新透明人間事件
一――
一つの本を取り出した。
本のタイトルは『二十六歳──新透明人間』というものだ。
「見覚えはありますか?」
本のタイトルを見て「ピンとこないですね」と呟く。その後、パラパラと本を捲った。本は三分の一で文章が止まっている。それ以降は空白が綴られている。
「ふむ。確かそういう事件の話を耳に挟んだことがあったような気がしますね。確か──」
彼はある男性の話を思い出す。その思い出した言伝を頭の中で映像化させた。その映像がこの部屋にいる人々に共有された。
薄光に人型の影が象られ、透明に揺らめく。
透明人間があるアパートの階段を登る。コツコツコツ。四階の棟。それがある扉の前で立ち止まる。扉をすり抜けて行く。その中にいる眠らされた男性。年老いた白髪の男性だった。透明人間は麻縄でその男性の手を足を縛り身動き取れない状態にした。
ニヤリ、薄らと薄明かりが透明人間の表情を象る。
透明人間が麻縄で首を力強く締め、殺した。首にかけた縄を片付ける。そのままその男を窓から落とした。透明人間がその場から去った。
息絶えたそれは深夜の静けさに飲まれ、闇の中へと葬りさられていった。
「こういう話を聞いたことがあるんですよね。ただ、実際にその事件に遭遇したことはないですけどね。」
本の一ページ目。
そのページが不思議と明るい光を放っている。
「そのページに触れれば過去へと戻れるはずです。さあ、過去を変えましょう。」
彼はそのページに触れた。
身体は光を放ちながら本の中へと吸い込まれるように消えていった。
「行ってらっしゃい。さて──」女性は見送った後、再び椅子へと戻り、ゆっくりと座った。
二――
「珍しいねぇ。ルイン君がお昼寝なんてね。」
爽やかな声がつつ抜ける。
少し古風な雰囲気を漂わせるヴィンテージ調の家具が立ち並び、アンティークの雑貨が目を引かせる。茶色の額におさまるリトグラフピクチャーが風景に溶け込んでいる。少し値を張る革張りのクラシックなソファと真ん中が鏡造りの机が風潮である。
しかし、そこからカーテンで遮られた部屋へと進んでいくと、そことは一変して小汚い日常感溢れる部屋が登場する。物置と化した部屋すら存在する。
その部屋の隅の方にルインのデスクが存在している。グレー色の一般的なデスクだ。デスク上は仕切りやカゴを利用して書類が分類されており、机は整っている。そんな机の上に置かれたカレンダーは歴史を遡っているという証明がなされている。
「お目覚めにコーヒーなんて如何かな。」
「すみません。頂きます。」
インスタントのコーヒーが机に置かれた。「わざわざすみません」彼は申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていいよ。それよりも午後から依頼人が来るから、忘れずにね。」
そう言って、モタローは自身のデスクに座った。
ここはモタロー探偵事務所。探偵の森太郎──愛称モタローと探偵助手兼見習い探偵の──鳳ルイン、事務パートを担当されてるおじいさんの三人が働く小さな探偵事務所である。
刻々と時間は過ぎ、依頼人がそこへとやって来た。
真っ黒を基調とした服装に派手なサングラス、銀の装飾がギラつかせ、左腕に巻かれたオーデマピゲが印象的な男性が事務所の中へと入ってきた。
クラシックなソファに腰を下ろしもたれる彼と、相対する椅子に座る二人。彼は早速、依頼事項について言及した。
「まっ、簡単な話、うちに金借りて、返さずに蒸発した奴を見つけて欲しいんですよ。お宅にできそうですか。」
モタローが対応する。
「人探しだけでしたらできますよ。裁判だとか取り立てみたいなことはできないですけどね。」
「大丈夫だ、問題ねぇ。じゃあ、引き受けてくれますか。」
「えぇ。それが探偵の仕事ですからね。では、その探したい人についての、できるだけの情報だけ貰ってもよろしいですか。」
「もちろんだ。ちょっと待っててな。」
彼はその人物についての持ちうる情報を提示した。対象者の名は彦根瑚子。二十一歳、女性。身長は一五六センチ。職業はキャバ嬢。独身で一人暮らしだが「家に張り込んでも帰ってこやしねぇんですよ」と何ヶ月かは家に帰ってきていない。母親単親。だが、「母親とは離縁したみたいであてにはなんねぇし、金もねぇ」と呟いていた。
彼女については分からないことも多いが、そこは探偵の手腕である。
「これでいいか。」
「ひとまずはこれを頼りに調査してみますよ。それでは着手金の話になりますが──」話題は金額についてにうつった。相場を拵えた金額が提示され、納得した彼はカードでそれを支払った。
依頼人の帰宅後の社宅。来賓にと充満させたラベンダーの香りが残されていた。
「さて、ルイン君。今回の仕事、成功させよう。」「もちろんです。」
ラベンダーの匂いはカーテン越しのデスクにも運ばれていた。
*
街中はまだほんのり橙色の光で明るく照らされている。夜中にギラギラと輝く看板も今はまだ眠っている。
二人の探偵は一つの店の前へと来た。まだ眠った看板のままのキャバクラ店『うさぎの箱庭』へと進んでいく。営業までまだ時間はかかるこの時間帯が彼らにとっては一番ベストの時間帯だった。
二人はその店のオーナーに導かれ、店内の少し高級な革のソファへと腰をかけた。冷たいお茶がグラスで出された。
眼鏡をかけた細めの男の人が対面に座る。
周りは薄暗く、まだ起きていない店内だった。もし起きていればスポットライトが周りを照らす豪勢な場所と変わることが見て取れる。黒の中の白と、バニーガールの張り紙が独特な空間を醸し出している。
軽いお話から本題へと入る。
「彦根瑚子さんですね。四ヶ月も前からパッとこなくなってしまい、連絡も通じず、ほんの少し困ったんですよね。まあ、夜職の夜逃げは不思議な話じゃないので、もう辞めたのだと我々は思っていますよ。」
