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episode 01

「コレット、いるんでしょう! 隠れてないで出てきなさい! コレット!」


 うららかな昼下がりに、少女の怒声が響いた。

 からんからん、とドアベルが申し訳なさそうに遅れて揺れる。がらんどうの店内で、靴音をわざと響かせて仁王立ちしたのは、イリスだ。イリスは腰まで届く髪を背中へ払い、店の奥を睨んだ。

 何の反応もない。店主が出てこないのだ。あれだけの大声でも聞こえないのか。来客を告げる鐘だって鳴ったのに。


「ちょっと誰かいるんでしょう、出てきなさい! 客が呼んでるのよ! 出てこないつもりなら、こっちから行ったっていいんだから……っ」

 腹の底からの大声に喉がひりつき、イリスは咳き込んだ。これほどの大声を発したのは初めてだった。普段から慎ましくお淑やかな言動を心がけるよう育てられたのに、そのすべてを今、かなぐり捨てている。


 勇んで踏み込んだ店内は空っぽだった。踏み出すたび、ぎぃぎぃと床板は悲鳴を上げ、耳に障る。引っ越したばかりの空き部屋と大差なく、そこここに埃よけの布がかかっていた。客を迎える意志が、ひと摘みほども読み取れない。日当たりだけはよかったが、さんさんと降り注ぐ陽光は細かな塵を浮かび上がらせるだけだ。


 ――何なのこの店は!

 沸々とした怒りが頭の天辺に達し、イリスは肩越しに案内人を振り返った。ここまで連れてきてくれた少年――十二歳のイリスより五つか六つ年上か――は、突然怒りを爆発させたことを驚いていたようだ。イリスの不穏な目つきに顔を強ばらせている。それでも何とか笑みを作り、


「ええーっと……お嬢さん? どうして怖い顔などなさっているので? コレットって誰、かなー」

「あなたには無関係なことよ」

 イリスはぴしゃりと切って捨てた。

「それより、ここはラブロックじゃなかったの? どうして誰も出てこないの。今日はお休みなの? まさか騙したんじゃないでしょうね!」

「いやいやいや、ここがあの〈ドール〉メーカーのラブロックに間違いないから。年がら年中こんなで、やる気なくて、店番すら置いてないけど」

「嘘おっしゃい。看板もないし、肝心の〈ドール〉もいないじゃない! 無人店舗にしても無反応だわ。客が来たらどうするの。どう対応するのよ」


 イリスのきつい目が壁一面にある空っぽのガラスケースをなぞる。そこにずらりと人形が並ぶ様を想像していたのだ。触れた指先に埃がついて、少女は顔をしかめた。掃除もまったく行き届いていない。


〈ドール〉とは、人型をしたロボットの総称だ。厳密には、百年近く前に技術者のエリック・ラブロックが生み出した、『こころ』を獲得したアンドロイドを指す。彼らは喜怒哀楽を表現できた。従来のそれと比べ感情豊かな〈ドール〉は、人と見分けが付かないほど精巧だ。彼らを専門に扱う高技術者は、一般的に皮肉をこめて『人形師』と呼ばれている。

 ラブロックは〈ドール〉を生み出したエリック・ラブロックの有名ブランドだったが……現在はかつての隆盛も見る影がない。


「仕方ないよ、滅多に客なんて来ないんだから。大手と違って、個人経営のちんまりした店なんだよ、ラブロックは。あいつ自身も出張整備だ手伝いだで飛び回っているし、アポなしならまず会えないと思わなきゃ。今だっているかどうか……最近顔見てないし――ルタ、ルタ? おおい! いるのか、ルタ!」


 帽子の少年が、店の奥に向かって声を張り上げる。工房と店が一つになっている話は本当らしい。さらに、ラブロック関係者の居住も混ざっているようだ。それにしても、内線も使用せず声を張り上げるだけとは、音に聞くラブロックの落ちぶれようも酷い。


(もしかして首都を真似ているの?)

 首都では懐古主義が上流階級で流行中である。この店内の床板やクロスといったアナログな雰囲気はそれに似ている。合理的で無駄のない無機質な建物や内装がはびこる中、昔あったという手芸品、工芸品や、人の手によるサービスが一部で見直されている。冷たい機械ではない、人ならではの温もりや、緑の安らぎが求められつつあるのだ。

(でもここは〈ドール〉工房なんだから、あべこべね)

 その流行とは真逆の存在を生み出している場所である。


 少年の脇からひょいと扉の奥を覗くと、廊下がずいぶん先まで続いていた。クロスやフローリングは途中から途切れ、首都の中流階層以下ではお馴染みのつるりとした内装がむき出しになっている。耳を澄ますと聞こえる微細な機械音が、どこか落ち着かない気分にさせた。


 コレットはこの先にいる。声を張り上げ続ける少年を盗み見、足をそうっと廊下へ伸ばしたときだ。


「あっと、ストップ!」

「きゃっ! な、何するのよ、放しなさい!」

「不法侵入禁止。工房の領域へ無断で入ると逮捕されるよ。というより、ここのセキュリティ、ヤバいんだ。本気で怪我するから」


 高技術の結晶である〈ドール〉を扱う工房では、極めて厳重な管理を言い渡されている。一般的なものよりセキュリティは強固で少々過激だ。そのさじ加減は各々に任されているため、侵入者の骨折や気絶はざらにある。さる工房では、義手や義足を用意したからと侵入者に重傷を負わせ、過剰防衛だと数年前に訴えられた。その事件以降、工房への侵入窃盗は命懸けだと敬遠されつつある。

