表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/9

燃焼る事件

   一――


 白に包まれた世界に存在する本棚。本の厚みはそれぞれ違う。色は多種多様だが臙脂色や深緑色などの落ち着いていた。

 その中でも一つだけ目立つ本がある。少しばかり分厚い金色に光る本だ。

 その本を取り出す。

 タイトルは『二十六歳――燃焼る』とある。

 彼は本を開いた。しかし、そのことについてピンときていなかった

「『龍の宮』の潜入調査は覚えているけど、何かが燃えた事件があったかどうかは思い出せないね。いや、あったような気はするけど、思い出せないね。」

 女が席を立った。

 黄色のワンピースが白の世界で映えている。

「この事件は私、知っています。私自身、そこにはいませんでしたが、事件の内容については鮮明に覚えています。」

 その言葉の一つ一つに深みがある。

「それは夏の日のことです。リュウダという会社を始め、計三つのビルが()()に燃えた事件が起きました。建物は全焼。取り残された人々が亡くなりました。」

 映像として脳に流れてくる。

 同時に、一気に燃え出すビル。炎天夏の中、熱気によってねじ曲がる空気が淀んだ虹色を放っている。

 その近くで笑みを浮かべる女性がいた。記憶が曖昧なためモザイクがかかっている。揺らめく空気の中で不敵な笑みが浮かんでいた。

「どれだけミスらずに解決できるのか。荷が重いけど、やるしかないね。」

 本の一ページ目。

 ページが光出した。

 彼はそのページに触れると否や本の中へと消えていった。



  二――



 扇風機の強風が火照った顔を襲う。

 ほぼ顔の隣に扇風機はそびえ立っていた。

「こちら側にもエアコンをつけましょう。そっちの方が絶対に安上がりだと思いますよ。」

 その言葉をおしりで聞くモタロー。彼は上半身を前に倒しており、カーテンの向こう側へと隠れていた。そして「あ~。涼しぃ~」と爽やかな声を上げていた。

 この事務所は主に二つのスペースに分かれている。一つは入り口からすぐの客席スペース。クラシックな空間を壊さないように白かったエアコンもそれっぽく色塗られている。カーテンを挟んだ側にあるのが事務スペース。仕事をするためのスペースである。そこには残念ながらエアコンというものは設置されていない。

 カーテンの向こう側からやってくる冷気と強風の扇風機からくる風が暑さを凌がせていく。

 パソコンの中の報告書が完成を示す。「何とか終わった。」

 背筋を伸ばし椅子にもたれかかって後ろに倒れた。太陽が雲に隠れている日だと言うのにとても暑い。いや、雲隠れの夏だからこその蒸し暑さが余計暑さを感じさせるのだ。

 ドアが開く音だ。

 パッと背筋を正し、驚いた顔で半回転するモタロー。彼は「仕事だよ」と冷静になり切れていない声で呟いた。さらに半回転してカーテンの向こう側へと進む。

 がんがんに聞いた空調が身体の熱を奪っていく。涼しすぎてずっとここにいたいと思わせる程に。

 来客の人がソファに腰を下ろす。身体は硬直してるようにも見える。背筋も伸びており規則正しいような姿勢だ。

 横に置かれた黒のスクール鞄は色褪せていた。

 冷たいお茶を机に置いた。

 その人は統制された黒髪と統一感を感じさせる制服に包まれた男の子だった。真面目に見える爽やかな男の子だった。

 彼は隣の区の学校に通う高校生。

 ここを知ったきっかけはインターネットのようだ。どうしても探偵事務所に赴く用事があったと言う。

 優しく「そんなに畏まらなくても大丈夫だよ」と言われたのをきっかけに、彼は固まった息を抜いた。姿勢も自然体に変わる。

「わざわざこんな所までありがとね。お茶も好きな時に飲んでね。是非、ゆっくりと要件を聞かせて貰えないかな。」相変わらずの口ぶりだ。

 彼はゆっくりと口を開く。

「俺の母ちゃん。怪しい宗教にハマっていて。辞めさせたいんです。」

「宗教ねぇ。我々は探偵であって相談員じゃないんだよ。辞めさせることは本人の意志だから、そんなに力にはなれないかも知れないよ。」

「……なら、その宗教を潰すことはできますか。ほら、悪徳な金稼ぎみたいなことをやってるし。」

「悪徳商法……宗教沙汰だと霊感商法や開運商法とかかな。それを調べて公にすることはできるかも知れないけどねぇ。」

 ドン、と鞄から出される袋。

 札束が広げられた。

「金ならこんだけあるので、何とか出来ませんか。」

 机の上には数え切れない程のお金が広がっていた。

「どうしたんだい。そのお金は。」

「これ全部、宗教団体が売りつける物にかかるお金です。教本、八十万円。鏡、三十万円。その他も含めて全部で百万以上はあります。」

「これ、くすねてきたんだよね。」

 バツが悪そうに頷いた。

 すぐに真剣な顔へと変わる。

「こんなものにお金をかけていくなんて馬鹿げている。もう終わりにしたいんです。お願いできますか。」体が前のめりになっていた。

 その反応に対して、額に指を当てて「しかし、こんだけ金が無くなったらすぐに気付くはず。君たち親子の関係悪化のきっかけになりたくはないからねぇ。」と言うが、すぐに「だからと言って、こっちも仕事。慈善事業じゃないから、金がないと仕事は出来ないんだよねぇ。」と困り果てる。

 パチンッ。指を鳴らす。

「それじゃあ、着手金に五十万を貰おうかな。難易度は相当高い。相場的には妥当だろう。これで打診しようと思う。」

「残ったお金は報酬金で貰って下さい。一度持ち帰ったら、次は……く、くすねてこれない気がするので。」斜め下を向き、噛みながら話す。

「気にしないでくれたまえ。報酬金は……君の出世払いで頼むよ。」

 机に置かれた束に揃えて、きっちり五十枚を数えてこちら側へ、それ以外を彼側へと置いた。

「本当は無料(タダ)でと言いたい所だけど、俺もこの探偵事務所の主。社長として守らなきゃいけない社員がいるんだ。これでいいかな、ルイン君。」

 その問いに対して頷き返す。

 二人の対応に手の拳を和らげている。

「君の名前を聞くのが遅れたね。名前は何て言うんだい?」

羊宮(ようみや)(よう)です。」すっ、と凛々しい声で居間に響く。

「陽君。これがこの探偵事務所の名刺だ。」

 名刺が渡される。そして、連絡先を教えて貰った。この連絡先は探偵仕事として扱われる。

「さあ、本題と行こうか。その宗教について知ってることを教えてくれないかい。」

「その宗教は『龍の宮』と言います。けど、詳しいことはあまり分からないというか。あっ、怪しい人達が家に来て物を売ってきたり、後、休日に怪しい場所に行ったりしてます。」

 彼の提示した情報を頼りに、怪しい宗教団体『龍の宮』を手探りで探すこととなった。

 彼は大金を鞄の中にひっそりと隠した。

 彼がこの場所から離れる。それをモタローがこっそりと追った。尾行のような行動ではあるが、これは同意があり、大金を持つ彼を守るエフピーとして行動している。

 エアコンでひんやりと冷えた部屋に置かれた少しだけ飲まれたお茶。

 それを洗い場へと持っていく。

 カーテンを超えると蒸し暑い空間がそこに現れた。


*


 一般人に紛れて歩いていく。疎らな人達の一員となる。対象者に見つからないように時々姿をくらましていく。

 今度は車に待機していたルインの出番。少し走らせて通り過ぎる。録画された映像がアイパッドにダウンロードされていく。

 その女性はライトゴールドの長髪。先端に向けてパーマがかかっている。落ち着いた服装が年相応で似合っている。

 彼女がふとこちら側に顔を向ける。

 ニヤッと笑った。

 踵を返す。来た道を戻っていった。

 バレないように上手に距離を置く。今度は高い場所へと陣取りをし、望遠カメラで対象者を確認した。来た道を戻っていく。

 急いで近くの公園へと向かう。探偵二人は公園で落ち合った。

「尾行に気付かれたのかな。それとも何か忘れ物でもしたのかな。」

 尾行を巻くために戻ったのか、それとも忘れ物を取りに戻るために戻ったのか、どちらなのか。答えはすぐに分かった。

 対象者が家へと帰った頃だろう。

 一通の連絡。

 電話に出ると男子高校生の声だった。

 スピーカーによって車の中で音が反射していく。

「陽君。どうしたんだい?」

「どうしたもこうしたも、母ちゃんに尾行がバレてるんですよ。」

 プライドに大きな鉄槌が下される。二人は頭を悩ませた。

「申し訳ないね。俺らの落ち度だよ。」

「そもそも、帰ってきてから母ちゃんがおかしいんだ。いつもと違うというか。」

 不穏さが車内を不穏な空気に変える。

 通話が終わった後も流れが悪い。

 数分後、また連絡がきた。

「母ちゃん、助手のルインさんのこと知ってたんだけど、何か関係あるのか?」

「ごめんなさい。何も身に覚えがないんですよね。」

 その会話が車内にさらに不穏な空気として流れ込む。

「ルイン君、本当に何も関係はないのかい?」

「えぇ。ここ二日で調べた情報でも知人という情報は一切なかった。いや、一つ心当たりが……」

 彼の頭の中には色々な人の姿が浮かんだ。その人影は警察官になったりキャバ嬢になったりする。

「あまりにも非現実的な話ですが、一人だけ思い浮かぶ人がいるんです。その人は"プレイヤーX"という、誰かに成りすまして存在する人物です。」

「そう言えば、そんなのがあったね。確か春先で起きた事件だったね。じゃあ、もしかして今の君は何度もやり直しているのかな?」

「その通りです。ただ、実はまだやり直しの中の一回目ですが。」

「となれば、陽君の母ちゃんを頼りにする線は厳しいかも知れないね。そのプレイヤーXは解決の邪魔をしてくるんだろう。」

「そうですね。一度作戦を建て直す必要がありそうですね。」

 一方通行の道を制限速度の三十キロで走っていく。大通りに出ると否や速度を上げていった。空いた窓から涼しくもない風が入ってきていた。


*


 あっさりとした汁に絡む麺をすくい上げた。スプーンの先にはフォークの先端がくっついている。

 麺を啜った後、窪んだ部分で薄茶色に澄んだ汁をすくった。置かれたチャーシューが飽きかけてた舌に新鮮な感覚を送り込む。

 カラフルな内装の中で美味しそうにラーメンをいただく二人がいた。

「ひとまずこの近くで勧誘活動が活発に行われていると聞いてますので、ここを積極的に攻めていきましょう。」「そうだね。まあ、ひとまず麺が伸びない内に、ラーメンを堪能しようじゃないか。」

 器から麺がなくなった。

 彼らが外へと出ると、何やら騒がしい雰囲気が風に流されていた。人々は二つに分離する。一つはその雰囲気の方へと気になり進む者達。一つは変わらない行動を取る者達。彼らは後者であった。

 坂を登っていく。

 人通りの多い中でも、前者の人溜まりに入り込めばすんなりと進める。星ヶ丘テラスを抜け出し、少しばかし歩くと騒がしい正体が現れる。

 神丘の地にて一つの建物が燃焼していた。建物が赤く黒く燃え盛る。真夏の篝火が空気を揺らしていく。

 スマホを抱えてその様子を画面に記録させている集団がいた。いや、集団ではないが、それぞれが同じ行動を取ってしまっているため同じ集団に見えてしまう。

 最前列にいた男が列を掻き分けて抜け出した。

 すかさず探偵は声をかける。

「すみません。ここで何が起きたか教えていただけませんかい。」

「火事だよ。急に燃え出したんだよ。まーじでびっくりだよ。まあ、それぐらいじゃね。」彼はそのまま去っていった。

 消防車のサイレン音が空気中を反射する。

 隊服の人達が急いでホースを取り出し、建物の炎を消し去ろうと消化液を炎に向けて発射した。簡単に炎は消えない。それでも時間が経つにつれて炎は打ち負け消化された。

 そこには朽ち果てた建物が残されていた。

 わらわらと去っていく集団。二人もその集団の一員となっていた。一部始終が気になって近づいてきたもの好きな人達の集合体という集団に。

「もう少し何があったかサーチしてみよう」と帰り道にスマホを操作しながら歩く。彼は面白いことに気付いたようで、

「ルイン君。とても面白い事件だったみたいだよ。」と笑みを浮かべていた。

「何が面白いのですか。」

「他にも二軒、火事が起きたみたいだね。それもそこそこ近辺でね。奇遇かな。同時に三軒、燃え盛るなんてね。それも原因不明の延焼なんてね。」

 スマホを見ると、ローカルな話題故にツイート数は圧倒的に少ないが、明らかに全く別の所で火事が起きたことを示していた。というのもそれぞれのツイートには場所が記載されていたり、建物の写真が載っていたりするが、それぞれが違う場所だったからだ。

 下り道の中で足を止める。

 何かを思い出した顔をしていた。

「すみません。その火事なんですが、もしかしたら宗教と関わりがあるかも知れません。」脳裏に現れていたのは死後の図書館にいる女性が語った事だった。

「なるほど。それはそれは、楽しそうな展開になってきたではないか。」

 その瞬間からモタローは鮮やかに、飛び跳ねながら、回転しだした。踊っているように見える。それを見た人々が奇人を見る目で彼に視線を向ける。助手は一歩引いて、その視線に集まらない距離感を保ちながら進んでいった。


*


 モタロー探偵事務所は相変わらずの熱気があった。クーラーの通り道が細いせいでこの部屋は熱さ増量だ。

 二人は火事のあった次の日に各々で捜査した内容を照らし合わす。

 まずは「僕が調べたのは一社駅から数分歩いた所にある中華料理屋『ブッター』です」と目撃した火事場から近い場所で同時に燃え出した建物についてを報告した。

「調べていくと、そこは宗教団体『龍の宮』の勧誘運動してる者がよく見かけられたみたいです。推測ですけど、この火事にはやはり『龍の宮』が関係しているのではないでしょうか。」

 ふむふむとデスクに肘をついて頷いていた。

「俺の方は株式会社リュウダの本店営業所と隣接するドラッグストアだ。本山駅から東へ進んだ所だよ。そのリュウダとやらは焼失前はそこそこ大きな建築会社みたいで、会社の焼失と社長夫妻やお雇い画家の訃報が新聞にも載っているね。ただ、建築会社もドラッグストアもどちらとも『龍の宮』に関わっていそうな情報は手に入らなかった。」

「そこそこ大きい会社なら裏で繋がっている可能性とかあるかも知れないですよね。」

「その線はあるかも知れないねぇ。が、そこのトップがこの件で亡くなった。調べるのには骨が折れそうだよ。」

「僕の方も店主が火事で死去したようです。」

「何にせよ。まだまだ掴める情報はありそうだねぇ。明日は手分けせずに二人でみっちりと情報を集めようか。」

 冷たい緑茶を注ぎながら「そうですね」と呟く。

「では、明日はルイン君が調べた中華料理屋を深く調査してみようではないか。」

 お茶の入ったコップを手に取りながら返事をする。そして、中の液体を身体の中へと注ぎ込んだ。


 

 そして、次の日――。

 いや、次の日が来ることはなかった。

 そこは次の日を何回も何回も繰り返して辿り着いた死後の世界。彼は図書館へと戻されていた。



   三――



《7》


 その女性は何も気付かずに目的地へと向かい行く。尾行されているなんて一切気付くことなく彼女は建物の中へと入っていった。

 地域の公民館だ。

 少年の帰宅からやり直し、ここまで辿り着いた。そこは『龍の宮』の信者の集会が行われていた。その付近で得られる情報をモタローが手探りで模索する一方で彼は近くで観察することになった。

