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揺れる眸  作者: 佐倉硯
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告白相手の正体

一瞬、目の前の男は一体何を言っているのだろうと蝶子は思考回路が停止した。

確かに聞いた言葉は付き合ってほしいという言葉だった。

それは異性が好意を持つ相手に、もっとお近づきになりたいという意味を込めて言う言葉だ。

いくら蝶子が異性との会話に緊張しようともそれくらいは理解できる。


が解釈の仕方を別の見方でみればたいしたことではない。


その事実を元に、蝶子は「どこに……?」と尋ねそうになった。


「言っておきますが、どこに?と言う問いをされたら、僕はひどく落ち込むことになります」


言わないでよかったと素直にそう思った。

それと同時に、その解釈が取り消された時点で蝶子の中には“付き合う”という単語に残された意味が一つしかなくなってしまったことに焦りを感じた。


告白されたのは美人で逞しい栞でもなければ、可愛らしくお淑やかな要でもなく、何の取り柄もないごくごく平均的な女子高生である蝶子なのだ。

自慢にならないが蝶子は生まれてこの方、告白を受けたことなど一度もない。

それどころか異性とのおつき合いだってしたことがないのだ。

戸惑うのは当然だったけれど、蝶子はひたすらどう返答すればいいかを考えた。


相手はたった今会ったばかり、しかも名前も知らなければ、ぼやけた視力からは顔を見たこともないと言って等しい。

そんな状況で彼が自分に告白をしてきたことすら冗談ではないのかと疑ってしまうのだ。


「蝶子さん。急かす必要は本来はないのだけれど、やはり早く返事を聞かせてほしい。僕は今心臓が口から飛び出てしまうのではと心配するほど緊張しているんですよ」


そう言っている割にはかなり落ち着いた物言いだった。


「ご……ごめんなさい……私……。貴方のことをよく知らないし、お名前も知りません。それに……顔もはっきりと見えていないので……」


だから、お断りしますと……そう言うはずだったのに、蝶子は自分の脈打つ心音が異常な速度で激しさを増していることに気がついた。

初めての告白に浮かれている訳では決してない。

自分でもこの胸の高鳴りをどうすればいいのか分からないでいる。


言葉を詰まらせた蝶子に、その人は静かに歩み寄り、蝶子の手を取ると、その上に優しく眼鏡を乗せた。

けれど彼は蝶子の手をそのまま握りしめ、まっすぐに蝶子をみた。


「付き合って……いただけませんか?」


優しく、心に響くような穏やかな声に、蝶子は無意識にコクリと頷いていた。


「本当ですか?よかった……」


蝶子がハッと我に返った時にはすでに遅く、その人はうれしそうに微笑んで蝶子の手を握りしめる。

そこでようやく蝶子は自分が犯した最大の罪に心悔やみ、彼を傷つけないよう、静かに手を離して受け取った眼鏡をかけた。


「順番が逆になってしまいましたが自己紹介させていただきますね」


ようやくはっきりと見えたその人は、蝶子が考えていたより遙かにかっこいい人だった。

いや、かっこいいという言い方が失礼になってしまうのではないかと思うくらい、清楚で品のある顔立ちをしている。

眼鏡の奥に潜む細い切れ目は少しならずか威圧感が感じられ、けれど決して嫌みっぽくはない。

その眸はあまりにもまっすぐに蝶子を見つめるものだから、蝶子は思わず頬を赤く染めた。


彼は切れ目をさらに細め、蝶子ににこやかに微笑めば、彼は静かに蝶子に告げたのだった。


「黒澤トウゴと言います。トウゴは漢数字の十五と書いて十五です。理数科で生物の教師をしている25歳です。よろしくお願いしますね蝶子さん」



 ―*―



「ただいま」


精神、体力ともに疲れ果てた蝶子は、なんとか無事に家についた。

未だ夢心地にいた蝶子だが家につけば、物が雑然と溢れかえり、ようやく現実に戻ってきたような感覚にとらわれる。

玄関を入り短い廊下を抜ければ、そこにはキッチンがあり、綺麗に片づけられているテーブルの上に文字の書かれた紙が一枚置いてあった。


[蝶子ちゃんおかえりー♪ママはこれからブラジルへお仕事に旅立ちます♪一ヶ月くらいで帰ってくるのでお土産楽しみにしててねー♪byママ]


