3.大公家での婚約破棄
そしてとうとうトリニティが最も恐れていた事が起こってしまった。それも大公家主催の華々しいパーティ会場で、カールロイが婚約破棄を宣言したのだ。
「アーガード伯爵令嬢!今ここにカールロイ・エセルスト侯爵令息の名において、貴様との婚約を破棄すると宣言する!」
その日、王弟である父、前大公アズヴェルト・グレゴーニュから大公位を継承した大公子、レオンハルト・グレゴーニュがその地位を受け継いだ事を祝う記念式典が開かれ、このパーティはそれを祝福するためのパーティだった。ローゼンバイン王国の主だった重鎮、ほとんど全ての上級貴族、そしてレオンハルトの伯父に当たる国王を含む王族も招待されている国を挙げてのパーティである。
まだ王族や重臣達が来ていないとは言え、そんなパーティの直前にまさか婚約破棄を宣言するとは、婚約破棄を覚悟していたトリニティでさえそれは予想できなかった。
しかもカールロイの隣には嫌らしい程ピンクのドレス、ピンクの靴にピンクのアクセサリー、髪飾りまでピンクに統一したあのマーガレット・ギルティ男爵令嬢が彼の腕にしがみつくようにいや、しっかりとしがみついている。
ああ・・・。トリニティは頭に手をやってため息を付きたくなるのを堪えた。3年間カールロイを見てきて、もはや自分達の関係は修復できない程壊れてしまっていると思いつつも、まだ婚約関係が続いている以上、望みを捨てたわけではなかった。
卒業記念パーティでも嫌な態度は取っていても、決して言うべきではない最後の一言は口にしなかった。だからまだほんの少しだけ信じていたのだ。まさかこんな大きなパーティでそれを口にするとは・・・。そこまで彼は私の事を憎んでいたのだろうか。大勢の人の前で恥をかいて、あざ笑われればいいと?
「お前は3年間、婚約者である私に贈り物どころか手紙もよこさず婚約者の立場に安穏と胡座をかいて座っているだけだった。そんな奴に私の婚約者を名乗る資格はない!今すぐ婚約を解消し、新たにこのマーガレット・ギルティ男爵令嬢と婚約を結び直す事とする!」
贈り物どころか手紙さえよこさなかったのは自分も同じなのに、さもトリニティに落ち度があるようにカールロイはまくし立てた。第一あの状態のカールロイに手紙や贈り物を贈っても、その場でゴミ箱に捨てられるか突き返されただろう。
言ってやったとばかりに互いに見つめ合うカールロイとマーガレットを見て、トリニティは震える両手を身体の前でぎゅっと握りしめた。周りの人々のあざ笑うような呆れたような視線が体中に突き刺さるような気がする。
もうすぐ遅れている父と母も会場に到着するだろう。それまでアーガード伯爵家の尊厳だけは守り抜かなければ。この男に・・・このような男とあんな女に辱められたままには絶対出来ない。
トリニティはすうっと息を吸い込むと無表情に、しかしその瞳だけは彼を射貫かんばかりに見つめ、口を開いた。
「婚約破棄の件、エセルスト侯爵はご存じなのですか?」
「む。何度も言っているが聞き入れては下さらん。だがマーガレットに会えば父も理解するはずだ。なぜなら私は真実の愛に目覚めたのだから。地味な見た目の貴様と違って、このマーガレットの輝かんばかりの美しさを見よ。彼女こそがこの私の横に並ぶにふさわしい。何の取り柄もない貴様にも分かるだろう」
確かに彼が学院で引っかけていたのは皆金髪の美少女だった。余程自分と同じ金髪が好きなのね。いや、彼は自分が好きなのだ。整った美しい容姿の自分自身が・・・。
「まあ、真実の愛が容姿に左右されるとは知りませんでしたわ。そう言えばシフォナ・フォーゲルス子爵令嬢にもアン・キーリー男爵令嬢にも、その他大勢の女生徒達みなに君との愛こそが真実の愛だとおっしゃっていたとか。あなたの真実の愛って、随分と軽薄な博愛の精神ですのね。全ての人を等しく愛す。素晴らしいお心がけだわ。さすがエセルスト侯爵家の跡取りですわね」
トリニティの嫌味を込めた言葉にピンクの男爵令嬢は「カール様ぁ?」と訝しげな顔つきで彼を見上げて居る。周りの人々もカールロイに対してかなり批判的な言葉をひそひそと囁き合っていた。そしてカールロイと言えば反論も出来ないようで、うなり声を上げながらトリニティを睨み付けた。どうせこのあと来る言葉は分かっている。傲慢な男は、とにかく大声を出して相手を萎縮させれば女は黙るしかないと思って居るのよ。
トリニティの思惑通り、興奮のせいで真っ赤になったカールロイは堪えきれず大声で叫んだ。
「お前のような生意気で気が利かない女は・・・!!」
「婚約破棄の件!!」
カールロイの言葉をトリニティも良く通るはっきりとした声で遮った。
「速やかに遂行させて頂きます」
今までの人生で一番美しいカーテシーを披露すると、トリニティは踵を返した。そのまま自信に満ちた表情でゆっくりと歩き出す。
まだだ。まだ泣いては駄目だ。ここを出るまで、いえ、屋敷に戻るまでは私はまだトリニティ・アーガード伯爵令嬢でなければならない。ただのトリニティに戻っては駄目・・・。
周りに居るたくさんの人々が呆然とそして好奇の目で自分を見ている。だがその表情ははっきりとは分からない。みんな顔のないお化けが並んでいるみたいだ。だが、何故だろう。たった一人、周りの他の誰よりも背の高い彼だけは、はっきりとその表情が読み取れた。このパーティの主人公であるレオンハルト・グレゴーニュ大公閣下。
まるで絹糸のように上品な輝きを放つ黒髪。見る者全てを魅了する深い紫水晶の瞳。若干18歳で近衛騎士団の副団長に任命され、27歳の今では王国内で右に出る者は居ないとされる剣の腕を持つ彼の、寸分の隙も無い鍛え上げられた肢体からは、まるで王のような威厳が滲み出ている。
大公としての資質もさる事ながら、この国の国王の甥であり王弟殿下の息子という高貴な血筋と類い希な容姿、近付くのさえ憚られる荘厳な雰囲気を身に纏う彼は、人々から“完璧閣下”と呼ばれている。
そんな今回の主役である彼は、何故かトリニティの事をとても心配しているような瞳で見ていた。何か言いたげで、でも言ってはいけないと思っているような複雑な表情。
どうしてそんな悲しそうな目で私を見るの?余りにも私が哀れだから・・・?
トリニティが会場を出た後、レオンハルトは思わず後を追おうと足を踏み出したが、その腕を誰かが掴んで彼を留めた。侍従のジャン・クリスナーがその瞳に静かな怒りを溢れさせながら自分を見上げている。
「ジャン・・・」
責めるように自分の名を呼んだ主人に、彼はその暗い瞳を近づけた。
「閣下、トリニティ様の事は私にお任せを。必ず無事にお屋敷まで送り届けます。閣下はご自分の仕事をなさって下さい。この場を収めなければ。それにあの愚か者共を放って置いても宜しいのですか?」
いいはずがない。3年間もの間彼女を苦しめ蔑ろにし、挙げ句人々に嘲笑されるのが分かっていて、こんな公の場で彼女を辱めた。その首を100回叩き切っても飽き足らない。
「ジャン。彼女を頼む」
頷いた忠臣が会場を後にするのを見送ったレオンハルトは、一歩一歩ゆっくりと愚か者達に近付いた。




