扱い方には要注意
驚きがあまりにも大きすぎた。
大きすぎたせいで、蝶子の小さな心はますます小さく縮こまったように感じられる。
恐縮と言うのが正しいのか、恐れ多いというのが正しいのかもわからない。
けれど自分の中を支配している何かは計り知れない重圧を蝶子の心に負担がけていると感じていた。
先生と生徒というだけで大きな隔たりを感じるのに、財閥の御曹司と一般庶民の小娘という関係が追加されてしまっては、どうすることもできないなと感じた。
そう考えていると、ふと、自分がなぜそんなことを考えているのかと疑問に思った。
それはまるで自分が先生と真剣にお付き合いしているように思えたからだ。
つい先刻まで断るつもりでいた先生とのお付き合いを、今はすんなりと受け入れている自分がいる。
蝶子の頭の中に、まさか、でも、という言葉が繰り返し浮かび上がっては消えていく。
再び女将がウーロン茶を手に部屋へやってきたとき、蝶子がメニューを見れないでいたのを察知したのか、十五は自分と同じコースを女将にお願いしていた。
数分の待ち時間があり、その後運ばれてきた料理は蝶子の想像を遥かに超えた豪華さだった。
細長い器に、お寿司が転々と盛り付けられており、そのお寿司の内容も大トロ、焼きあわび、伊勢えびなど勿体無いほど豪華で、可愛らしく三つ葉が添えてあるものがあれば、金粉を散らしたものまである。
それを目の前にした瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。
今の今まで空腹だと訴えていた食欲も、今は全然感じられない。
十五に促され箸を進めるも、ひとつ摘んで口に運んでは箸を置いて十五に気づかれないようにため息を漏らす。
けれど十五はちゃんと蝶子の異変に気づいており、十五は自分の箸を静かに置いた。
「お気に召しませんでしたか?」
蝶子を気遣う言葉に、蝶子は慌てるように箸を持ち直し、十五に笑顔を向ける。
「いえ、とてもおいしいです。なんだか食べるのが勿体無くて」
「本当に?」
「ええ、本当です」
無理に笑顔を作っているせいか、蝶子は自分の口の端がヒクヒクと動くのを感じた。
十五はそれ以上問い詰めることもできなかったようで「そうですか」とだけつぶやき、再び箸を持つ。
けれどその箸を動かすことなく蝶子を見れば、穏やかに微笑んで言った。
「あわび、本当においしいですよ。召し上がってください」
十五の言葉に、蝶子は少しだけ戸惑い、けれど十五の視線は蝶子に向けられたままだったので、蝶子は気が進まないままあわびのお寿司を箸に摘んだ。
「おいしいです」
お寿司の半分ほどをかじって自分に言い聞かせるようにそうつぶやく。
確かに美味しいのではあるが、胸からこみ上げてくる自分でもわからないこの気持ちに、蝶子はそれを飲み込むことはできなかった。
ごまかすようにウーロン茶を手に取り、流し込むように口に含む。
あまりにもこの場所に不似合いで、あまりにも不器用な自分が情けなくなって、蝶子の目にはゆるゆると涙があふれ出てきた。
「蝶子さん」
十五が目の前にいることを一瞬忘れてしまっていた。
蝶子は涙をぬぐい、笑顔を向けてわざと明るく十五に言う。
「こんな豪華なもの、食べたことがないので感動して涙が出てしまいました」
「無理……されてますよね」
せっかく明るく振舞ったのに、的を射た十五の発言に蝶子は馬鹿正直に言葉を詰まらせた。
その反応を見た十五は深くため息を吐く。
十五を呆れさせてしまったのかと蝶子が顔を向ければ、十五はそっぽを向いたまま箸を置いてゆっくりと立ち上がる。
すると蝶子の手を引いて無理やり立ち上がらせ、入り口に歩いていった。
「出ましょう」
「え?で、でもまだ食事が……」
突然の十五の行動に、蝶子は戸惑いながらテーブルの上を見る。
テーブルの上にはお寿司のほかにもたくさんの料理が並んでいる。
