prologue
夜中のことだ。工房のロックがかちりと解除された。脳内でけたたましく鳴り響いた警告音にルタは肩を弾ませ、作業を中断する。ぱちんと火花が散り、「あああああ!」と悲鳴を上げた。細密機器を操作するためのゴーグルを外し、「何だよもう」と口走る。長い三つ編みがしっぽのように揺れた。
「くそ、集中力切れた! こんなときに何の嫌がらせだよ。作業の邪魔してくれちゃって、どうしてくれようか」
不機嫌もあらわに、ルタは唇を笑みの形につり上げた。くまを浮かび上がらせた形相は、思いやりの欠片も残っていない。賑やかな警告音を乱暴に解除し、胸ポケットから取り出した多機能メガネをかけ、手早くセキュリティをチェックする。メガネのレンズ部分に工房内の映像とマップが映し出された。
泥棒でも侵入したか。それとも強盗か。これから警察沙汰になるのか。余計な手間を取らされるのか。スケジュールが遅れたらどうしてくれるのか。
いらいらとマップを睨みつけ――おや、と訝しんだ。
裏口の扉のみ施錠が外されていた。
他はまったく異常がなかったのだ。幾重にも巡らされたセキュリティは作動する気配がなく、随所に設置されたカメラにも侵入者は映っていない。アングルを切り替えても結果は同じだ。相手はシステムの解除に手間取っているのか。それとも、すべて躱されているのか。
(うちを軽々突破できるようなスキルある奴?)
工房内はいつも通りの静けさを内包していた。思い切ってひょいと通路を覗いたが、耳をそばだてても侵入者の気配はない。点々と設置された非常灯が、ほんのりと足下を照らすのみである。
でも裏口は開けられたんだよなぁ、と再度セキュリティを確認した。
「エラー……じゃないな。裏口は開いたのに異常がない」
突然の故障の可能性は、相当低いがゼロではない。
ふと、脳裏に「警察! 大人しく警察へ通報しろ! それか警備会社に連絡!」と顔色を変える友人の姿が浮かんで苦笑した。今、この工房は、ルタ一人しかいないのだ。他には警備ロボットが数台敷地内を巡回し、現在それらは裏口へ集結しつつある。
「……なんかやっぱおかしい」
危機感を抱かなかったわけではない。ほっそりした体躯では、侵入者ともみ合ってもあっさり退場させられる。ルタに力業は似合わない。
それでも各所にいるセキュリティボットへ指示を出し、手近にあった大きなスパナを握りしめた。武器としては心許ないが、仕方がない。一番近場にいるボットに先行させつつ、そろりそろりと裏口へ向かった。
泥棒や強盗の類いであればセキュリティを作動させ、一目散に逃げてやる、と腹をくくる。
そして、ふと足を止めた。誰かがいる。かすかな音が反響している――
(嗚咽?)
閃くものが浮かび、慎重だった足取りが大胆になる。スパナを投げ捨てたため、廊下に甲高い音が響いた。疑いもしなかった可能性に行き当たったのだ。
……っひ、ひっく、としゃくり上げる子どもの息づかいがした。暗かった裏口にぱっと灯りを点すと、扉付近でうずくまった小さな影を発見する。膝を抱え、両腕の間に顔を埋めた子どもだ。
「どうしたの? 何かあった?」
肩をつかんで揺さぶると、ファーのついたフードから涙で濡れた顔が覗いた。よく見知ったその顔にルタは息を詰める。唇が知らず、子どもの名前を呼んでいた。袖口を涙でぬらす少女はくしゃりと顔を歪ませ、助けを求めるように力なく手を伸ばしてくる。
明るい髪色をした、十歳ほどの女の子だった。鼻や目の辺りを真っ赤に染めて、ルタの胸元に顔を押しつけた。
「ルタ、どうしよう……。私、いいと思ったの。そうするのが一番だって。でも、間違いだったみたいで……!」
それだけ告げると、ルタにすがりついてわんわん泣き始めた。何があったの、と問いかけることさえ躊躇わせるほどの、痛々しい有様だった。
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