そこに暇を持て余した女性が三人。一人はこの店の黒服で、残りは私服に見える。まだ営業時間まで余裕がある三人は探偵達の方へと面白がって近づいてきた。
「彦根瑚子ってだーれっ?」「あれ、瑚子って確かマオちゃんのことじゃなかったかしら。」「あー。数ヶ月か前に消えたマオちゃんね。」
依頼人の対象者はこの店では『マオちゃん』と呼ばれていたようだ。
名前の『ひこねここ』の間にある"こねこ"から源氏名が導かれたみたいだ。猫を中国語で『マオ』と言う。例えば、有名な推理作品の主人公の猫猫──『マオマオ』から取ってきたという説も浮上していた。
一人の私服女性がルインの横に座った。
色目で淡く見上げている。
「ねぇ、あなた、鳳ルインさんですか?」
それに対して「ああ、そうですよ」と返す。「本物のルイン様だぁ。会えて嬉しいです。」「そんなこと、言われると照れるね。一期一会、何かしらの縁だからね、何卒よろしくお願いします。」「はい。」その女性は甘い物を食べた後の表情をしていた。
その様子を傍から見ていた女性はポカンとしている。
「その人……誰?」小さく耳元で囁く。
「知らないの。二年前ぐらいかな。名古屋……いや、中日本のホストの中で五本指に入るぐらい有名な方よ。夜の世界の王子様よ。かっこよすぎてルイン様のアドトラックの写真を無意識のうちに撮ってたくらいだからね。見せたげる。」そう言って、スマホを取り出して写真を遡っていく。「ほら」と言って出されたのは顔写真と『鳳ルイン』とデカデカと書かれた煌びやかなトラックだった。
「恥ずかしいね」彼は少し笑顔を引き摺った。
「けど、それはもう過去の話。今はしがない探偵見習いなので。何かマオさんについて知っていませんか。」
「マオでしょ。急に消えた理由でしょ。絶対オトコよ、男。きっと男に決まってるわ。」「あたしはあんま分からんけど、男作って消えちゃうなんて、この業界じゃザルだもんねぇ。」「何か、彼氏できたとかいってなかったっけ。」三人で話が盛り上がっていた。
ただ、めぼしい情報を得られることはなかった。
二人は『うさぎの箱庭』での調査を終え、帰ることにした。これ以上長居したらこの店の邪魔になってしまうだろうという判断だった。
帰り際、モタローが店の女の子に声をかけた。
戻ってきた彼に対して「何してたんですか」と問うと、すぐに返答が返ってきた。
「そんなの決まっているじゃないか。連絡先交換だよ。連絡先こ、う、か、ん。」
そう堂々と言うことではないような、とルインは苦笑いを浮かべた。
*
職場の次は親戚関係に当たることにした。
だが、育ての親である母親の居場所を探るのにそれなりの時間も要した。それだけで数日が経っていたのだ。
そこは埼玉県川口市の閑静なアパート。古さが目立ってきはじめた建物の一室だ。
「わざわざ来てくれて申し訳ないけど、あたしから言えることは何にもないから。」
あっけらかんとした態度。
扉の奥がチラリと、ゴミが散乱としていた状態が見えた。
「瑚子とはもうとっくの前に縁を切ったの。あたしには関係ないの。」ぶっきらぼうな言い方。
「どうして縁を切られたのですか。」
「金泥棒だからよ。金かけて育てたってのに、お金を家に入れずに、男に金使って。ほんとに許せないわ。」
煙草とライターを取り出して、突然吸い始めた。左手で扉を抑えながら、右指で煙草を握る。ニコチンの臭いが空へと放たれた。
「それに親も親よ。あたしの親はさ、あたしを見限って破門にしたのにも関わらず、ウチの瑚子にはデレデレでさぁ。幼い頃はそれでも恩恵は受けれたけど、大人になってからはあたしにはお金が回らなくなっちまった。ほんと許せねぇ。」
愚痴が止まらない。
ため息とともに煙も吐かれる。
「そういうことであたしには関係ないから。」
「では最後に、そのあなたの親が何処にいるかは知ってますか。」
「はいはい。ここにいますよー。」
乱雑に書かれたメモ用紙。愛知県豊田市の住所が書かれてある。
彼女は「それじゃ」と言って、適当に扉を閉めた。
二人はその場でスマホを開き、グーグルマップを起動させた。メモの先は田舎よりの場所であるようだ。
「さて、愛知県へ戻るとするかな。まっ、せっかくここまで来たんだし、美味しいものだけ食べて帰ろうか。」
「いいですね。僕は帰りの新幹線を予約します。」
「では、俺は美味しい店でも探しておくよ。」
二人は店先にて鰻重を堪能した。
そんな時だった。古坂大魔王という芸人の曲がモタローの懐から流れてきた。ペンパイナッポーアッポーペン。これは彼の持つ仕事用のスマホの着信音であった。
「もしもし。こちらモタロー探偵事務所の森です。……はい。……はい。……はい。えっ。あー、はい。分かりました。」
ガシャリ。
スマホを閉じた彼は机に対面するルインに向かって微笑を浮かべた。
「ルイン君。速報だよ。依頼人からだった。」
それに対して固唾を飲む。
「彦根瑚子が見つかったようだ。」
*
探偵事務所にて依頼人と再び相対する。
探していた人物は自らその姿を現したようだ。彼女は借金しているお金を耳揃えて持ってきたみたいだ。
「そうなのですねぇ。しかし、その多額の借金返済となれば何か博打に大勝利したとかですかねぇ。」
「いや、血縁者が死んだらしいですわ。それで死亡保険金が降りてきたっていう。」
依頼人の話はルインに取って「ハッ」と思い出す出来事の一つだった。それは彼が過去に戻る前に思い出した透明人間の事件そのものであったからだ。
彼の話を頭の中で展開すると、あの独特な世界で見た景色と一致する。
「……ってことで、謎の殺人事件か事故かで保険金が手に入ってきたんですよ。それで返済できるからって姿を現したみたいなんですよ。」
依頼人は帰った。
この一連の流れを思い出すと、何一つ歴史を変えていないことに気付く。つまり、ルインの歩んだ軌跡と全く同じ轍を歩んでいただけだったのだ。