蝶子が座っていた側の料理に関して言えば、まだ三分の一ほども出されたときのままの状態で残っていた。
「いいんです。出ましょう」
半ば強引な十五の態度に、蝶子は何も言えなくなってしまった。
蝶子の手首をつかんだまま部屋を出れば、丁度出くわした女将が驚いた顔をして二人の顔を交互に見つめた。
「も、もうお帰りになるのですか?」
「ええ、すいません。彼女の気分が優れないようなので、今日は失礼させていただきます」
「まぁ……大丈夫ですか?何かお薬でも……」
そうつぶやきながら女将が蝶子の顔を覗き込もうとした。
蝶子は無意識ではあるが先ほどチラリと泣いてしまった為、あまり顔を見られたくはない。
ふと視線を下に向ければ、次の瞬間、蝶子は手から感じる引力に素直に従い、その体は十五の腕の中に抱かれていた。
「申し訳ありませんが、お会計をお願いできますか?」
ひどく冷たい言い方だった。
半ば焦っているようにも感じられるその言葉に、女将は息を呑んで素直にうなづく。
女将が部屋の中をチラリと横目で見たのを背後に感じ、蝶子は申し訳ない気分でいっぱいになった。
女将が厨房に戻っていくのを見送って、十五は静かに胸の中にいる蝶子の顔を上げさせ静かに声をかけた。
「蝶子さん、お会計を済ませてきますので、先に車に乗っていてください」
蝶子の手を取り、その掌にキーを置く。
戸惑いながら蝶子は素直にうなづくと、十五の顔も見られないまま小走りで店を出た。
情けない……。
蝶子は自分が惨めでならなかった。
これほどまでに十五を落胆させてしまったのだ。
きっと彼は自分に愛想を尽かすだろう。
そう思えた時、ふと蝶子の頬に涙がこぼれた。
胸がヅキヅキと痛みを増していく。
何もかもがわからないのだ。
自分がどうしてこれほど落ち込んでいるのかも、この胸の痛みの正体さえも……。
「救われないな……」
蝶子は一人でそうつぶやきながら、駐車場に止めてあった車に乗った。
ダッシュボードの上に車の鍵を置いて、深く腰をかける。
ふぅーっと深くため息を漏らせば、あまりにも静か過ぎる空間が虚しく思えてきた。
―*―
それほど待たないうちに、蝶子は十五が会計を済ませて車の方に歩いてくる姿を、フロントガラス越しに見つけた。
十五の表情はいつも見せている笑顔はなく、かといってあの恐ろしいほどの無表情もない。
蝶子が助手席に乗っているのを確認して、十五は運転席のドアを開けると、座る前に蝶子に大きな包みを手渡した。
「……これは?」
蝶子はその包みを受け取りながらそう尋ねれば、十五は運転席に座りながら、いたって普通の声で蝶子の問いに答えた。
「女将が気を利かせて、残してしまった食事を弁当に詰めて下さいました。ご気分がよくなったら召し上がってほしいと」
その言葉に、蝶子はまた目頭が熱くなった。
十五の言っていた通り、お店の人はとてもいい人だと実感できたからだ。
それなのに自分といったら……と、蝶子はまた自分を責めるように小さくもらした。
「すみませんでした……」
蝶子の漏らした言葉に、十五はダッシュボードに置いてあった鍵を見つけてそれを手に取る。
それからふと、蝶子を見つめ、やさしく蝶子の頬に触れた。
「蝶子さんが謝ることはありません」
「でも……こんな……素敵な食事に誘っていただいたのに……私のせいで詰まらない思いをさせてしまって……」
言葉を詰まらせながら、謝っても謝りきれない自分の失態に、蝶子は膝の上に乗せてある弁当の包みに視線を落とす。
十五は小さくため息を漏らしながら蝶子に言い聞かせるように言った。
「蝶子さんのせいではありません。僕が……初めての蝶子さんとのお食事に浮かれていて、蝶子さんのお気持ちを考えずにお店を選んでしまって。今はとても後悔しているんです」
「そんなっ、私のためにしてくださったんです。先生は悪くありませんっ」
