豪華客船爆破テロ事件
一――
汚れのない白い床。色なき世界は際限なく続き、まるで終わりなき地平線のよう。天を見上げた所で何も無い。空も宇宙も、太陽すら存在しない。あるのは無だけ。
そんな場所に複数置かれた昔ながらの趣のある本棚。そこに詰められた本は人生のたった一部分を記されている。まだ空白の本棚も幾つかあるが、それでもその厚みは計り知れない。
一つの本だけ眩く光っている。
タイトルは『二十七歳──豪華客船爆破テロ事件』というものだ。
この事件によってルインは一度死んでいる。死因は爆破テロによる被害に会い、爆風によって亡くなった。
この事件を変えるためには幾つかの過去を変える必要があった。そして、その幾つかの過去を変え、ついに死を覆すための過去改変に挑むことになったのだ。
この場所には本棚以外に椅子が置かれてあり、そこには一人の女性が座っていた。その徠凛という女性は意味深な表情を浮かべて、真正面に立っていた。
「ついにこの時が来ましたね。もし過去を変えることができれば、貴方は助かります。抜からずに変えに行きましょう。」
突然、斜めの方向を向き出した。
小声で「本当は紹介したい人がいたのですけど……」と呟く。その声は小さすぎて空間の中ですぐに風に揺らめいて消えてしまった。
再び視線を戻していた。
無の空間の中で静かな時間が流れていた。
「覚悟は決まりました?」「えぇ。」
手に持った光っている本。
その本の頁に触れると、その瞬間から彼の体が光出した。光で包まれていき、無の空間から消えていった。
それを見て「さて――」という声が出された。
二――
名古屋からリニアモーターカーで約四十分少々。そこは目まぐるしい復興を遂げた大都市が広がっている。
首都直下大地震の傷跡も然ることながら、その傷を感じさせない都会の雰囲気が広がる。人々は行き交い、足踏みを止めない。様々な人間が入り組んでいる。
そこから南下して、神奈川県へ。
辿り着いたのは目的の地である横浜港。
そこもまた復興を遂げた町となっていた。海が穏やかに、されど荒れている。
波の音が響いている。
一月の冬の風が靡いていた。
停泊している船は大きく、壮大に漂っている。
その船はタトルクルーズ。これから乗る豪華客船だ。
「これからあの船に乗るんだよ。本来なら高すぎて乗れるはずもない船にね、犬島ルイン君。」
犬島ルイン――。一ヶ月と少々前に、ホスト時代に名が通っていた鳳ルインから本名へと変えることを決めた。ただ、モタローからのお願いで、いつも呼ばれている"ルイン"の字を変えないで欲しいという要望に沿い、氏名だけを元に戻して呼んで貰うことにしたのだった。
まだ、一ヶ月ちょっとしか経っていないため、そのことに慣れるために、彼はフルネーム呼びを時々行うことがあった。と、そう新たに追加された記憶が伝えていた。
「ただ、ウカウカしていられないですからね。」
「もちろん分かってるよ。この船がテロリストに狙われることをね。だけど、常に気を張ってたらせっかくの旅がもったいないじゃないかい。」
全くこの人は、なんてことを思いながらため息が吐かれた。
涼しいを通り越して寒い風が吹かれていく。
時間が有り余っているため、近くの喫茶店で時間を潰すことにした。船から視線と体の向きを来た道へと戻す。
「よぉ、兄ちゃん。まだ一般客は乗客出来へんやろ。もしや、ハマの風でも浴びに来たんか。」
そんな感じでつるんできたのは身長が高めの細めの男だった。着ている和装がオリジナリティを際立たせる。掛けているサングラスからつり目が見えた。
また、彼の斜め後ろにはさらに背が高いスーツ姿の若い男性が立っていた。肉体がしっかりしている。また、表情が読み取れない程、真っ直ぐを見ている。
「おやおや、これはこれは。金太じゃぁないかい? こんな所で何をしてるんだい。」
「こちとら、このタトルクルーズで働くことになったんや。」
「おやおやおやおや。神主の仕事はどうなったんだい?」
「辞めたわ。あのまま続けてたら命が持たへんからなぁ。そや、先言うとくわ。二泊三日のこの船旅で、油断ならへん事件に巻き込まれるかもしれへんのよ。乗るんなら、覚悟しとくんやな。」
「安心したまえ。覚悟ならとうにしてあるのさ。」
「そーかい。口だけじゃ危険性なんぞ伝わらへんよな。ひとまず、先で待っとるわ。」
彼ら二人組みはそのまま船へと向かっていった。ゲートの内側を進み、船へと入っていった。
「モタローさん。彼らとは一体どのような関係なのですか?」
「あの人は金 太一。高校生の頃に部活動が一緒だったんだ。クラスメイトにもなったこともあるんだよ。それで、彼のニックネームが金太なのさ。」
つまり、その金太とモタローは同学年のため、現在は三十九歳かその前だと考えられた。
物思いにふけながら、ふわふわとした感じで話していく。
「懐かしいよ。あの部活で、俺は推理力を伸ばすことができたんだ。それが探偵をする最初のきっかけと言ってもいいかも知れないねぇ。」
探偵を目指すべききっかけになった部活。なんだろうと思いつつ、探偵部、だと安直か、などと考えていた。どうしても答えが知りたくなり「何部ですか?」と聞く。
「オカルト研究部だよ。特に、学校の七不思議の調査は今でもやり甲斐があったと感じてるよ。」
さらに、物思いにふけっていく。「その後、俺は探偵の道へと行ったけど、彼は家柄的に神主になったんだよねぇ。それも彼は伊勢神宮の神主だったんだよ。」
彼はターンをして、言い放った。
「楽しみになってきたねぇ。」
ため息をつきながら「この船での目的を忘れないで下さいね」と零した。
乗客の時間がやって来た。
船へと繋がるタラップを踏みしめて進む。このタラップに設置された巨大なアーチ型の機械。洞窟みたいに長く続く。よく見ると入り口に「アトム株式会社」と白く貼られてあった。
中はまるで別世界のような不思議な空間を通っていく。何も問題なく通り過ぎた。
厳重なるシステムが安全性を高めさせる。
安全じゃないか、と思わせる程に。
ただ、ルインは知っていた。未来において爆弾を爆発させるのが嘴平亥という男ということを。その男が警備会社の管理職という立場ということを。つまり、外部から防いでも内側から防げなければ意味が無いことに気づいていた。
やはり、安全ではない。
そんな答えに辿り着いていた。
客船クルーに歓迎されながら船内へと入った。やはり、豪華客船と言えるほどの内装をしている。身分違いな感覚を与えていく。
二人に用意されている部屋は地下にある。
階段を降りていく。
地下のその階は部屋が敷き詰められていた。床は鉄となっているが、丸い凹みの羅列が深々しい趣を与えていて安物感を与えさせない。それなりのクオリティを生み出している。さすがあの大企業ツルヒグループが造ったと言わざるを得ない程のクオリティだ。
部屋へと入る。
豪遊する船旅に最低限の設備がなされている。トイレとガラス張りのシャワー室。アメニティもしっかりしている。壁に付いている長い机。その上にドライヤーと黒色の紙袋が置かれてある。広いとは言えないが狭いとも言えない二つのベットの上には花形に畳まれたバスタオルが置かれてあった。
「やはり、最初にすることは一つだね。」
彼は靴を脱ぎながら、ベッドへと思いっきりダイブをした。ベッドでぐるぐると寝転がっている。「いいねぇ。これでこそ豪華客船だねぇ。」まさに浮かれ過ぎて、ベッドの上をふわふわと跳んでいるようだ。
机に置かれてあった黒色の紙袋の中身を見る。
中には一枚の置き手紙とアタッシュケースが置かれてある。
紙には『モタローへ』という書き出しから始まっていた。
「んー。何の手紙だろうねぇ。どれどれ『カジノの軍資金に使ってくれ』だってねぇ。『プレゼントフォーユー』だなんて嬉しいよ。」
アタッシュケースを開く。
中から束になった万札が敷き詰められていた。
「ドラマとかでしか見たことないお金が出てきましたね。」口元がたじろいでいる。
「俺も初めて見たよ。流石にこれは恐れ多いよ。」
光ってはいないはずなのに光り輝いているように見えるのは脳のせいだろう。
一度アタッシュケースを閉じた。
「一人だけ心当たりがあるんだよねぇ。もしそれが当たっているならカジノに行くしかなさそうだよ。」
引き攣り笑いを浮かべながら話していた。
一度、そのことを一旦忘れることにして、二泊三日の旅の身支度を整えることにした。
*
船内に併設された施設には様々な物があった。海を一望できるデッキ。マッサージを受けられるリラックスルーム。揃いに揃った器具があるスポーツジム。船の上で楽しむ映画館。レストラン会場には舞台が用意され、決められた時間にショーが行われる。喫茶店やバーなども存在。昼間から使える大浴場なども併設されていた。
そして、カジノ施設も併設されていた。
薄暗い明かりの中、緑色のカーペットの上に置かれてある様々な台。そこにはディーラー等のクルー側と金の猛者が入り交じっていた。
手に持ったケースが心をドキマギさせていたが、この独特な雰囲気がさらにドキマギさせていく。
「ようやく来よったのぅ。怖気付いて来ないんやないかと内心冷や冷やしとってなぁ。さて、与えた軍資金でどれだけ増やせるか楽しみやのぅ。」
「やっぱり君の仕業だったか。まずは感謝を述べよう、ありがとう。そして宣言するよ。俺はギャンブルに勝って終えるつもりだ。」
「面白い。やれるもんならやってみな。」
制服姿に身を包む眼鏡をかけたディーラー。やはり、彼の斜めには体格の良い無口な男性が立っていた。
換金所でお金をチップに交換する。
まずはブラックジャックというゲームに挑戦することにした。ここのディーラーは彼ではなく、朗らかそうな男性だった。
隣に優しそうな白髪のおじいさんが座る。
彼は過去に置いて共に爆弾を探した人だった。ただし、それを彼が知る由もないが。
よろしくと言って微笑むが、前を向いた瞬間鋭い視線をカードに向けていた。それを傍から見ていく。
配られるカード。六と八。
カードを追加する。そのカードはジャックだった。六と八と十一。合わせて、二十五。つまり、この時点で負けである。
一斉に手札を見せる。一番近い数字だったのが白髪のおじいさんで二十一ピッタシだった。
こんな感じでこのゲームを五回繰り返した。
結果は二勝三敗でチップを幾つか失った。
今度はポーカーに挑戦をする。
今度は金太がディーラーだった。「楽しもうや」と悪い笑みを浮かべていた。その後ろで立っている者同士で会釈をした。
最初は二、二、五、九、キングの絵柄揃いなしでワンペア。そこから五、九、キングを返却。そこからエース、二、八が来て、ツーペアとなった。だが、相手は二枚揃いと三枚揃いのフルハウス。つまり、負けだった。
勝ち負けを繰り返す一進一退の展開。いや、着実に負けは嵩んでいる凡退。少し損をする結果となった。
「次は、もっとスリリングな勝負をせんかい?」
「面白いねぇ。その勝負とはなんだい?」
「ルーレットや。」
いいねぇ、と頷いていた。
「これはタイマンでやらせて貰うで。」
ディーラーと賭け人モタローの一対一。初手はイーブンに賭け、見事六に入り配当を得る。続いて、黒のカラー、一から六のラインに賭け、黒の二十四を引き当て、何とか少々の利益を得る。
これを八回は繰り返した。
勝負はモタローのジリ貧負けの状態となっていた。
