ひとりぼっちの真実
真実を語ると言ったものの、向かいあって座った状態からかれこれ数分は経過している。
けれど蝶子は十五に発言を早める言葉をかけることはない。
それは千鶴も健吾も同じことだ。
十五が真実を語るのに出した条件、生きて真実を受け止めるという条件に同意した千鶴と健吾は、互いに手を握り締めながらジッと十五を見つめている。
一方の十五は頭をたれ、体を強張らせたまま言葉を捜すように目を閉じている。
その姿を、蝶子は見つめることしかできずに、無力な自分を心の中で嘆いていた。
「……先輩は……恨んでいますか?」
ようやく口を開いた十五の言葉に、千鶴は一瞬眉をひそめた。
「いや……恨んでなんていないよ……お前には感謝しているほどだ……。お前がいなければ、きっと私はここに存在していない……」
目を細めてそうつぶやいた千鶴に対し、十五は首を大きく横に振って即座に否定した。
「俺じゃない……貴方が……ご自分の人生を……恨んでいるかと……」
十五の質問がようやく理解できたらしく、千鶴は何かを拒絶するように目を閉じ、それから静かに目を開いた。
「恨んでいない……と、言ったら嘘になる。なぜ自分だけがと思ったときもあったさ……。今は、それが自分でよかったと……少しだけ思える」
「……なぜ?」
「……出会えたから。健吾に、みんなに、大切な人たちに……。人の繋がりも、馬鹿にできないなぁと……思えたから」
優しく微笑みながらそう言った千鶴の言葉に、健吾は照れたように笑う。
そこに、自分も含まれているのだろうかと十五は少しだけ羨ましく思いながら。
先ほどよりも少し軽くなった気持ちになって、けれど次に紡ぎ出す真実の重さに耐えかねたように視線を外しながら、静かにつぶやいた。
「それが……藤木先生の……咲人さんが原因だったとしても?」
「……何の……ことだ?」
「貴方の……人生を狂わせたのが……藤木先生だとしても、貴方は恨まずに……いられますか?」
千鶴と健吾の目が大きく見開かれた。
その反応がもっともだと蝶子は思った。
ここに来る前、十五から事前に真実を聞いていた蝶子は一人驚くこともなく二人の様子を見つめる。
十五は無言のまま自分のポケットから、古びた手紙を取り出し、その紙に刻まれたシワを伸ばしながらそれを開くと、静かな声で読み始めた。
――――――――――――
黒澤十五様
これを読んで居る時、僕はきっとこの世には居ないでしょう。
それを望んだのは自分で、そうしてしまったのも自分自身で。
この真実を自分の胸に秘めたまま、消えてしまってもよかったと思った。
けれど、残される千鶴ちゃんが、僕を失ってからどうなるかは目に見えていて、これを誰かに伝えておかなければ、誰かが僕の代わりに彼女を支えていかなければ、いけないと思った。
そう思ったとき、なぜか君が思い浮かんだ。
君はきっと千鶴ちゃんが好きだから。
君が千鶴ちゃんを救ってくれると信じているから。
自分が罪深きことをして、酷い傷を残したままこの世から去るのは我侭だ。
君を巻き込むことになっても、この我侭を貫こうとする僕を恨んでくれて構わない。
彼女の人生をめちゃくちゃにしたのはこの僕だ。
僕が、彼女の、彼女たちの母親と恋に落ちたから。
僕が、彼女達の母親を愛してしまったから。
彼女達の母親である彰子さんに出会ったのは、中学生の時だった。
仕事帰りに電車を待つ彼女を見て、僕は偶然を装って近づいた。
その時にはもうすでに千秋と千鶴ちゃんが生まれていて、人妻だと知っていたにも関わらず、僕は一目で彼女を好きになった。
振り向いてほしくて、子供ながら必死にもがいて。
彰子さんは美人で気前がよかったけれど、驚くほど傲慢で我侭で、そして繊細な人だった。
お嬢様育ちだったから、今の生活が苦しいと悩んでいた。
千秋や千鶴ちゃんたちの子育ての相談にも乗っていた。
ただの相談役だった。
