突然の告白
それでもアナタが好きなんです
ただアナタを愛しています
【揺れる眸】
廊下の片隅で酷く泣き喚く少女が居た。
その子は人目もはばからず声を上げて泣き、それを友人達が必死になだめては誰かの文句をこぼしていた。
通りすがりではあるが、今田蝶子は友人と歩きながらそれを見つけ、蝶子はそれを見つめているのが自分達だけではないと気がついていた。
「……どうしたんだろう?」
決して知り合いではないその少女の異常なまでの泣きっぷりに、蝶子がポツリと声を漏らす。
そうすれば共に行動をしていた友人二人が自分に振り返り、ため息交じりに呟いた。
「話の内容からすれば“氷王子”に振られたわね」
すでに後方に見えるその異様な集団に、蝶子の友人である中本栞がフンッと鼻を鳴らした。
蝶子は栞が漏らした“氷王子”という言葉に、疑問を抱きつつもふと反対側を歩くもう一人の友人を見つめる。
蝶子と視線の合った彼女は穏やかに微笑んで、蝶子に言った。
「人の涙ってどうしてこうも心地よいのかしら。酷く、憎悪が混じりこんだほうが、私は好きだわ」
「そ、それは……よかったね?」
相変わらず奇想天外な彼女の発言に、蝶子はなんと言えばいいのか戸惑い、自分でも意味のわからないままそう言うと、彼女は「えぇ」とまた穏やかに微笑んだ。
彼女、沖田要は友達としての交流を深めた時からそうだった。
人よりずれた感覚と言えばいいのか、摩訶不思議な空間を作り出す少女だ。
それでこそ黒魔術やら白魔術といった不思議な本を好んで読み、影ではそれを実行しているのを蝶子はよく知っている。
それだけではなく、人の心理を読むことが得意で、彼女の持つ不思議な力に少しならずか憧れている部分もあった。
「それにしても彼女、“氷王子”が好きだったのね。彼を好きになるなんて世も末と言えばいいのか、物好きと言えばいいか」
ほうっと穏やかに吐息を漏らしながら、要は自分の頬に手を添えてそう言えば、反対側に居た栞が面白くもないと言ったように少しだけ声を荒げた。
「物好きも限度があるっつーの」
「あらでも外観はとても素敵な殿方よ?」
「外観じゃなくて外見ね。建物じゃないんだから」
「同じようなものだわ。あの方、そんな感じの方でしょう?そこに居るというよりも、そこに立っていると言った方があってるわ」
「ぷっ、確かに。お前、表現ウマイなぁ」
「褒めて頂けたのかしら?栞に褒められるなんて、今日は午後から槍が降ってきそうね」
要がそう言えば、栞は「何だとぉ?」と笑いながら要をくすぐり始める。
要はそれから逃れるように身をよじりながら、数歩前を歩き、栞はそれを追う様に手を伸ばした。
蝶子はそんな二人のじゃれ合いを少しだけ後ろから笑顔で見守る。
かけがえのない友人達二人のじゃれ合いはそこに蝶子が居なくても、見ているだけで幸せになれる。
平穏な毎日に突然現れた二人は蝶子にとって何にも変えがたい大切な宝物のような存在だった。
二人とも性格に少しだけ欠陥があるにしろ、誰もが憧れる容姿を持っている。
栞はその穏やかで清楚な名前とは裏腹に、野蛮な性格を持ち合わせている。
男勝りで毒のある口調に、最初は蝶子も戸惑いを隠せなかったが、その言葉に隠された優しさに何度救われたかはわからない。
短く揃えられたショートカットの黒髪を柔らかに揺らし、モデル並みの体系を持った栞に言い寄り自滅していった男を、蝶子は幾度となく見てきた。
家柄も上流階級と呼べる地位にあり、けれどそんな素振りを1つも見せることのない自然体の栞に心引かれた。
一方、要はお淑やかなお嬢様といった雰囲気をフルにかもし出している女性だ。
可愛らしい容姿は世に言う「萌え」の領域に達しているが、先ほども述べたように性格が奇想天外だ。
ゴシックを好み、血の吐き出した人形を持ち歩くような子で、さすがにそれを見れば男が寄ってくることはない。
けれど中身を知らない男性が彼女に近寄り、何度彼女の放つ“術”の餌食になったか……それは検討もつかないのだが。
そんな二人を友人に持つ蝶子は、どこにでもいる平均的な容姿を持っており、少しならずか彼女達と共に行動をするのに気が引ける時がある。
優等生の落ち着きを持ち、性格も控えめで、染めたことのない艶のある黒髪は背中の辺りまで太い三つ編みを施してある。
大きな黒縁の眼鏡は蝶子にとって必需品であり、不器用な蝶子の性格を表しているようにも感じられる。