実に母親らしい手紙だなと蝶子はため息を吐きながらそれをくしゃりと丸めてゴミ箱へ投げ入れた。


蝶子の母はフリーのカメラマンをやっている。

主に風景を撮影することが仕事で、蝶子が生まれる前から何冊もの写真集を世に送り出している。

撮りたいときに撮りたいものを撮るというのが母親のやり方で、蝶子が写真を撮るのも母親の影響が強くある。

母は蝶子と似つかわぬほど自由人で世界を渡り歩いている。

母親が素直に家の中にいた試しがなく、家に居ることの方がかえって蝶子を驚かせる。

母と子のマンション二人暮らしではあるが、蝶子の一人暮らしと言っても間違いではないだろう。


蝶子は父親の顔を知らない。

生まれたときから父は居なかったし、それを不思議と思ったこともない。

母は楽天家で明るい人だったし、母の仕事も順調だった為、経済的に苦労したこともない。

ただ幼少の頃から一人で過ごすことが多かったのは確かだ。

寂しいと言ってもどうにもならない。

いつしか蝶子はそれが当たり前で当然なのだと思うようになっていた。


蝶子は自分の部屋へ行くと、制服のままベッドに寝ころんだ。

うつ伏せになり、深く息を吐けば、脳裏にあのときの告白が鮮明に思い出され、途端、蝶子は顔を赤くして足をばたつかせながら「キャー」と一人で叫んだ。


まさか……まさか相手が先生だったとは。


あんな美男子の先生が居たこと自体知らなかった。

あれだけ綺麗な先生なら、デザイン科の生徒でさえ騒いでいたに違いないのに、どうして自分は今まで知らなかったのだろうかと不思議でたまらない。


あのあと十五はうれしそうに蝶子の手を再び握りしめ、それから連絡先を聞いてきた。


幸か不幸か蝶子は文明の利器である携帯電話を持っていなかった。

蝶子が外へ出る理由は、学校か食材を買いに近所のスーパーへ出かけるだけで、それ以外のほとんどは家に居る。

帰れば自宅の電話があるし、栞も要も何か用事があればそちらに電話をしてくるからだ。


携帯がないと知れば、十五はひどく落ち込んだ。

自宅の電話番号を教えるにはかなり抵抗があり、蝶子はあえてそれを言わなかった。


結局その後は何も進展がないまま二人は別れた。

まだ十五と付き合うなど、現実味のない事実に、蝶子は今後どうするべきかを考える。


二人の関係は先生と生徒。


世の中の視線はキツく蝶子に突き刺さってくるだろう。

少なくとも学校にはいられなくなる。

せっかく苦労して入った高校を辞めなければならない事態は絶対に避けたい。


ダメだ……。


蝶子は考え改めるようにベッドの上で正座をした。

いくら不可抗力だったとはいえ、知り合ったばかりの先生とおつき合いするわけにはいかない。


明日学校へ行ったら断ろう。

そうでもしなければ蝶子は自分自身を見失ってしまうような気持ちになって。

静かに一人で納得するように頷けば、夕飯の支度のために立ち上がった。


「ちょっと聞いた?!次の授業“氷王子”だって!」


「えー!マジでっ!」


突如として舞い込んできた情報に、クラスの女子は狂喜狂乱し、男子はひどく落ち込んだ。


昨日に引き続き“氷王子”の名を聞いた蝶子は不思議に思い、隣で雑誌を読んでいた栞に尋ねた。


「“氷王子”がなぜうちの授業に?」


「角田先生が休みだからでしょ?」


何の不思議もないと言ったように栞が雑誌から目を離さずに答えれば、蝶子は少しだけ首を傾げて考えた。


「理数科の人、頭いいものね。授業を先生の代わりに教えてくれるなんてさすがね」


蝶子が納得したようにそうつぶやけば、栞はようやく顔を上げて、隣にいた要と顔を見合わせた。


「蝶子、もしかして“氷王子”のこと理数科の生徒だと思ってるの?」


「え?違うの?」


「ぜんぜん違うわよ。“氷王子”と言えば先生よ。せーんーせーい」


「えぇっ?!」


初めて聞かされた真実に蝶子は素直に驚いた。

昨日廊下で泣いていた少女は、つまり先生に告白して振られたことになる。

蝶子の驚く顔があまりにも笑えたらしく、栞と要は声を上げて笑った。


「だって昨日何も教えてくれなかったじゃない」


ぷぅっと頬を膨らませて拗ねるような態度をとれば、栞は雑誌を閉じて立ち上がると、笑いを噛みしめながら蝶子の頭をぽんぽんと軽く撫でた。


「そっかぁ、昨日告白してた子が学生だったから、そういう相手だと思ったんだな?」


「そうよ。だって生徒と先生の恋愛なんて……」


ありえない……そう訴えたかったけれど、自分がその状況に置かされていることに気がつき、蝶子は言葉を飲み込んだ。

途中で話をやめてしまったことに、栞は変に感じることなく乾いた笑いを漏らす。

それを見ていた要が微笑みながら蝶子に言った。


「昨日も言っていたけれど、見た目はとても素敵な方よ。けれど性格がとても悪いの。冷酷、無表情、無感情な先生だから目を付けられたらそれでこそ一貫の終わり。だから授業中は静かに大人しく集中していることをおすすめするわ」