バッと顔を上げて必死に訴える蝶子に、十五は驚きのあまり頬に触れていた手を引っ込めた。
ようやく見る事ができた十五の表情は驚きと、戸惑いが入り混じったような複雑な気持ちを浮かび上がらせている。
十五にこんな顔をさせてしまった自分が心底なさけなくて、蝶子はこぼれそうになる涙をグッとこらえた。
ほんの数秒、二人の間に沈黙が走った。
戸惑うように十五が蝶子から視線をはずせば、蝶子も慌てるように視線を前に向ける。
「蝶子さん」
沈黙を破ったのは十五だった。
蝶子は自分の名前を呼ばれたと理解していたが、どうしても十五に振り返ることはできない。
それでも十五は蝶子が自分の言葉をしっかり聴いていると解釈し、続けるように言った。
「僕はまだ食欲が満たされていないのですが、蝶子さんはどうですか?」
「え?」
十五の言葉に不意に振り返れば、十五は蝶子の方を向いていなかった。
エンジンをかけ、それからようやく蝶子を見つめる。
どうやら質問の返事を待っているようで、蝶子は小さくうなづきながら言った。
「まだ……」
「では僕から提案です。賛成も反対も蝶子さんのご意思におまかせするので強制ではありません」
先に確認するように十五が言うと、蝶子は何のことだろうとコクコクとうなづいた。
「蝶子さん、今日は家にお一人だそうですね?」
「はい」
「では、今から僕の家に来ませんか?」
「……え?」
十五の唐突な提案に、蝶子は躊躇した。
「先ほど、高本という生徒に、この時間に女性一人きりの家へ訪問するのは……と言ったばかりなので、それを僕が早々に破ってしまうことはできません。ですから、貴方が僕の家に来ていただけませんか?」
淡々とした十五の言い方に、蝶子は考え込んでしまった。
確かに十五は高本にそう言った。
だからといって逆ならOKなのかといえばそうとも言えない。
男性の家に行くという行為自体、蝶子にとっては初めてのことだし、相手が自分に好意を寄せているとなればやはり戸惑いは隠せない。
黙り込んでしまった蝶子を見て、十五は思わずクツクツと笑った。
「やましい意味ではありませんよ?僕は蝶子さんの手料理が食べたい。料理はお好きですか?」
「はい……いつも家では私が食事を作っているので……」
「家庭的な方ですね」
そう言って微笑んだあと、十五は右腕を持ち上げ少しだけ袖をまくると、手首についていた時計を見てそれからまた蝶子を見た。
「現在、七時四十五分です。明日も学校はあるので本当に強要はしません。どうなさいますか?」
蝶子の気持ちは大きく揺れ動いた。
このまま帰ってしまうことはもちろん可能だ。
きっとそう答えたところで十五も怒りはしないだろう。
けれどそれでは蝶子ががっかりしてしまう。
隠し切れなくなった自分の気持ちを、ゆっくりとではあるが認識し始めた蝶子は、頬を赤らめて静かに言った。
「もう少し……」
「え?」
「もう少しだけ……先生と一緒に居たいです……」
蝶子の言葉に、十五の表情が明るくなった。
―*―
「蝶子さん、これも」
そう言って十五が、蝶子が押すカートの中に入れてきたものを見て、蝶子は驚いた。
「え?フライパンも買うんですか?」
「ええ、僕の家には何もないので。他に必要なものがあれば何でも買っていただいて結構ですよ」
「先生は一人暮らしなんですね?」
「どうして分かったんですか?」
「それはそうでしょう……、じゃあ調味料もないんですね」
「は……恥ずかしながら……」
照れたように言う十五の表情がたまらなく可愛くて、蝶子はクスクスと笑った。
それから二人はその店のすぐ近くにあったスーパーへと足を運んだ。
十五は自分の家には食材がないと漏らしたため、蝶子がお願いしてここに来たのだ。
ようやく自分の在るべき空間に戻ってきたような気がして、蝶子が意気揚々と買い物籠をカートに乗せて歩こうとすれば、十五は酷く驚いた表情を浮かべていた。
