「歳をとらないなんて魔女だ!」と婚約破棄されましたが、若々しい身体でスローライフを満喫中なので、老け込んだ元婚約者が泣きついてきても絶対に拒否します 改訂版
王都でも指折りの夜会。オーケストラの音色に混じって、グラスの触れ合う音が響く中――その静寂を破ったのは、婚約者であるギルバート侯爵子息の、怒声にも似た叫びだった。
「貴様、なぜ十年前とほとんど姿が変わっていない!?」
会場中の視線が集まる。主人公――セリーナは、手にしていたシャンパングラスをそっとテーブルに置き、ため息をついた。
「魔術で他人の若さを吸い取っているんだろう! この魔女め!」
「……あの、ギルバート様」
セリーナは冷静に、しかしうんざりした声で答える。
「これ、ただの生まれつきのスキル『老化速度低下』なんですけど。鑑定紙、以前お見せしましたよね?」
社交界デビューの際に受けた鑑定の結果は、たしかにギルバートにも見せている。だが、彼はろくに目を通していなかったのだろう。
二十八歳になった今も、鏡に映るセリーナの肌は張りを失わず、瞳は変わらぬ輝きを保っていた。対してギルバートは――近頃、額の生え際が気になり始めている。毎朝、鏡の前で長々と前髪を整えていることを、セリーナは知っていた。
「言い訳など聞きたくない! お前のようなおぞましい魔女と、婚約を続けるわけにはいかん!」
ギルバートの隣には、若く化粧の目立つ令嬢が寄り添っている。セリーナは全てを察した。ああ、なるほど、そういうことか。
「婚約破棄だ! 貴様は王都から出ていけ、魔女め!」
会場がどよめく。誰もセリーナを庇う者はいない。侯爵家の権威を恐れてか、それとも単に他人の不幸を娯楽と見ているだけなのか。
セリーナは静かにドレスの裾を持ち上げ、一礼した。
「承知いたしました。では、失礼いたします」
拍子抜けするほどあっさりとした返事に、ギルバートは一瞬怯んだ顔を見せたが、すぐに勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
馬車に揺られながら、セリーナは窓の外を眺める。
(正直、清々する)
十年間、この婚約のために我慢してきたことは数え切れない。夜会のたびに気を遣い、彼の機嫌を伺い、家のために尽くしてきた。それなのに、たった一つの生まれつきの体質を理由に、こうもあっさり切り捨てられるとは。
「むしろ、これで自由になれるじゃない」
セリーナの唇に、小さな笑みが浮かんだ。
帰宅した伯爵家の屋敷には、すでに夜会での騒動の報せが届いていたらしい。応接室では、父と母が固い表情でセリーナの帰りを待っていた。
「……お父様、お母様。夜会でギルバート様から婚約破棄を言い渡されました。ご迷惑をおかけして……」
セリーナが深々と頭を下げようとした、その時だった。
「頭を上げなさい、セリーナ!」
父が立ち上がり、大きな手でセリーナの肩を優しく抱き寄せた。その顔に怒りはなく、どこか誇らしげですらあった。
「迷惑なものか! あんな生え際の怪しい愚鈍な男のために、お前が十年間どれほど耐えて尽くしてきたか、一番近くで見ていたのは私と母さんだ」
「そうよ、セリーナ」
母も歩み寄り、セリーナの手を温かく包み込んだ。
「『魔女だ』なんて騒ぎ立てて……自分の容姿が衰え始めた焦りを、セリーナになすりつけただけでしょう? 鑑定結果を捏造扱いするなんて、侯爵家も目が曇ったものね」
「お父様……お母様……」
責められる覚悟すらしていたセリーナは、両親の温かい言葉に思わず胸が熱くなった。
「セリーナ、侯爵家との縁が切れたなら、もう貴族社会の面倒な義理立てなど一切不要だ。王都の喧騒から離れ、お前の好きに生きなさい」
父は書斎の引き出しから、一枚の古い羊皮紙と鍵を取り出した。
「これは我が家が所有する、南の静かな領地にある一軒家の鍵と土地の権利書だ。緑が豊かで、薬草もよく育つ。当面の生活費も私の口座から存分に持っていくといい」
「……ただ、セリーナ」
そこで父は少し言葉を濁し、心配そうにセリーナを見つめた。
「お前さえ良ければ、我が家のつてで、誠実でまともな男性を探して再婚の手配をしてもいいのだぞ? お前の本当の価値を分かってくれる人は、探せば必ずいる」
母も優しく頷く。
「そうよ。貴族社会を離れるにしても、素敵なパートナーがいた方があなたも安心でしょう?」
だが、セリーナは晴れやかな笑顔で、首を横に振った。
「お気持ちはとても嬉しいです、お父様、お母様。でも……結婚も男性も、もう当分は結構です! 十年間も誰かの機嫌を伺って生きてきたんですもの。これからは誰にも邪魔されず、自分のためだけに自由に生きてみたいんです!」