「こ……怖い先生なの?」


怯えるように蝶子が尋ねれば、栞は満面の笑みを向けて言った。


「なぁに、ちゃんと授業をまじめに受けていれば目つけられることもないんだ。蝶子みたいな模範生徒にはむしろ笑顔を向けてくるかもよ?」


「まぁ、あの方の笑顔なんてそれでこそ八月に雪が降る確率ほど低いのよ?」


「笑わない先生なの?」


「そうね、笑ったところなんて誰一人見たことがないんじゃないかしら?黒澤先生、他の先生ともあまり仲良くなさっているのを見たことがないから」


考え込むように要が呟いたのを聞いて、蝶子はとてつもなく不安になった。

蝶子の授業態度は決して悪くはない。

むしろ栞が言ったように模範生徒のようにしっかりと先生の話を聞き、必要なところはちゃんとノートを取っている。

ただやはり蝶子も人間で、退屈な授業になるとうとうとしてしまったり、欠伸を噛みしめたりしている。

話を聞いているうちに無意識にしてしまう欠伸すら許されない先生なのではないかと、蝶子は緊張の意識を高めた。


「…………え?く……黒澤先生?」


ふと、二人の言葉を思い返し、胸に引っかかった言葉をポロリと口に出す。

蝶子の問いに、要が「えぇ、そうよ」と肯定の答えを返せば、蝶子は緊張を飛び越えて失神しそうになった。


「も……もしかして……黒澤十五って名前だったりする?」


半ば冷や汗を流しながら、蝶子が再確認するように尋ねれば、二人はそろって首を縦に振った。


何かの間違いではないかと蝶子は頭に思い浮かんだ人物をひたすら違うと否定した。


友人二人が口にする“氷王子”こと黒澤先生と、蝶子の知っている黒澤先生は話を聞いていればまるで別人ではないか。

冷たいそぶりなど、彼は蝶子に一度も見せなかったし、むしろ優しく穏やかに笑う人だという印象が鮮明に残っている。

けれど名前にしろ学科にしろ、共通点の方が遙かに多い為、蝶子は完全に否定しきれなかった。


「おいっ、来たぞっ!」


男子生徒の言葉に、全員は慌ただしく席に着いた。

いつもならば、チャイムが鳴り止んでも先生が来るまでのんびりしている教室内が、今日は別の教室に間違って居るのではないかと思うほどに素早く行動し席に着く。


ピンッと張りつめた緊張の中、チャイムとともにドアを開けたその人物を、クラスの誰もが見つめていた。


ああ、やっぱり間違いではなかった。


入ってきたのは紛れもなく十五本人だった。

しかし昨日の様子とは打って変わって、口をしっかりと結び、無機質な、何も映し出さないような冷たい目をして教室内を見渡す。


一瞬、十五と目が合った気がしたが、それはすぐに逸らされて蝶子は自分の勘違いだったかと気恥ずかしさにとらわれた。


十五はチャイムが鳴り終わったと同時に、教卓の前に立ち、教科書を静かにその上に置いた。


「親類の葬儀に出席されている角田先生の代わりに、今日あなた方の授業を受け持つことになりました黒澤です」


そう自己紹介した十五の声は昨日聞いた言葉より遙かに冷たい物言いだった。

まるで口から出てくる言葉になんの意味もないように、低い声が生徒たちの緊張を一層高める。

教室内の重苦しい空気を理解しているのかいないのか、十五は何事もないようにプリントを手に取り、最前列の生徒に後方に座る人数分のプリントを渡しながら淡々と言った。


「角田先生からプリントを預かっていますので、授業中に仕上げて提出して下さい。分からないところは教科書を見てもかまいません。友人との会話は言語道断。教科書を見ても分からなければ私のところまで来て下さい。以上、ここまでで何か質問は?」


配り終えて十五が改めて教卓に戻り教室内を見渡せば、生徒達は回ってきたプリントを見つめながら互いに目を合わせ、クスクスと笑う。

何が可笑しいわけでもないのだが、自然にこぼれた笑みに少しだけ緊張感がほぐれ、廊下側に座る女子生徒が気を緩めて隣に座る友人に話しかけた時だった。


「そこ。立ちなさい」


突然の十五の言葉に、彼女はビクリと体を揺らした。

あたりを見渡し、周囲の視線が自分に向いていることに気がついて、ようやく十五が自分を指したのだと理解すると、おずおずと遠慮がちに立ち上がった。


「私の話を聞いていたかい?」


「……え?」


「友人間の会話は言語道断だと言ったばかりだ。君は私の言葉を理解しているのかと尋ねたんだ」


ひどく冷たい言葉だった。

生徒から言わせればたったそれだけのことだったのに、十五はそれを許さなかったのだ。

女子生徒はなぜ自分が……とあからさまに十五の指摘に腹を立てたようにムッとした。


「プリントの……名前を記入する欄がなかったので友人に聞こうとしただけです」


はっきりと、自分は授業に関係のない話をしていたわけではいと訴えれば、十五は目を細めて彼女を睨んだ。


「やはり君は私の言ったことを理解していないようだ。私は最後に君たちに尋ねたはずだ。何か質問はないかと。君がその質問を友人におこなった時、正しい答えが返ってくる確率はどれくらいだ?」