一見すれば不釣合いとも思える三人ではあるが、きっとそれは三人だから成り立っている友情に違いないと蝶子は感じていた。
誰か一人でも欠ければ、きっと保たれてきた関係が壊れてしまうのではないかとすら心配する。
決してそういうことがあるわけではないので、それは蝶子の杞憂であればよいとも思うのだが。
「ね、そういえばその“氷王子”って誰の事?」
突如思い立った質問を、蝶子が前を歩く二人に問いかければ、二人はじゃれ合うのをやめて蝶子に振り返り、眉間に皺を寄せて見た。
「アンタ、“氷王子”知らないの?」
知らなかったことに対し驚きがあったのか、栞が少しだけ声を荒げて蝶子に問い返す。
蝶子が「え?」と栞を見つめれば、要が冷静に栞の問いを返した。
「知らなくて当然かも知れないわ。彼、理数科で校舎が違うもの」
「そうかぁ?……まあ言われてみれば接点はないし、知らなくても当然かもしれないけど……」
納得したのか、イマイチ納得できないのか、栞が少しだけ考え込む。
けれどその答えで蝶子は自分がなぜその人物のことを知らないのかを理解した。
三人の通う、神市高等学校は学科によって階と校舎が別れている。
第一校舎は一階が普通科、二階が理数科、三階が会計科となっていて、第二校舎の一階は電子設備科、二階が情報処理科、三階が情報処理科の専門実習室、つまりコンピューター室となっており、三人が在籍するデザイン科は第三校舎にある。
デザイン科はコースが多くあり、それにあわせ様々な教室を使い分ける必要があるため、他の学科より離れている形になっているのだ。
それはある意味、隔離されているともいえるが、デザイン科の人間は顔見知りだけが集い、気兼ねなく校舎を使えると満足している。
そう考えた時、それなりの理由がなければ第一校舎まで赴くことはほとんどありえないのだ。
「ま、蝶子に話したところで“氷王子”なんて人生に影響を与えるわけでもないんだから、別に説明しなくてもいいじゃん」
考え込んだ末、そういう結論に至ったらしい栞が頭をかきながらそう論すれば、蝶子は少しだけ仲間はずれにあった気分になって、ぷぅっと頬を膨らませた。
「何よ……話題の人のことくらい私だって知っておきたいわ。話に入っていけないとなんだかとても損した気分になるもの」
蝶子がそう漏らしても、二人は蝶子の反応を面白がるだけで、それ以上話そうとはしない。
目当ての教室にたどり着いたことでそれはその場で終話となってしまった。
―*―
放課後になり、三人はそれぞれ自分の活動の場所へ赴くために教室で解散した。
活動とはそのまま部活動の事で、三人とも別々の部活動に所属している。
栞はその長身を活かすことのできるバレー部に所属し、要は起用な指先を持っているため手芸部に所属している。
蝶子と言えば、デザイン科の下りから写真部に所属しており、部活動でもまた第三校舎から離れることはなかった。
「今田さん」
ふと声をかけられ振り返れば、部長である高本が出来上がったばかりの写真を並べながら見比べつつ、蝶子に話しかけていた。
蝶子は自分の作業をやめ、高本に歩み寄れば、高本は振り返ることもなく蝶子に言った。
「ね、この写真どう思う?」
ふと見せられた写真には、この学校の風景が映し出されていた。
多分、見た目からは第一校舎かもしれない。
誰も居ない教室に、朝日が差し込み、雑然と並べられた机が明るく反射している。
太陽の光が暖かく包み込むようなその写真に、蝶子は目を細めた。
「とても素敵だと思います。暖かい感じがとても出ていて……」
風景を撮ることをテーマにしてる蝶子にとっては、少しだけ足りないものを感じているが、それでもこの写真は好きだと素直に思った。
自分もこんな風に撮れたらいいのに、とうっとりしながら見つめていると、高本は嬉しそうに目を細めてようやく蝶子を見た。
「今度の作品展にどれだそうか迷ってたんだ。今田さんは決めた?」
「いえ、まだです。どうしても自分の納得のいく写真が撮れなくて」
「だったらさ、今田さんも第一校舎行ってみたら?あそこはココとは違ってなんか高級感溢れてるよ」
「高級感……」
それはなんだか自分達の校舎が貧相だと言いたげだった。
少しだけそれを不愉快に感じ、蝶子が眉を潜めれば、高本はそれを察したように慌てて弁解した。