「さっきからアウトサイドベットが多なってないか? 漢ならインサイドベット一択やないか?」
その挑発に乗り、黒の八、赤の二十三、赤の三十四にストレートアップ――それだけに賭ける。案の定、当たる訳がなかった。
次で十回目。
その勝負を見ようと観客が数人集まっていた。
お互いに緊張が走っていた。
「次で終いにしようや。イーブンかオッドにチップを全部賭けろ。この二択。天はどちらに味方するか試さんとなぁ?」
持っていたチップを全てイーブンに賭ける。
しかし、彼はまだ不満を持っていた。
「それだけなんか。ウチがあげた軍資金だけで、己は金一品も出しまへんってな。そりゃあ、大層ケチい奴なんやろなぁ。」
「……やるしか無さそうだね。」
仕方なく換金所で持ち金をチップに変える。そして、それをイーブンに置いた。
観客が盛り上がっている。
「残念やが、結末は"オッド"フューチャーやで。とやかく、やりましょか。」
ウィールが回転し、そこを鉄の球が転がった。コロコロと転がりながらも高度は下がっていく。勢いは弱まっていき、ついにポケットにボールが入ろうとしていた。
フワッ。
鉄の球は赤色の一に入っていった。
「残念やったな。奇数に入ったんで、アンタの負けやな。天はウチに味方したんや。今回はウチの顔を立てておくれや。観客の皆の雰囲気を壊したかないんでなぁ。精々恨まんでくれな~。」
地べたを這っている。
悔しい思いを胸に秘めたままその場を去る。
静かな廊下で悲しすぎて回っては地べたを這うモタロー。
「まあ、僕はギャンブルには参加しなかったので、賭け事以外のお金については何とかなりますから、落ち込まないでください。」
「いやぁ、悔しいんだよ。」
一桁の子供が玩具欲しさに駄々を捏ねるみたいな姿をしている。それを見て絶句しかけた。
落ち着きを取り戻し「イカサマにすぐに気付いて指摘できなかったことが一番の悔やみだよ」と言い放った。それを聞いて「イカサマ?」と訪ねた。
「そうさ、仕組まれていたんだよ。仕組みはきっと簡単だね。単純に磁石の球と磁石のポケットを使用したんじゃないかな。例えば、もし奇数なら反発し合う球を、もし偶数なら引き付け合う球を出せばいいって訳さ。」
ため息混じりに「まあ、あの場に他の客で囲まれていたことや、このようにどちらかに全額賭ける展開を初めから仕組まれていたこと、俺の異議ありを『顔を立てろ』だとか『客の雰囲気を壊さないで』とかで制止されたこと。そのどれもが彼に負けたと思わされてしまうんだよ」と深く吐き出された。
情けない姿で歩いていく彼を見て、少しばかしの吐息が漏れてしまった。
浮かない顔して部屋へと向かっていく。前方から黒のフードを被った、俯きがちな男が近づいてきた。身長はルインと同じぐらい。全面黒のコーデに目元を隠す程長い黒髪。そして、黒のマスク。もはや、黒ずくめの男だった。
トンッ。
少し肩がぶつかった。
「あっ、悪ぃな」と彼は言った。
その時、ルインは何処かで聞いたことある声だなと感じた。
彼もまた何かを感じとり、「何故、お前が」と呟き、それに対して「何処かでお会いしましたよね?」と訪ねた。
ほんの少しの間。
彼は「アンタ、名前はなんて言うんだ?」と聞く。それに応じて「犬島ルインさ」と答えた。
彼はすぐに「犬島……人違いだったみたいだ」と言って踵を返した。背中は全身黒のフード付きロングコートで隠されていた。
彼は見えなくなっていた。
二人はそのまま部屋へと向かう。
「何処かで会ったような気がするんですけどね。声も聞いたことがあるような……。ただ、思い出せないんですよねぇ。」
ボサッとした長い黒髪の男。ダラッとした男に見覚えがあっても思い出せない。
「まあ、長い船旅さ。お互い船の中にいるんだし、またすれ違うんじゃないかな。その時にきっと思い出すよ。」
そのまま部屋へと辿り着く。
彼は「憂さ晴らしだ」と言って、思いっきりベッドにダイブした。
時間は刻刻と過ぎて夜更けとなる。
大浴場で固まった息を吐く。
ここまでは過去改変する前と同じ歴史を辿っている。それを思い耽ながら「モタローさんはきっと何度繰り返してもカジノでぼろ負けする運命なんですよね」と独り言を呟いた。
それが聞こえたのか「俺の恥晒しの運命は変えられないのかい?」と跳ね返ってきた。
「それよりも変えないといけない件がありますから」と跳ね返した。
そして、残念、と言いながら風呂の中でクルクルと回転していた。全く公共の施設で傍迷惑だ。
三――
穏やかに揺られながら遊覧していく。
二日目の朝が来た。
優しく流れていく波と霜焼けの朝。顔を洗いぼやけた視界をすっきりさせる。
優雅に朝ご飯を頂く。バターを付けて頂くクロワッサン。新鮮なレタスや輪切りオニオン。ウインナー、ハム、スクランブルエッグがご飯を進ませる。
この船には様々な施設がある。時間を潰すことは容易だった。
昼に近づき、無謀な挑戦を行った。客船クルーから「何言ってるんすか」と聞く耳を持たれない。当たり前だ、未来から過去に戻ってきたなんて信じる訳もないのだから。そんな彼は後に爆弾を解除するのに協力する一人であった。
「流石に、直談判は厳しいですかねぇ。」
爆弾が持ち込まれてあるなんて、他人からしたらただの戯言に過ぎない。入客の段階で厳重な警備によって持ち運ばれないようにされていたのだから尚更だ。
そこに電話が鳴る。
モタローが受話器を取った。
「何の用か分からないけど船頭デッキに来てくれだって。」
彼に付いていき、船の外にやってきた。備え付けのプールは稼働していない。一月の外のプールは絶望的に寒すぎる。吹き晒す風が寒さを与える。
船先に立つ一人の男。
和服姿の細長い男だ。サングラスをかけている。そして、近くには例の男が付いていた。
潮風に打たれながら、彼は顔だけをこっちに向けた。
「急に呼んで悪かったのぅ。」
生まれつきの鋭い瞳がチラリと見える。
彼はこちらを向き、船先の手すりに手を置いた。
「何の用事だい? いやぁ、寒いから早く終わらしたいと思ってるんだけどねぇ。」カジノでイカサマによって負けさせられたことを根に持っているのか、どこか風のように冷たい。
「実はのぅ、昨日のカジノでイカサマまでして勝たせて貰ったんよ。その理由も含めて紙に書いといたから読んでくれへんか。それと、一つ言い訳でもさせてくれへん。仕方なかったんよな。どうしても負かせなきゃあかんかったんよ。」
近づいて来て、一枚の紙を渡してきた。
その際に肩に手を置いていた。
その紙を見てはすぐに閉じる。
「ほれ、そこに大事を書いとった。上手く飲み込んでや。それと他人に見せたら混乱するんと思うで、見せん方がええで。これは忠告やなくてアドバイスやな。」
まるでヤクザみたいな出で立ちに勝手に付与される圧。その先はこのまま部屋に戻るのが以前の流れだった。だが、今回は違う風に進んでいくようで、モタローが口を開いていった。
「実は信じられないとは思うけど、《過去を変える力》で過去へと戻り未来を変えようとしている人を知っているんだ。」
肩に手を置かれた。
「そうだよね、ルイン君。」
「えぇ。そうですね。」
その流れを見て「そうやったんか」と驚きを隠せないでいる姿を見せている。
すぐに彼は簡単に笑っては素面に戻った。
「じゃあ、伝えといても簡単に飲み込んで貰えそうやなぁ。」
彼のオーラが一気に変わっていった。
「驚くことなかれ。ウチは《未来を変える力》を持っとるんや。ただ、条件があってな。ワシはその能力を扱えのぅでな。」
少し矛盾した内容に首を傾げる。
「ワシの力は配下に力を与えるっちゅう能力や。配下とするには、ちょいとワシに屈しないといけへんのよ。そんな訳で、カジノで大敗して貰う必要があった訳なんや。」
「なるほど、それでイカサマまでして勝つ必要があったのですね。能力を分け与えるために。」
「そうや。この船は大変な事が起きるんや。ワイのボディガードを勤める熊谷昌苅もワシの能力を与えられた者なんや。」
親指で指差しされた彼は軽く会釈した。やはり、無口っぽい人柄みたいで、言葉は発していない。
「して、コイツの能力は【未来を予知する力】や。遠い未来や確定しない未来程、ぼやけて曖昧になっちまうが、近い未来は簡単に予測できるんや。」
そこでようやく無口な彼が口を開いた。
低音が響く力強くも抑揚のない声だった。
「この船、爆弾が仕掛けられてて、ドカーンするかもしれない。明日、みんながパニックになってる。みんな大慌てで。壁とかに……『エメーゲンクイ?』と『ダンゲー』の文字がいっぱい出てくる。」
「そんな訳で、アンタらの力が必要なんや。アンタらの力添え次第で、爆破を防げるかも知れへんらしいからなぁ。」
「安心すると良いよ。元々、爆破テロを止める気でこの船に乗り込んでいるからね。」
「そりゃあ、頼もしいなぁ。」
少し笑みが零れているようだった。
話が一段落ついた。ここで終わりかと思いきや、まだ話したいことがあったようだ。
「実はもう一つ大事な事があるんや。」
「何だい。そろそろ寒すぎて凍えそうなんだけどなぁ。」
露骨に腕を体に擦り寄せて寒そうな演技をしている。
「理由はあれども、イカサマまでして仲間だったアンタに酷い目を合わしちまった。これで解散じゃ筋が通らへんもんな。」
彼は予め渡す予定だったのか、すっと二枚のチケットを渡してきた。
「部屋のチケットや。ワンランク、いやツーランクぐらい上の部屋を用意しとったから、明日まではゆっくりと楽しんできな。」
それはただでさえ豪遊のこの旅に、さらに金をかけたほんの少し豪華な部屋。普通に手も足も出ないはずの部屋だった。思わず「こんな豪華なものを……」と言いかけた。
「いいんや。ってか、貰っとくんやな。客船クルーにそれを持って言えば、すぐにでも変えてくれるはずや。」
「いいのかい。貰っちゃうよ。」
「こりゃあなぁ、金の話や。なあなあじゃあかんやろ。それぐらいすんのが当たり前っちゅう話やからなぁ。」
彼と、金太のボディガードはそこから去っていった。
「寒いし、早く室内に戻ろうか。」
室内へと向かう道中、気になったことを共有する。「未来で起きる壁に出てくる文字『エメーゲンクイ』と『ダンゲー』とはどのような意味なんでしょうね」と。
そのことについて全く興味がないようで「それはあんまり考える必要はないと思うよ」と返された。
エメーゲンクイ。ダンゲー。どういう意味か、頭に引っかかって取れない。
それに気付いたモタローがそれを外す。「多分、それ、緊急事態――emergency――とか、危険――danger――とか、じゃないかな。」
それを聞いて「あ!」と漏らした。そう、爆破テロが起きることを知っている二人にはもう必要ない情報だったのだ。
*
二人組みの客船クルーがすんなりと受け入れて対応する。一人は短髪の男性で社会人生活も慣れてきていそうな雰囲気がある。片方は少し色黒の男性で、社会人経験が浅そうな若者だ。
こうなることを予知していたみたいに動き出しが早い。
「お話に聞いております。お荷物をお持ち致しましょう。」キャリーケースを託す。
その二人のことを見たことがあった。爆発があった過去に置いて、共に爆弾を探した五人の内の二人だった。