一般市民の生活に馴染めずに居た彼女に、家へ帰ってはどうかとアドバイスしたのはこの僕だ。
彼女の気持ちが落ち着くまで、家へ帰って療養すればいいと、ただそれだけの気持ちで。
それが、本当にあんなことになるなんて思いもしていなくて。
彼女は僕に相談していたよりも遥かに悩んでいて、ある日突然会えなくなった。
必死に探して、見つけたときには彼女は僕の知る彼女ではなくなっていて。
夜な夜な遊び周り、解放されたように若い男をはべらせて。
彼女が心を病んでいたことに気がついたのは、彼女が死んでからだった。
大量の酒を飲んで、泥酔したまま車の前に飛び出したと知った。
彼女を殺したのは自分だと気がついた。
僕と彼女が出会わなければ、彼女はその命を落とさずに済んだと。
決して罪滅ぼしではない。
彼女の娘、千秋と出会ったのは偶然だった。
雰囲気のよく似た千秋と付き合い始め、心も癒されるころ。
出会ってしまったから。
彰子さんの娘であり、千秋の妹と名乗ったその子、千鶴ちゃんに。
それはもう彰子さんにソックリだった。
何気なく無愛想なところも、笑顔も、不器用ながら繊細なところも。
千秋を裏切って彼女を愛することができなった。
千秋を抱きながら千鶴ちゃんを想うことだって何度もあった。
酷い男だった。
彼女が父親に性的暴行を受け、身寄りのなくなった彼女を引き取ると決めたとき。
とてつもなく自分は幸運なんじゃないかと自惚れた。
傍に置いておくだけで十分だった。
ようやく手に入れたと思った。
汚い自分のやり方に、反吐が出るくらい笑えた。
だから、僕は僕に罰を与えた。
服役中の彼女の父親にすべての真実をさらけ出し、父親の怒りが自分へ向くように仕向けた。
彼女の目の前で僕が殺されれば、彼女は一生自分から離れられないと思ったからだ。
最後の最後まで僕は卑怯者だった。
もし天国と地獄が本当にあったとしても、僕はきっとどちらへも行けず、永遠に闇を彷徨うだろう。
僕が現世で犯した罪の数々は報われない。
報われるべきではない。
僕は三人の女の人を騙した。
自分の為だけに、自分の欲求の為だけに騙し続けた。
僕はそれを、死をもって償う。
この真実を、君がどうするかは自由にして構わない。
千鶴ちゃんに伝えても構わないし、千秋に伝えても構わない。
そのときには同時に添えてほしい言葉がある。
僕を恨め。
僕を憎め。
死んでしまった僕を恨み続ければ、きっと生きていける。
どうか
僕の分まで彼女を愛してあげてほしい。
藤木咲人
――――――――――――
手紙を読み終えた十五が、静かにそれを折り畳めば、ポケットからライターを取り出してカチッとそれに火をつけた。
ソファの間に挟まれているテーブルの上に置いてあったガラス製の灰皿に、それを入れればたちまち炎が大きくなって、役目を終えた手紙を灰にしていく。
それをただ呆然と、顔色悪く見つめていた千鶴が、静かに体を震わせだす。
「……んな……そんな…………咲人さんが…………咲人さんが……母さんを……?」
「千鶴……」
「だって……会ったことないはず…………私が小学生の時にはすでに出て行ってた人だ!」
「千鶴」
「千秋姉さんは?!一番報われないのは千秋姉さんじゃないか!!何で今更!」
「千鶴!」
パニックを起こし始めた千鶴を、健吾がハッキリと叱った。
「落ち着け」
「落ち着いていられるか!当事者じゃないおまえにはわからないよ!どんな気持ちでっ!」
「ああ分からないよ!咲人さんが思っていたより最悪な人だったって理解するのが精一杯だ!!」
「っ!」
「胸くそ悪い冗談ならまだ笑えたよ。でも死んだ人を出してきてまで先生が伝えてくれた真実が嘘だって、信じられないって、千鶴は笑い飛ばすことができるのかよ?!」
剣幕な態度をとる健吾に、千鶴はぐっと言葉を詰まらせる。
理解など到底できることではないのだ。
それが当然だったし、蝶子だって未だに理解できていない。