どうやらスーパーという場所に来たのが生まれて初めてだったらしい。
蝶子はそれでこそ驚いたものの、十五なら仕方がないかとすぐに解釈する。
十五はキョロキョロと物珍しそうに食材売り場を見渡しながら、自分の興味引かれるものを次々に籠に入れていった。
それを見ているのが結構面白い。
冷凍食品売り場へ足を踏み入れれば「こんな冷凍されたのは硬くて食べられませんね」と憤慨していたし、魚売り場へ行けば「こんなにマグロのお刺身は安いんですか?」と驚きを隠せないでいる。
10個入りの卵が1パック98円という大特価のPOPを目にしたときなんか、「まさか賞味期限が切れているのでは……?」といらぬ心配をしていた。
そんな彼が特に気に入ったらしいのはお菓子売り場だった。
「蝶子さん、蝶子さん。生チョコがあります」
興奮した様子で、期間限定の生チョコの箱を蝶子に見せるが、蝶子は意味がよくわからないといったように答えた。
「ええ、生チョコですね」
「驚きませんか?生チョコがなんと135円ですよ?」
十五の言い方があまりにも幼稚で、蝶子は勢いよく噴出した。
「な、なんで笑うんですかぁ……」
「だ……だって先生……、とても可愛いんだもの」
「男の僕にそれを言っても喜びませんよ?」
ぷぅっと頬を膨らませ、機嫌を損ねてしまった十五に、蝶子はまだ止みそうもない笑いを必死にかみ締めながら言った。
「ではそれも買いましょう」
「はい」
蝶子の言葉にすぐに機嫌をよくし、十五は遠慮なくそれをカートに入れる。
かと思えばすぐに別のお菓子に目移りし、次々にカートの中に入れていった。
なんとなく十五の扱い方が分かってきた蝶子は、自分がそう思えたことに驚愕しつつも表情に出さないでいる。
十五も十分に楽しんでいるようだし、自分も緊張などまったくなくなっている。
これでよかったのかもしれないと、蝶子は、先ほどの失態した時の申し訳ない気持ちが徐々に薄れていく。
十五の興味は止まる事をわすれ、いつの間にかカートは二台になっていた。
結局買い物は、一番大きな買い物袋が6つにもなった。
いささかはしゃぎ過ぎたと照れたように反省しながら笑う十五に、蝶子も表情を綻ばせながら「まったくです」と同意する。
スーパーを出てからまた数十分、二人は会話を楽しみながら十五の家に向かった。
十五の家を見て、蝶子はやはり驚いた。
覚悟はしていたけれど、目にすればやはり驚かずにはいられない。
そこは蝶子も何度か目にしたことのある高層ビルのような豪華な作りのマンションで、こんなところで暮らすのはさぞ大変だろうと考えたこともある。
一階のホールは無駄に広く、大理石張りの床はシャンデリアのきらめきを反射し、明るい空間が生み出されている。
けれどそれは嫌味もなく、シンプルにまとまっている感じもして、蝶子はただただ唖然としていた。
「お待たせしました蝶子さん。行きましょう」
玄関ホールで立ちすくんでいた蝶子に、駆け寄ってきた十五が言う。
蝶子と買い物したものを一旦玄関ホールに降ろし、十五は車を駐車場まで運んで置いてきたところだ。
床に置いてあった荷物を手に取ると、十五はエレベータとは別の方向に歩き出した。
「え?せ、先生?エレベーターホールはあっちですよ?」
「ああ、僕の部屋にはあれでは行けないんですよ。専用のエレベーターがこっちにありますので、ついて来てくださいね」
ケロッとそう言った十五に、蝶子は何も言えないまま買い物袋を両手にひとつずつぶら下げて十五の後についていく。
十五はと言えば、片手に買い物袋を二つずつ、しかも女将からもらった弁当箱を抱えている。
蝶子はそれをありがたく思いながら、エレベーターに乗り込む十五に続いて乗り込んだ。
蝶子が隣に乗ったことを確認すれば、十五は目的の階を押す。
が、それを見ていた蝶子はまた驚いた。
このエレベーターの行き先ボタンが二つしか並んでいなかったからだ。
