王子、事件です
驚き、という言葉は、その人物にとって予想していなかった出来事が起き、心の平穏が乱されることを指すが、蝶子の場合もそうだった。
十五が写真部の正顧問になったのは、つい昨日のことであり、蝶子は密かに部活動の時間を楽しみにしていた。
これから毎日……とまではいかなくとも、学校ではほとんど接点のなかった十五と、少なくともその時間だけは、同じ空間で同じ時間をともにすることが出来るからだ。
それに浮かれて、いつもより早足で部室に向かい、まだ誰も来ていないその場所でひたすらソワソワとしていた。
手持ち無沙汰なこともあり、蝶子は明後日開かれる月に一度の部の品評会に出品するための写真を現像することにした。
一人で暗室に入り、気持ちを落ち着かせながら作業を進める。
しばらくすれば暗室の向こうがなにやら騒がしく感じ、蝶子は光が暗室に射し込まぬよう、細心の注意を払いながら暗室を出たのだが……。
「ああっ!今田さん!よかった!もう来てたんだっ?!」
酷く慌てた様子で話しかけてきた高本に、蝶子は唖然としながら高本に歩み寄った。
「ど……どうしたんですか皆さん……」
「どうしたもこうしたも!全員入部希望者だよっ!」
「えぇーっ!」
部室には見知らぬ女子生徒が数十人存在し、狭い部室ということもあってか、その人集りは部室の外までに及んでいる。
きゃっきゃっ、と愉快そうに友人たちと話す女子生徒たちの多さに、蝶子は放心した。
「……なんです?この騒ぎは……」
少し遅れて十五が姿を現した。
途端、部室に存在した女子生徒達は黄色い声を上げて十五に群がっていく。
「きゃー♪黒澤せんせぇー♪」
「私たちぃ、写真部に入部しに来たんですぅ♪」
その様子を見ていた蝶子と高本は顔を見合わせ、この騒ぎの原因を突き止めた、と互いに頷いた。
女子高生の行動力とは恐ろしいものだ。
十五が写真部の正顧問になったことを聞きつけ、十五目当てで入部を希望しているのだ。
まさに“王子”と呼ばれるだけあって、人気はしっかりと比例しているらしい。
“王子”の前に“氷”がついていることを忘れてほしくはないが……。
うざったそうに女子高生の波をかき分けて、十五は蝶子と高本の元へ歩み寄ってきた。
「全員入部させるつもりですか?」
かなり不機嫌な言葉だったが、表情は相変わらず無表情だった為、あまり感情が入っていないように感じられる。
けれど、確実に、腹を立てていると気づいた蝶子は恐る恐る高本を見た。
「こんな中途半端な時期に、こんな大人数の入部希望者なんて、さすがに無理ですよ。とりあえず全員、仮入部の手続きとってもらって、一週間ほど様子を見ようかと……」
高本の提案に、十五は納得いかないようだったがあえて口をつぐんだ。
十五も自分が昨日正顧問になったばかりであるため、えらそうに意見を言えた立場ではない。
それに高本は、生徒であっても写真部に所属する時間は十五よりも長い。
自分よりも部をまとめる高本の意見の方を優先してくれたのだろう。
部室に入りきらない女子生徒達をどうまとめていけばいいのか、不安でたまらなくなった。
その時だった。
「えー!かなり薬品くさーい!」
「ココが暗室?へー、汚いところイメージしてたけど結構綺麗じゃん」
三人が話し込んでいるのをいいことに、女子生徒の数人が勝手に暗室を空けて入っていった。
それを見た蝶子は驚きのあまりに叫んだ。
「ちょっ!勝手に入らないでっ!!」
蝶子の言葉に、一瞬、ビクッと体を震わせるも、女子生徒は振り返りながら、その発言が蝶子のものだと知ると、酷く冷たい視線を向けて蝶子に言った。
「はぁ?見学してるだけじゃん、入部するんだから見せてくれたっていいでしょぉ?」
彼女の発言に、周囲に居た生徒達もそうだそうだと同意して頷いている。
あまりにも突然すぎたため、蝶子は頭が回らず慌てて暗室の方に駆け出した。
「早くでてっ!光がっ!!」
彼女たちを暗室から追い出そうと、一人の生徒の肩に手を置いて必死に外に追い出そうとする。
そんな蝶子の行動に、油断していたらしく、その生徒は勢いもなくその場に尻餅をついた。
「いったーいっ!何すんのよっ!」
それでも蝶子はその言葉を聴かず、一人で暗室の奥へと進んでいく。
尻餅をついた生徒の周りに、友人達が集まり、謝りもしない蝶子に次々に文句を言うも、次に暗室に駆け込んできた高本の言葉に驚いた。