そこでルインの意識は消えた。
いつの間にか「謎の図書館」へと送還されていた。
三――
《1》
戻された世界で彼女は静かに待っていた。
「事件は解決出来なかったのですね。」
「事件に関わることも無く、事件が終わっていた……失態です。僕の──」彼は少し下を向いた。
「大丈夫です。まだ終わりではないですから。再び本を開き手で触れれば、また過去へと戻れますよ。」
まだ希望は紡がれているようだ。
再び本を手に取る。
「それと、本を捲れば戻れる過去の地点を変えられますよ。」
本の中、前まで白紙だったページが少し文字で埋まる。この過去改編の出来事までもが記されていた。
ページを捲り、依頼人が来た日の次へと飛ぶことにした。
ページに触れた。
彼は本の中に吸い込まれるように消えていった。
*
愛知県豊田市。中心街から車を走らせた田舎の街並み。鳥の鳴き声が自然を感じさせる。車の窓を開け、自然を感じながらゆっくりとアクセルを踏んでいた。
「しかし、どうして職場からではなく血縁者──それも母ではなくて、その上の叔父を調べようと思ったんだい?」
ルインは無言になった。
信号が赤から青に変わる。それと同時に口を開く。
「あまりにも突飛とした非現実的な話なので信じて貰えないと思いますが……いいですかね。」
「もちろんだよ。」
「実は僕は未来から来たんですよ。未来の僕が過去を変えに……ね。きっと信じられることではないと思いますけど。」
彼は頷く。なるほどね、と。
「俺は信じるよ。そもそも君はジョークを言う性格じゃない。それにこの状況下でそんな嘘つく必要性がないしね。さらに、この場所を知らないはずなのに、君はピンポイントでこの付近を探し当てた。こんなに裏つけてくれる証拠もないんじゃないかな。ということで、俺はその説を信じるよ。」
心地よい風が車の中に入ってきた。
爽やかな風がルインの口元を緩めていた。
後少しの所まで来た。山道を登ると、住宅アパートが左右交互に現れていく。少し登った先の三つ目に見えるアパートが彦根家の暮らす家だ。
そこに繋がる道は封鎖されていた。
そこだけ慌ただしい雰囲気に包まれていた。
黄色と黒のテープの先にはパトカーが何台か止まっている。そして、青い制服を着た人達が真剣な眼差しであちらこちらを睨んでいた。
「何か問題でもあったのかな。探偵として真実が気になるサブクエストだね。」
目の前の事件に興味を湧いている。
停車できそうな場所まで車を進め、そこに停めた。
颯爽と出ていき現場へと向かう姿。それを見て「やれやれ。全くですよ。そんな子どもみたいに行かなくても」と苦笑いを浮かべている。
慌ただしい中へと飛び込んでいく。
立ち入り禁止テープの前で一人の男性が現れた。明らかに警察だと分かる見た目。皺や白髪が似合う五十代程度の見た目。黒目で体格はがっしりとまではいかないが、ある程度は鍛えられていそうだ。
その男は胸ポケットから手帳を取り出し、二人の目の前に出した。そこには彼の顔写真と"警部"という文字、そして名前が書かれている。
「ここは立ち入り禁止なんだが。」
「もちろん。それはご存知ですよ。ただ、少し気になってしまいましてねぇ。」
「じゃあ、帰った帰った。ここは遊びじゃないんだ。一般人が来ていい所じゃない。」
それは残念だと言う顔を浮かべている。
「では、きどかわ、けんこう警部殿。一つお聞きしたいことがあるのですがいいですか。」
「鬼怒川健康だ。」『ぬ』と『としやす』の部分を強調して言った。
「これは失礼。」
「まあいい。なんだ聞きたいこととは。」
胸ポケットから名刺を取り出して警部へと渡す。そこには"モタロー探偵事務所"とその住所、名前等が載っている。
「自分、こういうものでして。今、行方不明者を探しているんですよ。そして、その手がかりを得るために親戚を訪ねてきたんです。その方の名は彦根住吉。そこのアパートに住まれているみたいなんですが、今どこにおられるか分かりますか。」
穏やかな風が吹く。
質問に答えずにいる間に吹いた風が、少し静けさの残る音を響かせていた。
「その方はいない。……どこにもな。」
意味深な言葉に静けさな音が不気味な音へと変わる。
「残念ながら、今朝、亡くなられたよ。」
「そうでしたか。それは残念です。」
二人はその場から引いた。
坂を登っていくと、その先は小さな公園と向かい側の公園がある。公園のベンチに腰掛けた。
古びた公園だ。塗装が外れかけ握ればパリパリと崩れ落ちる鉄柵。その柵が囲んだ先にあるブランコは風に揺られているだけ。ジャングルジムが静かに立っている。
懐かしく可愛らしい声なんて一つもなく。ただ、落ちた葉っぱが風に飛ばされていくだけだった。
「さて、どうしたものか。この事件と彦根瑚子の消滅はどうも繋がっているようにしか見えないんだよねぇ。」
ペットボトルに入ったカフェオレを口に含ませる。
それに対して「実は未来では──」と冒頭に持っていき、透明人間の事件の噂について打ち明けられた。
「透明人間ねぇ。リアルなのかフィクションなのかどっちだろうねぇ。どう思う?」「リアルだと僕は思いますね。」
一口飲んでは、ふぅと息を吐いた。
「ふむ。そりゃあ、面白そうだね。俺らでひっそりと解決しようと思わないかい?」
「いいですね。僕たちも事件解決に動きましょう。」
「いやいや、事件解決に動く必要はない。」
三人目の声。
見知らぬおじいさんがベンチの横に座っていた。
持ってたカフェオレを零して、ベンチから転げ落ち「びっくりしたぁ」とリアクションを取る。隣で「どなたですか」と冷静に話す。
そのおじいさんは白髪は目立ちにくいが、太陽に反射する皮膚が目立っている。細々とした腕からは骨の筋が見え隠れしている。飄々とした座り姿には少し元気さを感じさせる。
