エピローグ・1
客間を抜けた先には仕事をするデスクなどが置かれたワークスペースがある。そこの窓から雪溶けを与える温かな日差しが入ってきていた。また、窓から覗くと、二月終わりの雪溶けの景色が眺められる。
そこから右手に進むと物が乱雑に置かれた物置スペースがあった。もはや広さなどは分からない程に、物で溢れ返っていた。
「さあ、ここから片付けをして、一人分のスペースを作っていこうか。」
どうやらモタロー探偵事務所に新たな社員が加わるようである。
「一応、事務的仕事よりも実務的な仕事メインだから、そこまで広いスペースは用さないんだけどねぇ。」
「にしても、ここ、物が多すぎですね。」
従業員三人で、物をワークスペースの空いている所へと置いていく。
「モタローさん。これ使うんですか?」
ガラクタの物も存在する。
「いやぁ、変装グッズとして使えるんじゃないかなぁ、ってねぇ。」
ガラクタの他にも備考用の衣装やアイテムなども嵩張り、一室を圧迫していた。
「まあ、テトリスみたいに上手くはめて収納して行けば、何とかスペースは作れますね。」
ダンボールに包まれた何かを綺麗に重ねる。あまり使わない衣服は畳み、少しでも使いそうな物はハンガーに吊るしていく。
ガラクタをダンボールにパズルのように詰めていく。
「こうやってダンボール箱が増えていくんですね。」
「いやぁ、細かいことは気にしない、気にしない。」
「おいおい。後回しにし過ぎると後で後悔せんか。」
何とか三人の努力で、スペースを確保できた。そこに一回り小さめの机と椅子を用意した。溜め込んでいた物置の中に偶々あったのだ。机も椅子もアンティーク調の家具なためか、その場所にはどこか似合わない感じがある。――が仕方がない。
ただ、椅子に関してはどこかで見たことのあるものだった。そして、思い出を振り返ると人生図書館で女性が座っていた椅子だったことを思い出した。
「まあ、これで迎え入れられるねぇ。」
その場で一安心をする。
次の日となり、モタロー探偵事務所に一人の来訪者がやってきた。
ボサッとした見た目。黒っぽい雰囲気が漂う。
多少なりとも見た目には気を使っているのかもしれないが、全く足りていない。
「何故、君がここに?」
「聞いてねぇのか? 今日からここで働くからに決まってんだろ。」猿渡驚輝は何を言っているんだ、と言いたげな表情で言ってきた。
彼は客室の椅子へと腰掛けた。
布の暖簾を推し避けてモタローが客室へとやってくる。
「今日からよろしくねぇ、驚輝くん。」
「ああ。こちらこそよろしくお願いします。」
気だるそうな、弱々しくも荒々しい低い声だった。
「君は捕まったんじゃないんですか?」
その問いに対して鋭い視線が一瞬向けられた。
「ああ、そうだよ。何か文句でもあんのか?」
「いいえ、文句はありませんが……。」
彼はため息混じりに話していった。
「俺ァ、あの後、警察に捕まって拘留されてたんだ。五日目にして、大金を支払う代わりに外に出ることが出来たんだ。」
つまり、拘留後、五日目に保釈されたということだ。
「で、念願の妹と再開した。余命二週間と少し。その僅かな時間は人生で二度とない幸せな時間だった。アイツはアイツのしたいことに残りの人生を費やした。一人で出掛けるのも親友との時間も、帰ってきた時の笑顔はとても良かった。」
徐々にしんみりとした雰囲気が支配していく。
「もちろん俺との時間もあった。残された家族としての時間も楽しんでくれた。最後なんだ、奮発しかしなかったさ。最後の日、昼は贅沢にステーキでも食べてよぉ。最後の晩餐は俺が引き継いだお袋の味の、オムライスだ。店みたいにトロトロじゃねぇ、薄っぺらな卵なんだが、それが一番良いんだとよ。そうして妹は安らかに息を引き取ったさ。」
思い出に耽けている。
彼の瞳は潤っていた。
「幸せな時間だったよ。もう会えないんじゃねぇかと思ってた大切な人が、もう一度幸せな姿を見せてくれるんだからな。幸せな日々だったよ。」