「自業自得だっ!どけっ!!」
今まで温厚だった高本の劇的な変化に、周囲は唖然とする。
高本はすぐに入り口の暗幕を引き、光が差し込むことを防いだ。
「今田さん!もしかして現像中だった!?」
暗幕越しに高本が話しかけるも、中にいる蝶子からの返事はない。
高本は暗幕を握り締め、中様子をうかがおうともう一度口を開けば、ゆっくりとカーテンが持ち上げられ、俯いたまま蝶子が顔を出した。
蝶子の手にはくしゃくしゃになった紙のようなものが握り締められており、高本はそれが何かをすぐに理解すると、蝶子の手から奪うようにそれを取り上げ、目を凝らしてそれを見る。
「ああ……駄目だ……やられてる……。ネガは?」
高本の言葉に、蝶子は顔を上げることも出来ずに首をゆるゆると横に振った。
「品評会の作品だったのに……」
落ち込んだ蝶子の言葉に、高本は何も言えずに蝶子の肩をポンと優しく叩いて、蝶子から取り上げた紙をゴミ箱に捨てる。
それから蝶子の肩に手を触れたまま振り返り、ことの原因を起こした女子生徒たちを睨んだ。
「お前等……自分達が何やったのかわかってんのか」
温厚で静かな高本が、これほどまでに怒りを露わにした声を出すのは初めてだ。
少なくとも、蝶子は今までに聞いたことがない。
蝶子が顔を上げて、高本を見れば、高本は視線を女子生徒たちに向けたまま酷い形相で睨み続けていた。
女子生徒たちはと言えば、蝶子に尻餅をつかされた生徒はすでに立ち上がり、友達と群がって高本を睨み返す。
「なによぉ、別に悪気があってやったわけじゃぁ、ないじゃない」
「そうよ。興味があったから見ただけじゃん」
「素人が勝手に行動して、彼女の作品がめちゃくちゃになったんだぞ!?」
「なによっ、いいじゃない別に。写真の一枚や、二枚、また撮ればいいだけじゃん!」
まったく詫びる様子のない女子生徒達の発言に、蝶子も酷く憤慨した。
特に一番最後の台詞は高本も同じだったらしく聞き捨てならないと口を開いた時だった。
「今発言した生徒は、私の前へ」
突如聞こえた言葉に、そこにいた誰もが振り返った。
十五は腕を組みながらそこにあったテーブルによりかかって、鋭い視線でこちらを見ている。
女子生徒たちも突然の十五の発言に、一瞬躊躇したが、顔を見合わせて、何も言わないままおずおずと十五の前に並んだ。
「……今、何月何日、何時何分何秒ですか?」
「……え?」
怒られると思って萎縮していただろう、女子生徒たちは十五の的外れな言葉に顔を見合わせた。
「時間というものは私達に止める事が出来ない、走り続ける生き物です。写真はその一瞬、一瞬をおさめることが出来る唯一の道具。その時に撮った写真はその時にしか映し出されないものなのです。同じものを撮ることは決して不可能だ。それを理解したうえで今の発言をしたならば、許されるべきことではないと私は考えますが……どう思いますか?」
静かながらも威圧感のありすぎる発言だった。
十五はすっと目を細め、最後に発言した女子生徒を見つめる。
女子生徒はそのあまりにも冷たい十五の視線に、ビクッと体を震わせ、何も言えないまま自分のスカートをぎゅっと握り締めた。
「どうやら君に写真を撮る資格はないようだ。君達も同じだ。本当に写真に興味があってこの部に入部したいと懇願しているのなら、もっとしかるべき対応と発言を心がけるべきでしたね。私は君達の入部を認めません。今すぐ出て行きなさい」
有無を言わさない十五の発言に、生徒達は酷く慌てたように十五を見るも、十五はすでに許す気などないのだろう。
視線を下にさげ、生徒達を見ることはなかった。
そんな十五の態度に、生徒達はどうすることもできずその場に立ち尽くしたままになる。
出て行くことすら躊躇しているのは、やはりまだ入部を諦めきれないからだろう。
蝶子も高本もそれをただ見つめていた。
彼女達が十五に言われたことは、自分達が十五に言わせてしまったことだ。
然るべく鉄槌を受けても仕方がないと思う。
そして何より十五の言葉に救われていた。
自分達が考えていることを先生の立場からここにいる女子生徒達に教えてくれたのだ。
高本もそれについては同じだったらしく、彼女達の次に起こす行動を静かに見守った。
「あの……せんせ……」
どう謝罪を切り出せばいいか分からず、並ばされたうちの一人が十五を呼ぶ。