「お……わしは牛林隆重じゃ。今朝死んだ住吉の隣の住民だよ。」
ペットボトルの蓋を閉める。立ちながら口を開く。
「質問があるけどいいかな。先程、事件解決に動く必要はないと言ったどういうことか教えて貰えないですかな?」
「そのままの理由じゃな。犯人は分かっているからのぉ。」
座りながら口を開く。
「そうなのですか。犯人は誰で、どの方法で殺害したのか分かりますか。」
おじいさんは頷いた。
「もちろん。犯人はわし、牛林で、窓から突き落として殺害したんだからな。」
人の気のない風が葉を舞うように吹く。
ゆっくりとブランコがほんの少し動いた。
「この後、自白するつもりじゃ。だからな、事件を解く必要がないんじゃよ。」
立ち上がり「ちょっと来てくれ」と言い、二人を呼びつけた。公園の向かい側にあるアパートだ。事件が起きた棟ではないが、構造は全く同じだという。
アパートの裏側。人一人か二人ぐらいが通れる建物の細い脇道を通るとたどり着く。そこの殆どは畑スペースとなっていた。幾つかの区切りで仕切られ、それぞれが別々の花や野菜を育てている。
建物の沿いにコンクリートの道があり、そこから畑へは徒歩二、三歩程度だ。
建物の四階を指さす。
家の窓はこちら側はそれぞれ二つずつあることが分かる。一つはベランダ。通常的なものよりかは小さめだ。もう一つは何もないただの窓。柵もなく、そこからなら落とせるだろう。
「下は舗装道路。四階から落ちれば……死ぬね。」
「畑の管理で言い合いになって落としてしまったんだ。気付いた時にはおそかったのじゃ。」
亡くなる原因は落下による打撲における落下死という。
おじいさんはそのことを警察に自供しに道を下った。二人もそれに着いていく。
例の場所にはすぐに着いた。
鬼怒川警部に話しかける。
「まーだ、いたのか。部外者は帰ってくれ。」
「実はこの人が君らに話したいことがあると言っててね。それで着いて来たんですよ。」
「言いたいこと?」
「実は住吉はわしが殺したんじゃ。言い合いになって、住吉を窓から落としたんじゃよ。気付いた頃には落ちて亡くなっていたんじゃ。」
重い一言一言が風に流される。
警部はポカンと口を開けていた。
「何言ってんだ。被害者は落下死じゃなくて絞殺による窒息死。それに動機は何あれ、落とすだけの力あんのか。」
えっ?──×三。
時が止まったかのように風が吹かなくなった。鳥もその時は鳴かず、まるで凪みたいになった。
坂を通る車の音が空間を元に戻す。
牛林は何も言うことはできずに黙っていた。
「まあ、何か分かることがありそうだ。署で詳しく聞かせてくれ。」
二人してどこかへと向かった。
残された二人は自分たちの車へと戻った。
「なんだったんだろうね。真相が余計闇の中に入った気がするよ。」
「そうですね。やっぱり僕らで事件を探ってみた方がいいかもしれませんね。」
「それなら秘密兵器を持ってきた方が良かったね。」
「持ってきてなかったんですね。」
「愛知県で近かったからね。では、一度取りに戻ろうか。」
車を走らせる。
その間に光が舞い、ルインは消滅した。
そして、再び図書館へと戻ってきた。
「バタフライエフェクトを起こしちゃって未来の歴史が変わるから戻されちゃったみたいね。」
再び本へと触れる。今度はモタロー探偵事務所の秘密兵器を持って行く未来へと変えることにした。再び依頼人が来日した次の日のページに触れた。
四――
《2》
愛知県豊田市。中心街から車を走らせた田舎の街並み。鳥の鳴き声が自然を感じさせる。今度は車にアレを詰め込み車を走らせる。
山道を登り、警察がたむろう場所を通り過ぎ、左沿いに車を停める。わざわざ行く必要はないと制止したがモタローは「何か問題でもあったのかな。探偵として真実が気になるサブクエストだね」と言い、無邪気に飛び出して行った。けんこう警部のくだりまで一緒だ。
近くの公園にて腰を下ろした。
見渡しても誰もいない。
空になったカフェオレ。見渡しても誰もいない公園であった。
「さあ、モタロー探偵事務所の秘密兵器を繰り出すとしようか。」
「はい。そうしましょう。」
出されたのはドローンだった。遠隔カメラが付けられている。また、手元には大きめなアイパッドが用意された。
「三十メートル確保。ドローン充電マックス。カメラ接続完了。さあ、発進さぁ!」
モタローは手に持つ機械を器用に動かす。ドローンの動きに合わせて、アイパッドに映された映像も動いていく。ルインがカメラの角度を調整したりズームしたりして様子を詳しく見ていく。
例のアパートの裏には警察官が何人も出動している。そこの殆どは畑であり、人は立っていない。建物に面したコンクリートの地面の場所に人が立つ。
「そこに落とされたんですね。」
地面に貼られたテープは人型を表している。その周りは少し赤っぽいのが分かる。
建物を見た。床テープの上は窓が各階に存在している。両隣りには小さなベランダがあり挟まれている感じで存在している。
建物の四階の窓だけ開いていた。
映像を拡大する。変哲もない部屋が映った。
「そろそろ精査といこうかい。」
ドローンを手元へと戻した。
記録した映像を見返していく。
部屋の様子を丁寧に見る。狭いリビングだ。左手にはテレビが掛けられている。テレビの横にタンスが置かれている。正面には奥にボロさが見え始めている二人掛けソファが置かれている。ソファと支柱の間に折り畳みの机が収納されている。右手はキッチンとなっていた。机上にはコップや袋が乱雑に置かれている。
ドローンが映し出したのはこれだけだった。
「手がかりはまだ掴めなさそうだね。」
「そうですね。やはり、情報が少なすぎますね。」
「そこは探偵の腕の見せ所だね。腕がなるよ。」
手がかりを得るためにまずは聞き取り調査をし始めた。まず八人に話を伺ったが、めぼしい情報はなかった。