先頭を歩く二人がボソボソと何かを話し始めた。若い男が同じ社員に話しかけ「やっぱりあのディーラーさんの言ってたことが本当になったじゃないっすか。やっぱり未来が見えるって本当なんすかね?」「んな訳ねぇだろ。初めから部屋を予約してただけだろ。んなことより集中しろ。客様の前だぞ。」「承知っす。」そんなコソコソ話が聞こえた。
階を跨ぎ、三階へとやって来た。
空室だった、これから二人の宿となる部屋へと入っていく。
綺麗に整備された狭い一室。されど、先程の部屋よりも充実した設備となっている。すぐそこの浴室。トイレ。手洗い場。縦にも横にも長めに作られた机。鏡台のようなものも付いており、その下にはタンス式となっている。そこに座ってメイクもできるように工夫されてある。ツインベッドはとても広くより優雅である。
もちろんこの部屋ではないものの、この部屋と同じ内装の部屋で爆弾を探したこと、そこで爆発があったことが思い出された。
荷物を出し終え、部屋へと出た。
そこに一人の女性と遭遇した。
色白のスレンダーボディ。女性にしては背が高め。スラリと伸びるワンピースが華やかさを彩っている。
彼女は会釈をして、隣の部屋へと入っていった。
「あの人、女優の結城燐音じゃないかい。」
その姿にピンときたモタローの言葉を聞いて、スマホで検索する。結城燐音、五十二歳。最近は女優活動を控えているみたいだ。同じく芸能人だった夫に先立たれ、一人残りの半生を過ごしているようだ。
また、爆弾を探すのを手伝った一人であった。
何も無い扉を見ながら、あの景色を思い返していた。
「やはり、豪華客船ともなると名のある人と出会いやすくなるのかねぇ」などと浮かれている。
その足で喫茶店のある場所へと向かった。
その道中で見た事のある制服を来た男性を見た。深緑の制服。その服にはアトムの文字があった。
「アトムの……警備員さん?」
「おや、貴方は確かモタローさんとルインさんかぁ。社長から耳にしておりますよぉ。」
語尾の長い人だった。
見た目は金髪でスッとした顔立ちでイケメンと言える分類だが、声は変にゆっくりしていて独特なため、カッコ良さを打ち消している感じを与える。
「貴方達によってぇ、怪盗エーワンの件で社長の不祥事を明らかにしたじゃないですかぁ。そのせいでツルヒグループの傘下から離脱することになったのですよぉ。それにぃ、ツルヒは警備部門を独自に作ったせいでぇ、戻る所もなくなりましたしぃ。」
「それはご愁傷さまだねぇ。」
「全く貴方らのせいじゃないですかぁ。梯子を下ろされた我々はマジで窮地に立たされてるのですからぁ。」
ゆったりとした言葉を放つ彼が続ける。「自己紹介忘れてましたねぇ。俺ぇ、こう見えて組織の幹部なんすよぉ。それだけヤバイから俺が送られたんですけどねぇ。そんな俺の名ぁ、前原雨譚って言うんですよぉ。まー、覚えといてぇ。」
独特なオーラが溢れ出ていた。
そんな彼に普通なら奇天烈な未来の事実を伝える。この船には爆弾が仕掛けられていて、後に爆破テロに合う、と。
「そんなことないじゃないですかぁ。来る時に検査されましたよねぇ? 持ち込むなんて不可能なんですよぉ。」
「もし最初に仕組まれていたとしたら可能かも知れませんよ。その爆弾に関わった人を一人知っていまるんです。これも同じ未来で見た話ですが、その人は嘴平亥という人です。知っていますか。」
少しだけ動揺した表情を見せた。
「我が社員ではあるがぁ。いーやいやぁ。もし爆弾があればすぐに気付くんだよぉ。各通路に検査機が仕掛けられてあるからぁ、危険物や薬物が通ればぁ、すぐに気付くからぁ、そんな心配ぃ、しなくていいんだよぉ。」
何ともないような顔を見せるが、汗が残っていた。しかし、これ以上は聞く耳を持たなそうだ。
「まぁ、何事も無いからぁ、楽しい旅を楽しんでなぁ。」
そのまま歩き直していった。
それを見て、二人も歩き直す。
「やはり、受け入れられないですよね。」
「そうだねぇ。まぁ、それも込みで俺たちも動かなきゃならないねぇ。」
対策はしたくとも、どうしようもならない現実。現実逃避も含めて、喫茶店でエスプレッソを口に入れた。苦い味が目を覚ましていく。
*
ついに三日目がやって来た。
午前中はソワソワしながら過ごすも何事もなかった。しかし、夕暮れ過ぎになると異変が現れた。
どうにかして対策したいが対策できない二人は船内を歩いていた。そこに深緑の制服を来た警備会社アトムの社員雨譚が慌てふためいていた。その動揺はまるで荒波に揺れているかのようだ。
「黒フード黒マスクに包まれた不審者が箱型のアタッシュケースを持ち込んだんだよぉ。その不審なケースの中に検査機が反応してさぁ、この豪華客船を丸ごと吹き飛ばす程の威力ある爆弾が入っているって出たんだよぉ。」
それを聞いた二人の客船クルーがその不審者の元へと向かう。
憔悴しきった彼が「本当なんだよぉ。見るかい、この画面」と言い、その画面を見せようとする。チラリと不審者の姿が映っていた。
それを聞いて、見て「爆弾の一件、本当でしたでしょう」と言い、客船クルーの後ろを追った。
電子版のような物が壁に、英語で緊急事態や危険という文字がデカデカと映し出されていた。それを見た人々は慌てふためいている。
怪しい人物のいる部屋は奇しくもモタロー達の部屋と同じ階にある。
階段を登った先に部屋がある。
ここまで来る間に「不審者が不審物を持ち込んだ。その不審物はこの豪華客船を丸ごと吹き飛ばす程の威力ある爆弾が入っている」という情報が既に出回り、逃げ惑う人々も出てきた。だからと言って、船のため逃げる場所なんてないのだが。
階段を急いで降りてくる一つの影。真っ黒のフードにマスク。長いボサボサの髪が目を隠している。その人物こそ爆弾を持ち込んだ不審者だった。
「ルイン君。俺は運命的に彼を追わなきゃいけないみたいなんだ。爆弾の方は任せたよ。」
そんなことを言って、不審者を追って行った。
残されたルインは階段を登っていく。
三階へと辿り着いた。
一人の女性が声を掛けてきた。すらりとした老いを感じさせない出で立ちの彼女の名は燐音。「騒がしくて外に出ましたら『爆発物が見つかった』と聞きまして。わたくしも爆発物を探すのを手伝いに行こうと思っていた所ですの。貴方もソレを探す手伝いをしにいくのですわよね?」「えぇ。」「では、わたくしもついていきますわ。少なくとも役には立って見せますわ。」
例の部屋へ二人で向かう。
部屋に辿り着くと、そこには先客クルーが二人と、カジノにいたおじいさんがいた。
そこに居合わせたのは五人。
五人で部屋の隅々を探していく。
浴室を覗く。箱型のケースが入れられそうな場所は限られているため、ここにはないと考えられた。また、船内をよく知る客船クルーが手洗い場にもないと宣言した。
「ワシは月下美家具屋の経営者――竹月や。家具のことなら任せとき。」
長めの机を調べていく。ありとあらゆる引き出しを調べていくが、めぼしい物は何も見つからなかった。引き出しの棚をとりだすも、やはり何も無い。
燐音は「ベッドが怪しいんじゃないかしら」と若いクルーと共に調べていく。しかし、布団にもそれは見当たらない。その下にもない。ましてや、ベッドの中を破いていったものの何も見つからなかった。
探している間にもそれなりに時間が経ってしまっていた。
「なんで見つからないんすかね。」
「ちっ。あぁ、うぜぇ。んなにも見つからねぇってこたぁ、きっと不審物を持って部屋を出たんだ。ここに隠されたと、はっきりとは言えねぇからなぁ。」
「マジっすか。じゃあ俺っち達がやってること意味無かったってことっすか?」
「知らねぇよ。ただ、そういう可能性があるってこった。ひとまず俺は、持ち出されていたことを考えて部屋の外を確認するわ。」
客船クルー同士の会話から、先輩と思われる男がそこから離脱した。
残された四人。以前はここでルインも離脱した。しかし、そこで爆風に巻き込まれたのだ。つまり、「僕はこの部屋にあると思うんですよ」と考えられた。
「いいや、外にあるに違いない。こんなに探してもないなら、ここにあるはずがない」と竹月。
彼はそう言いくるめて残った客船クルーに「そうっすかね」と言わせ、部屋から出させた。また、女性も外へと出させることに成功する。残されたのはルイン一人だけだった。
「アンタも早く外を探さんかい。」
強引に襟を掴まれた。
突然の出来事に扉近くへと進んでしまう。そこで振り払うことに成功した。
「何をしとるんだね。時間がないのだよ。中にはない。外を探すしかないんだ。」
「いいえ。爆弾はきっと中にあるんですよ。」
「そんなことはない。」段々と頭に血が上っている。
「実は、この未来を経験したことがあるんですよ。その時は部屋の方から爆発が起きたんです。ありえない思われると思いますが、これだけは事実なんですよ。」
「その未来での出来事は気の所為だ。まだ一回しか経験したことがないのに、よく断定できるな。」無我夢中で繰り出された言葉だろう。
それを聞いて我が物顔で踵を返す。
それを見て、ハッとした表情を浮かべていた。
「そこまで必死になって外に出そうとするのには理由があるんですよね。もしや、部屋の中にあるのでしょうかね? プレイヤーXさん。」
「知らんな。だが、もうタイムアップだ。アンタらは時間を掛けすぎてる。爆発の場所まで来てしまったからな。」口調が変わった。
彼は窓の外を見ていた。
チラリとその方向を向く。建ち並ぶビルの夜景。夜更けの中に光が目立ち初めている。建物――いや、町が近い証拠だ。
「爆弾について何か知ってるのか。答えろ、プレイヤーX!」もはや余裕はない。刻刻一刻の時間は過ぎていた。
「さぁな。そもそも教える訳ねぇだろ。」
彼はポケットに手を入れては戻した。そして、ため息を吐いていた。
「まあ、いい。もうそろそろタイムアップだ。」
ちょっとした沈黙。
そして、その後にピーという音が響いた。
目の前が真っ白の煙で覆われる。体が熱い。だが、そう感じたのも束の間、意識はそこにはなくなっていた。
突如、放たれる爆発に巻き込まれたのだ。
船は木っ端微塵となり、近くの建物を巻き込んで、夜の町に悲しい音を響かせた。その時、海は大荒れし、堤防にうち返った波が雨のように降り出していった。
*
目の前には真っ白な景色が広がっていた。茶色系の本棚が良いアクセントになっている。
手に持った光る本。
「早く爆弾を見つけなければ。しかし、何も検討がつかないね。」
そこに、椅子に座った彼女が話しかけた。
「あの人と協力し合えればいいのですけどね。」
「あの人とは……プレイヤーXのことですか?」
「はい。そう名乗ってるみたいです。協力し合えれば、きっとこの事件も何とかできるのではないかと思いますよ。」
そう言われても、プレイヤーXと協力し合える予感は一切感じなかった。
何も手応えがないまま本を開いた。
とりあえずページに手のひらを置いた。光に包まれていく。
四――
《21》
「犬島……人違いだったみたいだ」と言って、その場から去っていく不審者。
彼にバレないようにひっそりと付けていく。
探偵業で培ったスキルが尾行に気付かせない。まるで忍者のように、足音は海原に消えた。
三階にある自室へと入っていく。
それを見送った後、胸ポケットからシャーペンを取り出した。シャーペンの蓋を外すと、そこからカメラが現れる。それをドア付近の場所に設置した。
自室へと戻り、アイパッドを起動する。
早送りで確認しながら、怪しい動きがあるかどうかを確認する。その日は怪しい物を持っている形跡はどこにもなかった。