彼は煙草を取り出したが、モタローに「禁煙だよ」と言われてポケットに戻した。
「まあ、保釈金で金もなかったから、借りなきゃならなかったが、裁判待ちの俺に貸してくれるとこなんてねぇんだ。そこで個人的に借りることにしたんだ。」
「闇金かい?」
「違ぇよ。金利十九パーセントで合法らしい。」
「結構足元を見られているみたいですね。しかし、返せるのかい?」
利息の高さからそれなりの返却リスクが高いことが分かる。
「安心したまえ。借金については給料から天引きしていくから問題ナッシングだよ。」
貸して利息十九パーセントにしたのはモタローだったようだ。少し突っ込みを入れたくもなった。
「そんな訳でモタローから金を借りて豪遊しまくっちまった。で、裁判が始まって俺は懲役刑に課されたが、そこに執行猶予が付いた。晴れて外に出られるようになったって訳だ。まあ、生きていくための軍資金もないから、それもモタローから借りたんだがな。」
「それで借金を返すために、ここに就職したって訳ですね。」
「簡単な話、そうなるな。」
彼は立ち上がった。モタローの方へと歩いた。彼の背中がよく見える。
「なあ、ルイン」と後ろ向きで話していく。
「どうしたんです?」
「一心不乱に金を稼ごうとしたこと。アンタの過去改変の邪魔をしたこと。俺は、その今までの行動に、後悔はしてねぇ。だけどな、後ろめたさはあるんだよ。」
視線が斜め下の床へと移っている。
「亡くなった人とかに、申し訳ねぇと思ってる。だからこそ、罪滅ぼしをしてぇんだが、俺は執行猶予付きの前科持ちさ。人助けするにも金がねぇし、金を貯めるにも前科者を雇う所が全くねぇ。だから、ココに感謝もしてるし、ココで罪滅ぼしもしてぇとも思ってる。」
彼は次の日のように締めくくった。
「モタロー探偵事務所で必死に働いて、誰かの役に立って、死ぬまで終わらねぇ罪滅ぼしをしてぇって思ってるんだよ。この気持ちは揺るがねぇ。ということで、これからよろしくな。」
その言葉は真っ直ぐ飛んできたのが分かった。それに偽りはなさそうだ。
彼はモタローに連れられて事務の部屋へと進んだ。
「おいおい。俺の机、みんなと違わねぇか?」
「仕方ないさ。君は基本、事務ではなく実務を担当するんだからそんな大きい机はいらないだろうからねぇ。」
「まぁ、いいけどよぉ、そこら辺にあった予備をただ置いた感じがするんだよな。」
それを聞いて「気のせいじゃないかな」とハハハと笑っていた。
「一つ良いか。実務って具体的に何をするんだ?」
「依頼によって様々さ。それに応じて、必要なスキルも違ってくる。例えば、不倫調査の依頼なら尾行をしなきゃならない。迷子のペット探しなら探索スキルが必要だね。他にも監視カメラを仕掛けるとか盗聴する、もしくは監視カメラや盗聴器の発見、必要なことは山ほどあるんだよ。まっ、一つ一つ覚えて行けばいいんだよ。」
彼は聴きながら頷いていた。
初めは覚えることからスタートする。これは仕事の鉄則だ。そして、それを教えることが会社の腕の見せ所だ。
「それでなんだけど、君の教育係をルイン君にお願いしようと思うよ。」
「えっ。」いきなり不安感が押し寄せた。
「ルイン君は見習い探偵の肩書きだったけど、もう卒業しても良いと思うんだ。今までの頑張りを見て、そう思ったんだよ。」
心の奥底から放たれる信頼が勇気を出させる。その勇気が不安感を霧祓いしようとしていく。
「今のルイン君は立派な探偵の一人さ。これは俺が責任を持って言える事実さ。」
勇気が打ち勝ち、前へと進む心が独占する。
「えぇ、頑張ります。」
「驚輝くんのことを、よろしく頼むよ。」
五歳上の部下ができた。
「よろしく頼むぜ。先輩っ。」
新たな兆しが射し込んできた。
新たな世界が開けていく。
彼の最初の質問は「最初に聞きてぇのは、煙草はどこで吸えばいいんだ?」というものだった。
「やれやれ」と心の中から溢れ出して言った。
明るい日差しが探偵事務所を照らしていた。