傷つけ合って、恨み合って、自分を恨み続ける気持ちなど、分かるわけがないのだ。
だからこそ傷は深く、そう簡単に癒せるものではない。
当事者でなかったにしろ、健吾だって十分傷ついているはずだから。
傷が一番浅いのは自分のような気がするのは間違いではないのだろう。
いがみ合い、すれ違っていく。
それがどれだけ無意味であっても、人はそれを止めることができない不器用な生き物だ。
「それでも……」
そう呟きだしたのは健吾だ。
静かに千鶴を見つめて。
「それでも俺は千鶴が好きだよ。俺はどれが本当でも、千鶴が好きなんだよ。それは生き続ける限り続く想いだよ」
健吾は一度そこで言葉を区切ると、蝶子達の視線もはばからず、となりに座る千鶴を抱き寄せて。
「バカな奴……。大切な人を死んで愛するのを止めちまうなんて。死んで償うなんてバッカみてー。俺なら苦しくても傍に居るのに……生きて償い続けるのに……もったいねーの!」
死んだ人をバカにするのは罰当たりだと言われる。
けれど彼の言葉が何より身にしみた。
健吾が語ったそれが必然的答えで、咲人が選んだ道を間違いだと断言するわけではないけれど。
どうせなら、生きてほしかった。
そう願わずには居られない。
千鶴は涙をこらえているのか、ぎゅっと目を閉じて。
健吾の温もりを体全身で感じとった。
愛を感じた。
愛を見た気がした。
こんなにもまっすぐに、人と人との心が解け合う音を、間近で聞いたのは初めてだ。
忘れられない。
人を想う強さが、その人の強さになる。
きっと、全ての人が支え合って生きていく。
一人じゃない。
そう教えられた気がした。
千鶴はしばらく健吾の腕の中でおとなしくしていたが、ゆっくりと離れて立ち上がると、十五に歩み寄った。
手紙を読んだ後、今まで口を開かなかった十五が、うつろな目で千鶴を見上げれば。
千鶴は優しい笑みを浮かべながら、座ったままの十五を抱きしめた。
「今までずっと一人で抱え込んでいて……きっとつらかっただろう……ありがとう……。話してくれて……もう……苦しむことはない」
「……せんぱ……」
驚きと戸惑い。
十五が震える声で呟けば、千鶴は十五の肩に両手を置きながら離れて、今までに見たことのない綺麗なほほえみを浮かべた。
「私、今幸せよ」
何かが事切れたように十五が涙を流し始めた。
頭を垂れ、体を震わせながら何度も何度も「ごめんなさい……」と呟いた。
それを包み込むような優しさで、千鶴が十五の頭を撫でた。
「……先輩」
「ん?」
「……ありがとう」
救われた。
十五がようやく救われた。
そう思えただけで胸が熱くなる。
よかった……本当によかった……。
古傷をなめ合うよう、寄り添う二人にもどかしさは一つも感じられず、蝶子が優しい眼差しで見つめていれば。
健吾が人差し指を口元に当てながら、あいている片手で自分を手招きしているのが視界に入り、二人の邪魔にならぬよう、静かに離れながら健吾に歩み寄る。
立ち上がった健吾は、蝶子の頭を優しく撫でると、部屋の隅にあるベランダへの出入り口を指さして、蝶子を誘うように歩き出した。
音を立てないように静かにベランダへ出ると、晴れ渡る空を見上げて健吾がウーンと背伸びをしてみせる。
蝶子はどうすればいいのかわからずにポツンと立っていれば、健吾はクスクスと笑みを漏らして蝶子に言った。
「この度はお勤めご苦労様でした」
「あ……い、いえ……」
健吾が指すお勤めがいったい何なのかは理解できなかったが、たぶん十五の付き添いといった意味だろうと勝手に解釈をしてみる。
戸惑いを見せる蝶子に対し、健吾が笑顔を向ければ。
そのあまりにも綺麗でまぶしい笑顔に、蝶子は自分が薄汚れている気がして直視できなかった。
「先輩は……辛くないんですか?」
何を聞いているのだろうかと自分の発言に戸惑っている蝶子に、健吾は困ったように頭をかきながら答える。