そんな時だった。ふと坂道を歩いている老人を見かけた。その人をルインだけは知っていた。
「こんにちは。すみません。少しよろしいですか。実は私達こういうもので、彦根瑚子さんについて調査しているのですが、偶然瑚子さんのおじいさん、住吉さんが亡くなっていたんです。そこで住吉さんについても調べることにしたんのですが、もし知っていることがあれば教えて頂けませんか。」
出される名刺。
牛林はその場で立ち止まった。
「もちろんじゃ。分かること、教えちゃる。」
「立ち話も大変ですし、どこか座りましょう。あそこの公園のベンチで話するのはどうですか?」
首を縦に振った。
三人は公園のベンチに座った。
「まさか住吉さんが殺されるとは思いもしなかったんじゃよ。とても仲良かったんじゃがなぁ。」
前に話した時とは雰囲気が違う。
「住吉さんは誰かに殺されたんですね。」
「きっと、いや絶対そうじゃ。実はわしは遺体の第一発見者なんじゃ。見つけた時はのぅ、手首足首にそれぞれ縄が縛られておったんじゃ。」
素早くメモを残す。
「それも結ばれてたのは後ろ側じゃぞ。自殺な訳なかろうに。」
つまり、誰かが動けないようにしてから落とした、と。
「何か犯人に心当たりはありますか?」
「思いつかないんじゃよ。そうそう恨まれるような人じゃないんじゃよ。住吉さんは良い人なんじゃよぉ。」
今度は犯人は誰か分からないと言った。
何故か自分は犯人ですと言った以前の牛林とはまた違う牛林だと思わせた。
「夜中不穏な音とかは聞きましたか。」
「すまんが分からないんじゃよ。最近、耳の調子が悪くてのぅ。耳と目だけは自信がないんじゃよ。申し訳ないのぅ。」
「いえいえ。」
風で飛ばされた葉っぱが靴の上に乗った。
「そういうことは管理人さんに聞くといい。坂下の道とか階段とか防犯カメラがあるはずじゃ。管理人さんならもしかしたら何かに気づいているかも知れんのぅ。」
探偵は管理人の連絡先を教えて貰った。
牛林はこれ以上は何も分からないそうだ。そのまま帰ろうとした時に、ふと立ち止まる。そして、振り向く。
「そうじゃ。おぬしら彦根瑚子を調べとるっ言っとったなぁ。」
「えぇ。そのツテでここまで来たぐらいですから。」
「瑚子ちゃんなら昨日見たぞ。」
「えっ──」
「そもそも何ヶ月か前からかのぅ、ここに住み始めたんじゃよ。昨日は、わしが畑作業しとる時に、何かしとった時に声をかけたんじゃよ。」
彼は思い出そうと頭を捻る。
「そうそう。家の窓下に来て、しゃがんで何かしとったから声をかけたんじゃよ。」
「何か……とは?」
「わしにも分からぬ。確か落し物したとか言ってた気がするのぅ。わしが作業に戻って気が付いた時にはいなくなってたんで、来てすぐ帰った感じがするのぅ。」
「昨日のいつ頃の話ですか?」
「畑作業しとる時じゃから。昼過ぎじゃろ。三時か四時くらいじゃったっけぇ。もう覚えとらんなぁ。」
彼はハハハと笑った。
いや、ハハハじゃないが。
「そういうことじゃな。それじゃぁのぉ。あ、それとなぁ、瑚子ちゃんはわしと同じホテルに止まってるぞ。」
「ええぇ──」
元気そうに去っていった。
取り残された二人はベンチでポツンと座っていた。
「見つかったね、当の本人。この後、どうする?」
「まあ、ここまで調べたんですから、このまま事件の真相を探ってもいいんじゃないですか。」
「そうこなくっちゃね。せっかく首を突っ込んだんだ。楽しまなくちゃ。」指をパチンと鳴らした。
*
事件現場から車を走らせ人が行き交う街へとやって来た。ここは豊田市にあるホテルの一つである。
ホテルの六階。
インターホンのボタンを押す。
数分後、出てきたのは若い女性。チェーンで扉は少ししか開いていない。大きな隙間越しの会話だ。
いつも通りの名刺を渡すまでの作業。
彼女こそ渦中の彦根瑚子だ。
「あたし、何にも知らないから。」
「そう言わずに。」
「いい? あたしはちゃーんと家の鍵も閉めて、昼の四時には家を出たのよ。で、じいちゃんは夜中に殺された。その時に、あたしは遊びに行っててそこにいなかった。窓を閉め忘れてたっぽいから、犯人はそっから入って殺したんじゃない? あたし、知らないから。」
ぶっきらぼうな言い方だ。
「遊びに行ってたとは行ってましたねぇ。どこに行ってたか──」
「は? 警察ごっこのつもり? うざっ。」
ガシャン。
扉は強く閉ざされた。
「なぁ、ルイン。」「なんですか。」「チャイム何回押せばもう一度出てくれるかなぁ。」
インターホンに指を向けた。
「俺の高速連続チャイム鳴らしをくらえっ!」
「駄目ですよ。一旦ここは退散しましょうか。」
腕を掴まれてその場から遠ざける。
エレベーターで下る間に思考を巡らす。
自販機で飲み物を買った。いつものコーヒーと炭酸飲料だ。どちらも比較的小さめのサイズを購入していた。
ロビーの椅子で横並びに座る。
「とりあえず、これ以上の瑚子さんとの会話は無理そうですね。」
「そうだね。けど、色々と事件については知れた。あの窓は空いていたが、他の窓や扉は閉まっている。犯行は夜中だった。大切なポイントは抑えられてた、ね。」
ほんの少しの会話だけでここまで情報を整理して考察できるとは、と感銘を受ける。
炭酸飲料をグイと飲み干した。
「さあ、次はアパートの管理人の所へと行ゲェ~ップ。」単純にかっこ悪い。気持ち悪い。
「全く。炭酸を一気飲みするからですよ。早く行きましょう。」
*
その男は気前よく対応してくれた。
背は一七五程度だろう。染髪されたであろう青髪、茶色がかった黒目。太くはないが細くもない腕。髑髏の絵が書かれた黒のシャツを身にまとっていた。
そこは立派な一軒家。彼は部屋の中へと案内して、一台のパソコンを見せた。
モニターに映るのは監視カメラの映像だ。
彼曰く、防犯カメラは彼が所有する物のようだ。そして、防犯会社と提携している。「第三者に見せちゃ駄目って言われてるから絶対内緒で」と強く念を押していた。
