「そんな令嬢はいなかった」と公爵令嬢は微笑んだ。
ディヘル・ベルート伯爵令息はものすごい美男だ。
自分の顔に自信を持っていた。
だから、最高の女性と結婚したい。
そのような願望を持っていた。
この王国で最高の女性と言えば、プリメイラ・アフェル公爵令嬢。
ディヘルと同い年の15歳。
この王国の貴族は15歳から婚約が許される。
だから、父ベルート伯爵にディヘルは頼み込んだ。
「私は最高の女性と結婚したいのです。
この王国の最高の女性といえばプリメイラ様。どうか私と婚約を結べるように取り計らって貰えませんか」
父は思い切り顔を歪めて、
「はぁ?何を寝言を言っているんだ。プリメイラ様はゼルド王太子殿下と婚約を結ぶ事になっている」
「ゼルド王太子殿下と?」
「この王国でお前が目につけた最高の女性を王家が目につけていないと言いたいのか?15歳の歳になったら王太子殿下と婚約する。これは王家と公爵家の話し合いで決められていた事だ。諦めろ」
なんて事だ。
憧れのプリメイラ様。
貴族なら誰しもいく王立学園でプリメイラ様を見かける事がある。
取り巻きの令嬢達の中でも一段と美しく気高いプリメイラ様。
銀の髪に緑の瞳の麗しい令嬢で。
金髪碧眼の美男のゼルド王太子殿下と共に並んだら絵になる位お似合いで。
それを言うなら金髪碧眼の美男である自分だって負けてはいない。
王太子殿下と張り合う程の美男だって自信がある。
だから、ディヘルは婚約の申し込みが出来る15歳になった途端、婚約の申し込みが殺到した。
美男というだけではなく勿論、ベルート伯爵家の事業が順風満帆で、婚約してベルート伯爵家と近づきたいと言う貴族は多くいる事が大きな原因だが。それでも、男だって顔だ。顔。ディヘルは誇らしかった。
王立学園でも女生徒から声をかけられる。
「一緒にお昼は如何」
「お話をしてみたいわ。ディヘル様」
私はプリメイラ様と親しくなりたんだっーーー。もう手遅れだろうけど。
手に入らない女性程。欲しくなるのが男というもの。
しかし、王太子殿下の婚約者を誘惑する訳にもいかず、下手したら不敬で家が潰されかねない。
毎日毎日イライラしていたら、とある日、見てしまったのだ。
ゼルド王太子殿下が、ピンクの髪の令嬢と抱き合っているところを。
場所は中庭である。
これははっきりいって浮気?浮気だろう。
どうしたらいい?
背後から声をかけられた。
プリメイラだ。
ディヘルはプリメイラに、
「いいのですか?王太子殿下が女性を抱き締めております」
プリメイラはじっと二人が抱き合っているのを見つめながら、
「良くないわね。わたくしという婚約者がおりながら、他の女性と。結婚前から関係を持つだなんて。わたくしを馬鹿にしておりますわ」
「それではどうするのです?」
思わず聞いてしまった。
プリメイラは、視線を二人から外さず、
「そうね。どうしようかしらね。あの女、許さないわ」
プリメイラはそう言うと、廊下を歩いていってしまった。
許さないわとプリメイラは言った。
ディヘルは背筋がぞっとした。
許さないってどうする気なんだ?
帰ろうとしたら、例の中庭で王太子殿下と抱き合っていたピンクの髪の令嬢を見かけた。
ディヘルは声をかけた。
「君の名前は?」
「あの、いきなり名前を尋ねられても困りますっ」
「中庭で王太子殿下と抱き合っていたのは君だろう?」
「えええっ?見られていたんですか?だって、王太子殿下。可哀そうな人なんですもの。愛していない人と婚約しなくてはならないだなんて。いつも私に言っているんです。プリメイラ様は堅苦しくて鬱陶しいって。それに比べてアリサは癒されるって。私、とても幸せで。ねぇ。男爵家の娘だけど、私が王妃様になった方が王国民も喜ぶと思うの。私の優しい笑顔を見れば皆、元気になってくれるわ。私、綺麗なドレスを沢山着て、皆に笑顔を振りまいて。きっと王太子殿下も癒されて私の事を大好きって言ってくれるに違いないわ」
とんでもないと思った。
