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ワタナベさん 1

 同期である千葉がリストラされたという報せは、長沼にとって驚く事では無かった。

「やはり」と「ついに」という思いがすぐに出て、少し遅れて憐れむ気持ちが追いついてきた。千葉は気のいい男であったが、抜けた所が目立ちすぎて、ビジネスマンとしてぎりぎり、使い物にはならなかったからだ。

 だから同情の気持ちこそあったが、大きなショックを受けるという事はなく、次の日の仕事に支障を与える事もなかった。

「会社勤めに向いていない奴だったんだなあ、田舎で農家でもやっていたほうが幸せだろ」

 同僚が吐き出す言葉は薄情な物ではなく、実際、千葉はそういう方が幸せであるに間違いない男なのだ。

 それにしたって、この喫煙室内の会話は、いかにも他人事然としている。単なる同僚相手に向ける情など、このくらいでも十分とは思う。

 しかし長沼の頭の中には、同情とは違う気持ちが芽生え始めてきていた。即ち、このリストラが、千葉一人では終わらないだろうと思っているのだ。

 長沼は千葉と同時期に営業部に入ってからというもの、割と気楽に過ごしてきた。

 多少営業成績が下がった月が有っても、ほぼ間違いなく下には千葉がいたからだ。長沼の調子が悪い時は、千葉はもっと成績が悪いから、目立った叱責はたいてい千葉が被ってくれたものだ。

 しかし、当の千葉が真っ先にリストラされてしまうと、次なる候補に長沼が入っても可笑しくはない。何せ長沼の成績は上司が激怒する程でもないが、決して褒められた物では無い。そそっかしいのか、物を失くす事も多い。この間も、書類を紛失して小言を食らったばかりで、心証も良くは無いだろう。

 ここ、北海道では決して無名ではないこの会社も、不況の煽りは食らっている。人員削減がこれ以上進んでいかない保証はない。

 「気が重いな」と呟きながらポケットを探る長沼だったが、またライターが一つ無くなっている。どの道ガス切れで捨てようと思っていた物だから問題ないのだが、これも一種のリストラか、と鼻で笑った。

「こういうライターとか消しゴムとか、気づいたら無くなっているよな。千葉の奴もその一つになっちまった」

 そんな事を言いながら喫煙室を出た長沼は、部署に戻る気にもなれず、人気のない方を選んで歩き出す。あまり上司の顔は見たくないが、気楽に訪ねて行ける営業先も無いのだろう。改めて、営業としての資質の無さに落ち込んだ。


◆ 


 普段使われていない階段側の通路を歩いて行くと、清掃員の結城が、壁にもたれて暇そうにしている。彼女は女性として枯れ切ったとは言わないが、トウが立っているから若くない事は間違いない。

 掃除をするよりも、OL相手にゴシップ話をしている姿のほうがよく見かける。

 こんな歳して旦那も居ないから、若い社員に色目を使うこともある。

 どうせクビにするならこういう奴からにしろ、と内心で悪態をつきつつも、サボりにきている事を漏らされても困るので、長沼はなるべく遠巻きに通り過ぎた。

 ここを曲がれば非常階段につながり、人の目が無くなる。たまに訪れて物思いに耽るには最適な場所だ。

 だが、いざ角に差し掛かると、何やら人の気配を感じて立ち止まった。「なんだ、先客か」と渋い表情を浮かべてみた長沼だが、角の向こうから聞こえてきた声には興味を引かれた。

「しかし参るな。必要なこととはいえ、部下の首を切るっていうのは」

 長沼の所属する、営業部の部長、大平だ。どうやら、千葉をクビにした事について話しているらしい。続けて違う声が聞こえてきたが、これは人事部長の松代だ。

「持ち続けて損失が出るような物は、やはり捨てなきゃならんよ。しかし面と向かって言うのは確かに心苦しい、管理職も気苦労が多くて困るな」

「いまどき法律も煩いんだろ。一方的な解雇は本来違法だとか何とか、やり辛いったら」

 これには「勝手なこと言いやがって」と長沼は思った。「そっちは一方的に首切るだけなんだからまだ気楽じゃないか。切られた方は再就職なんか絶望的なご時世に路頭に迷うんだ。こんな所で人を避けて話すほど後ろめたい癖に」聞こえないよう文句を垂れても、面と向かって言える筈もないことではしょうがない。長沼は仕方なく踵を返そうとしたのだが、続けて聞こえてきた話題に思わず耳を済ませた。


「やはりワタナベさんだな。こういう事の処理は」

「ああ、何せ後腐れも無く綺麗に処理してくれるからな。要らない物はワタナベさんに任せばいい」


 ワタナベという名前に、長沼は聞き覚えがなかった。この会社にそんな社員が居ただろうかとも思ったが、部長二人の話しぶりを聞くに、そのワタナベさんとかいう人物が、会社のリストラ担当でもしているのだろうと思った。

「それも、この口ぶりから察するに敏腕に違いない。そいつが千葉を切ったのか。そうするとワタナベさんとやらは、我ら平社員には天敵のような奴だな」

 ワタナベさんに関しての長沼の印象は、このような形に固まった。

 「だが、千葉だって辞めさせられるとなれば文句も言うだろう。それを後腐れなくとは、ワタナベさんってのは説得の上手な人なんだろうか。だとすれば、そういうやつを営業部に置けば、成績不振に嘆く事も無いだろうに。こっちは毎日何社も駆けずり回って、自分でも買いたくならないような物を売ろうとしてるっていうのに……話し方の秘結でもあれば教えてもらいたいくらいだ」

 そんな事をぼやきながら、喫煙所までの道を戻って行く途中、長沼の頭にぴん、と明るい閃きが浮かんだ。


「……そのワタナベさんに気に入られれば、とりあえずリストラの候補からは外れるんじゃないか」

 

 長沼にとっては天地をひっくり返すような閃きだ。途端に手足に血が巡って来る気がする程に。

「そうだ。今更商品を2、3個売れたって、リストラされる時はされるんだ。だったらそのリストラ担当に自分を売り込んでやればどうだ。たった一回の話でリストラ候補を外れられるんじゃあないのか」

 長沼の胸中に、もしワタナベさんの機嫌を損ねたら、という考えは無い。不安にもなるが楽観的にもなる。身勝手な事だが、良かろうが悪かろうが目先しか見えないのが長沼という男だ。

 その日の夜、長沼は自社の社員相手に接待プランを考えて寝不足になった。

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