。そんな状態で不意のトラブルを抱えては、余裕がなくなり、客の対応も手抜きになる。本来、人形師は口数が多い。そして〈ドール〉が大泣きして戻ってきたなら、敵愾心から少々の反発があっても不思議はなかった。
それがなんだ、あの腑抜けた態度は。
ルタは後ずさったキールの肩をガッチリつかみ、部屋の中央へと押しやった。
「これはね、その人の娘さんをモデルにしているんだ。良くできているでしょう。我ながら会心の出来だよ。祖父ちゃんの残した素体をベースにしているから、難しかったのは造顔デザインや、手足なんかの調整なんだけど」
作業台で仰臥しているそれは、一見するとただ眠っているようだった。今にも瞼をあけて、目覚めても不思議ではない。
「……起動しているのか?」
「ううん、今は中身からっぽ」
「今は?」
「……今、は」
説明するルタの目が泳ぐ。何も聞かないで、と態度が訴えていたが、巻き込まれる側として言わずにおれない。
「ルタ、その……モデルになった娘さんの名前は?」
人形師はぼそぼそと答える。
「聞こえない。もっかい言ってくれよ。今度は大きく、はっきりと」
やけくそみたいに、ルタが大きく息を吸い込んだ。
「イリス・ジェラーティ・ノイ・セルダン。ああ、そうだよ。あの子がそのモデルだよ」
イリスそっくりの――だが髪は短く色が明るい――物言わぬ人形が、この室内に隠されていたのだった。
「それでさキール、頼みたいことがあるんだけど」
少年は天井を仰ぎ、ため息をこぼす。