「そ……それは……」


十五の言葉に、生徒は返す言葉もなく下唇を噛みしめた。

少なくとも十五の意見に間違っているところなどないからだ。


彼女は授業の初っぱなから恥をかかされた感覚にとらわれ、耐え難い屈辱を味わった。


確かに十五は間違っているわけではない。

けれど言い方というものがある。

授業が開始されてわずか五分で、十五を好む生徒はこのクラスにいなくなった。


蝶子はなぜ十五が“氷王子”と呼ばれるのか身を持って知った。

これがあの十五と同一人物なのだろうかと疑いたくなって当然だろう。

蝶子が頭の中で新しい双子説を考えついたところで、立っていた女子生徒は手をぎゅっと握りしめながら十五に謝った。


「す……すいませんでした」


深々と頭を下げる女子生徒に、十五はただ静かに冷たい視線を向けて「座りなさい」と促した。



 ―*―



静かな、いや、静かすぎる教室内の緊張はピークにさしかかっていた。

今までこれほどまでに静かな授業を受けたことがない。

何かしら人は物音がなければ不安になったりするものだが、今はシャープペンシルを紙に走らせる音だけがやけに耳に残ってしまう。

時折誰かが遠慮がちに咳き込めば、プリントにかじり付くような体勢をとっていた生徒達が、音源を探すために少しだけ顔を上げてまたプリントへ向かう。

蝶子の席は丁度真ん中の一番後ろで、両隣に並ぶ机はなく、蝶子一人だけが教室の全体を見渡せるようになっている。


十五はと言えば、自分で持って来ていたらしいノートパソコンを開いて何かを打ち込んでは、休憩がてらに机の合間を歩いて、生徒達の勉強の進み具合を確かめている。


途中、小さな声で「君、ここ間違っている」という十五の声が聞こえ、顔を上げないまま視線だけを向ければ、十五は生徒の教科書を手に取りバラパラとめくったあと、目当てのページを開いたまま渡し「ここを読んでおきなさい」とだけ促してまたゆっくりとした歩調で歩き出し、別の生徒のプリントをのぞき込んでいた。


ふと、蝶子は自分の手元が暗くなったのを感じ、視線をあげれば、そこには案の定、十五が立っていた。

蝶子は逃げ出したくなるような衝動に駆られるも、それを押さえるためにわざとプリントに視線を落とす。

早く去ってほしいとひたすら願いながら、問題文を読む振りをしても、なかなか頭の中に入っては来ない。

蝶子は耳元で聞こえる、自分の激しい心音が十五に聞こえているのではないかと酷く焦った。


「君、ここ間違えている」


ふと、そう言われて十五の手が蝶子の目の前に降りてきた。


てっきり間違っている問題を指さしてくれるものだと期待した蝶子は、次の瞬間、叫びそうになった自分の声を必死に押さえ飲み込んだ。