きっぱりと言い切るセリーナの表情には、一切の未練も暗さもなかった。
「……ふっ、ははは! そうか! お前がそう言うなら、何も心配はいらんな!」
「わかったわ、自分の思うままに歩みなさい、セリーナ」
両親の温かい後押しに、セリーナは心からの笑顔を浮かべた。
「……はい! ありがとう、お父様、お母様!」
翌朝、セリーナは動きやすいシンプルな服に着替え、小さな鞄ひとつを提げて玄関に立った。見送りに出た母が、鞄の中にそっと種の入った小袋を滑り込ませる。
「向こうで育ててみなさい。うちの庭で一番いい子たちよ」
手を振る両親に笑顔で応え、セリーナは晴れやかな気持ちで王都を後にした。
◇◇◇
新天地としてやってきたのは、王都から馬車で五日ほどかかる辺境の町――プールスだった。豊かな森と清らかな川に囲まれた、のどかで活気のある土地である。
「ここが……私の新しい我が家!」
両親から譲り受けた質素だが頑丈な木造の家を前に、セリーナは大きく伸びをした。荷物はわずかだが、心は驚くほど軽い。
スキル『老化速度低下』は、見た目が若く保たれるというだけのものではなかった。体の老化そのものが緩やかであるがゆえに、病気にかかりにくく、疲労の蓄積も驚くほど少ない。
徹夜で作業をしても翌朝には肌荒れひとつなく、多少の無茶をしても翌日にはけろりとしている。
まさに、新たな生活を切り拓くのにうってつけの神スキルだったのだ。
セリーナは早速、実家で培った薬草の知識を活かし、家の裏手に小さな畑を作った。母がくれた最高品質のカモミールとミントの種を、一粒ずつ丁寧に植えていく。
「よし、今日も元気に育ってるわね」
葉に優しく触れながら、セリーナは満足げに頷いた。誰に気を遣うこともなく、誰かの機嫌を伺うこともなく、ただ自分のためだけに時間を使える毎日。
(幸せってこういうことかしら)
◇◇◇
半年後には、町の広場の片隅に小さなハーブティー専門店を開業した。店の名前は『プールスの泉』。
「いらっしゃいませ!」
セリーナの明るい笑顔と声に、訪れる町の人々の顔も自然とほころぶ。彼女の淹れるハーブティーは疲れた身体に心地よく染み渡ると評判になり、やがて隣町からも客が訪れるほどの人気店となった。
「セリーナさんは、いつ見てもお若いですねぇ」
常連の老婆が感心したように呟くと、セリーナはクスッと楽しそうに笑って答える。
「ふふ、生まれつきなんですよ」
「へえ、羨ましいこと。うちの孫にも分けてやりたいよ」
ここには、彼女を気味悪がって『魔女』などと呼ぶ者は一人もいない。ただの働き者で若々しい店主として、セリーナはすっかり町になじんでいた。
畑仕事をして、ハーブティーを淹れて、夜は星空の下で好きな本を読む。誰にも急かされず、誰にも否定されない毎日は、王都での我慢だらけの十年間よりもずっと満ち足りていた。
「本当に……幸せだなぁ」
セリーナはカップに注いだハーブティーの豊かな香りを吸い込みながら、心の底からそう噛みしめたのだった。
◇◇◇
一方その頃、王都では――。
ギルバートは、焦っていた。
セリーナを追放して迎えた新しい婚約者は、若く美しい令嬢だった。しかし、彼女はギルバートの浪費癖と横柄な態度にすぐ愛想を尽かし、婚約は半年も持たずに破談となった。
「くそっ、次だ、次を探せばいい」
だが評判というものは、こうもあっさり広まるものらしい。「婚約破棄魔」という不名誉なあだ名が社交界に流れ始め、まともな縁談は一つも舞い込まなくなった。
さらに追い打ちをかけたのが、鑑定の件だった。セリーナが本当にただのスキル持ちだったという事実は、じわじわと社交界に広まっていた。ギルバートの弾劾は、単なる言いがかりだったのだと。
信用は地に落ち、事業の取引も次々と打ち切られていく。それでも見栄を張ることをやめられないギルバートは、いつしか「若さ」そのものに執着するようになった。
(あの女は、若さを保つ術を知っていたはずだ。私もあれさえ手に入れれば……)
焦燥に駆られた彼は、法外な値段の「若返りの秘薬」に手を出した。無論、そんなものにまともな効果があるはずもない。
ストレスと過労、そして怪しげな薬の副作用が重なり、ギルバートの身体は加速度的に衰えていった。
鏡に映る自分の姿を見て、ギルバートは絶句した。
深く刻まれた額のシワ、すっかり後退した生え際。二十代の終わりのはずが、まるで五十代のような風貌になり果てていた。
「なぜだ……なぜ私だけが……」
領地の経営も傾き、借金は膨らむ一方。ついには屋敷も差し押さえられ、かつての栄華は見る影もなかった。