 大きな窓から内側の様子が丸見えだ。

 壇上の立つ黒の長髪の女性がダイナミックな動きで何かを溜めるような素振りをした。それを解き放つような素振りをした数秒後、前列が万歳をしては下ろす。後列が時間差で万歳を行い、万歳の波が出来ていた。

 傍から見れば不思議な光景だ。

 窓から角度を付けたチラリとしか見れない場所に移動しても、その一片の様子ですら摩訶不思議だった。

「気になんのか。」

 不覚を取った。真後ろからスッと現れては声をかける怪しい男。ボサッとした髪やお世辞にも綺麗とは言えぬ皺つきの光沢のあるタイプのジャージ、中途半端に蓄えた髭。ルインと同じくらいの背丈、百八十ないぐらいの大きさ。ガタイは悪くない。

「ええ。何やってるのか、少し不思議で。」

「そりゃそうだよな。あんなの変人奇人の行動だもんな。」

 彼は頷いていた。

「アンタは()()()()()()とか諦めてしまう程()()()()()()()()()()()()はあるか?」

 その言葉を聞き、思考が立ち止まる。変えたい過去と置かれたフィクションのような状況が重なっていく。「少しだけ思いつくことがある。」

「そうか。そこにいるのはそういう過去や未来を変えたい奴らの集まりだ。嘘か誠か、信仰し続ければ、過去や未来を変えて貰えるっていう教えを信じてるんだ。」

 普通の人はフィクションでありえないだとか馬鹿げてるだとかを考えるだろうが、彼はそんなことを思いつく立ち位置にはいなかった。「過去改変」と人差し指を顎の上へと乗せて呟いていた。

「何か気になるみてぇだな。」

「はい。とても――気になりますね。特に、()()()()()()ことに凄く興味が湧きますよ。」

「そうなのか。実はな、俺はそこらの奴らと同類なんだ。ここで集まっているのは『龍の宮』っていう宗教団体だ。そして、俺はそこの幹部をやってるんだわ。」

 一枚の紙を取り出して渡す。そこには一件のラーメン屋のチラシだった。

「そこは『龍の宮』の溜まり場だ。もちろん、店主も幹部だ。詳しい話をいっぱい聞けるはずだ。もし気になるなら話をつけておくがどうする?」

 一つ返事で「よろしくお願いします」と返す。

 彼は「任せとけ」と言い放つ。名前を聞き出した後、ポケットから煙草とライターを取り出して煙草を蒸す。彼の吐いた煙が曇り空のどんより空気の中をなびいていった。



 夜が更けた。

 帰り際の食堂で二人が対面する。そこに注文した鯖の味噌煮定食が到着した。匂いが味覚を刺激する。

「冷めてしまわないよう、先に食べて構わないよ。それにしても流石だよ、ルイン君。そこに行けば、『龍の宮』の足取りが掴めそうだねぇ。さらには、君の秘密すら解き明かしてしまうかも知れないなんてねぇ。まさに、一石二鳥と言い表せそうなものだ。」

 唐揚げ定食が到着する。

 いただきます。

 鶏の唐揚げが口の中へと運ばれていく。それに負けじと鯖の身を解しては口へと運ぶ。味噌の香りが芳ばしい。

「普通なら馬鹿馬鹿しいと吐き捨てられそうな事象でも、我々にとっては実際に触れた事実。取り繕う必要がないと言うことはまるで最強の武器だねぇ。もしかしたら彼らの懐まで入り込めるかも知れないね。」

「そんな簡単なことじゃないと思いますけどね。ただ、怪しまれてしまう確率は減ったのでプラスにはなっているのは良い事ですね。」

 味噌汁の中の豆腐は柔らかく、味噌の深い味と溶け合い、体の中を温かく満たしていく。

「まっ、油断は禁物ってことだけは確かだから。それだけは肝に銘じておこうか。」

 そうですね。魚の身をご飯に乗せて口へと運ぶ。皿の上は魚の骨を残して静かになっていた。対になる皿は潰されたレモンを残して静かになっていた。

 ごちそうさまでした。

 二人はレジへと向かっていった。


*


 赤色を基調としたカラーリングの店『ブッター』は二階建ての建物であった。四人座れるテーブル席が並ぶ。その先にはそれ以上の人数を収容できる座敷席がある。

 時間帯的に人は疎らにしかいない。

 空いている席どうぞ、との一声でテーブル席へと腰掛ける。置かれている一枚のメニュー表には中華料理が並んでいる。炒飯、青椒肉絲などの飯系と醤油拉麺などの麺系のメニューが並ぶ。サイドメニューにある唐揚げは写真越しからでも美味しさが伝わってくる。

 こちら側から見えない厨房では聞き覚えのない言語が飛び交う。耳をすませば中国語だろうと推測はできた。

 一人の店員が水を持ってきた。

 注文を聞く時に、昨日貰った紙と『龍の宮』についてを伺う。

「あー。あんたらネ。話、聞いてるヨ。おい、トン!」

 彼女がセカセカと戻っていくと代わりに一人の男の人が出てきた。体格の良い。上にも大きいが横にも大きい。

「ようこそ。えー、っと。」「ルインです。」「彼の付き添いできたモタローです。」「ルインさんにモタローさん。よく来たね。ひとまずデザート、タダ出すから何食べたい?」

 彼の作る押し気味な雰囲気の中で、マンゴーアイスを頂く。

 食べ終わった後は彼に導かれるまま、二階へと続く階段を登っていった。

 真っ黒な背景と化した壁。それ故に大きめのホワイドボードが目につく。フローリングの床。小さな机と座布団。落ち着いた雰囲気が漂う。先客が六人いた。

 一人の女性がこちらへとやってきた。濃い色の服装と眼鏡が印象的だった。

「こんちは~。『龍の宮』がすっごく気になるって聞いとるよ。もう一人は……付き添いかな。とりあえず、座ろっか。」

 見た目から落ち着いた印象が見られたが、言動は幼さが滲み出ている。大学生か新社会人ぐらいだろうか。

「おーい。俺に任されたのに。」

「はいはい。トンシャは表の仕事で忙しいやろ。うちに任せときな。うちも幹部なんやしね。」

 手を扇ぎ、店主は階段を降りていった。

 彼女に言われるがまま座布団に腰を下ろす。

「うちは『龍の宮』幹部の烏森(かすもり)クロネって言いま~す。こう見えて十年前の設立時からずっといる古株なんよ。よろしくな。」

 明るめの言語記号が見た目の暗さを上手い具合に中和している。

 場に集まった人達でそれぞれ自己紹介を行う。先客達は同じように宗教に興味を持ってきたとされる人が二人。残る三人は宗教の先輩達のようだ。先輩と言っても、入教から日は浅めのようである。「そうそうついでに趣味も加えとこっかな」と彼女は話す。「趣味は俳句の俳人です。今時風に言うならハイカーです。よろしく。」これで一通り自己紹介が終わった。

 そのまま「とりあえず『龍の宮』の成り立ちについて説明するね」とホワイトボードの前へと立ち、左手に持ったホワイトボードペンで図を使いながら説明を始めた。

「みんなは東京直下大震災って覚えてる?」

 東京直下大震災とは十五年前に起きた大地震である。巨大地震が首都を襲ったことで大損害を与えた。日本は首都一極集中化が進んだが、その災害によって他都市にも人が流れた。首都のためか復興は相当早く、今となっては元通りな程復活した東京だが、その際に名古屋や大阪などに流れた企業や人の半数以上は首都に戻らず、流れた先で安住してる所も多い。愛知県が栄えているのも、モタロー探偵事務所が愛知県に構えているのもこの大震災が絡んでいないとは言いきれない。

「実はね、この大震災が『龍の宮』発足の要因やったんよ。この災害で亡くなった物があったの覚えとる? 結構ニュースにもなった話なんやけど。」

 それぞれ「人の命」だとか「有名な建物」だとかが出たがどれも不正解だった。

「それは皇居にあった八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)なんよ。」

 ボードに描かれる水玉みたいな図。平仮名の文字が目立つ。

「それは『三種の神器』と呼ばれている古来から伝わる神器で天皇すら拝借できなかったみたいなんよ。で、その神器には神の依り代となっているんよ。」

 ボードには神っぽいイメージ絵が独断で描かれていく。

「つまり、何が言いたいかっていうと、東京直下大震災で亡くなったはずの八尺瓊勾玉を見つけたのが、教祖様なんよ。その教祖様が神の遣いとして不思議な力に目覚めたんだよ。」

「不思議な力?」

「そう、不思議な力。まるで神からのギフトよ。うちは体験したんよ、その力を。バスがな交通事故起こしたんや。スリップしてズサァって倒れてな、そん時、死んだぁ、って思ったんやけど、次の瞬間、倒れてたバスが元通りになってん。みんな怪我もなく無事だったんよ。夢のようで夢でもなかったんで、それはそれは奇跡としか言いようがなかったんよ。」

 所々の言葉の強弱が話に引き込ましていく。

「後で分かったんよ。その力が教祖様に与えられた力《現在(いま)を変える力》ってことに。して、教祖様の奇跡のおこぼれを少しでも貰おうとするのが()()()やで。教祖様が万歳をするに合わせて万歳すると、その力のおこぼれが貰えるという訳や。一ヶ月に二回やってるから参加することを勧めとるわ。」

 公民館で行われていた万歳の波が思い浮かばれる。

「それと教祖様の力はまだ不完全らしいわ。」

「不完全?」

「そや。三種の神器ってな、三というからには三つある訳やろ。」

「ふむ。八尺瓊勾玉以外の八咫鏡(やたのかがみ)草薙剣(くさなぎのつるぎ)ね。」モタローは頷いていた。

「そうや。それが手に入れば教祖様は()()()()()を手に入れられるんよ。《現在を変える力》があるからそれも時間さえあれば達せそうやないか。で、それが手に入った暁にはな、その奇跡を信者に使ってくれることになっとる。でな、信者にはランクがあるんよ。」

 ボードにはピラミッド型の図が書かれた。別の言い方にするならば、カースト制度を説明するような図だった。一番上の細い三角は幹部、真ん中は信者A、下に信者B、土台の部分が信者Cと書かれた。

「入教すれば信者Cからや。ここでは奇跡のおこぼれしか貰えへん。特に入ったばかしやと大抵定例会も後ろ側や。その分、奇跡も薄ーっなってくわ。前列になるには信者としてちゃーんと信仰してることを証明されればなれるで。例えば、定例会に欠かせず参加し、教本だとか奇跡を込められた物とかの『龍の宮』のアイテムを買うことやな。で、献身性が認められれば信者Bになれるんや。」

 そうやって買わせることでお金を集めるのだろう。

「信者Bの中で『龍の宮』で働くものもいる。簡単には信者を広げる布教活動やったりするんやが、その人らを信者Aと呼んでるわ。信者Aと献身率の高い信者Bは、()()()()()を手に入れた際にその力で願いを一つ聞いて貰えるんよ。」

 そこにいた探偵はまさにドラゴンボールみたいな力だな、と頭の中でオレンジ色の透明なボールを数個思い浮かべていた。

「で、信者の中でも一躍上位なのが幹部やよ。信者Aの中からなれるんやが、なれる基準はうちにも分からへん。ただ、貢献度が相当高ければなれるはずや。うちは古株と言ったやろ。設立当初から支えてくれたってことで、うちは幹部になったんよ。つまるとこ、古参勢の代表として幹部なった訳や。」

 彼女はふぅと息を吐いた。

「これで『龍の宮』についての説明は終いや。もし質問があれば、直接聞きに来やーね。出来る範囲で答えたるわ。」ドヤッ、とした態度を取る。

 その場でお開きになった。

 来ていた二人が帰ろうとする。そこに彼女は近づいて、小さな声で話す。「せや、『龍の宮』のな、運勢によるとな、明日からとりあえず一週間ぐらいはここに来るのはまずいっぽいんよ。だから、絶対ここには来ぉへんようにな。」

 そのまま階段を降りる二人を見届ける彼女の瞳にはどこか鋭いものがあった。誰かが来るのを気にしているようだった。

 そのまま彼女は窓の向こう側を見る。

 窓の向こうはポツリポツリと降り注ぐ雨の景色が広がっていた。

「あんたらは帰らへんの。それとも何か気になることでもあったん?」

 ふと声を掛けられて「いや」と言いかけるが、すぐに「質問がある」と言い直す。

「《()()()()()()()》について、もしかしたら『龍の宮』の経典などに記されていないか」と「実は嘘かも知れないと思うけど、自分はその力を持っている可能性が」あると伝える。

 彼女は酷く笑っていた。

 笑いを堪えて放つ五七五。「過去変える、カゲロウデイズで、マジ受ける。」

 彼女は肩に手を乗せて、輝かしい笑顔を浮かべていた。

「嘘みたいだけど信じるよ。そういうのうち、好きなんよ。それに《()()()()()()()》を体験してるから、余計に信じられるわ。さらにな、うちらの教えにもその力は記されてるんよ。」

「本当ですか?」

「せや。三種の神器のうち一つが《現在を変える力》なんよ。残るのが《過去を変える力》と《未来を変える力》なんよなー。それよか、あんたらは三種の神器は持ってへんの?」

「持ってる訳ないじゃないですか。」少し引き攣り笑いを浮かべている。

 顔を近づけ「せやろかー」と怪しむが、すぐに違うと気付く。

「もし持ってたらうちらに譲れよ。もし教祖様以外に持ってる奴いたらな、そいつを殺してでも手に入れへんと世界が不幸なるっていう教えやからな。」

 なんか恐ろしいことを言ってるなと受け流しながら聞いている。

「しっかしまー。過去を変えるってどんな感じなんや?」

「簡単ですよ。変えないといけない未来にするために、未来が変わるまで何度も過去に帰るのを繰り返すんですよ。」

「なるほどなー。ほんまカゲロウデイズやないか。よかったなー。今日が八月十五日やったら、あの手この手で殺しに行ってたからなぁ。え、なんでそんなするかって? うちな、実は『龍の宮』以外にも所属してるとこがあるんや。」

 彼女は眼鏡を外し、髪を垂らす。前髪で顔が隠れている。

「メカクシ完了。」謎のポーズを取っている。

 ……。

 無言が続く。

「反応してくれや。全く。」そう言いながら、髪を後ろへとなびかせた。

「うちはなメカクシ団なんよ。伝わってへんな。ここで一句。伝わらない、こんな虚しい、ことないよ、梅雨。あ、季語は梅雨な。」

 関わるのは控えようと心に決めた彼であった。

 その場を去ろうとする。

「せや、『龍の宮』に入団する気はあるん?」

 それに対して、同意の意を示した。そして、定例会ではなくて、直接働きたいことも伝えた。

「そっか。それは良いなぁ。それならな、明後日にここに行くといいで。連絡取っておくから、幹部が手厚く教えてくれるはずやで。多分やが、幹部のジャングルが対応するはずや。まっ、これからよろしくやで。」

 ジャングル?