なんて事を考えているんだ。この令嬢は。
だから注意した。
「高位貴族を舐めない方がいい。君は男爵家の令嬢だろう?だから身分を弁えて」
「煩いわね。私は王太子殿下に愛されているのっーー邪魔しないでっ」
アリサっていうんだ。あの女。
自分は注意した。
だからこの後のことはどうにもならない。そう思って諦めた。
翌日から、ピンクの髪の男爵令嬢が学園に来なくなった。
友達の伯爵令息が、
「なんでも元々、そんな令嬢いなかったって事にされたらしい。プラド男爵家の娘だろう。
彼女。プラド男爵家もなかった事にされるんじゃないか?王太子殿下に手を出したのだから」
ぞっとした。
これがプリメイラのやり口か。
あの美しい顔の下は恐ろしい顔を持っているに違いない。
ゼルド王太子殿下がプリメイラに向かって、どなった。
「お前が愛しいアリサを退学に追い込んだんだろう?私がアリサを愛している事を知っていて焼きもちを」
プリメイラは平然と、
「アリサっていうのですか?その男爵令嬢。わたくしは知りませんわ」
「お前しかいないだろう?いかに私を愛しているからってそんな酷い事をするだなんて」
「そもそも最初からアリサって女、いなかったんじゃありません?学園の学生の記録を調べてみたら如何?退学に追い込んだというけれども、いなかった生徒を退学にすることなんて出来ませんわ」
ゼルド王太子は調べたようだ。
アリサという女生徒はいなかった事にされていた。
ゼルド王太子はキレた。
教室で皆がいる前で、
「プリメイラ・アフェル公爵令嬢、お前との婚約を破棄する。愛しのアリサを退学させて、お前は氷のように冷たい女だ。私はお前と一生を共にする気はない」
「愛しのアリサですって?いなかった生徒を退学にすることなんて出来ませんわ。夢でも見ていたのでは?」
平然とプリメイラが答えたので、ゼルド王太子殿下はプリメイラに突っかかった。
思わずディヘルはプリメイラを庇ってしまった。
庇った後でどうしようと思った。自分はただの伯爵令息。思わず前に出てしまった。
「女性に暴力はいけません。王太子殿下」
「お前の名は?」
「ベルート伯爵家の息子です」
「伯爵家の息子ごときが、私とプリメイラの問題に口を出すつもりか?」
ゼルド王太子に睨まれた。
プリメイラは、
「わたくしは本当に何もしておりませんわ。お調べになったら如何。
でも、婚約破棄は受け入れます。王族が一度、口にした言葉。取り消すことは出来ませんわ。よろしいですわね?」
ゼルド王太子は大きく頷いて、
「ああ、アリサはきっと殺されたに違いない。この人殺しの女と結婚するなんてまっぴらごめんだ」
優雅にプリメイラはカーテシーをしてその場を後にした。
確かにアリサは存在した。実際に話をしたし、それが夢でなかったという証拠に友達の伯爵令息もアリサという女性がいたと言っている。
プリメイラは一緒にアリサを中庭で見たのに、いなかったんじゃないかと言った。
アフェル公爵家がアリサを消したに違いない。
ぞっとした。
怖い女。これが公爵令嬢の、アフェル公爵家の力?
だったらなんて女性に恋をしたんだ。自分……
目が覚めたような気がした。
友達の伯爵令息が、
「先生から言われた。アリサ・プラド男爵令嬢の事はいなかったことにしろと。他の生徒達も注意をされていた。どういうことだ?」
家に帰って父からも注意された。
「プラド男爵家の娘に関して、そんな娘はいなかった。いいな。お前も肝に銘じておけ」
「誰に言われたんです?その命令は」
父は答えなかった。
更に二日後、ゼルド王太子殿下が学園に来なくなった。
急な病で学園を休学するらしい。
あんなに元気よさそうだったのに。
プリメイラを婚約破棄したことが原因か?
どうしてなんで?
背筋が寒い。
プリメイラは平然と、取り巻き令嬢達とおしゃべりをしている。
ちらりとプリメイラがこちらを見て微笑んだ。
前は胸がときめいただろう。
何故、こちらを見て微笑んだ?
どうしてなんで?