 イリスのような、か弱い少女が乗り込むには危険な領域なのだ。


「工房内は首都のシステム以上なんだから、迂闊な行動は控えないと」

 我がことのようにしゃべる少年の頬へ、イリスの爪が襲いかかった。首根っこを猫のようにつかまれた逆襲だ。ぎゃ、と少年はおっかなびっくり飛び退る。


「うるっさいわね。あなたラブロックの関係者なの? だったら早く誰か呼んできなさいよ。そうじゃないなら下がってなさい」


 いたたた、と少年が頬を押さえる。その爪はとんでもない凶器だね、と苦笑した。イリスがなおも爪を立ててにじり寄ると、降参こうさんと両手をあげる。

「俺は人形師の幼なじみだけど、〈ドール〉なんて高価な代物にとんと縁がないよ。お嬢さんはあるようだけど……さっき呼んでたコレットがもしかしてそれ? 出てきなさいってどういうこと?」


 イリスが、実に嫌そうにじろりと赤毛の少年を仰いだ。

「おしゃべりな舌ね。無関係なんだからあなたはもう帰っていいって言ったわよ。用は済んだのにいつまでいるつもり。ああ……、お金が必要ならいくらか言ってちょうだい」

「お金って……」

 少年が束の間、絶句した。

「あのさあ、人の善意って信じられない? お嬢さんこそ、誰彼構わずつんけんしていたら味方なくすよ? 頭ごなしに命令したって、ここじゃ誰も動かせないって痛い目見たとこじゃないの」


 痛いところを突かれ、イリスは顔を赤くした。都会育ちのイリスは田舎などわからない。列車から降り立ち、首都とのあまりの違いに呆けていたところ、怪しげな男たちに絡まれ、営利目的で誘拐されかけたのだ。

 彼らは、当初にこやかに案内を買って出てくれた。強引に車へ乗せられかけ、イリスが抵抗したところ、態度が一変したのだ。


 それを助けてくれたのが、この帽子の少年だった。待ち合わせていた妹だと機転を利かせた彼がいなければ、どんな目に遭っていただろう。男たちに囲まれたことを思い出し、ぞっとしながらイリスは掴まれた腕をさすった。本当に、簡単に、連れ去られかけたのだ。


 放してと喚いても聞き入れられず、助けてと訴えてもにやにや笑われるだけだった。通りすがりを含め、だれも、子どもの言葉を真剣に取り上げてくれなかった。この帽子の少年以外は。


 ぐっと唇を噛んで、イリスは出会ったばかりの少年を睨みつける。――信用できないに決まってるじゃない、と全身が訴えていた。現に、見知らぬ男たちに騙されかけたのである。少年は諦めたように息をつく。


「まぁ、いいけど。俺はね、別に金が欲しくてお嬢さんを助けたわけじゃない。あと、ルタを紹介するんだ。その責任をこっちだって負ってること、わかる?」

「……あなただって、私を全面的に信用できないってわけね」


 必要ないと言われ、出しかけた財布を少女はしまった。難しい顔をして、少年の言葉を自分の納得できる尺度へ落とし込んだ。あらかじめ連絡もせず、殴り込むように訪れたのだ。案内してくれた相手も、イリスをはかる必要がある。


「そういう意味じゃないけど、強行突破するようなら危ないから止めるってだけ。なぁ、お嬢さんがイライラしているのは〈ドール〉が心配だから? 〈ドール〉が消えたりする話、結構聞くもんな」


 イリスが目の色を変えた。詰め寄りかけたが寸でのところで堪える。少年のにやにやした笑みが勘に障った。「へぇ、やっぱりそういう事情」と面白そうに、顔に書いている。

 確かに、赤ちゃんから一緒に育ったイリスの〈ドール〉は、現在行方不明中である。しかし、それ以上にイリスを驚愕させたのは。


「……あるの? 突然〈ドール〉がいなくなっちゃうこと」

「契約期間内であっても返品や返却なんてことは、ザラにね。相性なんてわかんないもんだし、最悪〈ドール〉が逃げ出すことも多々ある」

 環境に馴染めなかった、主人と良好な関係を築けなかった、欠陥ができた、とか? と指折り少年が言う。


「そのどれかに私も当てはまっていると、言いたいのね?」

「事情を知らないから断言しないけど。相性が悪かった以外で主人に忠実な〈ドール〉がいなくなるなんて、よっぽどの原因があるんだろうな。ここにいるとも限らないし。誘拐されて行方知れずってパターンが一番多いんだよ」

「コレットはいるわよ、ここに!」

「それならルタが悪いようにはしない。だから……そう威嚇しないでくれる?」


 あなた一体何なのよ! 私を引っ掻き回して。

 喉元まで出かけた憤りをイリスはかろうじて押さえ込んだ。仏頂面で、


「……さっきから言ってる、そのルタって誰」

「ラブロックの人形師」

「ここの人形師はエリック・ラブロックでしょう。もうおじいさんの」

「エリックじいちゃんはもういないけど?」


 絶句してしまった。どうやらイリスの知る人形師は他界したらしい。〈ドール〉の父と呼ばれたエリック・ラブロックは結構な高齢であったため他界していても不思議はないが――なんせ百歳を超えている――その事実に目眩がした。代替わりした人形師は彼の孫で、成人前の新米だという。この窮地に何とも頼りがたい。


「大丈夫だいじょうぶ。ルタはライセンス持ちの、歴とした人形師なんだ。そこらの三流よりよほど腕が立つ。ただなぁ……」

「なによ」

「人間より〈ドール〉を優先する質だから、こんな事態になった理由次第では契約を切ってしまうかもね。お嬢さんが何といっても」

 そうなったらごめんね、と少年がへらりと笑った。


 青ざめたイリスが年上の少年に詰め寄ったときだ。ぎし、と床板のしなる音がした。その音が徐々に近づいてくる。


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