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episode 02

「キール、何の騒ぎ……」


 のっそりと現れたのは、長い髪を一本のゆるい三つ編みにした人物だった。目を眠そうに目をしばたたかせている。

 一瞬、その中性的な顔立ちに、イリスは相手の性別を見失った。恰好は汚れた開襟シャツにポケットがたくさんついたズボン、ワークブーツといった男ものだが、身体のラインは細い。仕草や佇まいは雑だが、大型の猫のように物憂げだ。年齢は、帽子の少年と同じぐらいか。少し下か。腰まで届きそうな長髪だが、女性だと確信するのを躊躇ってしまう不思議な人物だった。


(あと、何だか臭い気がする)

 薄汚れているせいか。仕事の都合上仕方がないのか。


「もう昼はとっくに過ぎてんぞ。まーだ寝てたのか? くま浮いてるけど」

「そう、急ぎの用が重なっちゃって、今朝までやってて、やっと仮眠してたとこで……。どうしたの、それ」

 大きく欠伸をしながら、とんとん、とその人物は自分の頬を指した。帽子の少年が頬のみみず腫れを押さえ、「ちょっとな」と言葉を濁し、傍を見下ろす。少女はむすっとしながらそっぽを向いた。ふうん、と三つ編みの人物は顔に掛かる髪をかきあげ、


「こちらのかわいいお嬢さんは? この制服は確か、首都の何とかって女学校のじゃなかったかなぁ? お嬢さまが通う学校で……見覚えあるんだけど……キールの親戚?」

 あふ、と再度出てきたあくびを噛み殺す。


 イリスの制服は、白いブラウスに薄茶のボレロと、薄茶ベースのワンピースだ。緑系のチェック模様がプリーツのひだやボレロの裏地に隠れている。足は黒いストッキングを履いていた。襟元にはえんじ色のリボンが結ばれ、袖口やワンピースの裾には白いラインが走っていた。


「違う。ここに来たがってた迷子」

「ちょっと、迷子ってだれがよ?」


 イリスは眉を吊り上げ、少年を押しのけた。出鼻を挫かれたが「何とか」や「迷子」などと言われ、大人しく下がっていられない。

 侮られないようイリスは背筋を伸ばし、余裕があるように小さく微笑む。ここまできて、子どもだからと見くびられるのも癪だ。ゆったりとした動作で話しかけた。

「私は、イリス・ジェラーティ・ノイ・セルダン。ラブロックと契約しているセルダン家の娘よ。あなたがラブロックの人ね? 代替わりした人形師?」


 三つ編みの人物は茫洋とした眼差しでイリスを注視し、「あ」と息をのんだ。

「あああ! 確かにセルダンさんのお嬢さんだ。道理で見覚えが……というか、なんでここに。え?」


 微睡みから覚めた様子であんぐり口を開けている。イリスが笑みを深くし、傍らの少年は肩をすくめた。三つ編みの人物は苦み走った表情でぐしゃりと前髪をつかんだ。

「そうかぁ、この子がここに来る可能性もあったわけだ」


 そこまで考えが至らなかったな、と独りごちて、胸ポケットにあったメガネをかけた。苦笑が営業用のスマイルにすり替わる。不可解な台詞を追及しようとしたイリスは、その仕草一つで先んじられた。


「失礼いたしました、セルダン家のお嬢さんですね。改めまして、私がルタ・ラブロック。この工房で人形師をしております。このような汚れた格好で申し訳ありません。

 彼は友人のキール・フォルジュ。時折荷物を運んでくれたり、工房を手伝ってくれます」

「俺は関係者じゃなくて、郵便配達人だっつーの」

 言いながら、帽子の少年キールはルタへいくつかの封筒を押し付ける。そういえば、彼は大きな鞄を持っていたのだった。

「うちで雇ってあげるって言ってるのに……キールならいつでも大歓迎」

「残念。俺はこの仕事が気に入ってんの」


 ルタはメガネを光らせて真剣にスカウトしているが、キールは取り合わない。つれないなぁ、と呟く人形師の目が窓の外をひと撫でする。外はのどかな景色が続く以外、誰もいない。キールとイリスが乗ってきたバイクが停車しているのみだ。

 振り返った人形師はにこっと笑みを浮かべる。


「お連れさまもいらっしゃらないようですね。今日はお一人でこちらまで?」


 差し出された手にイリスは鼻白んだ。

 数年前にもラブロックを訪れたが、こんな三つ編みの人物はいただろうか。記憶を浚っても心当たりがない。助手としても働いていなかっただろう。相手はこちらを知っているようだが……

 躊躇うように人形師の手を凝視する。廊下から他の誰かが現れる気配はしない。店番も雇えない小さな工房に他の従業員はいるだろうか。


「やっぱり……あなたが今の人形師なの。本当に、あのおじいさんはいないのね」

 数年前、ラブロックの工房で出会ったその人に、イリスは会いに来たのだ。『おひげのおじいさん』は、コレットの頭を愛おしげに撫でていた。家族以外に見せたコレットの照れくさそうな甘えた表情が印象的で、よく覚えている。