プリメイラが優雅にこちらに近づいて来て、
「わたくし、王太子殿下に婚約破棄されてしまいましたの。嫁ぎ先がなくなってしまって。
貴方の家に嫁ぎたいわ。正式に申し込みがあると思うので、これからよろしくお願い致しますわね」
「何故、私なのです?どうして?伯爵家では貴方の嫁ぎ先にふさわしくないでしょう?」
「貴方の家は事業も上手く行っているわ。貴方に嫁ぎたいと言ったら両親も賛成してくれたの」
ディヘルは声を潜めて、
「私が貴方と共に、中庭での王太子殿下とアリサという女の浮気を目撃したからですか?」
「あら、何それ。王太子殿下は誰とも浮気をしていなかった。アリサという女が存在したか他の皆に聞いてごらんなさい。誰も知らないと言うから」
「プラド男爵家は存在するのか?」
「プラド男爵家?息子が一人いるけど娘はいないわね」
プリメイラを教室の隅に呼んで、
「君が……君がアリサを亡き者にした?アフェル公爵家がアリサを?」
プリメイラは嫣然と微笑んで、
「場所を図書準備室に移しましょう。ここで話す事ではないわ」
図書準備室に連れていかれた。
プリメイラは本を手に取ってパラパラとめくりながら、
「そうね……貴方と一緒に目撃したのはまずかったわね。わたくしのいら立ちを貴方に見せてしまった。あの女が憎いと思っている心のうちを。わたくしは王太子殿下を愛していたわ。いえ、違うわね。王太子殿下の婚約者という立場を愛していたのかも。だから、あの女に王太子殿下が浮気をしたのが許せなかった。わたくしというものがありながら。ねぇ……王太子殿下はわたくしと婚約が決まった時、喜んでくれたのよ。こんな綺麗な人と婚約出来るだなんてって。でもね。わたくしと一緒にいると堅苦しいんだって。どうしてよ。わたくしにあの無能みたいにへらへら笑っていろと言うの?」
プリメイラは本をバタンっと閉じて、悲しそうな顔を一瞬した。
でも、こちらを睨みつけるように言い放った。
「だから、いなかった事にしたの。最初から王太子殿下が好きな女はいなかった事にしたの。王家も公爵家も面目を保つために、プラド男爵家の娘はいなかったと方々に圧力をかけたわ。あの女がどうなったか?ですって。さぁ、骨も残っていないかもしれないわね。骨を残すような始末はしないから」
プリメイラはそう言うと、ディヘルに向かって、
「ゼルド様は離宮で療養することになったわ。わたくしと縁を切ったのですもの。アフェル公爵家に泥を塗ったのですもの。王弟殿下が王位の後を継ぐことでしょう。ああ、話をしすぎたわ。貴方、わたくしとの婚約を受けてくれるわよね」
なんて恐ろしい。なんて激しい……そして、なんて……悲しい……
プリメイラは恐ろしい事をディヘルに話した。
その上で婚約を強要した。
でも、その心の奥に、本当はゼルド王太子殿下を愛していた傷ついた女性を見た気がした。
美しく気高いプリメイラ。
でも、心の奥は普通の女性と変わらない。
なんて愛しい。
ディヘルはプリメイラに跪いて、
「貴方と婚約致しましょう。でも、私の妻では貴方は物足りないかもしれません」
「そんな事なくてよ。これから先、よろしくお願いするわね」
プリメイラの手の甲に口づけを落とした。
アフェル公爵家からの婚約の申し込みに両親は喜んだ。
ベルート伯爵家の事業に援助を貰えば、更に大きな事業をすることが出来る。
ディヘルは幸せだった。
最高の女性を手に入れたのだ。
ずっと好きだったプリメイラ。
まさかあんな事件が起こるとは思わなかった。
ゼルド元王太子が学園に現れたのだ。
プリメイラに向かって突進してきて、
「お前を婚約破棄した事が原因で私は離宮で生活している。お前を再び婚約者に戻る事を許す。お前が戻れば私は王太子として復帰できるだろう」
プリメイラはゼルド元王太子に、
「貴方はわたくしの事を愛していましたか?」
「ああ、愛していたとも。アリサの事は気の迷いだった。私が好きなのはプリメイラだけだ」
「わたくしの好きな花を覚えていますの?貴方が初めてわたくしにプレゼントしてくれたあの花を」
ゼルド王太子は答えられなかった。
臣下が事前に調べて気を利かせ、用意していたのであろう。
だから本人は覚えていないのだ。
プリメイラを見て思った。
貴方は自分自身の心をズタズタに切り刻んでいる。
見ていられなかった。
だから、ディヘルは、
「貴方の好きな花は桃色の薔薇です。これから沢山、貴方に桃色の薔薇の花を贈りますから」
そう言って、プリメイラの手を握り締めた。
プリメイラは泣きそうな顔をして、
「そうね。ゼルド様はわたくしの事なんて覚えていてくれない。解っていた事だったわね」
体格の良い護衛騎士達が、
「さぁゼルド様。離宮に帰りましょう」
「我々の馬車で」
「触手を使ってドアを開けますから」
「三日三晩かかっても送り返しますから」
護衛騎士が訳の分からない事をいいながらゼルドを連れて行った。
そして彼は離宮から行方不明になった。
屑の美男をさらうという変…辺境騎士団がさらっていったらしいと人々は噂した。
プリメイラは完璧な令嬢だ。
嫁として迎えるには、背筋がぴんと伸びる気がするくらい緊張している。
それでも、彼女の傷ついた心に寄り添いたい。
彼女を幸せにしてやりたい。
あんな悲しそうな顔をさせたくない。
ディヘルはプリメイラと会う為に今日もオシャレをして、出かける準備をするのであった。
春の日差しが温かく、支度をしているディヘルを照らしていた。
プリメイラは一人、馬車を泊めてとある更地に降り立った。
「王太子殿下をたぶらかしたアリサという令嬢はいなかった。わたくしも、愚かだったわね」
と、ちらりと更地の方を見やると、優雅に微笑んだ。
何事もなかったかのように、再び馬車に乗って、その場を去って行った。