 そう思いながらも切り出すことはなく、その場を去ることにした。

 彼女は外を気にしつつ、二人を見送る。

 そのままその場所を後にした。

「潜入捜査、ひとまず上手く行きそうだね。」

「油断は禁物ですよ。というか、自ら油断は禁物って念を押していたような気がしますね。」

「そうだっけなぁ。そう言えば、そんな感じも……するね。」



 次の日。

 中華料理屋『ブッター』は火事に見舞われた。火事によって店主と取り残された二人が亡くなった。同時に、他の二つの建物が火事に見舞われたようだ。



*


 道徳駅と書かれた駅の付近にいる。グーグルマップではこの近くにあるようだ。そこからスマホを頼りに歩いていく。辿り着いたそこは工場が建ち並ぶ湾岸エリアにポツンと建っていた。

 使われてなさそうな古びた建物がある。他の施設に紛れているが、どこかそこだけ違う風情がある。そして、マップはそこを示していた。

 建物の入り口に近づく。

 そこに一人の作業員姿の人がやって来た。その人が建物へと入ると、今度はジャージ姿の男がやって来た。

 薄汚れたジャージ姿の服装は少しテカリがある。両手をポケットに入れて歩いている。三日前の定例会で会った時と見た目があまり変わっていなかった。

「よく来たな。聞いてるぜ。お前ら『龍の宮』の入教希望者なんだろ。歓迎だぜ。」

「よろしくお願いします。」

「まあ、こっちも色々あって大変だから、そんなにリソースは分けれねぇが、それでもそれなりのマニュアルは教えるつもりだ。しっかり覚えて貰うぜ。何せアンタらはすぐに信者Aになるんだからよ。」

 髪をムシャムシャと掻きむしっている。

「そうだ。名前聞いてねぇな。なんて言うんだ?」「一応……鳳ルインです。」「森太郎です。モタローと呼んでください。」淡々とトントン拍子で会話が進む。

「そうか。ちなみに俺は猿渡(さわたり)きょうきだ。猿に渡ると書いて猿渡だ。で、驚くほどに輝くと書いて――」

 モタローが何かに気づくような素振りを見せる。「驚く程に輝く……」そして、ルインもその意図に気付き、二人して声を合わせる「「ジャングルだぁ――。」」

「おいおい、ジャングルって何だよ。烏森の馬鹿と同じこと言ってるが、意味が分からねぇよ。」

 彼は意味がわからない表情をしていた。そのままため息を吐いて、続きの言葉を繋げる。

「驚くほどに輝くと書いて――」

「驚輝――ドンキ――と読むんだね。」

()()()()だ。」

 そうこうしている内に入口の中へと入った。

 さらに奥へと入ると、広い空間全体に作業スペースが広がっていた。あちらこちらから熱気が漂っていた。

 作業員は三人だろうか。少人数で暑い中で必死に何かを作っている。

「ここはガラスや鏡の製造工場だ。『龍の宮』の物を作るんだ。特に、卓上ミラーが十八番だな。」

 自信満々に腕を回している。

「俺は元々、鏡製作の町工場で働いていたんだ。その経験を活かして、ここでの主要職人兼監督に任命されたんだ。ついでに幹部にもな。もし興味が湧いたらすぐに言ってくれな。」

 暑いからと言う理由でこの場から離れることになった。一つしかない出入口から出る。

「どうだったか。他には手作業の部署がある。簡単には教本とかを製作してる。最近だと、何のためか分からないが、ひたすらに縄を切り裂いてたな。まあ、俺に知っちゃこっちゃないけど。それと、販売も兼用して行ってるから、もしかしたら販売メインで働くことになるかも知れねぇな。」

 彼は煙草を吸ってよいか許可を取ってから煙草を吸い始めた。

「で、だ。あんたらはどっちがいいんだ?」

 煙草を離して白い息を吐く。手に持った煙草が煙をモクモクと出している。

 二人は見合った。そして、同時に頷いた。

「俺は手作業の部署が気になるねぇ。」

「僕は工場の方が気になります。」

 工場の端に置かれたポール上の灰皿置きへと小走りで行き、すぐに戻ってきた。

「よしっ。じゃあ、明日からよろしくな。明日、ここに十時に来てくれ。で、モタローさんの方は俺から手作業の奴を一人寄越すから、そいつに着いていってくれ。」

 笑顔が輝いていた。

「少しだけ見学してもいいですか。」

「おっ、熱心だな。いいぜ。」

 どこか頼りがいのありそうな背中に着いていく。

「しかし、そんなやる気のある奴とはな。今は信者が増え続けていて稼ぎ時だから、とても助かるぜ。仕事したいって奴なんかそうそういねぇのに、急に現れて働きたいなんて、神すぎてるわ。」

 そんな言葉に対して、気になるパターンを確認しようと口を開いた。

「もし数日前に急に僕がこの工場に現れて働きたいです、って言ったらどうしますか?」

「当たり前のように雇ってたな。」

 それで確信した。直接、ここへと来たらすぐに潜入することができると。

 彼は現場に戻ると、すぐに仕事に復帰した。その腕は確かなようで、的確な行動で鏡を象っていく。

 カーブミラーのように曲がった鏡を作れるという。内側が凹んだガラスを銀や銅で加工する機械へと持っていく。その工程の後にガラスは鏡へと変貌を遂げていた。その後、外枠となる金属部分を発注し、くっつけて完成となるようだ。

 太陽はゆっくりと落ちていき、夕焼け空へと変わりゆく。工場のシャッターは閉じられた。

 彼はポケットに手を突っ込みながら言う。「明日はよろしくな。」



 明るさが梅雨の終わりを告げている。

 彼はポケットに手を突っ込みながら言う。「今日はよろしくな。」

 モタローは一人の女性に導かれていく。

 残された彼はそのまま驚輝に着いていく。

 手取り足取り説明されながら鏡製作の基礎を学ぶ。危険を伴う仕事のために、説明を聞くことが中心な仕事であった。

 ある程度、質問や感嘆を取り入れながら積極的に熱心なアピールを行う。

 ある程度区切りが着いた時、さりげなく別の質問をする。「驚輝さんは最近起きた三件同時に起きた火事を知っていますか?」

 彼は頷く。

「知ってるよ。その内の一つはアンタが行ったはずの『ブッター』だぜ。まっ、みんなは天罰だと言ってるが、俺には知らねぇことだ。」

 彼は何も知らなそうな素振りを取ったが、彼の放った単語が脳裏に引っかかる。「天罰ですか?」

「『龍の宮』の神様による天罰らしいぜ。何で喰らったのかは知らねぇがな。」

 そこで会話は止まった。

 そのまま午後の仕事をこなしていく。

 夕暮れ時。仕事は終わり、帰路に着く。

 電話で今日の内容について共有する。向こうは加護のある鏡を売るための訪問販売の付き添いを日中ずっと行っていたようだ。

 

 次の日が来るはずだが、時間が急速に進み始めた。そして、舞台は図書館となる。そこから急速に時間が巻き戻り始めた。



   四――



《8》


 電話が鳴る。

 スマホ越しの「陽君は無事に家に着いたよ」が安心感を与える。

 ここからだ。次に、どのように『龍の宮』に接近するか、を考える番。以前の方法は少年の母を伝にして接触を考えた。今回は「一つアテになりそうな場所がありそうです」と、新たなパターンを用意する。

 二人は合流し、名古屋市の南側へと向かう。

 近くのパーキングエリアに車を停めて、目的地へと向かう。

 そこは海岸沿いの工業地帯。

 目的地までの道を思い出しながら進んだ先に、ポツンとした町工場に見える建物があった。

「正直上手く行くとは思いませんけど、もしかしたら……手っ取り早く潜入できるかも知れないですからね。」

 工場へと踏み込んでいく。

 近くにいた男の人が話しかける。それに対して、働きたい旨を伝えた。それを聞いて、そのままその場から去る。代わりに驚輝がやってきた。彼は工場の中からではなく、二人の背後から現れた。

「こんにちは。初めましてだな。ほんとは求人はしてないんだが、正直なとこ好都合だ。人手が足りなくてな。」

 彼は少し長めのボサッとした髪を掻きむしりながら言い放つ。

「ここ結構ブラックだぜ。ほんとにいいのか?」

「大丈夫です。その方が()()()()を貰えそうなので。」

「あー、信者なんか。それなら色々と話は早そうだしな。ほんとは信者Bからしかなれねぇが、まっ、人手不足だからな、俺のツテというにして、採用にしとくわ。」

 表情には出ないが心の中で安堵の念が広がる。

「一応、仕事はこの製作工場でいいよな?」

 ふと考える。以前と同じ場所でも良いが、違う場所を経験しても良いのではないか、と。「実は、僕は手作業の方が気になりますね。」そう言いながら相槌を打つ。それを見て、「俺は製作工場が気になるかな」と放つ。

「そうか。分かった。……えーっと、なんて言うんだ?」「一応、鳳ルインといいます。」「そうか。じゃあ、ルインさんは俺から手作業の奴を一人寄越すから、そいつに着いていってくれ。」

 順調に物事が進んでいく。

 淡々と空気が流れていく。

「明日は定例会があるしな。ってか、来るよな?」「ええ」と返す。

「じゃあ、明後日からよろしく頼むな。」

 お願いします。その場を後にして、夕食のために食堂へと向かった。二人は唐揚げ定食を頼んだ。

 口の中で広がっていく肉汁。熱々の肉汁にシンプルながらも芳ばしい味と檸檬の爽やかな香りが口の中に広がる。すぐにホカホカの白米を入れ込む。二つの味のマリアージュが口内を幸せで包んでいった。

「ひとまず潜入はできたね。」

「ここからが大事ですね。過去では謎の火事が起きます。『龍の宮』解体と同時にその事件も防げたら一石二鳥ですね。」

「いいね。ただ、油断は禁物ってことだけは確かだから。それだけは肝に銘じておこうか。ひとまず明日は定例会とやらに参加してみようかねぇ。」

 ごちそうさま、と二人は言い放った。

 食卓には使い古した檸檬が乗る皿や茶碗などが残されていた。


 

 後ろの席から前列の手を挙げる行為を真似るだけの意味の分からない行動を繰り返した。そうこうしている内に定例会は終わり、解散となった。


 

 明るさが梅雨の終わりを告げている。

 彼はポケットに手を突っ込みながら言う。「今日はよろしくな。」

 ルインは一人の女性に導かれていく。

 そのまま変哲もない車へと乗り込んだ。車は下道を制限速度に十キロ程度速くした速度で走っていく。

 運転手の女性は無言でひたすら車を走らせていく。軽く質問しても、淡々と返されては話に途切れが訪れる。

 ポケットのシャーペンをいじる。いや、シャーペンにしか見えない録音機をいじる。一時的に録音を止めた。

 場所的には『龍の宮』が集まる中華料理屋『ブッター』から比較的に近い距離にある建物の地下。

「アンタが噂のルインね。仕事があるから、さっさとやりな。」

 パッとやって来たのは背の低い――いや、背骨が少しだけ曲がっているため背が低く見える年老いた女性だった。半分白髪混じりの黒髪に少しだけ目立つ皺。ほんの少しだけ削がれた肉。動ける老人という印象を持った。口調もサバサバしており若い印象を与えている。

 ここまで連れてきた女性は「コハクさんはそういうタイプの人なので、お気になさらず」と取り繕った。すぐに「では、こちらです」と導かれて進む。

 用意された使い捨て手袋を両手にはめる。

 用意された机には麻縄が乱雑に置かれていた。その付近の安そうな椅子に腰掛ける。

 さらに用意されたハケと液体の入ったボウル。この液体は油のようだ。「縄にたっぷりと油を塗ってアソコの袋に詰めて入れてください」と指示を貰った。何のために行われるのかは教えて貰えなかった。いや、彼女らも分かっていなかった。ただ、信者として与えられた仕事をこなしているだけだった。

 縄を手に取る。

 縄は乱雑に切られた跡がある。

「前の仕事は縄をバラバラに着る仕事だったんですよ」と作業員の一人が言った。その結果がボロボロになった縄なのだろう。

 ハケを油の中へと落として毛に油を染み込ませる。そのハケで毛先立った縄を撫でるように何度も塗っていく。油でギトギトの縄が出来上がっていく。

 立ち上がり、油だらけの縄を黒い袋の中へと押しやった。すでに沢山の縄が詰められている。

 片手の手袋を脱ぎ取る。

 素手でポケットから消しゴムを取り出した。単なる消しゴムではなく、カバーの下は広く削られており、外からでは分からないが、実際には中に物を入れられるような構造となっている。その中にはとある機械が入っている。そんな消しゴムも同時に入れた。小さな消しゴムは縄の中で姿をくらませた。黒い袋によって、余計に姿は見えなくなっていた。

 ゴミ箱に手袋を捨て、新しい手袋に付け替える。再び縄に油を塗っていく。

「ルイン。教祖様がお呼びだよ。」

 ズカズカとやって来た老婆。

 彼女に連れて行かれる。十人程の信者達の視線を感じていく。

 向かった先には一人の女性が佇んでいた。

 定例会の際に教祖様として力を振りまくような素振りをしていた人物だ。

「初めまして。わたくしは乙坂(おとさか)姫華(ひめか)です。『龍の宮』の創設に携わり、みんなからは教祖様と呼ばれています。」

「こちらこそ初めまして。僕は……鳳ルインと言います。『龍の宮』の、特に過去を変える力が気になっていて入教しました。」

 お互いに顔を伺う。

「わざわざ教祖様が僕の所へと訪ねて来るなんて、些か身分違いだと思い恐縮な気持ちです。」

「畏まらなくて良いですよ。」

 彼女はゆっくりと唇を動かす。小綺麗に整えられた見た目が神秘的な雰囲気を作り出している。

「逆に有難いのです。有名人がこの『龍の宮』に所属して頂けるなんて光栄なのです。」

 それを聞いて「僕は有名なんかじゃありませんよ」と否定するが、「ホストのトップに入った貴方が有名じゃないと言うことはありません」と上から被せる。

「そして、貴方には『龍の宮』の幹部になって頂こうと思うのです。……よろしいですよね。」

 ゆっくりと優しいようなその言葉はどこか引き下がれない不思議な力場を発生させていた。「ええ、大丈夫ですよ」としか発せられない。

 彼女はスマホを取り出した。

 そして「連絡先を交換しましょう」との合図で、連絡先を交換した。

『明日の夕方以降、予定を開けてください。』早速連絡が来た。送った相手はすぐ目の前にいた。

「それでは、わたくしは失礼しますね。」

 そのままその場を去った。

 お婆さんと取り残される。

「まさか幹部になるとは。が、しかーし、今日は働いて貰うわよ。人手が足りないんだ。特に男手が! な!」

 次はお婆さんによって外に呼び出された。

 次の仕事は大量の水を車に積み込むことだった。大容量のペットボトルに入った水を車のラゲッジスペースに入れていった。油でコーディングされた縄が入った黒い袋もそこに入れられる。

 大きなボックスの車はそのまま走り去っていった。

「これで目標の二つは達成した。今回の仕事はこれで終いだよ。次の仕事は明後日からさ。布教してくから覚悟しとくんだね。分かったら解散。さっさと解散さ。」

 その女性の一言でそこにいた人達が散り散りとなった。ただ、二人だけ人を残して。



 その日の夜は探偵二人、車の中で食事を取った。コンビニのおにぎりは独特な美味しさを引きただせている。

「俺の方は普通の窯業だったよ。鏡製作の基礎を学んだって感じだったよ。」

「僕の方はひたすら縄に油を塗って袋に詰める作業でしたよ。それも縄は刃でボロボロにされてた状態です。第三者の目から見たら、とても滑稽な場面でしょうね。」

 安めの緑茶で口を潤す。

「すごく燃えやすそうだね。燃えやすくするために縄を小刀で傷つけるんだよ。サバイバルキャンプに憧れて覚えたんだよねぇ。一度もサバイバルキャンプしたことないけど。」

 そこで気づいてしまった。燃えやすい縄と油、そして……。

 緑茶が喉の奥に詰まった。

 ゴホッ。少し咳をして、喉を整えた。

「実は最後に大量の水を用意したんですよ。つまり、燃えやすい縄と、水と油。そこに火をつければ大炎上させることができるんですよ。怪しいと睨んでいましたが、ここまで周到なものだったとは……思いも寄りませんでした。」