そんな中、耳に入ってきたのが――辺境の町で若々しい美しさを保ったまま、悠々自適に暮らす元婚約者の噂だった。
「……セリーナ」
◇◇◇
数週間後。プールスの町に、鼻を突く異臭とともに、みすぼらしい身なりの男が現れた。
物乞い同然に乗り合い馬車を乗り継ぎ、道中で靴底をすり減らし、ようやくたどり着いたのだ。
『プールスの泉』の扉が、ガタガタと酷い音を立てて開かれる。
「……セリーナぁ……っ!」
掠れた声に店内が静まり返る。
そこに立っていたのは、ボロボロの雑巾のような服を纏い、顔中に深いシワを刻み、頭頂部はすっかり禿げ上がった――かつての婚約者、ギルバートだった。
あまりの汚らしさと不快な体臭に、お茶を楽しんでいた客たちが一斉に顔をしかめる。
「頼む……! 頼むから助けてくれぇっ!」
ギルバートは膝から崩れ落ち、泥だらけの手でセリーナのブーツにしがみつこうとした。
「その魔術で……いや、スキルで私を若返らせてくれ! 私の髪を、肌を元通りにしてくれ! 家は破産し、爵位を継ぐ道も閉ざされた! もう私にはお前の若さしかないんだ! 頼む、正妻にしてやる!」
かつて豪華な夜会で、高らかにセリーナを「魔女」と罵り、身勝手に捨て去った男。その男が今、プライドも尊厳も全てをかなぐり捨て、床に頭をこすりつけて涙と鼻水を垂らしている。
セリーナは、しがみつこうとするギルバートの手を、汚い虫でも避けるようにサッと一歩引いてかわした。
「……お断りいたします」
「な、なぜだぁぁっ!? 頼む、見捨てないでくれ! 私は侯爵家のギルバートだぞ!?」
「元、でしょう?」
セリーナの氷のように冷たい声が店内に響く。
「それに、何か勘違いをなさっているようですけれど。このスキルは、私自身の老いを遅らせるだけのもの。時間を巻き戻すことも、他人に分けることもできません。ですからご要望があったとしても、そもそも叶えようがありませんの」
「そ、そんな……では、あれほど私を魔女だと……」
「ええ。何度も鑑定紙をお見せしましたのに、一度も読んでくださらなかったのはあなたです」
セリーナは軽蔑を込めた笑みを浮かべ、キッパリと言い放った。
「もっとも、できたとしてもお断りですけれど。ご自分の嫉妬と見栄で私を追い出し、怪しげな薬に手を出して勝手に自滅した哀れな人に、お与えできる情けなど一ミリもありませんわ。……その汚い手で私の靴に触れないでくださる? 虫唾が走ります」
セリーナの容赦ない一言に、店内にいた常連客たちが、一斉に大爆笑した。
「ハハハ! おいおい見たかよ、あの惨めな姿!」
「あの綺麗なセリーナさんを『魔女』呼ばわりして捨てたバカ貴族ってのは、このハゲ散らかしたやつのことか!」
「自業自得だな! ざまあみろ!」
町中の人間から向けられる、嘲笑と蔑みの視線。ギルバートは顔を真っ赤にし、絶望と屈辱で全身をガタガタと震わせた。
「おいお前、店主さんが迷惑がってるだろ。外へ出ろ!」
常連客たちに両腕を掴まれ、ギルバートはまるで生ゴミのように店の外へと投げ捨てられた。
「ぶはっ……! げほっ、ごほっ……!」
地を這うギルバート。セリーナは開いた扉の前に立ち、かつての婚約者を、道端の石ころでも見るような無関心な瞳で見下ろした。
「さようなら、ギルバート様」
パタン――。
扉が容赦なく閉ざされ、錠が下りる音。
「セリーナぁぁぁっ!」という惨めな悲鳴は、閉ざされた扉によって完全に遮断された。
静けさを取り戻した店内に、ふわりと爽やかなハーブの香りが漂う。
「ふう……お騒がせしてすみません、みなさん」
「気にすんなセリーナちゃん! あんなやつ、二度と近づけないからな!」
「そうだそうだ! さあ、美味しいハーブティーのおかわりをくれ!」
客たちの温かい歓声に包まれながら、セリーナは満面の笑みを浮かべた。
窓の外では、ギルバートがぽつりと取り残されている。だが、そこへ町の衛兵が駆けつけた。
「お前がギルバートだな? 王都の債権者から、お前を捕らえるよう通達が来ている」
「ま、待て! 私は……私は侯爵家の……っ!」
抵抗むなしく引きずられていく背中を、セリーナはもう見なかった。
後日、風の噂で聞いた。ギルバートは借金のかたに、北の鉱山で働かされているらしい。若返りの秘薬は手に入らなかったが、毎日汗を流す生活で、少なくとも健康にはなったそうだ。
「さて。今日も若々しく、最高に幸せな一日を楽しみましょう!」
セリーナは輝くような笑顔で、新しい人生を謳歌するのだった。
お読みいただきありがとうございました!
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