次の日。金太に呼ばれ終えた先、三階の部屋へと移動する。部屋の荷降ろしが終えたら、すぐにアイパッドを確認した。やはり、怪しい動きはないようだ。
時間の余った午後。
船先にある船長室に直談判しに行った。
船長の名は駱駝岩スフィア。パンフレットにもそう書いてあった。実際に会うと男勝りな、けど女性らしさもある女性だった。
信じて貰えるか分からないが、一か八かで客を避難させるようお願いする。
「馬鹿か。俺らは客を楽しませるのが仕事だ。意味のわからない理由で、途中で降船しりゃあ、人生で一度きりかも知れない最高の船旅を味わえることができんのか? デート、慰安旅行、老後の楽しみ、いずれにせよ、この船に乗ったからには最高の思い出を求めてるってこと。それに応えず何になる。」
白い帽子がズッと睨む。
俺っ子の彼女は手をしっしっと動かした。
「こっちも忙しいんだ。戻って、頭パーにして、最高の思い出を作りやがれ。」
門前払いをくらってしまった。
仕方なく自室へと戻る。
戻った後、再びカメラを確認するも目立った行動はしていなかった。
その日もまた、何事もなく時間だけが過ぎていった。
そして、ついに三日目。
船に乗り込んだアトムの警備員が悲鳴をあげていた。不審物をチェックするセンサーが発動したようだ。
憔悴しきった彼が「本当なんだよぉ。見るかい、この画面」と言い、スマホに映る画面を見せようとする。
「それは何処か分かりますか。」
「レストラン会場と厨房の間にある検査装置だぁ。そこから北に向かって三階へと向かって反応しているよぉ。」
つまり、厨房のある廊下から爆弾が持ち運ばれたと思われる。そこを中心に探していけば爆弾が見つかる可能性が出てきた。
そのまま三階の部屋へと向かっていく。
その合間にアイパッドで盗み撮っている映像を確認していく。不審者の男は何も持たずに部屋から出ていった。
つまり、爆弾は部屋にあると考えていいだろう。
階段を登っていく。
そこに階段を降っていく黒フードの男。
目の前に追ってきた男がいる。以前同様に見過ごして、モタローに追わせるべきか。それとも――。
体が勝手に動いていた。
階段上、つま先で押し出して飛び出す。飛び出た手がその男のフードに掴み離さない。
バランスを崩した二人は段差に衝突しながら転げ落ちていく。床は波に揺られて低い位置となり、少し高い位置から揺らめく床へと衝突した。偶然の産物で、怪しい男が下になったお陰で、最初の衝突の被害を部屋しながら少しだけ床を転がっていった。
「痛ってぇなぁ。」その男が口元を抑えながら立ち上がる。やはり、何処かで聞いたことがある声だった。
ルインもまた立ち上がった。
その男がマスクを外す。横に向かって口から唾を吐き出した。少しだけ赤い血が混ざっている。
フードが外れ、マスクも取れた。その顔が顕になる。ボサッとした手入れのされていないような髪。乱雑な髭。そして、少し粗暴な見た目。その姿にピンと来る。
「君は確か……『龍の宮』の幹部の猿渡君ですかい?」
「ああ、そうだよ。まっ、『龍の宮』はもうないけどな。」
彼は猿渡驚輝。元『龍の宮』の幹部だった人間だ。ルインにとって、彼との時間は一週間にも満たず、さらには半年前とのこともあって、頭の中から忘れ去られていたが、何も遮られていない顔を見て思い出させることができたのだ。
「君が爆弾を所持していたのは分かってる。どうして爆弾なんか仕掛けたんです?」
ゆっくりと詰めていく。
彼は少し余裕がないような素振りを見せた。
「指示されたからだ。この仕事の対価がいいんだ。たんまり金が入るんだ。」
「しかし、死んだら意味がないでしょう?」
「いいんだ。生命保険にも入って、死んだら死んだらで金が入る。たんまりだ。」
「なんでそこまでして――。」
彼は少しため息混じりに言った。
「俺には妹がいるんだ、意識不明の重体のな。意識を取り戻すため、アメリカにゃそういう手術ができるらしいが金が沢山いる。俺が例え死んだとしても、報酬金や生命保険料は全て妹の治療のためのお金として使う契約になってんだ。」
その妹の話を聞いたことがあった。つまり、彼は金のために自らの危険を試みずに悪事に染めているのだ。
「金のためなら何だってするさ。俺ァ、守銭奴なんでな。」
彼は落ちたマスクなど気にもくれずに口元を抑えながら走り去っていった。それをモタローが追っていく。
ルインは階段を登っていく。
不審者の正体は猿渡だった。その事実が点と点を繋げていく。
例の部屋へと辿り着いた。
そこには客船クルー二人と竹月の三人が血眼になって爆弾を探していた。
隠された場所がピンと来ているため、その場所へと一直線へと向かう。
縦にも横にも長い机には鏡台が付いている。椅子が入るようなスペースも存在している。そのスペースをチラリと覗けば、何も見当たらない。
「そこには何もないぞ。実はワシ、月下美家具屋の――」なんて声が聞こえる合間に手を伸ばす。
そのまま見れば何も無い。しかし、奥に入れる程、違和感が現れていく。腕が現れていくのだ。
トン、と何も無いはずの空間に壁が現れる。その壁のようなものを思いっきり押し出した。
カゴッ。
それは斜めにズレて、床へと落ちた。その板を取り出した。
「なんと、鏡か。」
そう、鏡が斜めに立てかけられてあったのだ。奥を下に、手前を上側にして斜めにかけることで、鏡の反射によって地面を映し出す。それが何も無いような錯覚させるのだ。それも丁度の幅のため違和感がなく、余計に何も無いように錯覚させられていたのだ。
爆弾を持っていた不審者の正体は猿渡だった。彼は一度、鏡やミラーガラス等の製作を請け負い、同時大火事に一躍買っていた。その事実が鏡を使ったトリックだとルインに気づかせたのだ。
下の中から爆弾だと思われる箱が見つかった。慎重にそれを取り出していく。
それに気付いた三人が近くに来た。
「見つけたんすね。」
箱は物騒な程シンプルな四角形だった。
前方は何やらスマホのカメラみたいな物が付いていた。
「後は解除するだけっすね。」「解除なんてできんのか? 海にでも投げ捨てたらどうだ?」
次は爆弾の処理のフェーズだ。
慎重に触れていく。
そんな時に、箱から声が流れた。
「いやぁ、爆弾見つかったんだね。彼の鏡のトリック、面白いけど実用的ではなかったようだね。」
その声に聞き覚えがあった。『龍の宮』の幹部の一人。夢でも現れた男。嘴平亥の声だった。思わず「亥――」と呟いた。
「ほう。僕のことを知っているようだね。まあ、だからと言って、すぐにこの世とおさらばしなければならないけどね。」
薄暗い声が部屋に響いていく。
「まずはおめでとう。トリニトロトルエンに、『エメラルドクリスタル』の研究に関わっていた時に見つけたその宝石の元原石。それを組み合わせ、研究と改良をして生まれた結果できた爆弾さ。T・N・T箱と名付けると素朴だし、つまらない。そこで、Nを『エメラルドクリスタル』の原石のMの文字を組み合わせて、その箱を僕はこう呼んでいるよ――T・M・T箱、とね。」
ふふふ、という音声が流れてくる。
この部屋はとてつもなく重かった。
「余談は不必要だったかな。実は、目標地点で爆発させるのが第一のミッションだったんだけど、爆弾を見つけられた時点で爆発させることになっているんだ。第二に、この船を爆発させれば問題なしとのことさ。いやぁ、楽しみだよ。ずっと楽しみにしていたんだ。人生最大の爆弾を爆発させることを。僕にとっての人生最大の花火だ。」
彼の笑い声が部屋に響いた。
後ろから小さく「イカれてるっす」と聞こえた。
「あー、そうそう、そのTMT箱。解除する方法はないんだ。中を開けても解除は不可能。もちろん、赤や青の線を切るといったアナログな仕掛けもない。というのも、これは遠隔操作式なんだ。僕のパソコン一つで簡単に爆発させられるんだよ。今は何でもリモートで事済む時代だからさぁ。」
どうしようもない空気感が息を止めさせる。
時間が止まったかのように動けない。それほどの重い雰囲気に覆われていた。
「この最高の花火を楽しむためのだけにわざわざ高い所を貸し切って貰ったんだ。精々、僕の望む素晴らしい花火を繰り広げてよ。」
笑い声が響いている。
爆弾を持ち上げた。海に向かって投げかけようと試みた。
「無駄なあがきだね。まあ、タイムオーバーにしようか。」
そして、遠距離にいる彼はこう言った。
「残念だったね――。」
その声が頭の中で反芻して響いていく。
箱は拡張し、周りを明るくも黒黒しい光と煙を広げていった。熱波が周りを溶かしていく。
残念だったね、の声が反芻されながら、図書館へと戻されていった。
五――
《22》
「流石に関係者以外は立ち入れないようですね。」
厨房部屋への入室は固くお断りされた。
横にある食料庫は関係者以外立ち入り禁止であり、セキュリティロックで固く閉じられている。
近くにあるトイレ。隈なく探すが、男子トイレに異常はない。また、清掃員に頼み込み女子トイレへと入る。やはり、爆弾物は無さそうだった。
「残るは自販機ルームですね。」
しかし、そこにもめぼしい物は置かれていなかった。
そこに二人の男女ペアがやって来た。
一人は竹月だった。
「ほっほ。カジノで大勝負した人じゃないか。ワシはあんな勝負が大好きでね。ハラハラさせられたよ。」
彼らは飲み物を購入した。
「おぬしらはどこかの経営者か何かかい?」
「いいえ。しがない探偵事務所の所長と助手だよ。」
「そうなんじゃな。凄い額の金を持っとったから、どこの豪邸人かと思ったわい。一応ワシらは月下美家具屋の経営者なんじゃよ。もし、家具が必要な時はいつでも買いに来ると良いぞ。」
朗らかに話してきた。
彼らは飲み物を持って、その場を去ろうとする。「あっ、自己紹介がまだじゃったな。ワシは竹月鳥爾。こっちは妻の花じゃ。一期一会。良い出会いを。」
そうして二人は過ぎ去っていった。
二人も自販機で飲み物を買う。
「そういや、その爆弾魔の彼はそう言ってたんだよね。つまり、ビルの貸し切りではないと思うんだ。本当に貸し切りが行われたらの話だけど、とても高くて眺めの良いばしょが一つピンと来る所があるんだよ。」そう言って、モタローはスマホを取り出して電話し出した。
電話を終えた頃には飲み物を半分ぐらい飲みきっていた。
その後、二日目は簡単に過ぎ去っていった。
三日目の夕暮れ時。
ルインは一人、三階の部屋が並ぶ場所に立っていた。
そこに怪しい箱を持っている黒フードの彼がやって来た。
「前回、録画していて良かったですよ。何時に、そしてここに来ることが分かりましたからね。」
彼の前に立ちはだかる。
「待ってましたよ。猿渡君。その爆弾を引き渡して貰おうか?」
「なっ、アンタ、何故それを。」
突然走り出し、思いっきり横に押し出す。それによって尻もちを着いた。すぐに立ち上がり、彼を追う。
優雅な船の中、足音が響き渡る。
足音は異変へと変わる。それに気付いた二人の客船クルー。その内一人が「まさか、待てや」と追ってきた。残る一人は「さっき入った爆弾の件っすか?」と聞こうとするが、とっくに置いていかれてしまっていた。
階段を勢い良く降っていく。
降った先に、モタローが待っていた。
「これは俺が追った方がいい感じだよね。」