 ゴソゴソと車の中にあった探偵グッズが入った袋に手を入れる。そこからアイパッドを取り出した。

「一応、怪しかったので、GPSをそこに入れたんです。」

「ナイスプレイじゃん。いいねぇ。」

 アイパットを操作する。

 画面に映し出された画面。マップ上で示された地点は愛知県内にあった。本山駅に近い場所にある。詳しく見ていくと大手建築会社の株式会社リュウダのビルのすぐ傍らだと分かった。

「明日は仕事がないようなのでこの場所に張り込みしてみようと思います。」

「実は俺の方も明日は休みなんだよ。俺も一枚そこに絡もうか。」

 食べ終わったおにぎりの袋を購入したビニル袋に詰め込んだ。

 コンビニへと赴き、ゴミの入った袋と空のペットボトルをそれぞれ正しいゴミ箱へと捨てた。



*


 

 建物と建物の隙間に置かれたダストボックス。その箱から溢れ出たかのように置かれた大きな黒い袋が幾つか置いてある。その袋の幾つかは蓋の外れた水入りのペットボトルが上に置かれていた。

 暗がりに隠れしゴミは人目に触れずに佇んでいる。

 車一台分の車道を挟んだビルの近くでスマホを弄る。傍から見れば怪しい人ではなく、都会でよく見かけるスマホをその場で弄るために建物の傍にひっそりと立つ人である。

 バッグからカロリーメイトを取り出して口へと運ぶ。食べている合間に、片手間のスマホにメッセージが届いた。『ブッターには怪しいゴミ袋はなかった』と。

 マップアプリと文字加工アプリを開く。そして、もう一件の火事現場に丸を打つ。初めて火事を目撃した場所を鮮明に思い出して、矢印を書く。文字や記号の乗る写真を転送し、この建物についても調べるように依頼した。

 手に持ったカロリーメイトを食べ終わる。

 今のところ誰もそこに立ち寄っていない。

 昼頃になってくるにつれて眩しい光がこちら側にやってくる。スマホの画面が見にくくなっていき、仕方なく画面の明るさを引き上げた。

 今の所、怪しい人物は誰もいない。

 そんな時だった。黒い袋が燃え出したのは。

 小さな炎が袋の中の縄へと着火する。火は瞬く間に広がり安定性を失ったペットボトルはそこに水を注ぐ。油と水が反応し合い、反発し合い、そして火を炎と化けさせる。炎は建物へと着火する勢いを得て、炎のうねりがそのビルを襲う。

 スマホの電話番号の画面から一一九を押していて助けを求めた。

 逃げ惑う人々。すぐさま駆け出してきた人々はこちらへと来て安寧を覚える。しかし、炎は一階を埋めつくしてしまい、もう逃げ惑う人々の姿はなくなった。

 炎は上へ上へと上り、黒い煙を吐きながら建物を喰らっていく。

 いつしか四階五階ぐらいの焔に化けていた。駆けつけた消防士が消防車から放たれる水圧で炎をかき消そうととするが焼け石に水だった。焔はビルを覆いかぶさった。飛び火もしていたが、そちらは消防の力で被害を免れた。

 黒く炭色と化したビルは無惨な状態を見せびらかす。

 虚しい気持ちが広がる。

 そんな中、ラインがやって来た。

『黒い袋を見つけたよ。』『見かけた直後に燃えてしまったけどね。』

 向こうも間に合わなかったようだった。

 目の前で燃えるのを見てるだけの無力感が襲ってくる。

 再びラインが来た。送られてきたのはURLだった。宛先を見ると『himeka☆』と書かれていた。しかし、誰かはピンと来ない。

 ラインを開けて見る。

『今日の八時半から予約を取りましたので、ご一緒にお食事しましょう』とあった。アイコンには砂浜に映る二人の影。プロフィール画像は美味しそうなブルーソーダと黄色いゼリーみたいなまのが乗ったグラスを撮った写真だった。過去の記録を見る。ラインゲームのクリア報告やプロフィールを変えたという写真が載っていた。その中には『龍の宮』の教祖と金持ちの男が載った写真があった。

「『龍の宮』の教祖か……。そう言えば、時間を開けて置いて欲しいと」そう独り言を呟いた。

 そこへ車でやって来たモタロー。

 車へと乗り込んでいく。

 店の情報を見ると、名古屋駅すぐ近くのビルのレストランだった。少し高めなフレンチの料理屋だ。一度ここを後にして、服装を変えることにした。



*



 真っ直ぐな皺が真新しさを象徴させる長く伸びたスラックス。長く伸びた腕にスッと重なり合うジャケット。そして、少しフラットなスカイブルーのネクタイ。清潔感と共にピシッとしたスタイルがカッコ良さを引き立たせる。

 グランメゾンとはいかないもののオーベルジュ並の格式はあるようで、それに見合う見た目をしている。スッと歩いて行く姿は通行人の目を引くほど美しさに満ち溢れている。

 名古屋駅へと来た。時計台を通り過ぎて外へと出る。人工的な光が照らしている。通行人は刻々と少なくなっている。左手を上げる。時計はまだ二十時五分を示していた。

「長くお待たせしましたわ。」

 オールドローズのワンピース。レースブラウスが上品さを醸し出している。ネックレスの装飾や手に持つ鞄は落ち着いているものの、よく見るとブランド物だと分かる。相当な金銭面の余裕さを感じられる。

「いえ、こちらも先程来た所ですよ。」

 少しゆっくりめの、どこか優しさを感じさせるいつもの口調がクールなスーツ姿と相まって、魅力的な雰囲気を作り出している。

 時計は二十分過ぎを示す。

 二人はフレンチ料理の店へと入った。

 真っ黒に染まった夜空の下で、電気の灯る建物がイルミネーションのように輝く夜景を背景に、お互い向き合って座った。

「この度は『龍の宮』に所属して頂きありがとうございます。わたくしは貴方様が入教されたことを聞き、嬉しく思いました。」

「いえ。滅相もないですよ。」

 グラスに注がれたシャンパン。丁寧な指さばきでグラスを持ち、ゆっくりと口元へと運ぶ。

「しかし、ルインさんは『漆黒の翼』を辞められたのですね。」

「一年前から辞めていましたよ。」

 彼女は不思議そうな表情でグラスの中のシャンパンを口に含む。

「ホスト稼業に嫌気が指してしまったんですよね。ただ、不思議なことに『龍の宮』の存在を存じ上げたのです。過去を変える力に興味がありましてね。」

 小前菜を用意されたカトラリーで口へと運んだ。

「ルインさんは変えたい過去があるのですね。」

 海老のクリームスープは真ん中に柔らかな食感の固形物がある。口に含むと柔らかく溶けてなくなる。

「ええ。逆に、教祖様は……」「姫華でよろしいですわよ。」「では、姫華さんは変えたい未来や過去はあるのですか。」

 彼女はふと夜景を見つめた。

「わたくしには変えたい過去も未来もありません。この地位にいるのは今の過去のお陰です。そして、未来は都合よく変えればいいのですわ。ただ……。」

 タイは口に入れるとスッと味を残して消えていく。一方で彼女の言葉は耳の中に残っていた。

「本当は解消されない寂しさを変えたいのですけど、これはほんの少しの歪みが積み重なった結果ですもの。この積み重ねは変えられない程の重さがありますの。」

 ゆっくりと話していく内に時間は刻々と過ぎている。

「それを変えられるとは思っていませんの。」

 ゆったりとしたBGMの中で、落ち着いた雰囲気の中で彼女の言葉は沈んでいく。

 メインディッシュの肉料理も食べ終わり、デザートがやって来た。ショートケーキと苺のアイスが乗っている。

「もうデザートなのですね。話したりませんね。この後にご予定は?」「大丈夫ですよ。」

 カトラリーでご馳走様を示す。

 二人は駅から徒歩で数分の所にある店へと向かった。高い椅子に座り、カクテルを注文する。ビンテージな印象がどこか趣のある情緒深い雰囲気を繰り出している。

 彼女はホストとしてのルインに強い興味を抱いていた。それと同時に渡される『龍の宮』の初期エピソード。特に、信者を乗せたバスで山道を走り、そこで事故した話は長いこと話された。唯一信者以外の人が一人いたようで、その人物が夫であることも伝えられた。

 いつの間にか時計の針は二十三時半過ぎを指していた。

「終電を逃してしまいましたね。ですが、安心してください。」

 名古屋駅周辺の静寂(しじま)。静寂なる中でもスーツは寄れずにピシッとしている。

「どういうことでしょう?」

「わたくしの夫はツルヒグループの社長ですのよ。」

「あの大手ゼネコンの社長ですか。」

「そうですわ。そのために特別待遇で泊めて頂けるホテルを存じ上げていますのよ。」

 名古屋駅周辺にあるホテルだった。

 彼女に連れられて来たホテルの上階を借りられることになった。その費用は人脈のツテがある彼女が払って頂けるようだ。というのも、ほぼ無料で泊まれると彼女は言っていた。

 ドアを開いてベッドに座る。一人だしベッドにダイブするのはさぞ気持ち良いだろうが、服装が服装だけにそんなことは出来ないとゆっくりと居座った。

 ガチャリ。

 誰かが入ってきた。

 乙坂姫華だった。

「どうしてここへ?」と呟くが、その声は拾われなかった。

 ベッドへと座る。その姿も上品さを忘れていない。「今夜は貴方の好きなようにしていいわよ」と上目遣いで見る。

「少し体を洗ってくるわ」と彼女は風呂場へと向かった。

 次に現れたのは風呂上がりの姿。ホテルに用意されていた浴衣。下ろした髪がスラリと伸びる。

「襲っていいのよ。」

 無言が続く。ようやく出てきたのは「辞めておきます」と闇夜に消えていきそうなゆらゆらした言葉だった。

「それとも襲われたい?」急接近する。

「いえ。自分はそんな気分ではありませんので」といいその場から離れた。そのまま窓側へと行き、名古屋の夜景を覗く。

「あら、残念。」

 大人びた風景を背景に、ゆっくりと踵を返した。

「ホストだから乗ってくれるかと思ったわ。」

「元ホストだからですよ。ホストとは相容れずに辞めた身ですからね。」

 彼女は体勢を崩して膝を組む。

「あまり私的な話は通じなさそうね。連絡ですわ。明日の十四時から『龍の宮』の幹部会がありますの。場所はラインで送っておきますわ。」

 荷物を持ち上げた。

「わたくしツルヒの秘書をしていますの。ツルヒの事務のポストが余ってます。どうでしょう?」

「すみませんが、辞めておきます。」

 そのままホテルを出た。

 タクシーで名古屋の町を後にする。闇夜の中を走り抜けていく。



   五――



 名古屋駅から一人で歩いていく。

 アパートの中に一角。そこのレンタルスペースの一つは『龍の宮』が貸し切っていただった。

 白い机。それを囲むキャスター付きの椅子。

 その椅子に座るのは七人の男女であった。

 会議室と化したその場は荘厳な雰囲気が漂う。置かれていたホワイトボードには「幹部会」と書かれており、その下に目次が書かれていた。

 一、神喰らいについての報告

 一、新幹部の認定

 一、今後の方針について

 この三つを中心にして話していくようだ。

 机の前に立つ乙坂姫華。それを机を挟んで囲んでいる六人は彼女を見つめている。

「まず『龍の宮』を裏切り、団体の利益などを乗っ取ろうと企てたズゥトンシャは"神の加護"により、焼失しました。これからズゥトンシャはいなかったものとして扱っていきますので、ご了承ください。」

 横から「裏切り者、神の天罰、ざまぁみろ」と五七五調の言葉が聞こえた。

 この件について横にいた女性に「神の加護とはなんですか?」と聞いたが、「詮索すな、この件については、詮索すな夏」と返された。

 議題の一つは終わり、次の議題となる。

 その議題は新幹部の紹介がメインとなる。その場で一人起立をする。「【鳳ルイン】です。今は辞めましたがホストをやっていました。()()()()()()()が気になって入教を決意しました。よろしくお願いします。」

 実際は依頼人の依頼で『龍の宮』を壊滅させに来たのだが、それを言う訳にはいかないため、このような理由に変えることにした。

 他の人達についても紹介があるようだ。

 初めは教祖からだった。

「教祖の【乙坂姫華】です。『龍の宮』の拡大のために共に努力していきましょう。」

 彼女はそのままゆっくりと椅子に腰掛けた。

 次に立ったのは白髪混じりのお婆さんだった。少しだけ背骨が曲がっているせいで背が小さく見える。しかし、ハキハキとした表情が若く見せている。

「幹部の【鳩平コハク】だよ。入ったからには尽くして貰うからな」とキツめな口調で言い放っていた。

 次に立つのは眼鏡をかけた男性だった。固めた髪はピシッとした印象を与える。キリッとした面立ちが真面目な雰囲気を出していた。

「【八木(やぎ)剛人(ごうと)】です。何か困ったことがあれば遠慮なく仰って下さい。答えられる範囲で答えますので。」言葉にも真面目さが滲み出ていた。

 続いて立ったのは横にいる女性。重めの髪と寒色の眼鏡が暗めの印象を与えているクロネだった。

「うちは幹部の【烏森クロネ】や。こん中じゃ、教祖様とコハクさん、そしてうちが古参なんやで。うち、趣味は俳句なんよ。好きな俳句は尾崎放哉の「咳をしても、一人」や。もし俳句好きならお話しよや。じゃなくても、お話しよーな。これからよろしくな。」

 相変わらず見た目とは逆に元気な声が大きなギャップを与えている。

 続いて立ったのは長身の男だった。二メートルはいかないまでも百九十はあるのではないだろうか。だが、すぐに猫背になった。少しばかし顔はやつれていて、目にはクマがある。瞳は美しく輝いていて不思議な印象を与えている。全体的にミステリアスな雰囲気だ。

「僕は『龍の宮』唯一の研究員、幹部の【嘴平(はしひら)(がい)】だよ。ははっ、よろしく。」

 その声すら怪しさが滲み出ていた。

 最後に立ったのは相変わらず黒いジャージを着ている男だった。

「【猿渡驚輝】だ。一応、右も左も分からねぇだろうから、俺の下で身の振り方教えてやるよ。ひとまず明日からよろしくな。」

 これにて自己紹介が一通り終わった。

 最後の議題はこれからの『龍の宮』についてだった。訪問と電話を増やすことになったみたいだ。今まではコハクが中心に見ていたが、時折、驚輝やクロネも勧誘の仕事の手伝いをすることになったようだ。ルインは驚輝に着いて仕事を覚えていくことになった。



 夕焼け小焼け。

 モタローと落ち合い、定食屋へと移動した。彼に幹部会での出来事を説明する。

「なるほど。中心メンバーに近づいた訳だね。」

 豚の生姜焼き定食がやって来た。

「実言うと、俺は火事について探し回ったたんだ。けれども、事件の真相については掴めなかったよ。やはり、ルイン君の言ってた油を塗った縄入り袋が気になるけど、分からないことだらけだねぇ。」