「僕は、別に変な意味で言ったわけじゃないよ?ココのほうが温もりがあって好きだけど」
「わかってます」
慌てる高本の弁解に、蝶子がクスクスと笑いながら聞いていれば、高本は参ったと頭をかきながら蝶子に言った。
「今田さんの撮る写真って、すっごく温もりが合って好きなんだよ。けど、少し物足りないっていうか、緊張感がないって言うか……だから……ごめんね。なんか伝えるのが下手で」
眉の両端を下げながら高本がそう漏らせば、蝶子はふふっと可愛らしい笑みを漏らした。
高本の言っていることが理解できないわけではない。
蝶子の撮る風景画はどれも自然ばかりで、人工物を映し出さない。
それは自分で決めたテーマでもあったのだが、蝶子自身も物足りなさを感じていたのは事実だ。
高本の意見に、少なくとも賛同した蝶子は自分のカメラを手にして、高本に告げた。
「私も、新しいことに挑戦しなければいけませんね。ちょっと、出てきます」
「んー……」
自分の思いが伝わったことに安堵したのか、高本は笑顔で蝶子を見送る。
蝶子はそれを見つめながらも「それじゃぁ」とだけ告げて、部室を後にした。
久しぶりに足を踏み入れた第一校舎は確かに高本の言ったとおり、第三校舎には感じられない緊張感があった。
なんと言えばいいのか、穏やかに時間を流れるデザイン科とは違い、時間が早く過ぎ去ってしまうような、そんな感じだ。
勉強において高みを目指す学科が揃う第一校舎は綺麗なつくりで、落書きだらけの第三校舎とは似ても似つかぬ場所だった。
足を踏み入れるのには毎度躊躇してしまう。
中学からの友人がこちらの校舎に居るので数えるほどではあるが何度か来たことがある。
そのたびに萎縮してしまうこの雰囲気が、蝶子の性には合わない。
人通りはまったくなく、この校舎の人間はほとんどが部活に出払っているようだ。
それは人に迷惑をかけないで済むし、自分が写真を撮っていても変に感くぐる人も居ないことだと安堵する。
そう考えながら新しいものに挑戦すると自分で論したのだから、少しでも自分に刺激を与えなければと、蝶子はカメラを構えた。
とは言っても、自分が今まで掲げてきたテーマをそう易々と変更できるものでもない。
窓からみえる中庭の木々や、廊下に添えられた花瓶の花などを入れることでしか、蝶子はシャッターを押す気にはなれなかった。
「なんか……イマイチ……」
誰も居ない廊下でポツリとそう呟いても当たり前のようだが返答はない。
蝶子は辺りを見渡して、一番近い場所にあった教室のドアに静かに手をかけた。
「お、お邪魔します……」
おずおずと申し訳なさそうに入れば、そこには誰の姿もなく、蝶子はホッとしてカメラを構える。
アングルを考えながら教室の風景を撮っていれば、自然と体が下に沈んでいった。
誰も見たことのない場所からの教室の風景を撮影するためだ。
机が雑然とならんでいるものを撮るより、机の脚を写した方が、机の並びが多く見える。
それは学ぶべき人が多く存在するということにも結び付けられ、蝶子の求めていた緊張感の答えがそれなのではないかと解釈した。
「何の用?」
突然、何の前触れもなく聞こえてきた声に蝶子は慌てて振り返りながら立ち上がり、カメラを降ろした。
それが蝶子本人も突然のことだったため、勢いのあまり掛けていた眼鏡をも巻き添えにすることとなり、蝶子の顔から離れた眼鏡は派手に飛んでいった。
「あっ」
蝶子は慌てて眼鏡の行方を追うと、眼鏡はカラカラと音を立てて床を滑り、蝶子に声をかけたと思われる人物の足元で止まる。
その人物が自分の足元に飛んできたそれを拾い上げたのを、蝶子はぼやけた視力で知ることができ、慌ててその人物に駆け寄った。
「か……勝手に教室に入ってすいませんでした。写真部で風景写真を撮らせていただいていて……」
とにかく何より先に自分がなぜこの場にいるのかを弁解し、それからようやくその人物の顔を見上げて眼鏡の奪還を試みた。
「あの……拾っていただいてありがとうございます……眼鏡……」
そう呟いたとき、ようやく蝶子は気がついた。
最初の第一声があってから、人物の声を聞いていない。
それほど長い時間ではなかったけれど、蝶子は相手を怒らせてしまったのかと慌てた。
幸か不幸か相手の表情までは、蝶子の視力では見えない。
よって、目の前に立つ人物の心境を読みとる術を完璧に失ってしまった蝶子にとって、その沈黙は非常に耐え難いものだった。