「辛くないわけじゃないけど、それほど堪えてるわけじゃないよ」
「……どうして?」
「どうしてってなぁ……当事者じゃないって言ってしまえばそれまでなんだけどね……。俺はもし咲人さんが生きていて、この真実を知った時。許す、許さないで言えばやっぱり許せない。だからって、死んでるから許せるかって言えば……うん、何て言えばいいんだろう?」
「……許せないけど感謝する?」
「あ、まさしくソレ」
蝶子の言葉に健吾は晴れたような笑顔を作り、それから沈んだような真顔になって蝶子を見つめた。
「ああ……そうか……。君も俺と同じなんだ……」
健吾の言いたいことが何となくわかった蝶子は、複雑な表情で小さく頷く。
「きっと私も……十五さんを巻き込んだ咲人さんって方を許せません……。けれど……心のどこかでその人に感謝している……」
「……咲人さんが居なければ、出会うことがなかったから」
蝶子の避けていた言葉を、健吾が代弁すれば、蝶子は小さく頷く。
それを確認するように健吾も頷きながら、空を見上げて目を細めた。
「皮肉だね……あの人達が苦しんだ過去がなければ……出会えなかったなんて……」
「出会っていても……きっとすれ違っていました。言葉も交わすことなく……その他大勢の一人でした」
冷たい風が二人の間に吹いた。
とうとう季節は冬と呼べる時期に入った時に、こうやって外で話すなんて自殺行為だろう。
晴れ渡る世界に、自分だけしか存在しないような空間が、ただただ心地よくて。
「千鶴が……自分を必要としてくれることが、俺は一等嬉しくて幸せなんだ。けど、本当の傷を癒すのが、俺じゃなくて黒澤先生だったってことが少し悔しい……」
「寂しい……ですか?」
「そうだね。たぶん、今回のことは相当尾を引くと思う。あの人は自分のことを二の次にして、誰かを助けようとする優しい人だから余計に心配。今だって自分より黒澤先生を優先してる。……一人になって、一人で抱え込まないでほしい……。あの人はそんなに強くないから……」
そう切なげに話していた健吾が、ゆっくりと蝶子に向き直ると。
悲しそうな笑みを浮かべて呟いた。
「……もしそうなった時に、頼ってもらえなかったら、やっぱり寂しいかな」
本音を漏らす健吾に、蝶子は白い息を吐きながらうつむいて。
同じ気持ちを共有できる人の存在がありがたかった。
当事者でないだけで、あの二人の間に割ってはいることができないもどかしさ。
やましいことは決してないと断言できても、互いに補うように支え合う二人がうらやましいと思えてならない。
自分は無力なのだろうか。
十五がいくら口先で自分を必要としてくれていても、当事者の千鶴には適わないと思った。
それは健吾も同じだったようで、きっと複雑な心境なのだと理解できる。
好きな人が、愛する人が過去から這い上がってくる様子を、ただ自分たちは見つめることしかできないのだ。
這い上がってくるだなんて、まるで見下した言い方だ。
もしかして這い上がっていく様を、下から見上げているのかもしれないのに。
取り残された気分なのだ。
理解のできない境界線がどこかに存在していて、それを越える勇気など持ち合わせていないのに、ただ羨ましい。
そう思えてしまう自分が惨めで、どうしようもなくて、ただそればかりを責めることになっていく。
「……寂しい……」
「うん……」
「……でも……」
「うん?」
「それでも……必要とされるうちは……傍に居たいですよね」
蝶子が困ったようにそう呟けば、健吾は柔らかく微笑んで小さく頷いた。
「悔しいくらい、好きになってしまったんだもん。俺はきっと必要とされなくなっても傍にいるよ」
明るく弾けたように笑った健吾に、蝶子もつられるように微笑んで。
「もう……ひとりぼっちにはさせたくないです」
新たに芽生えた決意を小さく口にして、寒空を見上げて目を閉じた。