 細切りキャベツを肉で包んで口に運んだ。

 今度はホカホカのご飯を肉で包んで口に運んだ。

「実は、警察に伺ってね。そしたら、火の不始末じゃないかと言われたよ。だけどね、実は違うと俺は思うんだ。例えば、袋の中に発火装置が入ってたとか……ね。そういうのを入れてたかどうかは分かるかい?」

「いえ。そこまで詳しくは見れていないので。その線も捨てられないですね。」

 柔らかい肉が口の中で解ける。

「ひとまずルイン君は敵の中枢で情報を集めてくれ。俺は別ルートで火事について探ってみるとするよ。」

 外は暗闇に落ちた。

 テーブルの上は食べ終わった食器が乗っていた。



 *



 プルルルルルル。

 電話口から自らの招待を明かす。しかし、宗教勧誘の電話と分かるとすぐにガチャリと通話は切られる。

「まっ、電話勧誘なんてこんなもんだよな。」

 そう言いながら粘って電話をかけ始めて二時間は経っただろう。成果という成果はあげられなかった。

 彼は幹部として電話勧誘の指示をしながら、自らも勧誘作業を行っていた。見習い幹部はそれを覚えるためにすぐ近くで待機している。時折、電話をかけるが残念ながら繋がらない。

「電話勧誘なんて餌を付けない釣りと同じもんだよな。大量に垂らして一本でも釣れれば良し。正直、割に合わないよな、仕事量と結果がな。」

 ダラダラと文句を放ちながら「一緒にメシでも行こうぜ」と、彼はお気に入りと評する店へと連れていった。

 名古屋市から外れていく。

 少し古びたランチのある店だった。手馴れた雰囲気で暖簾をかき分けて行く。厨房のおばさんの「驚輝君いらっしゃい」に対して、「あの席使ってもいいか」と返す。「ああ、いいさ、使いな」とさらに返ってくる。

 彼に連れられて個室の席へと来た。

 おばさんが水を持ってくる。

 彼はその水を思いっきり口の中へと入れた。飲み終わった後のプハーが響き渡った。

「この店は俺の昔からのお気に入りなんだ。」

 そう言いつつ料理を頼む。彼は「いつもの」という四文字だけを言い放った。

 メニュー表を見て何にするかを決める。そして、ケチャップオムライスを注文した。

 オムライスが届く。反対側の席に届けられたのはカツ丼だった。いただきます。二人はまず一口食べる。

「さて、仕事については大抵覚えてきたな。」

「ええ。もちろんですよ。」

「アンタ元ホストなんだってな。」

「ええ。」

「新入りの癖に幹部になった理由が分かったぜ。」

「どういうことです?」

「噂で聞いたんだが、ホストでも地元じゃ相当有名らしいじゃねぇか。そんな奴が下っ端じゃもったいないってもんだ。幹部なら、少なからずファン的な要素がそこに生まれる。幹部のアンタに近づくにはそれなりに献金や献身しなきゃならねぇ、となればこっちに利得が発生するだろ。そうなりゃ願ったり叶ったりってこったな。」

「そんなもんでしょうか?」

「そんなもんだろうよ。」

 そんな話の流れはここでばっさりと止まってしまった。

 何秒かの合いの手の間。

 彼は両肘を着いて手を組む。その組んだ腕に体重を乗せていった。

「まっ、そんな話をするためにここに呼んだ訳じゃねぇんだよな。ずばり言うぞ。お前()、何を企んでいるんだ?」

 惚けてみる。「なんの事でしょう?」

 しかし、彼は鼻で笑っていた。

「惚けても無駄だ。アンタが来た時にもう一人付き添いがいたよな? 今そいつが何してるのか知ってるか?」

 間が空いた。

「図星だな。確かモ……」「モタローさんですかね」「そうだモタローだ。そいつが昨日から、いや一昨日から何してるか知ってるか。コソコソと『龍の宮』の闇の部分を嗅ぎ回ってる。お互い、見つかった方はただではすまねぇ程のな。」

 食べかけの料理に手が付かない。徐々に冷めていく。

「この話はまだ俺しか気付いちゃいねぇはずだ。アンタは手作業の仕事がしたいってことでコハクに委ねたが、モタローは俺が預かった。俺ら以外は、アンタらが二人で来たことも気付いちゃいねぇ。まっ、俺の目下になったからこそ、俺が気付けたんだけどな……。」

 彼は片手に持った箸を一膳、顔に向けて指差した。

「で、だ。アンタら何企んでるんだ?」

 涼し気な顔をしていた。「さあ?」

「惚ける気か。じゃあ、一つ付け加えて置こう。条件次第では俺はアンタらの味方になってやろう。」

「条件?」

「そうだ。俺はな、自分で言って何なんだが、『龍の宮』一と言っても過言ではない程の守銭奴だ。金次第ではアンタらを助けてやってもいい。それどころかアンタら側に着いてやってもいいってんだ。」

 しかし、間が空いた。

「信じられねぇか。じゃあ、こうしよう。俺の過去を開示する。そうすりゃ何故俺が守銭奴なのかも分かるはずだ。それに納得すりゃ、アンタも情報を開示してくれりゃいい。とりあえず冷めないうちにご飯を食べちゃおうぜ。」

 彼は半分残されたカツ丼を食べていった。それを見て、残されたオムライスを食べていく。無言で食べていくと、すぐに皿は空になった。

 飲み干された水。コップの中の氷がカランコロンと音を鳴らしていた。

「俺が『龍の宮』に入教したのは一年前満たないぐらいの時だ。それまでは高卒後、ずっと町工場で働いてたんだ。鏡の製造工場だった。それなりに不都合なく働いてきた。けどな、悲劇が起こっちまった。その日は小雨の降る天気の悪い最悪な日だった。」

 コップに水を入れては、すぐに飲み干していた。

「ちょっと急いでたんだ。信号のない町角から大通りに出ようとしたんだ……。俺が悪いのは分かってる。不注意だったんだ。車を確認せずに、というか止まりもせずに左折しようとしてしまった。」

 しんみりとした雰囲気が広がる。

 彼の声はどこか悲しい音色を響かせていた。

「事故ったんだよ。俺は軽傷で済んだ。だが、助手席に座ってた妹は……」

 彼は吸っていいかと聞いた。それに頷くと、そのまま煙草を取り出してすぅっと吸っていった。

「意識不明の重体さ。今も意識は戻らない。何とか延命しているが、意識はもう戻らないかも知れない。そんなレベルだ。だけどな――」

 吐かれた白い煙が換気扇の中へと吸い込まれていく。トンっと灰皿に叩かれた煙草は、カスを灰皿の中へと落としていった。

「アメリカには、そんな状態からでも救える手術があるかも知れないと言うんだ。今のアイツを……アイツの意識を取り戻す手術が出来るんだ。だけど、金がねぇんだ。親は先立たっちまっていねぇ。身寄りはあんま期待できねぇ。その手術をするためには俺が金を貯めるしか道はねぇんだ。何しろアメリカは保険が効かねぇし、手術はバカ高いからな。」

 彼は肩肘を机に置いた。ゆらりゆらりと白い煙が上へと上っている。

「いいか。俺は妹のためなら何でもする。妹が意識を取り戻すんなら何だってしてやる。どんな手を使ったって、金を貯めてやる。ある日、俺は『龍の宮』に出会ったんだ。きっかけはお前と同じ「過去を変える」ことに興味があったからだが、すぐに考えが変わった。そんな非現実的な方法じゃなくて、現実的な方法を見つけたんだ。それが『龍の宮』で金を稼ぐことだ。」

 煙草を灰皿に押し付ける。煙草は虚しくもぐしゃりと灰皿の上に置かれていた。

「俺は信者Aとなった。そして、俺の町工場で身に付けたスキルを活かし、宗教用具の製作に携わった。卓上ミラーは十八番だ。勧誘とやらも頑張った。悪徳商法だろうが何だってやった。まだまだ目標金額には満たないが、相当金を貯めた。すぐに俺は稼ぐ力に秀た人物として幹部となった。幹部となった今でも俺の考えは変わらない。稼いで稼いで、手術費用を稼ぐんだ。それが俺が守銭奴である理由だ。」

 彼はコップに水を入れては飲んだ。

「最近までは軌道に乗ってたが、今後は停滞するのは目に見えてる。ここでの報奨金が多けりゃ、損はしねぇんだ。つまり、金次第では裏切ってもいいんだ。損はしねぇからな。」

 それを見て、コップの中の水を飲んで、氷だけになったコップに水を入れ直した。入れ直した水を少しだけ飲む。

「僕はモタロー探偵事務所の見習い探偵兼探偵助手さ。それでどれぐらいで手を打ってくれんですかい。」

 指で合図をする。人差し指……はバッテンを示される。人差し指と中指、間を開けた後にゆっくりゆっくりと薬指を上げる。彼はそれに対して了承の意を示した。

「三十万で手を打とう。」

「了解しましたよ。」

 残った水を飲み干した。

「僕は信者のお子さんから依頼を貰ったのですよ。信者の方はあまりにものめり込みすぎて身を滅ぼしかねないとね。それで『龍の宮』を調査することにしたんですよ。その間に起きた火事の事件から、『龍の宮』を怪しいと踏んでるんですよ。」

「ビンゴだろうな。火事の件についちゃ俺も原理は分からねぇ。が、一枚絡んでるのは幹部らの態度で理解してる。じゃあ、俺はアンタとのパイプになってやろう。」

「パイプ?」

「そうだ。俺のコネで、幹部だろうが連絡を取って話合える機会を作ってやる。それを生かすも殺すもアンタ次第だ。下手すりゃアンタらの計画がバレてズゥトンシャみたいに殺されるかもな。そんときは、俺はお前を裏切るがな。」

「分かりました。その案に乗りましょう。そう言えばですが、ズゥトンシャは何故殺されたんですか?」

「それも興味無かったから知らねぇな。基本、興味ねぇことは知らねぇからな。ただ、裏切りを企てたのは知ってる。そう幹部会で言ってたからな。」



 外は明るく眩い。

 彼が繋げてくれる人物は限られていた。

 まず教祖は候補から外した。また彼曰く、コハクは非常に強い『龍の宮』サイドのため、彼女の近くで嗅ぎ回るのは危険だということで除外。剛人は県外におり、戻ってくるのは一週間後になるだろうとのことだった。時間がないため除外。

 繋げてくれる幹部は次の二人。一人はクロネ。ただまあまあ強めの『龍の宮』サイドのようだが、コハクと比べれば危険度はまだ低い方とのこと。もう一人は亥。いけ好かない男だと言うが、危険度は低いみたいだ。

 彼はスマホを取り出して電話をした。

「連絡は取れた。今すぐにでも会ってくれるらしい。」

 車に乗り込んで、目的地に向かった走っていった。



*



 扉を開くとそのは少し薄暗い研究室だった。物が乱雑に置かれている。

 終わったら連絡をくれ、と言って彼は去っていった。

 亥は椅子から立ち上がる。背が高いが、すぐに猫背になった。そのせいで背の高さの強みが薄まっている。

「ようこそ。僕の研究室へ。」

 客をもてなすようにインスタントのコーヒーが用意された。

「ここでは何を研究しているんですか?」

「気になるかい。ここでは化学(ばけがく)を取り扱っている。特に、爆弾を……ね。ここは海が近くて助かるよ。」

 難しそうな本が乱雑に散らかっている。

「話は聞いてるよ。火事について知りたいってね。」

「はい。可能な限りでいいです。」

 座りながら右手でカップを持ち、飲まないまま話を進めていった。ただ、お世辞にも上手な持ち方ではなく、カップから液が零れてしまいそうだ。

「袋の中に機械が入っている。その機械を遠隔で発火させるんだ。……簡単だろう。ただ、違うかも知れない。」

 彼は零しそうなカップを独特な飲み方で飲んでいく。啜る音が響いている。

「もし違う場合はプラズマかも知れないね。アンタはプラズマについて知っているかい?」

「プラズマ……電気のことですか?」

「そうだね。近くに電気を発生させて火をつけたんだと思うよ。」

 飲み終わったカップは置き皿へと置かれる。

「これで話はどうだい? 満足したかい?」

「ええ。貴重なお話ありがとうございました。」

 研究室を後にする。

 用意された車で道徳駅近くの工場へと向かった。車の中、移りゆく景色の中、頭の中で一週間の流れを思い出していく。濃い一週間だった。

 次の日は来ることはなく、図書館へと戻っていった。



   六――



 真っさらな景色の中に存在する図書館。その中で本をペラペラと捲る。「さて、何日目に戻ろうか。」

 そこに一人の女性がやって来た。バターブロンドの長髪が凪の景色の中でなびいている。

 彼女は優しく声を掛ける。

「どこに戻ればいいか迷っているようですね。」

「ええ。どこに戻れば一番正解なのか検討もつきませんからねぇ。」

「正解かどうかは分かりませんが、自分を信じた道が正解になるかもしれませんよ。」

「そうですね。まずは進まなきゃ何も始まらないですからね。自分を信じて戻ってみますよ。」

 四日目の火事が起きる前に戻ることにした。本を開いて手を当てる。金色の光に包まれて過去へと進んでいった。



《9》



 今日は日差しが照りつけている。

 本山駅からすぐの建物。その傍らにあるのは黒い袋に包まれたゴミを蓄えているダストボックス。

 周りを見渡すが怪しい人物は誰もいない。

「それで運んで欲しいものとはなんだい?」

「これです。」

 そう言って、黒い袋を手に持った。

「ルイン君。……これはゴミじゃないかな?」

「はい。これが原因で爆発を起こします。今のうちに危険のない場所へ運びましょう。」

「運ばないといけないかい?」

「はい。人命のためです。」

 黒い袋を持ち上げた。右と左で一つずつ。また、助っ人の腕も借りて、ダストボックスに残ってたその他のゴミも運んだ。と言ってもそこにあったゴミは黒い袋を除くと二つしかなかった。

 ゴミを運ぶ二人は大学生と思わしき人達の注目を浴びつつ、近くの駐車場で荷物を下ろした。

 まず黒い袋の中を取り出す。

 ギトギトの肌触りが最悪な縄がギッシリと詰め込まれている。袋の中も油でびっしりだ。もう一つの袋も同じく縄がぎっしりと詰め込まれていただけだった。唯一違うのは機械の入ったGPSが入っていたことだ。消しゴムの中に隠れている。

 一瞬、起爆の原因がこの機械かと錯覚したが、すぐに違うと決めつけた。この機械は誰にもバレないように入れたはずであり、もし故意に爆発させたとなると、この機械が原因ではないと考えた方がいいだろう。

 残りの二つのゴミを見る。一つは燃えないゴミ。中は新聞紙に包まれた割れた陶器――コップの破片や真っ二つに折られた折り畳み傘などが入っていた。着火する素材や起爆する素材のものは見当たらなかった。