「あ……の……、怒って……いらっしゃるんですか?」
「……どうしてそう思うんだい?」
ようやく聞こえた相手の声は、とても落ち着いていて穏やかな男性の低い声だった。
自分の話している相手が男性と知ると蝶子は一層身を強ばらせた。
蝶子は人見知りが激しく、特に男性との対話は極度にあがってしまう。
慣れてしまえば高本のように気兼ねなく話すことも出きるが、大半は相手の男性が蝶子と仲良くなることを挫折して話すことをやめてしまう。
蝶子は内心、酷く焦りながら素直に話した。
「す……すいません……眼鏡がなければ何も見えなくて……もし勝手に入ったことを怒っていらっしゃるのなら……」
「別に怒ってなどいないですよ」
蝶子の言いたいことを理解したのか、その人物は蝶子の言葉を遮って蝶子に伝える。
その言葉を聞いた蝶子は安堵の表情を浮かべ、改めて小さく会釈した。
「君は……写真部なの?名前は?」
「あ、今田蝶子です」
あまり悪い人ではないと解釈した蝶子が素直にそう伝えれば、その人は眼鏡を手のひらに乗せ蝶子を呼んだ。
「蝶子さん」
初対面の男性にいきなり名前を呼ばれて、蝶子の心臓は大きく跳ね上がった。
男性に名前を呼ばれるのは父以外では初めてだったからだ。
蝶子の驚きと戸惑いの隠せない表情に、相手はクスクスと笑みをこぼす。
それが何となくからかわれた気分になって蝶子は少しだけムッとした表情を浮かべながら、その人が差しだした眼鏡を受け取ろうと手を伸ばした。
ところがだ。
その人は蝶子が眼鏡を取ろうとした瞬間、それを意地悪く頭の上に持ち上げる。
彼の突然の行動に、蝶子は差しだした手を引っ込ませることもできずに口をパクパクさせた。
「か、返してくださいっ。それがないと困るんですっ」
「でも蝶子さん、眼鏡がない方が可愛らしいですよ」
蝶子の訴えに、その人は恥じらいもなくケロリとそう告げる。
そんな台詞を聞き慣れていない蝶子は素直に頬を赤く染めてそれでも「眼鏡……」と訴えた。
「返してほしいですか?」
「と……当然です!」
「それでは僕の質問にいくつかお答え頂きたいのですが。よろしいですか?」
「な……なんでしょう?」
何もかもが唐突すぎるその人の言葉に、蝶子は差しだしていた手をようやく引っ込めてビクビクと次の言葉を待つ。
その人はまたクスクスと柔らかく微笑みながら蝶子に尋ねた。
「お名前は先ほどお聞きしましたので、学年と学科を教えてください」
「……なぜ?」
先ほどまでは悪い人ではないと思って素直に名前を伝えた。
けれど今更になってそれを後悔し、かなり警戒をしている。
真実を伝えて何をされるかわからないと思い、蝶子は無意識に一歩だけ後退してその人物との間を広げた。
「なぜって……好意を持った方を知りたいと思うことはいけないことですか?」
「……え?」
彼のこぼした言葉を理解できず、蝶子は酷く間抜けた返答をした。
その人物は静かに蝶子に歩み寄ればふと蝶子の頬に指先で触れてきた。
冷たい指先が蝶子の輪郭をなぞり、蝶子の心臓は大きく脈を打つ。
頬を滑るように撫で、ゆっくりと首筋に手を添えられ、蝶子はゾクリとした感覚に身を固めた。
「蝶子さん、教えて下さいませんか?」
彼の声は先ほどよりもかなり近くで聞こえた。
何が起こったのかすぐに理解できなかったけれど、蝶子は彼の顔が息がかかるほど自分のすぐ横にあり、耳元で囁かれたの状況をようやく理解して、上擦った緊張感のある声で答えた。
「デッ、デザイン科の一年生ですっ……」
慌てるようにそう言って、蝶子は間を開けるようにまた数歩後退していく。
その人は残念そうに、けれどこれ以上蝶子に近寄ることなく、名残惜しそうに蝶子から手を離した。
「お……お願いします……眼鏡返して下さい……」
これ以上は耐えられないと自分で判断し、蝶子は零れそうになる涙を必死に耐えながら訴える。
そんな蝶子の様子に、その人は酷く落ち込んだ声で言った。
「すいませんでした。困らせるつもりはなくて……あともう一つだけ……もう一つだけ答えて下さい」
先ほどの余裕のある言葉ではなく、切羽詰まったような彼の声に、蝶子はどう答えるでもなく静かに口を閉ざした。
蝶子の態度を見て、彼は聞いてもらえると判断したのか、蝶子にも聞こえるほどの安堵のため息を漏らして、次にははっきりと蝶子に告げた。
「僕と、おつき合いしていただけませんか?」