兎神悠作――例のアパート郡の管理人である。彼は地主として、それだけで食べていけるぐらい収益はあるそうだ。
「あの日、不審な動きとかはなかったんだよな。」パソコンをカタカタと操作する。
モニターに映る映像。坂下に付けられた監視カメラは、通り過ぎる人や車を記録していた。夜になるにつれて人足車通りが少なくなっていく。夜更けには何も変化がなかった。
「見知らぬ車とかは映ってないんだな、これが。ただ、人が通るだけなら監視カメラがない草っ原ルートもあるから何とも言えないけど。」
次に、事件が起きたアパートの映像を見せて貰うことになった。
肘をつきながらマウスを動かして映像を用意している。
映った場所はアパートの一階階段に設置されたカメラの映像だった。
仕事や買い物に出る数人の住民。一方で何かの荷物を持って家へと帰宅する瑚子。被害者である住吉が家を出て昼過ぎの時間帯に戻ってきた。外へと出る牛林、一時間後には瑚子。彼女はしっかりと鍵をかけていた。夕方近くに住民も数人帰ってきた。最後に映った人物は牛林だった。
「畑のある裏庭の方も確認したいのですがいいですか。」
「そっちにはカメラはないんだ。」
「そうでしたか。」
実際に被害者の遺体があったとされる裏庭へのカメラはなく、肝心な情報を手に入れることはできなかった。
二人は感謝を述べ、そこを後にした。
まだ解決への手がかりは掴めていない。
夜が明けると、モタローの元に一本の電話がきた。受話器の向こうは依頼人であり、対象者が死亡保険金で借金を支払った、つまり見つかったというものだった。
そこで過去改編は失敗となり、再び図書館へと戻っていった。
五――
《3》
いつの間にかブレーキを踏み終えていた。無意識でロックをかけて車を停車させていた。
助手席から降りて無邪気に事件現場へと進む姿。三度目となる景色を見て同じ景色に飛び込む。
立ち入り禁止区域の前で会話をする二人。
そこへと飛び込みに行く。
警部は手帳を取り出して前へと出した。
「これはこれはきどかわ、けんこう警部。一つお聞きしたいことがあるのですがいいですか。」
「なんだ言ってみろ。こっちも捜査で色々と忙しいんだ。」
「自分、こういうものでして。今、行方不明者を探しているんですよ。そして、その手がかりを得るために親戚を訪ねてきたんです。その方の名は彦根住吉。そこのアパートに住まれているみたいなんですが、今どこにおられるか分かりますか。」
間が空く。
「さあな。」
風に舞う葉っぱがあちらこちらを行き来している。
「さあ、帰った。ここは立ち入り禁止だからな。」
仕方なく公園へと向かう。
カフェオレを飲みながらゆっくりと話し合う。
「モタローさん、一ついいですか。」
「どうしたのかな?」
「あの警部、少しおかしいと思うんですよ。というよりも、何回かこの歴史を繰り返しているんですけど、今までとは違う動きをしている気がしているんですよ。」
「車の中で言ってた話だね。ふむ、興味深いね。もう少し詳しく教えてくれないかな。」
「以前の二回と今回とでは警部の対応が違いすぎているんです。」
風で砂が運ばれていく。
「ふむふむ。なるほど。何回も歴史をやり直して、今回はその通りではないってことかな。今ちょうど、いい事を思いついたよ。」
怪しい笑みを浮かべている。
立ちながら、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながらカフェオレを飲み干していた。
「いい事とは?」
「ルイン君、この回を失敗にする代わりに大きな情報を得るのはどうだい?」大きく手を広げている。
今度はブランコの上に片足で立ち、持ち手を片手で握り回転した。
「つまり! あの手この手尽くして無理やりでも情報を得ようって訳さ。まあ、これが失敗となることが絶対条件だけどね。」
ブランコから降りる。
胸ポケットにあるシャーペンを取り出す。
「警察に仕込んで……悪用しようか。」
なるほど、と頷く。
二人は再び立ち入り禁止テープの前へと進んだ。数分待つと若い警察官の方から声をかけられた。
そこで「警部に話をしたい」と伝えた。
対応した警察官は頷いた。それと同時に「今日の警部、いつもと違って変なんですよ。何か粗相でもやってしまいましたか?」と訪ねてきた。
いえいえ、と手を横に振る。「分かりました」と行った数分後に警部がやって来た。
堂々と歩いてくる。
「こっちも忙しいんだ。どうかしたのか。」
「いえいえ、我々もこの事件一枚買おうかと思いましてねぇ。」
「そんなもの蛇の道は蛇。探偵だろうが部外者は部外者だ。邪魔だ、邪魔。」
対応してくれなかった。
彼の帰り際のこと。
モタローの足が横にスッと伸び、警部の一歩先の所へと添えられた。「足が勝手に!」と口から出鱈目が飛び出る。
足が絡み合う。その刹那、彼は転びかけた。上手く片足と手で踏み留まる。
「危ねぇな。てめぇ、ふざけてんのか。」
「おっと。怖い怖い。ほんとに申し訳ない。足が言うことを聞いてなくてね。」
怒りに満ち溢れた雰囲気のまま去っていった。
一方の人物は今でもてへぺろだね、といいたそうな雰囲気だ。
険悪ムードもすぐに風が消し去った。
車へと戻り、機械を右の耳につける。足の裏の減りこんだ部分の音声を流していた。
「さあ、探偵の腕の見せ所だ。何か気になる情報が出たら教えてくれ。」
機械に耳を澄ます。
警察官同士の会話が入ってきた。
他愛ない会話が繰り返されたり、事件の糸口にならないような会話が繰り返されたりしている。
交代制で聞いていく。
いつしか夕暮れ時になっていた。
「面白い情報が聞けそうだ。すぐにスピーカーにするよ。」
タブレットから流れてくるのは遠くから聞こえる会話だった。一人は警部、もう一人はきっと警察官だろう。