「うわぁ、ゴミを漁るのかい。最悪じゃぁ……ないかい?」

 そう言いながらも、ゴミ漁りに協力してくれる。その中も紙屑や事務用品の消耗品などめぼしいものは入っていなかった。

 近くのコンビニへと駆け込み、蛇口を借して貰う。洗った手でスマホを見ると燃え盛る時間を過ぎ去っていた。

 すぐに例の建物へと戻っていく。

 駆け抜けた先には無事な状態の建物があった。

 そこに追いつくモタロー。息を整えてスマホを見ていた。「近くで二件も同時に火事があったみたいだね。」

 それを聞いて安堵する。

 被害を減少させることに成功したのだ。

 ふぅ、と息を吐く。

 そこに快い感覚を与える風が吹く。その風がルインを光の粒に変えて消し去っていった。心地よい風に光はさらりと霧散した。



*



 さっきまでの景色が一転して、空白の中の図書館へと変わっていた。

「ルインさん……戻るのが早かったですね。何をしたのでしょう?」

 そこにいた彼女は疑問的な気持ちを乗せて言葉にした。

「僕はただ、被害を減らそうとしただけなのですがね。火事の原因が分かったからこそ、それを取り除いた。そしたら、ここに戻ってきていました。」

「つまり、変えてはいけない過去だったのですね。因みに、それはどこで行ったか覚えていますか?」

「本山駅の近くにある建設会社……ですね。」

 彼女は虚ろげな目をしていた。目線が下がっていくのが分かる。

「やはり、その過去は……変えられないのですね。」

 今、本に触って戻る気を無くしていた。彼女の話に引き込まれていく。

「そこは株式会社リュウダの本部です。紫龍組をご存知ですか。建築の他にも様々な業種に手をかけているグループです。愛知県を中心に展開していました。そして、その中心がリュウダでした。幼い頃に来た時は……温かな場所だと感じていました。」

 話しながら、目線は下から何も無い上側へと向いていく。

「しかし、無くなる運命だったようですね。その場所も……、社長夫妻やお雇い画家……、その他従業員。そこで亡くなるのは運命の既存路程なのですね。本当は少し期待していたのです。ルインさんが過去を変える時に、もしかしたらその既存事項も変えて、死なずに済んでくれるのではないかと、深く期待してたのです。」

 声が弱々しく聞こえる。

「けど、無理なことを嘆いても仕方ありませんね。株式会社リュウダは……いえ、紫龍組はツルヒグループに狙われたのが運の尽きだったみたいです。」

 頭の中に疑問符が湧いてきた。

「ツルヒグループに狙われたとは、どういうことです?」

「実は、この事件の前までずっとツルヒグループから吸収合併の示談を提案されていたのです。社長夫妻の家に何度も訪れて提案してきたので、その度に棄却してきたのです。」

 彼女は椅子へと座った。そのまま続きを話していく。

「何度も突き返した末のあの火事です。宗教沙汰は聞いたことがありません。それよりもやはり、ツルヒグループから刺客を向けられたと考えた方が納得がいきます。その後、トップの座と本部を失った紫龍グループは瞬く間に衰退し、すぐにツルヒグループに吸収合併されましたから。わたくしはツルヒグループが原因だと思い込んでいるのです。」

 その話からするとどうして『龍の宮』がツルヒグループと繋がっているのかは想像つかなかった。

 だのに、どうしてかツルヒグループという言葉が引っかかる。どこかで聞いた言葉だったからだ。

「ですが、悪いことばかりではありません。あまり好きになれない事実ですが、この事実があったからこそ、わたくしは貴方達と――」そこで言葉が途切れた。

 すぐに「何でもありません」と言い放った。

 相変わらず静けさが広がっている。

 手に取る『二十六歳――燃える』という本。その本を捲っていく。

 事件の犯行動機が一つ分かったとする。しかし、それは三つのうちの一つであった。残る二つについては未だに謎が広がっている。ただ内一つはもう少しで掴めそうだ。

 二日目の昼。定例会が終わり、驚輝らが帰って来た時を境目に、事件の真相を探ることにした。残る二つの内の一つは、『龍の宮』に所属するズゥトンシャが鍵を握っているはずだ。そう考えた。

 息を吐いて真剣な眼差しで本を見た。

 そして、本に触れて、過去の中へと入っていった。



   七――



《10》


 

 一人で定例会へと乗り込んだ。

 教祖が万歳をする。前列にいるコハクらが万歳をし、それを真似て前列から万歳をしていく。それが波を打つように後ろへと向かっていった。これで神の力のおこぼれが貰えるとされている。

 今日は無事に一日を過ごせた。明日は少し変わった選択肢となる。バタフライエフェクトが起きてしまわないかと内心ひやひやしていた。


 

 明るさが梅雨の終わりを告げる。

 彼は「もう一人はどうした?」と聞く。それに対して「私用で来れないそうです」と返した。それを聞いて、「そうか。じゃあ、今日はよろしくな」と言った。

 その後は信者の一人に連れられて車へと乗り込む。ここまでは順調に事が進んでいる。 

 ポケットのシャーペンをいじる。いや、シャーペンにしか見えない録音機をいじる。

 さらに、もう一本のメタリックなシャーペンもいじる。いや、これはシャーペンにしか見えない録画機器だった。

 作業を行う建物へとやって来た。

 車を降りる時に、さりげなく二本のシャーペンもどきに触れて、機械を起動させた。

「アンタな噂のルインね。仕事があるから、さっさとやりな。」相変わらずコハクはキツめの口調で言い放っていた。

 隣にいた女性が小さく「コハクさんはそういうタイプの人なので、お気になさらず」と取り繕った。そして「では、こちらです」と導かれた。

 ボロボロになった縄に油を塗る作業だ。

 黙々と塗っていく。

「どうしてこんな作業しているんですか?」

「分かりません。ですが、上からの指令ですから。きっと神のお告げなのかもしれません。」

 ふとした質問への返答から信者はこの作業の意図は分かっていないようだ。胸ポケットのシャーペンもそれを聞いていた。

「ルイン。教祖様がお呼びだよ。」

 それを合図に違う部屋へと向かった。そこに一人の女性が待っていた。

「こんにちは。わたくし、乙坂姫華です。みんなからは教祖様と呼ばれています。」

 その会話からお互いに話を重ねていき、彼女の口から「貴方には『龍の宮』の幹部になって頂きたいんです。……よろしいですか?」という会話まで進めた。それを一つ返事で返す。

 次は連絡先交換。スマホに彼女からのメッセージが入った。

「それでは、わたくしは失礼しますね。」

 その時に、「少しいいですか」と足を止めさせた。これは新たな選択肢だった。

「どうかされましたか?」「質問があるのです。」「どうぞ。」

 胸ポケットに刺さったカメラとマイクが彼女を捉えていた。

「どうして解れた縄に油を塗っているのですか?」はっきりと申した。

「そんなこと詮索しちゃいかんよ」と横入りが入った。そして「いいから言われたことをやればいいんだよ」と繋げてきた。

 彼女は口を紡いでいた。何かに耽ってているようだった。似つかわしくない口の動きをした後、すぐに唇が開いた。

「天罰のためです。我々『龍の宮』に抗う危険勢力に対する天罰です。しかし、それを知って良いのは幹部と一部の上級信者のみ。このことは門外不出でお願いしますね。新幹部のルインさん。」

「ええ。もちろんですとも。」出まかせを放つ。

「それでは、わたくしは失礼しますね。」 

 コハクと二人きりになった。

「変なことに口を突っ込むんじゃないよぉ。今日は働いて貰うわよ。人手が足りないんだ。特に男手が! な!」

 その後、大きなボックスの車に大量の水を入れ込んだ。他にも縄の入ったゴミ袋も入れた。爆発させるための物を入れた車が走り去った。

「これで目標の二つは達成した。今回の仕事はこれで終いだよ。次の仕事は明後日からさ。布教してくから覚悟しとくんだね。分かったら解散。さっさと解散さ。」

 この日は解散になった。

 それに便乗してその場から離れる。胸ポケットの二つの機械に触れた。その時の顔はなんとも言えない微笑を浮かべていた。



 太陽が昇ってから数時間が経った。

 眠そうなモタローはコーヒーを飲んで眠気を誤魔化そうとしている。

「さて、成果の共有をしようじゃないか。はぅわぁ。」語尾が眠そうだ。

 録画した内容や録音した内容をアイパッドで流す。「天罰ねぇ。なかなか凄いことを言ってるねぇ。」

 次はモタローの番だ。

 彼はズゥトンシャの情報を集めていた。

「彼は『龍の宮』の幹部だったよ。自身の店を『龍の宮』の拠点として解放していたよ。だけど、張り込みをしていたら裏の顔があることが分かったよ。」

「裏の顔?」

「そうさ。一晩中張り込んでいたら、案の定真夜中に動き出したよ。詳しくは調べきれてはいないけど、中国系の男六人と共に『龍の宮』乗っ取り作戦を考えているっぽいことが分かったよ。」

 彼はスマホを操作し始めた。

 画面はとある場所を示している。

「ここが彼らのアジトだねぇ。ここで色々と作戦を練ってたっぽいねぇ。まっ、中国語っぽい言葉で会話してるから、意味はあまり理解出来なかったけどね。」

 そのアジトは星ヶ丘テラスから山の方へと向かった先。そこは「この先、火事になる建物」だった。

「ひとまずここへと行ってみるかい?」

「そうしましょう。まだ出火の原因は分かっていませんしね。」



 急いで現場へと向かう。

 中華料理屋『ブッター』はまだ燃えていないようだ。駐車ができる場所に一時的に車を置く。

「ここには発火物が不明なんですよね。例の縄いり袋がなかったみたいなんです。」

 建物から煙が沸き立っている。

 炎は二階から下へ下へと降りていく。

 炎は段々と燃え盛り、取り返しのつかない程の大きさへと変わる。近くに来た時には、殆どが炎に包まれていた。

 サイレンの音が聞こえる。

 消防車が到着した。急いでホースから水を出していった。

「どうして燃えたのでしょう。」

「うーん。予想がつかないなぁ。」

「袋には装置などはなかった。つまり、起爆装置説は違う気がするんですよ。そうなると、プラズマが原因ですかね?」

「いやー。どうだろうねー。」

 結局、何も分からなかった。

 車へと戻る。

 コンビニで買ったコーヒーを少し口に含んだ。

「気は進まないのですが、この後、教祖とのディナーがあるので一度戻ります。」

 そのままアクセルを踏んだ。

 小さな山道を進み、大通りへと出た。そこから高速道路へと繋がる道を選ぶ。八十キロの速度で素早く走り去っていく。



*



 スーツを身にまとい名古屋駅で待ち合わせる。例の時刻に彼女はやって来た。そこからフレンチ料理の店へと向かった。

 白の美しいテーブルカバーの上に置かれる綺麗な灯火。置かれたナプキンを膝の上に置いた。

 シャンパンが注がれたグラスを持つ。最も綺麗に見せるために正しい持ち方を心がける。その正面では大きく手で包んだ持ち方でグラスを持つ。

 海老がメインのスープがやって来た。器の奥を持って音を立てないように救っていく。しかし、反対側では器を持ち上げなかったせいかカタッと音を鳴らしていた。

 たわいない話を繰り広げる。

 メインディッシュやデザートを食べ終えた。「食べ終わったらフォークとナイフを揃えて斜めに置く。」そして、簡単に畳んだナプキンを椅子に置いた。

 見栄を張ったのか彼女は凄く丁寧に折り畳んで椅子に置いた。「綺麗に畳むと料理や店への不満の意を示すことになるんですよ」と伝えた。

 少しオドオドしたような声色。その声でホテルを予約してあることを伝えてくれた。

 そして、用意された部屋へと入った。

 外の景色を見る。美しい夜景が広がっている。その間に、彼女がここへとやって来るだろうと踏んでいたが、一向に来ない。

 気になったので廊下へと出た。彼女は不審な動きをしている。それを見て見兼ねて彼女を部屋へと呼んだ。ベッドに腰掛ける。

「ごめんなさいですわ。まさか部屋が一つしか取っていなかったなんて思いもしませんでした。」

「普通はそう思いますよね。それで()()のことはなんて呼べばいいんでしたか。」

「わたくしのことは教祖様とでも呼んでください。」「いえ、貴方の本当の名前を――」「姫華と呼んでください。」

 思わずため息が出てしまった。

「借り物の姿の名前ではないですよ。その姿を借りてるあなた自身の名前ですよ。」

 姿勢が思いっきし崩れていった。見た目と反した体勢に変わった。

「ったく、バレちまったのか。俺のことはプレイヤーXとでも呼んでくれ。それ以上は教えないからな。」

「そうですか。」

 置かれた椅子へと座る。

 以前の本物といた時よりも息が抜けていく。

「しかし、よく分かったな。俺の正体。」似つかわしくないイントネーションと語彙が飛んでくる。

「分かるも何も、もう少しフランス料理のマナーを覚えて下さい。共に食べてるこちらまで恥ずかったのですから。」

 やれやれと、体のアクションで示す。

「ちっ、難しいんだよ。何なんだよ。フランス料理のマナーって。あんなの日本人にはいらねぇだろ。」

「やれやれ」ついに言葉が出た。

 それを見て後ろに仰け反っている。

「しかし、なんで部屋を一つしか予約してねぇんだ。コイツの作ったシナリオは完璧だと思ったんだけど、ちょっとミスったのか。」

「元々、二人でこの部屋に泊まるから以外にないと思うのですが――」

「普通は別々じゃねぇか。男と女だぜ。」

「男と女だからじゃないですかね。」

 はてなを頭の上に浮かべているのが分かる。結構鈍感な奴だと決めつけかけそうだった。

「僕が前にここに来た時は姫華さんがここへと来て、お誘いを受けましたよ。律儀に風呂から上がった後にね。」

「ちょっ、おま、致したのか?」

「いえ。そのまま帰りました。裏に嫌ぁな感情を感じましたからねぇ。」

「しっかしまぁ、なんかもったいないな、お前。せっかくのチャンスなのにな。」

「そんな単純な話じゃないと思いますけどね。単純に性欲だけなら簡単ですけど、その裏には違う感情が混じっている。」

「違う感情?」

「独占欲だとか承認欲求だとか、性欲の裏に潜めた大きな気持ちですよ。その中でも嫌な感情を感じとった気がしたんです。」

「そんなもん。分かるもんか?」

「ええ。極論ですが、そのような表裏の激しい感情の世界が嫌になり、ホストの世界から逃げ出してきた人間ですからねぇ。」

 プレイヤーXはベッドに向かって大きくダイブした。とてもはしたないと思いつつも目を瞑った。

 麗しいはずの女性の姿が台無しだ。

「ってか、アンタ何歳だ?」

「僕ですか? 二十六ですよ。」

「ってことは、コイツは三十七だから……。って、十歳以上も差、あるじゃねぇか。気持ち悪ぃな。」

 さっきから話を聞いていれば、プレイヤーXは浅はかな人物像が目に映る。

「それも、確かコイツ、夫持ちだぜ。ツルヒグループの社長の奥さんだぜ。」

 その言葉を聞き、一つの単語をピックアップしていた。図書館にいる女性の言っていた「そうかツルヒって――」姫華の夫だったか。

「ツルヒの秘書と言ってた――。つまり、犯行動機に成りうる」と目の前の人物を無視して独り言を呟いていた。

 これで三つの建物の火事においての犯行動機が判明した。二つは『龍の宮』を乗っ取ろうと画策していたズゥトンシャを罰するため。残る一つはツルヒの秘書としての姫華による犯行。どれも単なる火の不始末とされる程の周到さ。リスクを考えても実行する価値はある。