それに対して「いいえ、僕が追うので――」と言いかけた瞬間、客船クルーの一人に捕まり床へと押し付けられた。そして、「んな、訳ねぇだろ。行けよ、アンタ。追うんだろ。早くしないと取り逃しちまう」と切羽詰まった声を響かせる。
それを見て「何が何だか分からないけど、行くしかなさそうなんだよね。運命的にもね」と走り出していった。
それを目で追っていく。
押さえつけてるクルーもまた目で追っていて、押さえつけることに集中出来ていない。そこを狙って力を込めて横に転がっていく。
彼の拘束から抜け出すことに成功し、その場で立ち上がった。
服についた汚れを手で払った。
「どうして邪魔をするんです? プレイヤーX君。」冷たく声が響く。
彼はダルそうに頭を搔いた。
片足に重心を置いた立ち姿勢で話していく。
「ったく、余計なことしやがって。せっかく演じやすくてボロが出なさそうなコイツ――片銀大志になれたと思った矢先によぉ。こんなことなら相方の齋藤黄丹にでもなってくれれば良かったのにな。」
独り言が宙を舞っている。
その間には少し温度差が感じられる。
「どうして、邪魔をするのか……。僕には理解が出来ませんね。」
「そんなの、未来が変わってしまうかも知れないからだろ。」
「君は未来を変えて、過去改変を失敗させるのが目的じゃないんです?」
「ああ、そうなんだが、それとこれとじゃ話が違う。アンタがしようとしてたのは、過去戻りに関する全ての根幹なんだ。」
「全く意図が掴めませんね。」
「アンタも無関係じゃないはずだぜ。今までは失敗しても戻されるだけだったと思うが、これは違う可能性がある。アイツが追うことが過去を戻るための根本なんだ。それが揺らぐもんなら、過去へと戻れず、爆破テロは防げないんだぞ。」
冷たい空気が漂っている。
「君が爆破テロを阻止する理由が僕には分からない。被害に遭う僕ならまだしもね。」
彼はポケットに手を突っ込みながら言い放った。「それは俺も被害者だったからに決まってるだろ。」
「つまり、この船に君の本当の人物がいると言うことですか。もしかして僕は君に会っていたりしてます?」「ちっ、否定はしねぇよ。」
今まで謎に包まれていたプレイヤーXの正体が、それを覆う外の筒が剥がれ落ちていく。
頭の中で、今まで船の中で出会った人達を思い返していく。
まず客船クルーの二人、片銀と齋藤は彼が話した内容を考えると違うことが考えられる。燐音のようなお淑やかなタイプでもなさそうだ。
金太の独特な喋りはしていないし、側近にいる昌苅は無口で、違うとすぐに分かる。また、話し方から考えれば竹月鳥爾ではないと思われる。また、その妻でもないだろう。
残るは男勝りな俺っ子の船長、駱駝岩スフィアか。それとも、独特な喋り方をする前原雨譚か。それとも――
ふと思い出される怪盗エーワンの予告状に対して検査をすることになった時に、何故かプレイヤーXが犬島ルイン呼びをしたこと。船にいる合間にそう名乗った相手は一人しかいなかった。そして、その人物と彼が本性を顕にした時に話す話し方が一致した。
「君はもしかして――猿渡驚輝かい?」
彼はため息とともに「正解」と繰り出した。
そして、諦めたかのように天井を見上げていた。
「ったく、煙草が吸いてぇなぁ。」
そう愚痴ってから、正面を向き始めた。
「俺の――負けだ。」そして「正体が見破られるまでアンタの過去戻りを失敗させようと思ってたんだ。だが、正体が見破られちまった今、俺はアンタに協力してやるよ」と言い放った。
ゆっくりと近づいてきて、ルインの肩に手を置いた。
「まっ、この歴史は俺自身も変えたいと思ってるんだ。どうせ過去戻りの最後なんだろ。最後ぐらい協力しようぜ。」
肩から手を離して、そのままゆっくりと真っ直ぐに歩き出していた。
「募る話はあるだろうが、お話は、こんな鉄の塊の中で、狭苦しく騒々しい船内じゃなくて、もっと真逆の場所で話し合おうぜ。」
船という限られた狭い空間。爆弾に怯え逃げ惑う騒々しい音。薄暗い闇夜のこの場所とは真逆の場所。この時は全くピンとこなかった。
彼は肘から上の右手を上にあげた。
さらりと去っていく姿に、思わず呆気にとられてしまった。
彼を追いかけるか、モタローを追いかけるか。どちらか迷っている最中に現れる熱を帯びた煙。その爆風と共に意識が彼方に飛ばされていった。
六――
現実の世界とは異なる永遠に続く空間。静まり返ったこの場所には、虫の音も風の音も何一つ聞こえない、まるで凪を連想させる空間。無色の白に包まれたこの部屋はとても明るく見える。
そこに戻されてからすぐに、そこにいる彼女はニコリとしていた。
「ルインさんに紹介したい人がいます」と徠凛。
ここには二人しかいないと思われていたが、そこに一人が追加される。
白の地べたに胡座をかいて座る一人の男。
体勢を崩して、ラフな座り方をし始めた。
「驚輝くんです。」
彼は、よっ、と手をあげた。
「まさかこんな所に君が来るなんてね。」
「いやいや、初めからいたさ。顔を見せなかっただけでな。」
三人が円を描くように対面した。
彼女だけはどこか愉快に揺れている。
「これで揃いましたね、私達。過去を変える時間がやって来ましたっ。さぁ、過去を変えちゃおー。」無邪気みたいに手を伸ばしていた。
温度差が生じていた。
温かい空気を無視して、冷たい空気感のまま彼に問いかける。
「募る話がありますからね。どうして君はいつも僕の邪魔ばかりしてきたんです?」
「アンタが過去改編に失敗する度に俺にはメリットがある。それだけだ。ってか、どっかで同じようなこと言わなかったか、俺。」
「その、メリットというのが分からないんですよ。」
「そうだな。アンタは失敗する度に助けられない人が増えていくデメリットがあるはずだ。今ではもう二十二人は救えない。そんな聖人的な動機は俺にはねぇ。はっきり言うわ。俺にしかメリットはねぇんだ。」
どこから取り出したのか煙草を手に持ち出した。どこからか現れたライターで火をつけ、蒸す。出てくる煙はすぐに無風の風に消えていった。
「俺は昔、交通事故を起こしたんだ。それで妹は意識不明の重体となっちまった。どうしても助けたかったんだ。一文無しだし身よりもねぇし、そんな俺は手段を選ぶ暇がなかった。だから、『龍の宮』で働いたりもしたし、船でのバイトを受けたりもした。」
「話を折る感じですまないが、船でのバイトはどこから受託したのかい?」
「……あぁ、それか。それが分からねぇんだよな。確かに俺は契約書にサインをした。生命保険にも入って、もし死んだら妹に全てのお金を使うことを約束させた。俺はどうしてか絶対に約束は守られるって思っていたんだ。その相手がいないのにも関わらず、な。」
「すまない、何を言ってるのか分かりません。」
「悪いな。俺だって分からねぇんだ。そこに存在していたはずなのに、頭の中ではいなかったことになってる。ただ、いないはずのその人間なら信用できるって思ってたのも真実なんだ。」
そこに存在するはずなのに、存在しない存在。まさに矛盾だらけの存在。しかし、その事は前例があった。伊勢神宮で神器が盗まれかけた事件の犯人がまさにソレだったからだ。
「まぁ、そんな訳で、荒稼ぎをしてたって訳だ。だがなぁ、俺ァ知ってるんだよ。本当はアメリカで手術をした所で本当はほとんど希望がねぇってことをさ。」
白い煙が吐かれた。
揺らめく煙がすっと消えていく。
「たった一《1》パーセントみたいな希望に掛けてたんだよ。だが、そこに新たな希望がやって来た。頭を悩ます選択肢だったがな。」
この空間にあった彼が持っていた煙草がふっと消える。
「それが、妹が意識を取り戻す。そして、アンタが過去改編に失敗する程に余命が伸びていくってもんだ。つまり、今は二十二日、元気な姿で生きていられるってことだ。」
つまり、それが彼にとってのメリットだったようだ。
「まさにトロッコ問題みたいな究極の選択だった。僅かな可能性を信じてアメリカで手術を受けるか、意識を取り戻すが余命僅かで過ごすか。そして、俺は後者を選んだ。制限はあろうとも妹が確実に助かるんだ。それに――」彼は斜め上を見ながら「俺にとって、元気になった妹と会えるってのは夢にまで見た話だったからさ」と吐き出した。
彼は薄らと儚げな表情を浮かべた。
「他人を生贄にするんだ。非難されることだけどな。それでも、俺はこの気持ちには逆らえないんだ。生きて、妹と、僅かな時間、思い出を残す。だからこそ、俺はこんな所で死んじゃいられないんだよ。だからこそ、俺は、最後には過去改変を成功させたいと思ってるんだよ。」
今までは妹の命を引き延ばすためだった。そして今、彼にとって、過去改変を成功させる時がきたのだろう。
一時的に話の区切りがやって来た。
「二人とも、話は終わりました?」
彼女の一言に頷き返す。
「それじゃあ、作戦会議でもしましょうか。」
真っ白な世界で三人が何も無い所を囲んでいる。
犬島ルイン、猿渡驚輝、雉鼻徠凛。
三人で真剣な顔つきになった。
「初日の乗船前に戻りたい所なんだがな。」
「初日に戻って何をするんです?」
「決まってんだろ。昔の俺をとっ捕まえて、爆弾魔――実は『龍の宮』の幹部だった嘴平亥という奴なんだが、そいつをボコボコにすりゃあいいだろ。ただ、《過去を変える力》を与える展開が必要だから、そんなことはできねぇけどな。」
徠凛が引き顔で彼を見た。「うわぁ、野蛮だぁ。」
そして、両手を少しだけあげて、首を横にふる。やれやれ、というポーズだ。
「本当に野蛮人ですよね、驚輝くんは。そう思いません? ルインさん。」
「まあ、ボコボコにすれば良いなんて言う考え方は少し野蛮かも知れませんね。」
話の流れに乗っかった。
「ってか、俺は"くん"呼びで、ルインは"さん"付けなんだな。」
「それもそうでしょう。ルインさんは尊敬してますからね。」
「おいおい。それじゃあ、俺は尊敬してないってことかよ。」
「えっ、驚輝くんって、尊敬されるような所ってありましたっけ?」
その会話を聞いて思わず笑みが零れてしまった。緊迫するはずのこの時間がやけに和んでいる。
「ってか、ルインも何とか言えよ。」
彼女のイメージが変わっていく。お淑やかでミステリアスなそんなイメージに、人間らしさが加わることで親しみやすさのイメージが増加した。
「まぁいいや。とりあえず、爆弾解除以外にモタローが俺らに《過去を変える力》を与える出来事がなきゃいけねぇ。そのために、まずはモタローがその力を得なきゃいけねぇんだ。確か、《未来》に関する奴から力を貰ってるはずだ。」
「金太さんですね。モタローさんが初日にカジノで大敗をしたんですが、実はそれがイカサマで、イカサマをした理由が《未来に関する力》の付与のために仕方がなかったと金太さんは言ってましたね。」
「つまり、ソレだな。それを言ってたのはいつだ?」
「二日目の朝ですね。」
「じゃあ、モタローが金太って奴に負け、次の日に《未来に関わる力》によって、未来で手にする予定の《過去に変える力》を先取りする。そして、モタローがその力を使って、俺らに力を与える。」
彼女が入り込んできた。
「それで一時的に貴方達も能力を前借りしたんですね。手に入れた《過去を変える力》は三人の部下に力を与える力ですものね。」
つまり、手下と判断されたルインと猿渡が過去に戻る力を手に入れたのだろう。また、残る一人はこの場にいる人であると推測された。近くの女性を見る。多分、そうだろう。
