『時間』を感じたある夏の日の出来事
私は久方ぶりに実家へと帰ってきた。
父の13回忌の為だ。
今の住処から実家までは在来線を乗り継いで1時間程度。
私にとってこの距離はいつでも帰れるという安心と頻繁に帰るには面倒臭いというちょうど中間。
だからだろうか、実家に帰ることはほとんど無い。
仕事が忙しかったこともあるが、お盆や正月でさえこの微妙な距離のせいで帰えることは無かった。
前に帰ったのは何時だったか・・・。
4年ほど前に出張の帰りに立ち寄ったのが最後だったと思う。
つまりはそんな用事のついでにしか帰ることがない。
こうやって思い出すと私自身これでいいのだろうかと思うが、仕事を始めてからの時間の流れはとても速く4年前ですらついこの間の気がするのだらか仕方ないことなのかもしれない。
そんなことを考えながら家にたどり着いた私は母の出迎えを受ける。
「お帰り」「ただいま」
短い挨拶。
一人暮らしを始めて5年。
家が『実家』になって5年になるがこの挨拶は変わらない。
でも、母は少し変わった様だ。
ハッキリとしたものじゃない。
けど、なんとなくわかる。
ほんの少しだけ雰囲気が違う。
帰ってきて挨拶を交わした声。
玄関で迎えてくれるその立ち振る舞い。
廊下を歩く後姿。
記憶とのズレが私に教えてくれる。
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先に到着していた親戚達に挨拶をする。
子供の頃は知らないおじさん達が怖く、母の後に隠れていた私も25歳ともなればこういう場面の挨拶も自然と出来る。
ほんの少し時事関連も合わせた挨拶に叔父も叔母も変わらぬ挨拶を返してくる。
テンプレートでもあるんじゃないかと思うやり取り。
こういった決まりごとに隠れていた私が向きあって話す。
不思議な感覚に自然と笑みが浮かぶ。
そうして時間をすごしていると従兄弟達もやってきた。
こちらと会うのは十年ぶりか。
思い出せば面影かある顔。
でも全然違うといえば違う顔。
一緒に庭で駆け回って遊び、ケンカなんかもしていたことが信じられないくらいに『大人』になっている。
驚いたのは向こうも同じようだ。
きっと鏡で合わせたみたいに同じように目を丸くしていることだろう。
それでも互いに『大人』だ。
久方ぶりの挨拶はテンプレートで。
同じように笑顔で交わす。
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法事も終わり、早々に宴会が始まった部屋を私は抜け出す。
未だに酒の良さがわからない私は料理の手伝いを理由に台所へ。
こうやって逃げの方法を学んだのは会社に入ってから。
『無礼講』の意味を履き違えたまま酔っ払ってしまったあの失敗はしっかりと胸に刻んでいる。
酒も飲めない『子供』なのか学んでしまった『大人』なのか。
数度部屋と台所を行き来しながらそんなことを考える。
まぁ、それでも『付き合い』をしっているからには『大人』なのかもしれない。
そんなわけで少し頬が赤くなったのを自覚できた私は家の中を歩く。
それほど広くない家の中で少し目に付いたのは我が家の急な階段。
その2段目についた少し大きな傷。
私が付けた傷だ。
今思えば少々お転婆だった私は何を考えていたのか何も考えていなかったのか、この階段を2階から1階まで飛び降りた。
結果はとても痛かったが下から2段目までいけたのだからなかなかがんばったほうだと思う。
残念ながら2回目のチャレンジは父の本気の説教のおかげで実施されなかったが、ほんの少し成長していれば案外成功したかもしれない。
成長しすぎた今となってはこの高さでも眩暈がしそうになるからもうできないが。
そういえば父が私に怒ったのはこのときが最初で最後だった気がする。
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この部屋に入るのはいつ以来だろうか。
この家にあって唯一別の空間。
父の書斎。
父が亡くなってからは一度も入っていない。
その前からも多く足を踏み入れることは無かった。
でもあの怒られた日以外の父の思い出といえばこの部屋以外に無い。
父はあまり『外』に出る人ではなかったから。
錆びた蝶番が悲鳴を上げながら扉を開く。
締め切られていた空間から熱い空気が噴出す。
それと合わせて出てきた懐かしい匂い。
私は懐かしい匂いに引かれて部屋へと入った。
そして匂いを逃がさないようにすぐに扉を閉める。
同じ家なのにここだけは匂いが違う。
埃と本とタバコの匂い。
両方の壁に設置された棚に隙間無く埋められた本。
小さい窓の前に置かれた机と椅子。
その上に置かれたガラスの灰皿。
ここにあるのはそれだけ。
私は自分の定位置へと腰掛ける。
扉の横、壁と本棚の隅。
小さかった私はたまにこの部屋にやってきてはここにクッションを置いて机に向かっていた父を眺めた。
外ではあれだけお転婆だった私もここでは不思議と大人しかった。
父に言い含められたのか、この部屋の雰囲気が私を大人しくさせたのか今ではもう覚えていないが、ただ座って父を眺めていた。
黒い大きな背中で白い煙を吐き出していた父。
窓からの光で影になっていたからかもしれない。
父の記憶はこの姿ばかりだ。
秋の夕暮れも、冬の深夜も、春の朝も、夏の真昼も。
どの時でも父の姿は机に向かっている後姿だ。
今更だが父は何をしていたのだろうか。
私はそんなことも知らない。
座ったままで本棚に収められた文字を読むが何もわからない。
技術書に小説、教科書や英文の本、果ては児童向けの絵本まで。
本であればあらゆる種類のものを集めた本棚からはうかがい知ることは出来ない。
私の父ながら不思議な人だった。
13年前に病で亡くなった父。
子供だった私でも『死んだ』という事くらいは理解していたと思う。
とても悲しかったしとてもとても泣いていたと思う。
それだけ大切な人だったのに今思いだせるのは後姿だけ。
『記録』を見れば思い出せるのに、すぐにこの後姿の『記憶』が強くなる。
他にも確かにあるはずの記憶。
25歳になった私はそれをもう思い出せない。
一つの作品を書いていると別の作品を書いてみたくなります。
そんな時に浮かんできたのを拾い集めますが。
いざ書こうとすれば書けたのはこれだけ。
頭の中の物を言葉に書き残すのは本当に難しい。
さらに仕事中にばかり浮かぶから困ったものです。