ひとつは一階を指し、ひとつはこのマンションの最上階を指している。
「先生は最上階に住んでいらっしゃるんですか?」
「はい、僕しか住んでいないですよ。だから人目を気にしないでくださいね」
「……へ?」
「最上階は部屋がひとつしかないので、僕だけしか住んでいないということです」
本当の本当に十五専用のエレベーターだと知った蝶子はせっかく失っていた緊張が、また足元から舞い戻ってきたような感覚にとらわれた。
そんな蝶子の気持ちを察したのか、十五は蝶子に話しかけてきた。
「そういえば、彼……えーっと、高本君、でしたっけ?彼は貴方のことが好きなんですか?」
唐突で率直すぎる質問に、蝶子はブッと吐き出した。
「な、なっ!そんなわけないじゃないですかっ!部活動の先輩です!」
「彼とは仲が良いようなので……どうも部活の先輩後輩という関係だけではないような気がして……」
「写真部に毎日出てくるのは高本先輩と私だけですから、自然と仲良くなりますよ」
まったく、と蝶子が盛大にため息をつけば、十五は眉間に皺を寄せて蝶子に向いた。
「二人だけ?部室に二人だけでいるんですか?他の部員はどうしたんです?」
「他の部員は皆さんお忙しいので、ほとんどいらっしゃいません」
「では顧問の先生は?」
「顧問の丸山先生は剣道部と写真部、両方の顧問をなさっているんです。剣道部の方が正顧問ですし、忙しいのでほとんどいらっしゃいません」
「……何てことだ」
蝶子の回答に、十五は参ったと言わんばかりに顔をしかめた。
「写真部……じゃあ暗室などでも高本君と二人きりになることはあるんですね?」
「はい、お手伝いをして頂いたり、逆にお手伝いをしたりしていますから」
淡々と答えた蝶子の言葉に、十五は手に持っていたすべての荷物をエレベーターの床に荒々しく置くと、蝶子の両肩をガシリとつかんだ。
「蝶子さんっ!!」
「はいっ!?」
「暗闇に思春期の男性と二人きりとは!危険すぎます!」
「で、でも部活動ですし……」
それにあの高本が蝶子に変なことをするわけがない。
けれど十五は聞く耳持たずといった様子で、蝶子の肩を揺らした。
「今すぐ部活動を辞めてください」
「む、無理です。私だって好きで入った部活動ですから続けたいんです」
「僕がどれだけお願いしても駄目ですか?」
「これだけは譲れません」
当然だといわんばかりに、頑固な態勢を変えない蝶子の意見に、十五は酷く落胆した表情を浮かべたが、すぐに何か思い立ったようにもう一度尋ねた。
「顧問の先生は丸山先生でしたよね?」
「はい、そうですけど……」
「蝶子さんはどうしても部活動を辞めたくないんですよね?」
「はい」
「そうですか……」
十五はそう言うと、蝶子の肩から手を離し、投げ出した荷物を改めて手に取った。
どうも珍しく物分りのいい十五に、蝶子は怪訝そうに顔を覗き込む。
決して十五はそんな蝶子に振り向かなかったけれど、前を見据えたままほくそ笑む十五を見て、今度は蝶子が眉をひそめた。
「先生……何を企んでいらっしゃるんですか?」
「何も?」
「それは嘘ですね」
「蝶子さんは察しがいいですね」
「やはり企んでいらっしゃるじゃないですかっ」
「今言っては面白くありません」
「楽しまないでくださいよ……あ」
「え?」
「いえ……大体察しがついたもので……」
「蝶子さんは本当に理解の早い方です。反対はされないんですか?」
「どうせ言っても先生はお聞きにならないでしょう?」
ふんっと不機嫌そうに蝶子がそうつぶやけば、十五はクスクスと笑みを浮かべて言った。
「昨日の今日で大体僕のことを理解してくださったようだ」
「喜ばないでくださいよっ」
ウキウキとする十五の発言に、蝶子はなんとも言えず落胆した。
スーパーで彼の扱い方を会得していたとは思ったけれど、会得しても無駄な抵抗ができないのなら意味がない。
十五の扱いには要注意が必要だとしみじみと感じた。