「ということで、この流れだけは絶対に変えちゃいけねぇ。その上で、爆弾をどうするか考えてくぞ。」
「二日目の午前までは下手に変えない方が良さそうですね。」
「そうだな。それとモタローが俺を追うのを邪魔だけはするなよ。」
その後における最善の行動を考えていく。
顎に手を当てて、思い返していく。
「爆弾には線などはありませんでした。」
「ああ、そうだな。それと、その爆弾はリモート製だな。遠くにいる奴が起爆装置を持っている。水族館近くの波止場地点で爆発させることになってるが――」「バレた時点で、爆発しても良いとされているらしいですね。」
「爆弾にはカメラが付いてる。すぐにバレたことを察知できるだろう。それと衝撃を受けたり、水に沈んだりするとすぐに通知されるようになってるらしい。」
「下手に触れば、彼次第で爆発ですね。」
「そういうこった。」
頭を悩ませる。
「じゃあ、その爆弾魔にバレないようにしないといけないってことですか?」と彼女は言う。
「その通りだ。三日目の午後は常に見張ってるはず。つまり、勝負は二日目の午後から三日目の午前中だ。ただし、何度でも言うが、下手に触れば通信によって、奴にバレてしまう。」
如何にバレずに爆弾を対処するかがポイントだ。だが、見つけふだけでなくバレないように処理することが鬼門だった。
「どうにかして爆弾を処理しなきゃなりませんよね。その人にさえバレなければ良いのですけどね。」
彼女の言葉がヒントへと変わる。
そのためにはある物が必要だった。「もしこれさえあれば――」と呟く。
その物について「それなら、俺なら簡単に手に入れれるぜ」と話が進んでいく。
「本当ですかい?」
「ああ。それなら倉庫にあるからな。俺ならそこに入れる。」
「確か厨房横の食料庫や倉庫ですよね。関係者以外立ち入り禁止ですけど……。」
「詳しいことは俺も知らねぇよ。俺に爆弾の運搬を依頼してきたよく分からない存在から教えて貰っていたんだよ。そこのパスワードをな。ちなみに、爆弾もそこにある。」
そこに爆弾があったことが明かされた。ただ、だからと言って、そこで下手に触ることは出来ない。
「正直、俺が誰になるのかは分からねぇが、基本的に、ソレの調達は俺に任せてくれ。爆弾の件もあって、倉庫のどこにソレがあるか、俺なら分かる。物に隠れてるからな、アンタだと絶対に手間取ると思うぜ。」
「ほぅ。あの驚輝くんが頼もしいこと言う~。」
「すまねぇが、黙れねぇか?」
「うわぁ、酷いです~。ルインさん、何か言ってやって下さい。」
朗らかとしたオーラに切り詰めた息がすっと消えていく。
「そうですね。黙れは良くないね。」
「おまっ、何でそっち側に立ってんだよ!」
明らかに場違いなノリ。しかし、それが心の平穏を保たせていた。
「気を持ち直して、ソレの置き場を考えましょう。君が三日目に来れない場合もありますから。」
「そうだな。じゃあ、自販機ルームはどうだ。自販機の左側にスペースがあるんだ。そこなら問題にはならねぇはずだ。」
「分かりました。それではお願いしますね。」
一通りの作戦会議が終わった。
気を取り直して光る本を手に取った。
「ルインさん。驚輝くん。これが最後の過去改変かも知れません。作戦会議を聞いていたらそう思いました。そう、これでルインさんの、この人生図書館は閉館です。まだ終わっていませんから、お別れはなしです。」
バターブロンドの長髪が床に垂れている。ふわりとした服装がなびいている。
「変えた未来の先で、また会いましょう。」
頁に触れた。
彼女に優しく送り出されながら光に包まれていく。また、彼もまた光に包まれたいった。
小さく声が聞こえる。「またここで会えます。きっと――。」
白く広がる世界が見えなくなっていく。
何故か縁をそこに感じていたようだ。だが、否応なく進むべき道を進まざるを得ない。
そして、変えるべき過去へと飛ばされていった。
七――
《23》
船上で見る映画は、独特な感覚で新鮮であった。
スポーツジムの充実感は高い。一般的なランニングマシンを初め、ローイングマシンやベンチプレス、パワーラックなど色々な部位を鍛えることができる。
流した汗を大浴場で流しきる。
用意されたサウナで汗と流すを繰り返した。
「いいねぇ。整ったような気がするよぉ。」
時刻は夕方を回った。
次に行く場所は決まっていた。自販機ルームだ。夕暮れのその場所は無人だった。
「――とても高くて眺めの良い場所が一つピンと来る所があるんだよ」とモタローが電話をかけた。
その合間に自販機の左側のスペースを見た。
そこにはソレは置かれていなかった。
顔を近づけたり手を入れたりして確認するが、やはりそこにはない。代わりに、一枚の紙が自販機に貼られていた。
それを手に取ると、猿渡からの置き手紙だったことが分かった。『全部、俺がやっとくわ』と大きく汚い字で書かれていた。
「どうしたのかい?」
「いえ、何でもありません。」紙を折り畳んでポケットに入れた。
ポケットに紙を隠したまま部屋へと戻っていく。
二日目は彼に会うことはなく終えた。
少し早る気持ちを抑えながら時間を過ごす。
そして、三日目の午前中にも彼には会うことはなかった。ただ、一枚の置き手紙だけが頼りだった。
結局、例の時間が来てしまった。
雨譚が腰から崩れ落ち、周りには危険を報せる文字が映像として映し出される。
階段を登り始める。
階段を降りてきた猿渡をモタローが追いかけた。ここまで一切、プレイヤーXの存在を発見できていなかった。
階段を登り、燐音と共に爆弾が仕掛けられた部屋へと入る。
頭に浮かぶ爆発の瞬間の光景。結局、対策すらされずに行われたのだと感じた。裏切られたという状況に直面し、不安感が倍増されていく。
その部屋にいるのは五人。
先に血眼に探している三人を通り過ぎていく。爆弾が隠されている机の前へと来た。中の鏡を外した。中から爆弾を取り出していく。
そこに他の四人が集まってきた。
客船クルーの一人が疑問を呈した。
「これが爆弾っすか? アルミホイルでぐるぐる巻きになってんすけど……。」
銀色に輝くアルミホイルでぐるぐる巻きに包まれた箱。確かに爆弾だと確信した。
それを見て安堵の気持ちへと変わっていく。何故なら、こうすることが作戦だったからだ。
「これでいいんだろ?」
新たに二人増え、部屋には七人となった。
その内の一人は逃げて行ったはずの猿渡だった。
「どうして君がいるんです? 逃げて行ったはずでは……。」
「察せられねぇか。俺だよ、俺。猿渡驚輝ことプレイヤーXだよ。」
ドヤ顔とともに、煙草が取り出され、それを火で燻り、蒸していく。
「まさか俺が昔の俺に憑依するとは驚きだよな。まっ、アンタの前では逃げる振りして、見られなくなってから立ち止まったんだよ。至極簡単な話だろ?」
「彼……とても物分りが良かったんだよ。到底信じられそうもない非現実的な内容をすんなりと受け入れてね。」
「その話は履修済みだからな。履修する前は受け入れられず時間を掛けて聞いたが、そんな話、スキップすりゃ、いいってもんよ。」
彼の憑依先が昔の自分だった。それにより、爆弾を取る際に、事前に話していたアルミホイルを得ることも、巻くことも容易に出来たのだろう。
音沙汰のない爆弾が囲まれている。
「ってか、それでいいのかよ。予定通り、爆弾にアルミホイルをこれでもかって程、巻き付けといたけどよ。」
「充分ですよ。そこまで巻く必要もなかったですけどね。」
状況が飲み込めないクルーの一人が訪ねた。「これが爆弾なんすよね?」
それに対して、未来から来た二人で「そう」だ、と返答した。
「見つかったんなら、次はどうするかだよな。下手に触れない方がいいはずだな。」
「えぇ、態々危険なことをする必要はありません。一旦放置して、警察の爆弾処理班が来るまで待ちましょう。」
その会話を聞いていた猿渡が横入りしてきた。
「おいおいおい。そんな悠長な事言ってられんのか? それの起爆スイッチは遠くにいる嘴平亥が持ってんだ。そいつが起爆するかも知れねぇだろ。」
それを聞いたルインが優しく微笑む。
「安心して下さい。彼に起爆は出来ませんよ。」
「ん、どういうことだ?」
「彼は遠くからリモートで操作して起爆するんです。ですから、その遠隔操作が出来ないように電波を遮断すれば問題ないんですよ。」
煙草を持っていない左手で頭を搔く。
「詳しく教えてくれ。電波を遮断ってどういうことなんだ?」
視線が銀に光る箱に移った。
「この爆弾は良くも悪くもリモート式なんですよ。つまり、電波による通信によって起爆することができる。だからこそ、電波を遮るようにアルミホイルを巻いたんです。」
「なるほどねぇ。アルミホイルは電波を遮断する。隙間があれば通信されるけど、これぐらいぐるぐる巻きなら安心だねぇ」とモタローは関心していた。
部屋の中から緊迫感が薄まっていく。
「下手に触ってアルミホイルが破けるとか、中のシステムが作動するとか、そうならないためにも何もしないで待つ方が良さそうだね。」
「えぇ、そういうことです。」
その場にポツンと置かれた爆弾。
TMT箱という大層な命名をされたその爆弾も、今では虚しい程、恐ろしさという光を失っている。
アナウンスが流れる。
スフィア船長の声が船内に響き、近くの場所に寄港することを伝えた。
「こっからはお前さんらには頼れねぇな。爆弾についてはこっちで処理をする。お前さんらは安心して船を降りりゃいい。それと、お前はこちらで拘束させて貰おうか。」
猿渡は若いクルーに連れられて別室へと向かわされた。
*
船が陸に辿り着く。
金城ふ頭という場所だ。
船と陸を繋げるタラップを踏みしめて、久しぶりの土を踏みしめた。
その場から少しだけ進んだ先にレゴランドと呼ばれるテーマパークがある。人々はそこに屯していた。
また、そこにはパトカーが止まっており、警察官と思われし人々が船へと直行していた。
夜のテーマパークは安堵のオーラで広がっていた。ただ、爆破テロの件を受け、そこは避難勧告が出されていた。
次々にバスや車が辿り着く。
そこから北か西へと避難するためのバスだ。我先に乗る人達が率先して乗っていくため、それに乗るには少しだけ時間がかかりそうだった。
「無事に生きて帰れたなぁ。これもアンタ達の力添えのお陰やろ?」
金太が隣に立つ。もちろん、その後ろには昌苅が立っていた。
「まあねっ。と言いたいけど、俺は何にもしてないんだよ。したのはルインさっ。」
「流石やなぁ」と音のならない拍手をされた。
人々の雑音とパトカーの喧騒が騒々しい。
「爆弾処理班がもう着いたらしいで。あまりにも早すぎて聞いてもうたわ。どうしてそんなに早く早く対応できるんかって、な。そしたらな、準備はしてたらしいわ。こうなることを考慮してたようなんや。」
振り返ると、騒々しいタトルクルーズ号が目に入った。
「警察が何と言っとったか分かるか? 吃驚仰天、何と警察ん中に《未来を予知》した奴がいるらしいねん。ワシはこの二人以外に力を付与したことがないんやけどなぁ。」
彼はモタローの肩に手を置いて顔を近づけた。
「何か知っとんちゃう?」
冷静に「心当たりなら、あるね」と返していた。
一台の車が到着する。その車は艶やかな黒塗りで、見るものを圧倒する。
「やはりなぁ。流石やわぁ。」そう言った後に「迎えが来たんで、ウチは帰りますわ」と言い放った。