十五は下を俯いたまま静かにため息を漏らし、顔をゆっくりと上げて低い声で漏らした。
「聞こえなかったか……?出て行け」
もはやそれは、いつも聞いている十五の口調ではなかった。
生徒達は目に涙を浮かべながらも、石の様に重く動かなかった足を何とか翻し、ドアに向かって歩き出す。
ドアまでには他にも沢山の生徒がそれを見守っていたが、自然と道が開け、ドアまでの道のりはあまりにも平坦だった。
生徒達が静かに出て行くのを確認すると、十五は残っている生徒を静かに見渡して言う。
「他にも同じような考えを持った者や、写真に興味がないのにここに訪れた者は今すぐ立ち去れ。二度とこの部室に足を踏み入れるな」
敬語ではない十五の言葉はかなり効いた。
女子生徒たちは一言も話さず、隣にいる友人に目配せをし、十五の恐ろしさを目の当たりにした恐怖から、無言で部室から出て行くものも居る。
それでも部室には二十名近くの女子生徒が残り、十五はまたその生徒達を見下すように見つめた。
「なんや?偉い辛気臭いな」
ピリピリとした空気が張り詰めた部室に、緊張感のない声が聞こえた。
部室に居た誰もが「え?」と顔を上げて入り口を見る。
女子生徒たちはその人の姿を確認すると、顔色を蒼白させた。
入り口に並んでいた三人を見て、蝶子は思わず顔をほころばせた。
その異様過ぎる三人をみて、十五は思わず絶句していたが。
一人は短髪ながらもスポーツ刈りというほど短くはなく、前髪の一部に緑色のメッシュが入り、耳には無数のシルバーピアスが並んでいる。
両端がつりあがり、睨むような瞳は、彼が生まれながらに持ち合わせているものだが、それを恐れる人も多い。
もう一人は誰がどう見ても日本人ではない顔立ちをしていた。
高い鼻に美しい瑠璃色の瞳、生まれながらの金髪は蝶子と同じくらいの腰のあたりまであり、それをサラサラと揺らしながら笑顔を向けてくる。
最後の一人はいかにも優等生といった装いで、制服をキッチリと着こなし、黒縁の眼鏡をかけて手に参考書を持っている。
けっしてこちらを見ることはなく、ブツブツと何かを唱えるようにその参考書を見つめていた。
その三人を見た高本は呆れるように大きくため息をつき、ようやく蝶子の肩から手を離し、そのまま自分の腰にすえた。
「お前等なぁ……たまには顔出せよ」
「そやから、今日来たんやないか。もうすぐ、品評会やろ?俺らも今日現像せな間に合わんし」
ケラケラと笑いながら短髪の少年が高本に言う。
その言葉を聞いた優等生の少年がようやく顔をあげて面倒くさそうに言った。
「僕は勉強があるから嫌だって言ったのに……こいつ等が無理矢理連れてくるから」
ブツブツと文句を言う優等生の少年をみて、高本はふんっと鼻を鳴らした。
「ミツ、それでも来たってことは、明後日の準備をするためなんだろう?」
挑発するかのような高本の物言いに、ミツと呼ばれた優等生の少年は勢いよく手に持っていた参考書を閉じ、ツカツカと早足で高本に歩み寄ってくる。
「僕は負けっぱなしは性に合わないんでね!今度こそ君をギャフンと言わせなきゃ気が済まないんだよっ!」
「あーはいはい」
二人のやり取りに、金髪の少年がクスクスと笑いながら近づいてきた。
「ミツ、落ち着く、必要やよ?」
半ばカタコトな日本語だけれど、それでも発音のいい言葉に、ミツはふんっと不機嫌そうに鼻を鳴らして押し黙る。
金髪の少年はその反応に満足したように微笑み、高本の隣に並ぶ蝶子を見つけ、パッと幼い子供のように笑顔を咲かせた。
「チョコさん、お久しぶり」
「お久しぶりですアル先輩」
アルはそう言って蝶子の頬に自分の頬を摺り寄せる。
蝶子もそれには慣れているようで、素直に受け入れクスクスと笑みを漏らした。
「以前の品評会より日本語、お上手になられましたね?」
「あたぼーよ?ダイスケに教えてもろたん、がんばっとるデー?」
「かなり大阪弁が入ってますけどね?」
「オサベン?」
蝶子の言葉に理解できなかったらしく、小さく首をひねって尋ね返すアルを見て、蝶子はクスクスと笑った。
「で?どないしたん、この騒ぎ」
「あ、えっと……」
一通りの会話を終え、短髪の少年が部室に居た見知らぬ女子生徒を見つめながら尋ねれば、蝶子はようやく今の状況を思い出して、説明に苦労していた。
そんな五人に歩み寄ってきたのは十五だった。
「君達は?」