『科捜研が後々、詳細を送ると思いますが、被害者は死亡理由は落下死ではなく犯人による絞殺死だと思われるとのことです。』
『死体を見れば分かるだろう。縄でとても強く絞められた痕があるんだ。落ちて死んだ死体にわざわざ絞める奴はそうそういないだろう。犯人も早く帰りたいだろうしな。』
『それと被害者は大量の睡眠薬を投与されてた可能性が高そうだということです。』
『机に睡眠薬の入った袋があったからな。その線は最初から考えてた。』
『まだ科捜研の仕事は始まったばかりですので、詳細な結果はまだですが、分かり次第、お伝えしてくれるそうです。』
その後は無言が続いた。
スピーカーをオフにする。
「ひとまずご飯でも食べようか。近くに飲食店かコンビニはないかな。」
スマホを開き確認する。すぐ近くにコンビニがあるみたいだった。
山を下って左折する。そこから右折してほんの少し進むと赤色のコンビニが見えた。
愛知県には基本的に四色のコンビニがある。赤、緑、青、黄色。時々、パンのコンビニなどもあるが基本は四色だ。二人はそれぞれのカードを持っていた。赤はジラーフ、緑はブイの文字、青はタヌキ、黄色は犬のカード。ここは赤のコンビニなのでジラーフのカードを取りやすい場所へと移動させた。
鮭おにぎりを手に取る。これは明日の朝の分だ。今から食べるものはレジの棚に売ってる肉まんにした。
車で胃袋を満たした後、どこか停められる所を探すことにした。
ここから車で数十分。パーキングエリアに車を置く。そこは料金の上限が決められており、値段も手軽なので財布がホッとしている。
次の日。
盗聴器はまだ気付かれずにすんでいる。一日中、盗聴をするもののめぼしい情報はなかった。
さらに次の日。
まだ気付かれてはいない。
モタローが何かに気づく。さっとスピーカーをオンにした。
『――の情報提供です。被害者が殺害されたのは推定深夜一時頃のようです。』
『そうか。』
『しかし、どうやって侵入したんだろうな。』
『分かりません。ただ、窓が空いていたので屋上から出入りしたという線もありますよ。』
『なるほどなぁ。』
それ以上は続かなかったが、それでも大きな収穫だった。
「深夜一時ね。管理人に確認しようか。怪しい人物を探り出す時間だよ。」
そんな時に、だ。
聞き馴染みのある曲。
アイハヴァペン。アイハヴァアッポル。ウーウッ。アッポーペン。
着信音だ。もちろん、相手は依頼人からで、内容は探し人が見つかったというものだ。
「今回はタイムオーバーだね。ではルイン君。今日の収穫を是非、未来に紡いで欲しいな。」
「もちろんです。」
そこで光に包まれて消えた。
*
床は白に包まれ、上は何も無い白で覆われている空間。あるのは図書館のような本と本棚。そして、椅子とそれに座る女性。そこに戻る。彼には確認したいことがあった。
「一つ確認いいですか。」
「どうかしましたか。」
「僕以外に誰か共に過去に行っている人物について知らないですかい?」
女は目を瞑った後、見開いて言った。
「ごめんなさい。それは言えないです。」
「どうして……です?」
「ごめんなさい。私にはどちらかを選べない。だから、これについては何も言いません。」弱々しい語尾。
つまり、どちらかの一人がルインであり、どちらかの一人が違和感の正体だろう。
「まあ、それが分かれば問題ないね。」
再び本に手を重ねた。
過去に吸い込まれていく。
六――
《4》
車内で今までに起きたことを共有する。
どうしてか助手席でため息を吐いていた。
「キャバクラ行って、キャバ嬢と連絡先交換してる世界線があるなら、その世界線のまま行って欲しいよ。」
ため息の理由がしょうも無く聞こえ、運転席からため息が出た。
「俺がキャバ好きなの知ってるはずだよ。じゃなきゃ、出会ってもないし、ホスト転身もなかったはずだからね。」
「ホストになったのは何もモタローさん関係ないですからね。」
苦笑いを浮かべる。
運転中の車内でアポイントメントを終わらせる。次の目的地を管理人の家とした。
一度、坂上へと繋がる道を通り過ぎ、右折をして赤いコンビニと行く。隣で「キャバクラ行けなかった分、雑誌で我慢するんだ」とうるさいからだ。
朝方に近い昼のコンビニ。
何故か喧騒に包まれている。
一台のパトカーがそれを証明していた。
目立つ三人の姿。一人は濃い緑の制服――赤のコンビニの制服を来ている。店長だろうと推測できる。もう一人は青い制服――こちらは警察官であろう。残る一人は私服姿の男性。身長もあり体格も良い。そんな三人が言い争いをしている。
「違うコンビニ行きましょうか。」
「そうだね。わざわざ雰囲気の悪い所に行く必要はない。人が死んでるんだ。それも犯人は不明。恐怖でカッとなるのも仕方ないもんねぇ。」
車をユーターンさせて、大通りに戻ってきた。
そこから左折し、目的地へと向かった。
*
立派な一軒家に来た。彼は気前よく部屋の中へと案内し、一台のパソコンを見せた。「第三者に見せちゃ駄目って言われてるから絶対内緒で」と強く念を押していた。
「あの日、不審な動きとかはなかったんだよな。」パソコンをカタカタと操作する。
「見知らぬ車とかは映ってないんだな、これが。ただ、人が通るだけなら監視カメラがない草っ原ルートもあるから何とも言えないけど。」
ここまでは一度履修した歴史であった。
ここから新たな質問をする。
「深夜一時近くの動きを教えてください。」
モニターには二十五時の映像が映されるが怪しい人物は映っていなかった。その後も人物の出入りはなく、太陽が昇る。最初に動きがあったのは隣の部屋の牛林だった。
「その日に屋上に行った人とかはいませんか。」
「屋上ね。まあ、いないだろうな。」
彼はパソコンをいじり、すぐにマウスを置いた。