帰り際に言葉が送られる。「ワシもアンタも神器に選ばれし者の運命の下にあるんや。精々、くたばらんでや。」
それに対して「もちろんだよ」と返していた。
彼が車に乗り、去った。
また、別の方向では警察官に連れられた猿渡がパトカーに乗って、彼もまた警察用公用車で金城ふ頭から去っていった。
アイハヴァペン、アイハヴァアッポー、ウォゥン、アッポーペーン。どこかからか聞いた事のある歌が流れていく。
アイハヴァペン、アイハヴァパイナッポォー、ヒュウォン、パイナッポーペェン。モタローはポケットから歌を流しているスマホを取り出した。
アッポーペーン、パイナッポペー。ここで着信に出る。
数分、話し終えた後、電話が閉じられた。
「鬼怒川警部の方も無事、上手く行ったようだねぇ。彼には感謝をしなくちゃいけないよ。県警の中で働きかけてくれたお陰で、いち早くこのテロ事件に対応できたからねぇ。」
バスに待つ人が減ってきた。
「そう言えば、警部はどこにいるのですか?」
「彼は爆弾魔の所さ。」
つまり、亥の所だろう。
「ちなみに、その爆弾魔はどこにいるんですか?」
「観覧車だよ。建物で貸切できるとても高い場所。それに船の位置を進めて考えるとシートレインランドの観覧車が浮かんで来るのさ。」
そこまで予測していたとは、と感心する。
そして、上手く行ったということは亥を捕まえることに成功したということだろう。
ほっ。どこか安心感に満たされていく。
汽笛が鳴った。
船がその場から南下して行った。
よく見ると客船クルーを初めとする関係者もぞろぞろと避難をし始めていた。
それと同時にバスが来た。
バスには客船クルーも乗っていた。それでもまだ空席は存在していた。
バスは人を乗せて北上していく。
夜の道路の静寂の中、ただひたすら進んでいく。埋立地と陸地を繋ぐ道路を進んでいく。もう陸地へと到着する。
「今の何?」と乗客の誰かが言った。
その時は何のことが分からなかったが、すぐにその意味が分かるようになる。
轟く轟音。
夜のパレットに描かれる赤く燃ゆる爆炎。
異次元の蜃気楼。
凄まじい爆風がバスをすり抜けていく。
海上の船から起きた爆発だった。その爆発が周りを木っ端微塵にしていった。陸地と埋立地を繋ぐ道路も途中まで破壊された。そこから少し先は道路が崩落した。ただ、乗っているバスはその先を進んでおり、無事だった。
「先輩っ。先輩っ。」と泣き喚く客船クルーの一人がいた。彼は齋藤黄丹と言う男だ。
「そんなの無いっすよ――。」
流れ落ちる涙と無邪気な子どものように後ろの窓ガラスにへばりつく姿。その様子が彼にとっての大切な人の死を表していた。
その爆発の一コマが脳裏に深く刻まれた。
飛び散った破片が飛び散っていく。横の窓からもその塊共が飛んで落ちて転がる様子が見られた。
赤く色付いていた風景も今は黄土色と灰色とが混じりあったような不気味な色に変わり果て、灰色の煙を吐き出していた。
もはや向こう側は濁った色で何も見えないが、タトルクルーズ号が存在していないことは一目瞭然だった。
まさに通夜の空気感が広がる。
夜中の闇夜の中をバスは走り去っていった。
八――
晴れの日が続いていたが、その日は違っていた。
モタロー探偵事務所の窓から見下ろす街路樹。綿飴のような白い塊を上に乗せている。しんしんと降り注ぐ雪は地面に落ちては溶けていく。建物に隠れた場所だけ雪がほんの少し積まれていた。
何度も繰り返して辿り着いた未来。まだ経験のしていない人生の旅路である。
細く引かれた線の上をただ進むだけという人生。立ち止まったとしても、コンベアの上にいるかのように進んでいく。そこに何かしらの干渉が入ってくるが、それが線の行先を変えたり、線から落としたりする。ルインは一度落ちたが、不思議な力により舞い戻ってきた。この先は当たり前のまだ見ぬ景色。
そんな中へと舞い戻った喜びなどは感じられていなかった。
ただ、窓の外の景色を無気力で見ていく。
「まだ悩んでいるのかい。君のせいじゃなかろうに。」
壁に掛けられたテレビには愛知県で起きた船の爆発について報じられていた。『六人死亡、十六人行方不明』というテロップがある。行方不明というのは、爆発によって身すら消滅したためだと考えられる。つまり、合計で二十二名が亡くなったと考えて良かった。
その二十二という数字は、ルインが過去の改変に失敗した数でもあった。
「もっと失敗せずに過去を変えられたら、もっと救えた命が沢山あったんじゃないかと……思うんです。」相変わらず外の眺めを見ていた。
「優しいねぇ。それでいて完璧主義だ。だけど、そんなんじゃ身が持たないよ。大事なのは前を向くことさ。後ろ向きになってちゃ、前へと進めないよ。」
彼の優しい言葉が手を差し伸べる。しかし、心のどこかにある後ろめたさが、それを拒否する。
「頭ではわかっていますが、どうしても思ってしまうんです。もっと救えてたら、って。」
「それじゃあ、救うのを邪魔したプレイヤーXを恨むのかい?」
「いいえ。彼は彼なりの理由で邪魔をしていました。彼を責める気にはなれません。」
降り注ぐ雪が重くどんよりとした空気を運んでいた。
「自責の念に取り憑かれてしまったみたいだねぇ。どうしたものか。」
会話はそこで途切れた。
彼はそこから退出して行った、と思いきや数分後に戻ってきた。
惰性で仕事に打ち込んでいく。心の中にある僅かな理性が手を動かしていく。だが、心の大半を占める後悔の念が宙に浮いている。
手付かずになることはなかったが、身に付いているとは思えない。
ただ時間だけが過ぎていく。
事務所に誰かが来たみたいだ。来客だろう。
「おっ、来たね。ルイン君。行こうか。」
アンティーク調の家具が並び、掘り出し物や小道具で埋め尽くされている来客用の部屋。そこに鬼怒川警部がどっしりと腰を下ろした。彼は大きな紙袋を持ってきていた。紙袋が机に置かれている。
「テロリストの逮捕祝いだ。置いとくぞ。」
袋から取り出された四角い箱。その箱にはホールケーキが入っていると伝えられた。それを冷蔵庫へと入れる。
「警部殿の働きかけのお陰だよ。理由が理由だから、結構苦労したんじゃないかい?」
「まあな、予知なんてもの、中々信じてくれなかったから大変だったからな。それでも知り合いの爆発物処理班にいた奴が準備ぐらいしてやろうって動いてくれたからな。まあ、今回の件で殉職されたのが悔やまれるがな。」
それを聞いて、思わず俯いてしまう。
その様子を見た彼が「おいおい、こりゃあお前さんにゃ関係ねぇことだろ。気にすんな」と伝えた。
しかし「いえ、もし僕が改変を失敗しなければ――」と零れた。それに被せるように「自惚れ過ぎた。自惚れんじゃねぇぞ」と上書きされた。
袋から出される新聞紙。それが机の上に広げられる。さらに、紙袋からガラスビンが出された。ビンの中には、ラメみたいなカラフルな砂が入っていた。砂以外にも小石みたいな大きさのものも混じっている。
「これは俺が警部に昇進した時に、部下への教育のための説明だ。お前みたいに救えた命を救えないで自分を責めてしまう奴はいるんだ。そこで考えた説明だ。今じゃ、俺の十八番だがな。」
ビンの蓋を回して外した。
それを高く上へと掲げる。
「今からこの砂を零していく。これを人間の生命だと思え。新聞紙に落ちた砂利共が死んだ人間だと思え。分かったら手のひらを出すんだな。」
さらさら、とビンから落ちていく鮮やかな砂。
両手の手のひらをくっつけた中に砂が溜まって行くが、指の隙間から砂が零れている。
ビンの半分ぐらいが注がれた。
「じゃあ、今度はもう一つ追加だ。」
紙袋から同じ砂の入ったビンが取り出された。蓋を開けて、両手でそれぞれのビンを掲げた。意地悪にもその位置は離れている。
警部はビンを傾けた。
零れていく砂。ルインは右手と左手で各々の砂をキャッチしようと手のひらに窪みを付けて受け皿にするが、無様にも砂は零れたいった。
ビンの砂がほとんど無くなった。
手のひらにはある程度の砂がある。しかし、新聞紙にも砂が落ちていた。
「本当なら不意をついたりもするんだ。それに今回は新聞紙を引いたが、実際は床にぶちまける。事件はいつ起きるか分からねぇし、集中してりゃ受け取れるかも知れねぇが、ずっと気張って過ごすことは出来ねぇ。ってことを教えるためだな。ただ、お前さんは警察官じゃねぇからしねぇけどな。」
ビンが新聞紙の上に置かれた。
古風な空間に新聞紙の上で何色にも輝く砂が違和感を放っていた。
「で、だ。砂を全部受け止めきれなかっただろ? それが現実なんだ。人間一人で出来ることには限度ってもんがあるんだよ。零れるもんは零れるんだ。救える命ってのはそれが精一杯の成果なんだ。」
手のひらに残る砂を眺めていく。
「お前さんは頑張って頑張って砂を受け止めようとした。それだけで充分なんだ。もしそれが無けりゃ、もっと多くの奴が死んじまってるからな。」
砂をビン戻していく。新聞紙を真ん中で折って、砂をかき集めてはビンに入れる。そして、入れ終えたビンや新聞紙が紙袋の中に戻された。
「砂が零れないようにするには何が必要か分かるか?」
突然、問われる問いに頭を巡らせる。
誰かと協力する。しかし、それで全ての砂を受け止められるだろうか。そんなことを考えている内にタイムアップとなった。
「答えは、そもそもビンから砂を零さないことだ。現実で言い換えるなら、事件が起きないようにするんだ。分かるか、これはお前さんらの仕事じゃねぇ。我々、警察官のすることなんだよ。厳しく取り締まったり、地域に働きかけをして事件を未遂にさせる。何が言いてぇかと言うと、お前さんがクヨクヨ悩む必要なんてねぇってこった。」
紙袋が床に降ろされた。
立っていた警部が椅子にずかっと座った。
「今回に関しては、お前ら二人がビンから砂を零さないようにする行為をしてんだよ。だから、誇りに思いな。」
「すみません。身に覚えがありません。」
「お前らが予知してこの件を伝えた。そして、観覧車にいることを教えてくれた。お陰様で我々は爆弾の起動システムを持っていた嘴平亥と観覧車を操作していた亀有グループの社長の次男、亀有諒鶇の逮捕に至れたんだ。」
彼は少し過去を振り返りながら話していく。
「特に嘴平亥という男は危険な男だった。逮捕の瞬間、そいつは『人生一最高の大爆発を見れてない』と抵抗をしていた。しかし、パトカーに連行する合間に大爆発が起きたんだ。それを見てそいつは『素晴らしい爆発だ。爆発は最高の芸術だ』と感動していたよ。その後はすんなりと従っていったが、それが如何に狂っていたことか。」
まさにマッドサイエンティストという感じだ。
彼の笑顔の姿が想像されていく。
「もし嘴平亥を、みすみす見逃していたら、また爆発テロが引き起こされ、さらなる被害が生まれるのは必須。分かるだろ、お前らが凶悪犯のさらなる犯行を食い止めたんだよ。」
彼の言葉はすっと入ったが、それが受け入れられる訳ではなかった。しかし、心のどこかに靄を抱えながらも、少しだけ前身した。
警部は野暮用だった、と帰宅を始める。
帰り際にこんな情報を残した。「そういやなんだが、今回捕まえた奴らは全員、存在してるはずだけど存在しない人間から指示を受けたと言っていた。嘴平亥に関しては、爆弾を爆発させる機会を用意してやる、と話していたらしい。」
「存在してるはずだけど、存在していない人間ねぇ。」