十五の手は、プリントを指さすことなく蝶子の手を握りしめてきたのだ。



握りしめるという言い方より遙かに優しい触れるだけの感覚だったが、蝶子にはそれが限界の域を越えていた。


音も鳴らない静まりかえった授業中に、周りに他の生徒がいるにも関わらず、そういった行動をとった十五の行為に焦りと恥辱がぐるぐると蝶子の頭の中に渦巻いていく。

いくら隣に誰もいないとは言え、ここまで大胆なことをされると困惑するだけだ。


けれど無理に突き放すこともできず、誰にも悟られないように離して欲しいと懇願することはできなくて、蝶子は焦りから泣きそうになった。


「……ああ、すみません。間違ってはいなかったようですね。私の見間違いだった」


蝶子の様子を察したのか、十五は静かに手を離しながら小声でそう伝えた。

そして何事もなかったかのように再び教卓に戻っていったのだった。


チャイムが鳴り、生徒達はようやく解放されたと背伸びをしながらプリントを後ろから前に渡していく。

多少のざわめきはあったが、授業が終わったからか十五は注意することなくプリントを揃えて日直に挨拶を促した。

挨拶を終え、教室を出ていこうとした十五を生徒達は早く行けと言わんばかりの視線を投げかけていれば、何を思ったのかふと振り返り教室中に通る声で言った。


「今田蝶子君。君、生徒手帳を落としませんでしたか?昨日拾ったのですがここに持ってくるのを忘れてしまったんです。取りに来ていただけますか」


十五の言葉に、クラス中の視線が蝶子に向いた。

蝶子は突然の呼び出しに酷く驚いたが「はい」と短く返事をして立ち上がる。

周囲の生徒は気の毒だと言わんばかりに蝶子を哀れんだ視線で見て、颯爽と出て行った十五の後を追いかけようとした。


「蝶子」


そんな蝶子を呼び止める声がして、蝶子は足を止めて振り返れば、栞が心配そうな顔をして蝶子に尋ねた。


「大丈夫?ついて行こうか?」


優しい栞の気遣いに、蝶子は涙が出そうになるほど喜んだが、ゆるゆると首を横に振った。


「大丈夫。生徒手帳を返してもらうだけだもの」


蝶子の言葉に栞は「そう?」と心配そうに納得がいかないようにそう答える。

そんな栞に、蝶子は心配かけまいと笑顔を向けて言った。


「ちょっと行ってくるね?」


そう言ってパタパタと足音をたてながら蝶子は十五を追った。


心配などいるはずがない。


蝶子の生徒手帳は、蝶子のスカートのポケットに入っているのだから。


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