 点と点が繋がった。

 後は――どのようにして火災を起こしたのか、だった。ただ、この問題点が一番の難問だった。今のルインにはその理由に何一つピンと来るものはなかった。

「まあ、いいや。俺は別の宿を探してくるわ。」

 そう言って、その場を去ろうとした。急いで、動きを止める。「待て――。」

「どうしたんだ?」

「今は真夜中。女性一人で外で彷徨くには危険だ。だから、僕が代わりに出ていくよ。君はゆっくりと休んでいて欲しい。」

「けどなぁ。そんな止めとけってレベルか?」

「鏡で自分を見てご覧。その綺麗な姿見。一人じゃ危ないよ。」

 そう言って、部屋から出た。

 前もホテルから飛び出して行ったが、今回は前回よりも清々しい気持ちで外の風を浴びていた。



*



 名古屋駅から徒歩で移動。とあるレンタルスペースは『龍の宮』の貸切となっていた。

 胸ポケットのシャーペンを押した。

 部屋の中へと入る。そこには『龍の宮』の幹部が集まっていた。

 幹部会が始まる。姫華を中心に話が進んでいく。中身は本人ではないものの、本人同様の言動で進行する。ただ、ズゥトンシャについては全く触れられなかった。

 他にも変わったことがあった。以前の幹部会では、仕事は驚輝に付くことになったが、今回は彼女の計らいでコハクに付くことになった。行動を狭める上でとても効果的だろう。やられた、と心の中で感じる。

 このままだと何もなし得ないまま戻されてしまう。

 解散した後、一人で帰宅する影を追いかける。猫背の影との距離は徐々に縮んでいく。

「すみません」と声をかけた。亥が振り向く。

「どうしたのかな?」

「実は相談したいことがあるのです。できれば二人でお話できればと思うのですが――」

「明日の夕方四時から六時の間に僕の研究所に来な。ははっ。時間を設けてあげるよ。」

 そう言って、彼はそのまま帰路へと着いた。

 帰路が逆だったために踵を返す。

 少しずつ影が伸びていった。



 コハクの言葉はキツめのものだった。彼女は信者に発破をかけたり、やり方を指導したりする。そうやって信者獲得のための呼び込みの質を高めているのだ。

 幹部は指導する側。コハクのアドバイスを参考に、どのようにアドバイスすべきかを覚えていく。時々、ミニテストと題して問題を出してくるため油断できなかった。

 勧誘のプロセスを学びながら時間が過ぎ去っていく。いつしか夕方に差し掛かっていた。

 少し早く抜けて、とある目的地へと向かった。『龍の宮』の唯一の研究所だ。

 少し薄暗い研究室。物が乱雑に置かれていた。

「ようこそ僕の研究所へ。」猫背の彼はここに座って、と言わんばかりに椅子を用意した。

 インスタントのコーヒーが置かれる。

 彼は左手でカップを持ち、高く持ち上げた後、再び置いた。「何をしているのですか」と聞くと「僕は猫舌だからね。冷ましているのさ」と答えた。

 クマができている目でこちらを見る。

「さて、何の用事かな?」

「実は最近起きた三つの火事の件についてご教授頂きたくて――」

「おやおや。僕は疑われているのかな?」

 まだ彼はカップを上下に移動させていた。

 そんな訳では、と言う言葉に被せて「僕はこんなちっぽけなことはしない」と強く言い切った。

「いいかい。僕は派手な爆発が好きなんだよ。あんなちっぽけな火災……つまらない真似、僕はしないんだよ。」その声はどこか恐ろしい音色を響かせていた。その声はどこか歪んでいた。

「さて、何を教えて貰いたいんだ?」

「例えば、ゴミ袋の中に機械みたいなものが何も無かったとして、プラズマは発生して火災は起きると思いますか?」

 はっはっはっと笑っていた。

「プラズマを疑っているのか。これは面白い。けれども、違うね。例えば、電子レンジの中で発生するものだと考えておくれ。もしその空間が電子レンジの中にあるとしたらプラズマを疑えるけど、残念ながら非現実的だぁ。」

 冷めたコーヒーを高く上げた。

 カップから液体を流していく。高いところから低い所へと落ちるその液体を口の中で受け止めていた。

「僕はぁ、この件には参加していないから分からないけど、こんな説はどうかな?」

 怪しい笑みを浮かべて顔を斜めに向けていた。

「君は東野圭吾の"探偵ガリレオ"は読んだことはあるかな?」

「いいえ」と答える。

「そうか。それは理工学部の大学助教授が持ち前の化学知識を活かして、トリックを用いた難事件を解決する推理小説さ。その物語の一作目。その第一話。タイトルは――《燃える》。」

 燃焼(もえ)る。如何にもこの事件と関わりがありそうなタイトルだ。

「突然、少年の頭が燃えて亡くなるという事件が起きたんだよ。しかし、どうして燃えたのかは分からない。そこで主人公の登場だぁ。」

「それで何が原因だったのですか?」

「原因はレーザーだよ。」

「レーザー?」

「そう。離れた工場からレーザーを放ったんだ。レーザーは真っ直ぐ伸びて鏡で反射するから、鏡で反射させて、その少年の所にレーザーが来るように仕向けたのさ。」

「レーザー……。」

 頭を巡らせていく。

「つまるところ、今回の火事の原因は袋にレーザーを当てたことによるもの……ということですね。」

 猫背の彼は不気味に笑っていた。

「それは分からないな。僕はこの件には関与していないんだ。何も知らない僕が勝手に立てた、ただの仮説だからね。ただ、プラズマ説よりかは些か可能性はあるんじゃないかなぁ。」

 彼は入っていたコーヒーを飲み干した。

「話はこれでいいかな?」

「ええ。貴重なお話ありがとうございました。とても参考になりましたよ。」

「ははは。じゃあ、勝手に帰ってね。僕はまだ研究に没頭したいからぁ。」

 その場を後にした。

 夕焼けが暗闇へと変わっていく。

 静けさの残る道を歩いていく。

 まだ薄暗いだけの街中に街灯が光っていった。その明るさに照らされながら、悠長に歩いていく。



 この本の中では七日目はやってこなかった。



   八――



《11》



 四日目の朝。

 この日に火事が起きると歴史上決まっている。

「いやぁ、助かったよ。もし張り込みをしなくても良いって言ってくれなきゃ、徹夜コースだったからねぇ。」

 そんな事を言いながら、株式会社リュウダの本店へとやって来た。

「犯行動機とそれを示唆する証拠はゲットしたんだよねぇ。」

「はい。後はこの後に起きる火事の仕組みさえ解き明かせれば……尻尾を掴めるのですが。」

 まだ太陽の光は本調子ではない。朝の日差しを浴びながら考察していく。

「一つの案としてレーザーではないかと考えられます。」「レーザーね。」

 アイパッドの地図アプリを見せる。

「僕は近くの工場のある場所を直接視察していきます。モタローさんはここから工場までの反射ミラーを探して欲しいのです。」

「承知したよ。」

 二手に分かれてそれぞれの役目を果たさんとする。近くの工場に向けて走る。一方で、その周りを見渡す。

 走りながら在り来りなメロディが流れていく。

 ケータイの着信音だった。

 すぐに受話器を取る。『もしもし。』

『ルイン君。急ぎで申し訳ないけど、残り二つも見せて貰ってもいいかな。もしかしたらトリックが分かったかも知れないよ。』

 それを聞いて、踵を返して走っていく。

 急いで戻り、車を出した。

 ここからズゥトンシャのアジトまでそんなに時間はかからなかった。

 神丘の地で、彼は周りを見渡していく。

 スマホで燃やされる家の二階を映し、ズーム機能で細かく見ていく。

「何か気づくことはあるかい?」

 よく見ると、中には黒い袋がチラリと見えた。そこは『龍の宮』に敵対する組織のはず。つまり、「ズゥトンシャの仲間の誰かが裏切ったのですか」と結論付けた。

「それもあるかも知れないねぇ。ただ、それ以上に窓がおかしいんだよ。」

 窓に注目した。よくよく見ると若干歪んでいるような気がする。

「ひとまず二つの謎が解けたよ。残る一つも確認しようか。」

 最後は中華料理屋『ブッター』である。しかしそこは、ゴミ袋など用意されていないイレギュラーな場所だった。

「入り口は閉まっていて中には入れそうにないですね。」

「そうだね。ただ、二階について気になるんだよ。近くの建物の屋上から覗けないだろうか。」

 そんな時に、近所の人が家から出てきた。

 あれこれ模索している時間はない。恥を忍んで頼み込む。「お兄さん。大変申し訳ないのですが、ベランダをお借りすることはできないでしょうか。実は向かい側の『ブッター』にて怪しいものを見つけまして。……実は我々こういうものでして。」そう言って、名刺を渡した。

 無事にベランダへと上がり、対面の店を覗いた。

 よく見ると、縄に縛られたズゥトンシャと信者と思しき人物がそこにいた。その人物が暴れないようにのしかかっていた。

 その時だった。

 壁が燃えだしたのだ。

 トンシャは縛られたまま暴れだし、ぴょんぴょんと跳ねながら逃げようとする。それを見た信者が襲いかかり、逃げ出さないように抑える。

 炎は段々と広がっていき、二人を瞬く間に飲み込んでしまった。

 どうして炎が現れたのか検討もつかなかった。

 炎は虚しく舞い、消防車のホースで空しく消えていった。

 だが、隣にいた人はピンときたみたいだ。

「確か『龍の宮』の売り出している物って――。ピンと来たよ。ただ、裏取りはしたいんだよねぇ。」

 貸してくれた人に感謝を述べて、その場を離れた。

「ルイン君。驚輝君に確認して欲しいことがあるんだよ。」

 そう言って、確認事項を説明し始めた。



 姫華とのフレンチ会食を済まし、幹部会を終えた。幹部会は二本のシャーペンにしか見えない機械で映像と音声を入手した。クロネがそれに気付いたのかウザ絡みをしだしたが、振り切って帰路へと着いた。

 六日目は驚輝と共に仕事を行う。

 昼を過ぎると二人でご飯を食べにいった。

 他愛ない話で場を和ませようとした彼だが、すぐに二人しかいない空間で話題を切り出す。

「まっ、そんな話をするためにここに呼んだ訳じゃねぇんだよな。ずばり言うぞ。お前()、何を企んでいるんだ?」

 単刀直入に言う。「『龍の宮』を潰しにきたのですよ。」

「奇しくも『龍の宮』の幹部の前で、面白いこと言うじゃねぇか。だが、俺も一癖ある野郎だ。実は俺は『龍の宮』一と言っても過言ではない程の守銭奴なんだ。金次第ではアンタらを助けてやってもいいぜ。」

「ああ。じゃあ、いくらで助けてくれるんです?」

「物分りが良いじゃねぇか。逆にどれぐらいなら出してくれるんだ?」

 人差し指ではダメなようだ。中指を追加すると納得しかけた。そして、ゆっくりと薬指も上げると彼は納得した。

「三十万で手を打とう。」

「了解しましたよ。」

 残った水を飲み干した。

「僕は信者のお子さんから依頼を貰ったのですよ。信者の方はあまりにものめり込みすぎて身を滅ぼしかねないとね。それで『龍の宮』を調査することにしたんですよ。その間に起きた火事の事件から、『龍の宮』を怪しいと踏んでるんですよ。そして、後は事実の裏付けが欲しいのです。」

「事実の裏付け?」

「はい。もしかすると『龍の宮』で手製の窓ガラスを製作しませんでしたか?」

「手製の窓ガラス? そういや、何ヶ月か前に上から製作指令があったな。で、最近出来上がったばかりだ。」

「その形はどのような形でしょうか?」

「言葉じゃ説明できねぇな。工場には図版がある。それを特別に見せてやるよ。」

 道徳駅の付近の工場へと戻る。

 特別な部屋へと進み、窓ガラスの製作図を開いた。「モタローさんの言う通りだ」と呟く。彼の言う通り、窓ガラスは丸みを帯びていた。

「何のために使うのか分からねぇが、こういう風に作ってくれと依頼があったんだ。まっ、俺には作れちゃうんだけどな。」

 ガシャリ。

 その図を写真に変えてスマホで送る。

 在り来りなメロディがなり始めた。

『もしもし。ルイン君かい。俺の読み通りだったね。そして、こちらも面白い情報を掴めたよ。』

『面白い情報?』

『あの神丘の建物とリュウダの向かい側にあった建物はどちらもツルヒグループが建設をしたようだねぇ。面白いとは思わないかい。そんな偶然があるなんてねぇ。』

 チェックメイトまで残り僅かだ。

『後は、明日警察に証拠を提出して――』

 そこで不安が募り始める。『もしかしたら明日を待てないかも知れません』と過去に戻ってしまうことを考慮した。

『なるほど。こちらも一つだけ不安点があった。それは警察が取り合ってくれるかどうかだ。では、こうしようではないか。火事が起きる時に警察に居合わせるんだよ。今日のことを端的に説明してくれれば過去の俺は気づくはずだからね。もし過去に戻った時はよろしく頼むよ。』

 通話が切れた。

「何かあったか?」

「いえ。ゴールが見え始めてきただけですよ。」

 真っ直ぐ空を見つめる。

 案の定、明日はやってこなかった。



  九――



《12》



 四日目の朝。

 この日に火事が起きると歴史上決まっている。

「いやぁ、助かったよ。もし張り込みをしなくても良いって言ってくれなきゃ、徹夜コースだったからねぇ。」

 そんな事を言いながら、株式会社リュウダの本店へとやって来た。

「ここでレーザーの可能性を鑑みて、僕は近くの工場を、モタローさんはそこから繋がるミラーを確認したのですよ。」

 周りを確認していく。

「その後、窓ガラスについて歪んでいることを確認しました。それと正面の建物はツルヒグループが建設した建物だそうです。他にももう一つ同じような建物がありましたよ。」

 その場で思いっきり首を縦に振っている。何かに気付いたようだ。

「レーザーではないものの、意外といい線をいってたみたいだね。それで俺は何を言っていたんだい。」

「火事が起きる時に警察に居合わせる……と。」

「なるほど。それなら話がスムーズになるねぇ。しかし、どうやって警察を呼ぶかだよねぇ。ただ、呼ぼうとしても応じてくれなさそうだしね。」

 手をポンと叩く。

「こうしようではないか。一人が奇人奇行を演じる。それを警察に電話してくて貰う。もちろん、犯罪にならない程度にね。」

 彼はこちらを見た。

「流石に……嫌ですよ。」



 一台のパトカーがやって来た。

 一人の警察官がやれやれと頭を搔く。

「こんな時間帯から酒に溺れるんじゃないよ。全く。はいはい、そこのお兄さん。」

 みっともない姿のモタローに話しかける。どこか面倒くさそうな声色だ。

「こんなの飲んでなきゃやってられねぇ、ですわぁ。イッツスーサイドタァーーーイムッ。もう酔いが回って趣味が自殺ニ為ツテシマイソウダヨー。」

 破れかぶれの千鳥足。

 手に持った酒瓶と酷い身だしなみ。

 面倒くさそうな顔をされるのも頷ける。

「はいはい。お兄さんの家はどこですか。」

「俺の家は全世界さぁ。」

「はいはい。分かったから、なんか証明できるもの出して。免許証でもいいし。マイナンバーカードでもいいし。」

 ボッ。

 建物と建物の間。そこに置かれたゴミ袋が発火した。瞬く間に火は炎となり、焔になり、建物を飲み込んでいく。

「燃えだしたね。火の不始末とは思えない発火だねぇ。これは。」

 さっきまで奇人だった男がまともな態度を取り驚きを隠せない警察官。しかし、すぐに炎への対処に追われた。

 その日に起きた火。

 弔いの気持ちを乗せて、目を瞑った。



 姫華とのフレンチ会食を済まし、幹部会を終えた。幹部会は二本のシャーペンにしか見えない機械で映像と音声を入手した。今回はクロネのウザ絡みはなかった。

 驚輝との会食となる。

 怪しい動きに釘を刺される。しかし、それを使って金次第で手を組むと言い出した。

「こっちはもう尻尾を掴んでいるんですよ。そこに少しでも協力して欲しいのです。」

 彼は二十万で妥協すると言い出した。結局、この二十万で妥協することになった。

 彼は町工場にある最近完成した上からの指令で作らされた窓ガラスの図版を持ち出して渡した。それを持ってモタローのいる所へと出向する。

 