「ああ。嘘とは思えないんだよな。それに、伊勢神宮の件もある。これに関してはお前らの《未来予知》だの《過去を改変する》だの、そんな奇妙な魔法みたいなもんが絡んでいる気がするんだ。また、お前らの力が必要になるかも知れねぇから、その時は頼んだ。」
警部は扉を開いて外へと出た。
寒い風が部屋に侵入してくる。
「さあ、ルインくん。前へと進めそうかい?」
その言葉を聞いても、返答には躊躇う気持ちがあった。
「頭では理解しました。ですが、やはり悔やんでしまう自分がいるんです。」
「簡単には切り替えられないよねぇ。では、明日、金城ふ頭に手を合わせに行こうか。」
彼なりの優しさが滲み溢れ出ている。
「ありがとうございます」と返答した。
九――
灰色の空。緩やかに波打つ海は水平線に広がっている。乾いた風が靡いていく。
パトカーと立ち入り禁止。
その付近で、海に向かって手を合わす。
そこで起きた惨劇の被害者二十二名への弔いを済ました。
「お二人も弔いに来たんすね。」
客船クルーの齋藤だった。
「俺っち達は奇跡的に助かったみたいなんすよ」と話しかけてきた。「スフィア船長が沖合から海上へと場所を移そうとしたから、爆発の被害も俺っち達がいたバスまでは届かずに終わったんす。」
やんわりと微笑んでいる。
「それって神様が生かしてくれたってことじゃないんすかね。俺っちの大切な先輩――片銀先輩の想いを背負って生きていけ、っていう神様からのメッセージなんすよ。」
彼は煙草を取り出して蒸した。それを口に付けたが、すぐに咳き込んだ。「煙草ってこんな美味しくないもんなんすね」と海に向かって笑っていた。
「おや、オヌシは……。」そこに日午博士がいた。
怪盗エーワン以来の会合だった。
「生きておられたのだな、良かったよ。しかし、この犯人は嘴平亥だったみたいだの。『エメラルドクリスタル』の研究のメンバーから早期に外して正解だった。最後まで研究していたらと思うとゾッとしてしまうのだ。」
彼は頷きながら「本当に被害がこれ以上拡大しなくて良かったのだ」と言い放った。そして、二人に「運が良かったのう」と追加した。
別れ際に彼がルインに向けて「そういや、オヌシの友達であろう剛力君が私のいる大学の清掃員になったのだ。いつでも私の教授室に遊びに来てくれたまえ。その時は剛力君も呼んで置こう」と言った。
その場から離れて進む。
車の中で「運か――」と呟いていた。
そして、日午博士が最後に言ったことを思い返す。
「彼の言う通りなら、ゴリは警備会社辞めたみたいですね。」
「まあ、仕方ないね。アトム警備会社は起死回生の一手をこの船の警備に掛けていたらしいからね。それが真逆の成果を上げられ、大暴落してしまったからね。というか、倒産したって聞いたよ。」
「つまり、倒産で職を失ったんですね。」
「因みに、タトルクルーズ号の運営会社である亀有グループも大暴落したようだけど、そこにツルヒグループが現れて買収したという噂があるよ。直に吸収合併したという話が出るんじゃないかな。」
その話は本当であった。アトム警備会社は倒産していた。また、後に亀有グループはツルヒグループに吸収されることになる。ツルヒは今後も勢いに乗っていくため、救いの一手が差し伸べられたと考えて良さそうだ。
「さて、何度も聞くけど、前へとは進めそうかい?」
「何とか、進めそうではあります。」どこか言葉が詰まっていた。
「まだわだかまりは取れていないみたいだねっ。」
図星だった。
心の奥底に巣食う、救えなかったという自責の念は簡単には消えなかったのだ。
静かな街中を走り抜けていった。
*
ティーカップが三つ机の上に置かれる。
インスタントのコーヒーが注がれた。
「たまにはコーヒーフレッシュでも入れて飲もうか」とおじいさんが言った。それを聞いたモタローはポーションのミルクをカップに入れて混ぜたものを提供した。
「ルイン君もたまにはミルクなんてどうかな。人生はブラックの味というけど、時には甘い時間も必要なのさ。ルイン君に今必要なのは甘いミルクのようなものなんじゃないかな。」
ミルクの入ったコーヒーが提供された。
口に入れた。甘い味が染み渡る。ほのかに優しい味だった。
「ということで、俺もミルクを入れよう……。っと、コーヒーフレッシュを切らしちゃったみたいだねぇ。」
ミルクのポーションが入った袋は空になったみたいだ。袋がゴミ箱に捨てられる。
「こういう時は、パックタイプの牛乳を使えば問題なしさ」と冷蔵庫からパックを取り出した。
軽やかな移動で進んでいる。
「せっかくだし、ちょっと多めに入れちゃおうか。」パックから白く、ほんの少しなまりけのある液体が注がれていく。
入れ終えて、ティースプーンで混ぜられる。
その時、ある事に気付いた。
「モタローさん。それ、牛乳じゃなくて、飲むヨーグルトですよ。」
「えっ?」と漏らして、パックを見る。
しっかりと飲むヨーグルトと書かれたパッケージを見て「?」という言葉を表情で発していた。
ふっふっふっ、と引き攣り笑いを浮かべていた。
「これは失敗ではないのだよ。ルイン君。君に、人生とは例え上手くいかないことがあろうとも、大抵は何とかなるってことを伝えたくて、でねぇ。」
パートの席から「負け惜しみだろ」と聞こえてきた。
「うおぅ。飲んで見せるよ。」
飲むヨーグルト入りコーヒーを飲み始めた。半分ぐらい一気に飲んだ所でカップを離す。
「ま、ま、ま、ま、まずぃ。牛乳が天とするなら、これは地だね。ここまで来たなら飲みきってみせるさ。」
有言実行。彼はそれを飲み干した。
「言っただろう、人生ってもんは何とかなるのだよ。」
温かな時間だった。
外は晴れていて、明るい日差しが射し込んでいた。
カフェオレの味の甘く優しい味が広がっていった。
「おい、そうだ。年賀状が届いてたぞ。それも二枚。」とパートのおじいさん。
「珍しいねぇ。今の時代、年賀状を送る文化はポピュラーではないけどねぇ。おじいちゃんの時代にはまだ一般的だったかい?」
「いや、もう廃れた文化になったが、なくなった訳じゃない。」
「まあ、そうだね。スマホで作って、ファックスで送るっていう文化ができて、一定層はその文化を踏襲してるみたいだからねぇ。」
渡された一枚の年賀状。
それを見て、彼は微笑んでいた。
「羊宮陽君からだったよ。とても感謝してるみたいだねぇ。」
ルインに年賀状が渡った。そこには高校生の彼が自作で作ったであろう絵や写真と、感謝の文、そして近状を伝えていた。
「受験生の年なんだねぇ。それにいい大学へと入り、いい所に就職をして、借金を必ず返しますだとさ、全く律儀だねぇ。」
彼の優しい気持ちが伝わってくる。
今まで固くなっていた筋が解れていく感じがあった。
「もう一枚も素晴らしい年賀状だったよ。」
そう渡された年賀状。送り主は大鷹ルフラと書いてある。
裏に捲る。
そこには真ん中に少年少女捜索隊――いや、少年少女探偵団の集合写真が載ってあった。真ん中に大鷹証。左手に橙、紫衛來、蒼。右手には藍、黄星、翠がいる。みんな良い笑顔をしている。と思ったが、よく見ると黄星は近すぎる翠に照れてツンとした態度をとってるし、紫衛來は笑顔ではないなんとも言えない表情。蒼は笑顔を作ろうとしているのが読み取れはするが、無表情にしか見えない。全員がそれぞれに個性を放っている。
思わず微笑みかけてしまった。
そこには凝り固まった心のコリが取れていた。
「素晴らしいねぇ。探偵業と言うものは、場所によってはドロドロとした不倫系しか取り扱わない所もある。ペット捜索系、ストーカー被害系ならまだしも、不倫系しか取り扱わない所はドロドロ過ぎて、貰えても気まずい感謝しか無いからねぇ。こうして感謝してくれることはとてもありがたいことなんだよ。大切にして行かないとね。」
「そうですね。とても喜ばしいですよ。」
残ったミルクコーヒーを飲んだ。
優しい味がした。
「これもルイン君のお陰でもあるんじゃないかな? 君が頑張っていたからこそ、認めてくれたんだよ。感謝される程にね。」
「えぇ、がむしゃらに、真面目に頑張ったからこその結果ですね。きっと後ろを向いていたままじゃ、こうはならなかったと思います。今のこの状態じゃ示しが付きませんからね。」
それを聞いたモタローは笑顔で問いかける。
「おや。前に進めそうかい?」
「えぇ、もちろん。」
爽やかな声が響いた。
「じゃあ、まずは年賀状返しのために年賀状を作るとしようか。」「えぇ、任せてください。」
爽やかな一日が進んでいる。
この後どうなるか分からない、予測して進むしかないという当たり前な一日だ。細く引かれた白線をひたすら歩く一日だ。
一月にして温かいポカポカした太陽が探偵事務所に射し込んでいた。
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主要5キャラ その5
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【犬島 ルイン】Inushima・Luin
年齢:27歳
性別:男
身長:176cm
誕生日:8/27
カラー:スカイブルー
────────
裏主要キャラ その1
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【金 太一】Kon・Taichi
年齢:39歳
性別:男
身長:182cm
誕生日:12/26
カラー:ゴールド
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豪華客船爆破テロ 登場人物
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【熊谷 昌苅】Kumagaya・Masakari
年齢:25歳
性別:男
身長:191cm
誕生日:1/3
カラー:シルバーグレイ
【駱駝岩 スフィア】Rakudagan・supphire
年齢:50歳
性別:女
身長:158cm
誕生日:11/1
カラー:駱駝色
【前原 雨譚】Maebara・Utan
年齢:34歳
性別:男
身長:168cm
誕生日:10/14
カラー:セビア
【竹月 花】Taketuki・Hana
年齢:57歳
性別:女
身長:154cm
誕生日:8/23
カラー:ディープサンフラワー
【竹月 鳥爾】Taketuki・Cyo-ji
年齢:58歳
性別:男
身長:167cm
誕生日:10/5
カラー:丁字色
【結城 燐音】Yu-ki・Rinne
年齢:52歳
性別:女
身長:172cm
誕生日:5/12
カラー:シャルトルーズイエロー
【片銀 大志】Katagane・Taishi
年齢:37歳
性別:男
身長:180cm
誕生日:8/2
カラー:ペールヨットブルー
好きなポケモン:ポッタイシ
【齋藤 黄丹】Saitou・Ouni
年齢:25歳
性別:男
身長:160cm
誕生日:10/1
カラー:黄丹
好きなポケモン:ドサイドン
【嘴平 亥】Hashihira・Gai
年齢:31歳
性別:男
身長:189cm
誕生日:11/15
カラー:墨色
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プレイヤーXの成り代わり記録簿
《20》竹月 鳥爾
《21》結城 燐音
《22》片銀 大志
《23》猿渡 驚輝