怪訝そうに尋ねる十五に、短髪の少年は「ああ」と笑顔を向けて十五に言った。
「俺ら全員、写真部の部員ですわ。お宅が黒澤センセ?ホンマ、噂どおりベッピンさんやなぁ。俺、デザイン科ファッションコース二年の荒川大輔言います。よろしく」
短髪の少年、大輔は片手を軽く挙げて十五に挨拶をする。
十五はベッピンという言葉に少し不愉快さを感じながらも、何も言わず、蝶子の隣に立つアルを見た。
「初めまシタ……?」
「初めましてですよ先輩」
「oh!sorry……日本語、ムズカシイです」
アルの挨拶に蝶子がすかさず訂正を入れれば、アルはすぐに自分の非を認め、素直に謝罪する。
それを見ていた十五は無表情なままアルに告げた。
「I don't think so.Your Japanese is very good.We haven't met before,have me?May I have your name,please?(そうは思いません。あなたの日本語はとても素敵です。お互い、これが初対面ですよね?お名前を伺ってよろしいですか?)」
綺麗な英語が並んだ十五の言葉に、蝶子も周囲に居た者も皆驚いている。
アルは自分の母国語で尋ねられた質問に、機嫌よく日本語で答えた。
「初めマシタ。僕はアルフレッド・ブラウン。アルでもアーシャでも好きに呼んでクサイ。デザイン、ファッションコース、二年。一年前、留学してきたで?」
最後の最後に大阪弁が出てしまったが、誰もそれを笑うものは居なかった。
十五は静かに頷くと、ゆっくりとアルに聞き取れるように言った。
「私は、黒澤十五です。写真部の正顧問になりました。宜しくお願いいたします」
そういいながら最後に優等生の少年を見た。
少年は面と向かって十五を見つめ、十五もそれに答えるように視線を向ける。
「君が写真部だとは思いませんでしたね」
「僕も先生が写真部の正顧問になられるとは思っていませんでしたが。知っていると思いますが一応、理数科二年、光山七季です。宜しく先生」
そういいながら丁寧に頭を下げるミツを見て、十五は小さく頷いた。
ようやく全員の自己紹介を終え、周囲で待ちぼうけを食らっている女子生徒を見れば、数名は顔を見合わせ、恐る恐る言った。
「す、すいません……私達も入部辞めます……」
「私も……」
「私も……」
あれほど十五の威圧にもめげなかった女子生徒が、アッサリと出て行ったことに、驚いた様子を見せる十五の隣で大輔がクックッと笑った。
その笑みの意味もわからずに、十五は答えを求めるように蝶子に視線を向けるも、蝶子は視線で「後で……」と伝えれば、それが伝わったらしく、十五は何も言わないまままだ残っている女子生徒を見つめる。
女子生徒はすでに十名ほどしか残っておらず、蝶子は困ったように首をかしげた。
「ははーん、わかった。自分等、黒澤センセー目当てで入部希望しとるんやろ?」
大輔の図星をついた発言に、女子生徒たちはうっと言葉を詰まらせるも、諦めきれないように言った。
「私達、どうしても入部したいんですっ!」
「コレだけの人数になったんだから全員入部させてくださいっ!」
食い下がる女子生徒の態度に、十五は深くため息を漏らすも、どうすればいいのかわからないと言った様子で高本を見る。
高本も眉の両端をさげ、どうしたらいいかと悩んでいるようだった。
そんな二人の様子を見て、ミツがフンッと鼻を鳴らしながら高本に提案した。
「そんなもの、アレをすれば済む話だろ?」
ミツの提案を理解したように、高本は顔を上げてなるほどといった表情を浮かべて言った。
「ああ、そうか、アレか」
「そやそや、それがあるやん。俺らもソレして、ようやっと入部したんやし」
高本の意見に賛成するように大輔がうんうん、と頷きながら言えば、蝶子は酷く戸惑ってしまった。
「で、でも……アレ……するってことは……高本先輩の……」
「まあそういうことにもなるね」
「ほ、他の方法は考えられないんですか?」
「ソレが一番手っ取り早いだろ?」
「で……でも……」
「今更恥ずかしがることないじゃん?今後もずっと残るんだし……」
「ちょっと待ってください。さっきからアレ、アレって、何の話ですか?」
意味もわからず進められる会話に、十五が怪訝そうに尋ねれば、蝶子は戸惑いながらも小さく呟いた。
「入部テストです」
と……。