(あの人のところにいるのだとばかり、思っていたけど)

 目の前にいる若すぎる人形師を、イリスは値踏みするように凝視する。この人物が、イリスとその〈ドール〉の橋渡しを本当にしてくれるだろうか。信頼に足る人物なのだろうか。


「私は確かに祖父と比べ未熟ですが、〈ドール〉のことでご相談でしたら、力になれると思いますよ。私の腕がご心配ですか?」

 ルタは握手を取りやめ、具合を確かめるように自分の腕をさする。その顔は仮面のように笑みを貼り付けていたが、自信と諦めが綯交ぜになっていた。若すぎることを理由に、客がルタを信用しなかった例があるのだろう。


 イリスはそんな様子をじっと見つめ、

「他の人形師に用なんてないわ。あなたの腕もどうでもいいの。私は自分の〈ドール〉を迎えに来ただけよ。ここにいるんでしょう。――あの子を出しなさい」

「あの子、ですか?」

「あなたは私を知っているのでしょう? あの子と言ったら一人しかいないわ」


 人形師は曖昧な笑みを浮かべ、

「ご両親はご存知ですか、あなたの居場所を」

「両親は関係ないわ。私は、私の〈ドール〉に会いたいのよ! 会わせてくれるの、くれないの?」


「お嬢さん、さっきも言ったけど頭ごなしに要求だけ付きつけたって――」

「うるさいわね! 黙っててよ!」

 再び爪が帽子の少年を襲ったが、その手は止められた。

「なぁ、もしかしてお嬢さんは、自分の〈ドール〉もこんな風にバシバシ叩いてたんだ? それなら逃げられて当然じゃね?」


 口調は柔らかかったが、冷たくイリスを突き刺す言葉だった。咄嗟に手を引っ込めようとしたが、許されない。そのままキールは小さな客人の手を引き、店のドアを開けた。少女はぎょっとして抵抗するが引きずられてしまう。

「離してよ、離して!」

「ルタ、悪い。このお嬢さんやっぱ連れて帰るわ。この調子じゃ、もし仮に目的の〈ドール〉がいたとしても何するかわかんねぇし。そんな客不要だろ」

「客の判断は私がするけど」

 そう言う人形師も髪をかきあげて苦笑するばかりだ。


「待って! 私がコレットに、そんなことするはずないでしょう! 叩くなんて、そんなこと……」

 俯いたイリスの脳裏をフラッシュバックするのは、三日前の出来事だった。振り上げた自分の右手。頬を押さえ、呆然と佇んだコレットの姿と零れた涙。一番近かったはずの存在が、実は一番理解できてなかったと思い知らされた出来事があった――


「……私だって、あの子のこと、わからないのよ」

 口の中だけで呟いたそれはとても小さく、深い後悔に彩られていた。今にも崩れ落ちそうだったが、少女はまっすぐ人形師へ顔を上げる。

「ちゃんと頼めというなら、お願いするわ。あの子に会わせて。話をさせて。あの子は大事な家族なのよ!」


 ドアベルが再度鳴り響き、扉が閉まった。尻尾のように三つ編みを揺らし、ルタが出ようとするキールを止めたのだ。二人の視線が一瞬交わり、少年は諦めたようにため息をつく。解放された少女は、まろび出ながらも人形師へ頭を下げた。


「……お願い、会わせて、ください」

「事情がおありのご様子ですね。まずはお話を伺いましょう」

「……プライベートなことよ」


 決して居丈高に響かないよう、イリスは抵抗を試みた。偉そうに命じても、田舎の人たちには家名の魔法が通じない。笑われ、無視され、気の強いお嬢さんだねぇ、そういうのが流行っているの、と子どもの遊びのようにあしらわれる。挙げ句、金になると攫われかけたのだから、イリスだって学習した。


 人口の少ないのどかな田舎故か、権力者もここでは身近な存在なのだろう。そんな中で人形師だけが、イリスを通常の枠組み通りに扱おうとした。その意味は問うまでもない。


 人形師は表情の読めない笑顔のまま、「昨晩遅く、珍しい客人がありました」と告げた。ぴくりと反応のあったイリスを見つめ、


「首都からの客人です。予想外の訪問に驚きましたが、何より驚いたのは、彼女が泣きはらした目をしていたことです。暗い工房の隅にうずくまっていました。本来、明るい子であるから本当に驚かされて。……だけど、その事情を教えてくれません。大切な人に関わる話だから言えないと、いくら訊ねても首を振り続けました」


 澄んだ音を立てて、イリスの手から何かが滑り落ちた。壁際にもたれ掛かっていたキールが、転がった小さな金属ボールをつまむ。ラブロックへの道中、ずっとそれを少女が握りしめていたことを、彼は知っていた。

 だが、そんな大切なものも目に入らないのか。イリスは人形師を呆然と見つめている。機械がフリーズした様に似ていた。


「話して貰えますね」

 キールから金属ボールを受け取った人形師は、動けずにいる少女の両手に、それをそっと乗せた。

 ぽたりと、涙が少女の頬を伝って落ちた。

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