 そこは愛知県警だった。

 部屋へと入る。そこには鬼怒川警部が待っていた。

「今回の件は、謎に満ちているからな。事件の匂いがすると直接見た警官が言っていた。まっ、そんな訳で大事になってしまった。少し奥手になりそうな所にお前らが来たんだ。助かるよ。それで情報とは?」

「実は俺達は依頼人の依頼で宗教団体『龍の宮』に潜入し、悪徳性を証明して潰すために動いていたんだよ。そこで見つけたんだ。この三つの火事の原因をねぇ。」 

「ん? つまるところ、その『龍の宮』という宗教団体が絡んでいるのか?」

「正解だよ。」

 アイパットをその場に出す。そこからこっそりと撮った映像や録音が流れていく。警部は前のめりに情報を得ていく。全て見終わる頃にはそれなりの時間が経っていた。

「実は火事の起きた二件については『龍の宮』を裏切ったズゥトンシャという男への報復行為だったのです。一つは彼のいた建物。もう一つは彼が裏で裏切るために暗躍するために借りていたアジトだったのですよ。」

「残る一つは?」

「これは大手ゼネコンのツルヒグループと敵対していた紫龍グループを陥れるためだと考えられますね。」

 片手で頭を搔きながら頭を傾げる。「ん? どういうことだ。その『龍の宮』とツルヒグループは何の関係があるんだ?」

「この『龍の宮』という宗教のトップ――教祖と呼ばれているの方の名は乙坂姫華。ツルヒの社長の妻であり、ツルヒの秘書です。」

「つまり、その女の一声で残る一件を燃やすに至ったって訳だね。」

 頷いていた。

「だが、どうやって火事を引き起こしたんだ?」

 驚輝から貰った図版を提出した。

「これは『龍の宮』の上層部からこのような窓ガラスを作れという指令書です。独特な形をしているのが分かりますか?」

「凹んでいるな。それの何が要因なんだ?」

 パチンッ。小さな部屋に指の音が鳴り響いた。

「これが火事の要因なのだよ。その凹んだ窓ガラスによって太陽の光を反射し、ある地点に焦点が集まるように計算されているんだよ。それが……」「直接その場を見ていた警察官が見た黒いゴミ袋です。先程の映像でも見せましたが、その中には油の塗られた縄が入っています。それもナイフで傷つけられた縄です。」「縄をボサボサにすることで着火しやすくしてあるんだよ。さらに、油により燃えやすくする。そこに水を投じれば、水と油は喧嘩して、火は大きく燃えるっていう算段さっ。」

 それを聞いて頷く数が増えている。

「このリュウダの他に一件が同じ手法を取られていたね。残る一件はもっと単純さ。同じく凹みのある鏡スタンドを調整して置いたのさ。燃えた店の『ブッター』の二階の壁は真っ黒だったよ。そこに焦点を当てることで燃えたという訳だね。小学生の頃に虫眼鏡で黒い紙を燃やすことをしたことはないかい? 中学では光の屈折や焦点について学んだはず。この事件はそれらの応用なのだよ。」

「なるほどなぁ。これで三つが燃え出した理由も動機も分かった。だが、どうして態々こんな面倒くさい方法を取ったのだろうな。」

「推測にはなるけどね。もし俺らが情報提供しなければ、この事件はどうなってたのかな?」

「まあ、そうか。事件性を立証するのが難しいわな。」

「きっとそれだけじゃないよ。それで目的を達成した『龍の宮』にとっては神の力を信者に見せることができる。つまり、求心作用を生むことに繋がったはずだよ。」

「なるほどな。だが、潜入中のお前らがいた訳だ。まっ、なんと言うか助かった。これを元にこの件をこっちでも調べてみるよ。」

「よろしくお願いします。」

 その場を後にした。



 後日。鬼怒川警部から事務所宛に連絡が来た。

 火事について調べていった。令状を取れた警察には敵なしで、すぐに裏を取れる情報が集まってきたという。

 犯行の主犯とされる乙坂姫華は拘留中、起訴処分される可能性が高いようだ。また、この事件に加担していた鳩平コハクも同じく拘留され、起訴処分をされる予定だそうだ。

 その他の幹部については、烏森クロネと八木剛人は事件への関与において証拠不十分で不起訴処分となったようだ。また、猿渡驚輝と嘴平亥は初めから関与していない可能性が高く、鳳ルインと共に事件への関与はなしと判断された。

 一気に主要の二人がいなくなった『龍の宮』。

 さらには、この事件を機に違法的な悪徳商法が露呈された。名古屋市は宗教解散命令を視野に入れて裁判所に申し入れようと考えていたみたいだが、その前に代理トップとなった剛人が解散命令を出した。そもそも、教祖様を中心にした宗教であったがために、教祖が捕まった今、これ以上は存続できないとして瓦解したのだった。この話は、あの件から一週間経った頃の話だった。



*



 開催されるはずだった定例会。

 残された幹部の人達に課せられたボランティア的な任務。

 そこに集まった信者達が剛人を中心とした幹部メンバーによって解散したことを告げられる。

 崩れ落ちる人々や落胆する人々。受け止めきれない人々も時間が経てば帰っていく。

 その中でもうつ伏せに倒れては帰らない女性がいた。そこに近づき「残念ながら無くなったものはどうしようもありませんので」と伝えられる。

「これからどうやって生きていけばいいの? 過去を変えられなきゃ……このまま地獄のような日々を過ごせってこと? 生きたまま死ねってことなの?」

 虚ろ目な瞳と金切り声が空を切る。

「私は何もかも失うのよ。全てあの男が悪いのよ。あの男と結ばれなかった過去に変えないと、一生不幸のままじゃない?」

「残念ながら、もし過去が変えられるとしても、そんな都合よく変えられないですよ。」

 タイムリーパーだからこそ放たれた言葉。その言葉がさらに火に油を注ぐ。

「ねぇ、あなた幹部なんでしょ。どうにかしてよ。息子は犯罪者になるのよ。私は犯罪者の親として地獄を見るの。それにもう私は生きていけなくなるのよ。全てはアイツと結婚して、見捨てたアイツが悪いの。もうこんな人生うんざりなのよ。どうにかしてよ。」

 足元に縋ってくる。その姿がいたたまれない。

「息子さんが犯罪者になるとは限らないじゃないですか。どうして言い切れるのですか?」

「アイツは私のお金を盗んでったのよ。五十万よ。それがあれば私は信者Bとなって、過去を変える力を貰えたのよ。おこぼれだとしても過去を変えられたはずなのよ。」

 目線を上げた。

 その女を知っていた。お互いに面識はない。しかし、とある事情でその女について知っていたのだ。

 彼女の名前は羊宮未来奈。依頼人の母だった。

「そんな悲観することはないでしょう。希望を持って生きていけばきっと――」「無理よ。このままじゃ希望なんてないの。いい、あなたらが悪いのよ。教祖様を――」

 言葉の上に言葉を被せてくる。

 到底、話し合いになることはない。

 そこに黒のジャージ姿の男がやって来た。

「縋ってたものを失っちまったんだ。依存先がなくなりゃ、そのまま倒れるのは当然だよなぁ。」

 その姿は飄々としていた。

「そんな奴、ほかっておけ。こっちだって構ってる余裕なんてないんだ。朽ち果てて死ぬも、どうなろうと俺らには関係ねぇことだろ。な。」

 シュボッ。

 ライターの火が煙草を蒸す。

「ねぇ、私に死ねって言ってるの?」

「いや、言ってねぇが?」

「いや、言ってるわよ。なんで『龍の宮』に入教したか分かっていらっしゃる?」

「そんなの興味ねぇよ。死ぬも生きるも俺に関係あんのか?」

「あなた人殺しになるわよ。」

「なぁ、こんな奴ほっといて行こうぜ。もう信者もほとんど帰宅したことだし。元幹部の最後の務めも終わりだろ。」

 その救いの一手が話に区切りをつけていく。

 しかし、依頼人の陽のことを思うと胸が痛くなっていく。本当は何か言って上げたい気持ちもある。しかし、何かを言った所でより良い方向へ行く気がしなかった。

「きっと神なんかに頼らなくても助けてくれる人はいると思いますよ。もしかしたら身近な場所にいたりするかもしれませんね。」

 そう呟いて背中を見せた。

「まっ、新たな宿り木で精々頑張りな。」

 横にいた彼も背中を見せる。

 何が正解かは分からない。

 多分、これは正解ではない。これ以上、関わってしまっても良いのかと問われると何も浮かばない。

「何が一番良かったのか。僕には分からなくなる時があるんですよ。本当にこれで良かったのか。こういう問いって、教科書的なマルバツでもないし、世間的常識の良可不可でもない。そこに至るその中の正解不正解を探さないといけない訳で。ホスト時代に突きつけられて背けてきた事柄に似ているんです。本当に難しいですよね。人間って。」

 太陽はゆらゆらと揺らめいている。

 アスファルトの床を噛み締めて歩く。

「まっ、そんな気にしなくていいだろ。この世は一期一会の人生だ。そん中で何を信じて行けばいいのか、信じた先で何が正解不正解なのかって、その時その時で変わるだろうしな。俺は、不正解だろうとも、どんな事だろうとも、俺が後悔しないために行動するだけだ。」

 目の前に見慣れた車が目に映る。

「ルイン君。お迎えにきたよ。同伴も可能だよ。」

「俺は自車で来たからな。」

「そこまで送って行こうか。」

「いや、一人で行くわ。ありがとな。」

 そう言って、手を挙げては通りさっていった。



 事務所へと戻る。

 車の中で鳴り響いたペンパイナッポーペンのメロディ。モタローのスマホの着信音だった。その先は探偵事務所で待っている事務のおじいさんからだった。

 客が待っているようだ。

 急いで戻ると、客室間で一人の少年が律儀正しく座っていた。彼の名は羊宮陽。この度の依頼人だった。

「やあ。どうしたんだい?」

「この度は、僕のわがままを引き受けて、そして母を『龍の宮』から引き離してくれてありがとうございました。」

 礼儀の正しさが伝わってくる。

「残りの払わないといけないお金は幾らになりますか? それと、お金はいつまでに払えばいいでしょうか?」

「残りは五十万だね。けど、今すぐは無理だろう?」

「本当にすみません。ですが、借金してでも絶対に払いますので。」

「借金はしなくていいんだよ。前にも言ったけど、出世払いでいいんだよ。つまり、君が働いてお金に余裕ができたら払って欲しい。後は、君の善性に委ねようと思う。それでいいかな?」

 彼の真っ直ぐな瞳が貫いていく。

「はい。この度は本当にありがとうございました。お金は絶対に払いますので。」

 爽やかな笑顔で立ち上がった。

 ルインはそこに向けてゆっくりと質問する。

「陽君。君のお母さんは『龍の宮』を失ったけど、生活は大丈夫なのかい? 君に依存したりしないかな? もしかしたら君の人生が自由じゃなくなってしまうかも知れないんだ。」

 依存されるということは、ツタを巻かれるということ。特に、家族関係のツタは厄介。なぜなら絡まる場所が根底である足元に近いからだ。ツタが絡まった人間は、行動を制限されてしまう。それが自分の意志で動こうと思っていても、自分自身で行動を狭めてしまう可能性がある。これからの陽の生活に不安が募る。依存先が彼へと代わり、彼の人生が不自由なものになっていくのではないか、と。

「心配事はあるかも知れないですけど、僕は大丈夫です。何とかやりますから。それよりも今はお母さんの方が大事なのです。だって、僕にとっては人生で一人しか存在しない大切な家族ですから。」

 扉が開かれる。

「この度は本当に、本当にありがとうございました。」

 そこに射し込む太陽。その光はまるで植物を燃やす程の輝きを放っていた。

 爽やかに吹く風が揺らめいていた。



   十――



 図書館へと戻ってきた。

 そこには手を合わせて目を瞑っている彼女がいた。

 目を開いた。

「過去を変えられたのですね。おめでとうございます。」

 ゆっくりとした口調が無空間に漂った。

「気になりますよね。私が黙祷をしていた理由――。」

 その横顔はどこか儚げな、こぼれ落ちそうな欠片の集合体のイメージを与えた。

 本の近くに行き、目も合わせずに話しかけていく。

「変えられないと分かっていても、変えて欲しかった過去。それが今回のルインさんが戻った過去だったのです。せめてもの気持ちです。亡くなる運命だった人達への弔いです。」

 振り向きながら悲しそうな雰囲気は消えていった。もう変わらない表情をしている。

「さて、ルインさん。『龍の宮』は名目上瓦解しました。ですが、『龍の宮』の脅威は去っていません。」

 正面切って話される言霊。

「『龍の宮』との戦いはまだまだ続くのです。」

「どういうことです? 『龍の宮』の脅威とは?」

「私がここで言わずとも、何れ分かるでしょう。今は油断せずに過去を変えていって下さい。」

 そう言いきって、背を向けては、近くの椅子へと座った。木製の椅子だが、色は白一色だ。今すぐにでも風景と同化してしまいそうだ。

 彼女は深くは語らなかった。

 そのせいで謎は広まった。

 真っ白な世界にポツンと存在する図書館。その中で一冊だけ色付き始めた。その色はまるで金とでも言うべきだろうか。一冊の本が光出したのだ。そして、それは次の変えるべき事象を表していた。

「さあ、立ち止まる必要はなさそうだね。」

 その一冊に向けて歩き出した。

────────


主要5キャラ その2


────────


【プレイヤーX】Player X


年齢:秘密


性別:男


身長:秘密


誕生日:秘密


カラー:秘密




────────


裏主要キャラ その2


────────


【乙坂 姫華】Otosaka・Himeka


年齢:38歳


性別:女


身長:154cm


誕生日:6/17


カラー:オールドローズ




────────


燃焼る 登場人物


────────




【羊宮 陽】Yo-miya・Yo-


年齢:17歳


性別:男


身長:159cm


誕生日:6/14


カラー:アイボリー





【羊宮 未来奈】Yo-miya・Mirana


年齢:43歳


性別:女


身長:158cm


誕生日:6/4


カラー:ペールホワイトリリー




【鳩平 コハク】Hatohira・Kohaku


年齢:72歳


性別:女


身長:144cm


誕生日:4/16


カラー:スカイグレイ




【八木 剛人】Yagi・Go-to


年齢:32歳


性別:男


身長:182cm


誕生日:1/2


カラー:フロスティーホワイト




【烏森 クロネ】Kasumori・Kurone


年齢:28歳


性別:女


身長:164cm


誕生日:9/11


カラー:ブループリュス




【猿渡 驚輝】Sawatari・Kyo-ki


年齢:33歳


性別:男


身長:173cm


誕生日:1/7


カラー:漆黒




【嘴平 亥】Hashihira・Gai


年齢:31歳


性別:男


身長:189cm


誕生日:11/15


カラー:墨色




【ズゥ トンシャ】Zu' dunsha


年齢:46歳


性別:男


身長:185cm


誕生日:10/9


カラー:テラローザ





────────


────


プレイヤーXの成り代わり記録簿




《6》羊宮 未来奈


《7》八木 剛人


《8》嘴平 亥


《9》羊宮 陽


《10》乙坂 姫華


《11》烏森 クロネ


《12》ズゥ トンシャ


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