「基本、あそこは鍵がかかってるんだ。だから、誰もあそこへと行けないな。ここ二週間は点検とかもなかったから業者に鍵は貸してない。だから、誰も屋上にはいってない。」
「外から侵入してきたとかは……。」
「フェンスがある。そうなりゃ流石に誰かが気付くだろ。」
それもそうだな、と思われる。
「とりま、ここ二週間は誰も屋上には行ってないってことだ。」
二人は彼に感謝してこの家を出た。
車を走らせながら口を開く。
「まるで密室殺人ですね。鍵は閉まっている。唯一開いていた窓からの侵入を考えても、窓は四階、登るには無茶があるし、屋上には誰も行っていないし。」
「一応、もし屋上から出入りしたのであれば、それができるのは一人だけだね。」
「管理人のことですね。屋上へ行ける人である上に、彼なら映像工作も可能ですからね。ですが、本当に管理人なのか、少し疑問です。」
赤信号。ゆっくりとブレーキを押した。
信号が青になった。アクセルを踏み直す。
「まだ真相は解明できないねぇ。少しの情報でも集めていくしかないよ。探偵らしく、コツコツとね。」
*
ホテルの六階。玄関の前へとやって来た。
チャイムを鳴らす。
扉を大きく開き、そこから現れたのは瑚子だった。いつも通りの名刺を渡す作業。そして、モタローが切り込んでいく。
「さて、住吉さんが亡くなったのをご存知ですか?」
「ええ。遊びに行ってたら、その間に死んでいたみたい。まさか落とされて死んだとはね。」
「ええ。一つ確認ですよ。どうして落とされたって知っているんですか。」瞳の奥が鋭い。
「警察から聞いたのよ。」少し目が泳ぐ。
「それと、死ぬまでの間に、住吉さんが何をしてたのか分かりますか。予測でもいいです。いつもの行動でも。」
「寝てたんじゃないかしら。」
「どうしてそう思うんですか。」
鋭い眼差しからは逃れられない。
「質問を変えましょう。あの家には大量の睡眠薬があったはずです。睡眠薬について知ってることはありますかい。」
「睡眠薬は、アレは私のよ。夜職の私にはアレがないと眠れなくて体調を崩すからね。まさか、私が飲ませたと?」
彼女は強気で前へと出た。
大股で、脇を開けて胸を張る。
「飲ませたから、何? 私を疑っているんでしょ。残念ながら、私じゃないから。」
「そういう根拠は?」
「おじいちゃんは強く首を絞められた。この体じゃ、そんなに強く絞め殺すことはできないわ。それに落とすのだって一苦労。私にできる訳ないじゃない。」
「僕らは強く首を絞めたなんて言っていないし、きっとそれは警察も門外不問にしてるはず。どうして知っているのかな。教えてくれませんか。」
ジリジリと追い詰めていく。
彼女は困った表情で退いていく。
が、そこでため息を吐いた。
「実は全て知ってたのよ。何度もこの事件を繰り返していたから。」
それを聞いていたルインが一歩前へと出た。
「君、何者なんだい? それに女じゃなくて男ですよね。元は――」
「どうしてそう思う?」口調が変わっていく。
「不用心な行動やみっともない態度もそうだが、まず服装から違う。スカートの位置は腰の骨の上にひっかけるものです。つまり、ハイウエストで着る。なのに君は腰の所で着ようベルトで誤魔化してるためバランスがおかしい。化粧においても――」
「はいはいはい。分かったよ。正解だ。」
観念したように手を挙げた。
玄関の段差で腰を下ろす。片方を床に落とし、大きく足を広げた。スカートの中が丸見えだ。あまりにもだらしない。
「俺は男だ。元はな。だが、神のいたずらで今はこの女に憑依しているんだ。」
「なるほどね。じゃあ、ルイン君が言ってた初めて会った牛林さんも君なのかな。」
「ああ。そうさ。アンタが過去に戻る度に俺も同時に過去へと飛ばされる存在だ。そして、飛ばされる度に憑依先が変わるんだ。ただ、それだけだ。」
体を反り、床に手を置く。下から見下げるかのような目でこちらを見る。
「君、一体誰なんだい?」
「俺か? 名前は教えない。だが、変な名前で呼ばれるのも癪だしな。教えてやるよ。よーく聞け。」女の人の声だが、口調は男の人の感じだ。
「俺は『プレイヤーX』。アンタが過去を変える者なら、俺はそれを邪魔する者だ。」
「何の目的で邪魔をするんだ?」
「簡単な話さ。アンタが過去改編に失敗する度にデメリットがあるのと同時に、俺にはメリットがある。それだけだ。」
この事件もそうだが、この不思議な力においても分からない事だらけだ。そこで口を開こうとしたのを上乗せして止める。「これ以上は終いだ。何も喋らんぜ、俺は」と。
扉が閉まる。
心に靄が残るが、それを払えずにいた。
探偵二人きりのエレベーター。
「とりあえず、ルイン君の謎の力も少しずつ解き明かさないとね。」
「そうですね。」
「ただ、目の前の事件解決を急いだ方が良さそうだね。何やらデメリットがあるって言ってたしね。」
ピンポーン。一階だ。エレベーターを降りた。
その後、例のアパートへと戻った。
事件解決のために調査を続けたが、解決の糸口は見つからなかった。そして、終わりの着信音が流れてきた。
七――
《5》
図書館には、女性の姿がそこにはなかった。いや、隈なく探せば見つかるかも知れなかったが、彼はそそくさと本に触れた。
そして今、過去において、車内での共有が終わった所だ。坂下の道を進み、右折する。そうすると見えてくるコンビニに一旦車を停めた。
相変わらず喧騒が風を濁らせている。
「こんな中を通ってまで雑誌は買う気はないかな。」
「けど、アパート行くのなら、ここ以外にコンビニはないですからね。」
怒号をすり抜けてコンビニへと向かう。
赤のコンビニの中で雑誌の他に揚げ鶏、レジ袋などを購入した。
外へと出る。
相変わらずの怒号が風に流されてきた。
警察官に同情しかねない。
車の中で険しい景色に目を逸らしながら、温かい揚げ物を頬張っていく。
食べ終わるのも数分の世界。未だに喧騒を続いている。
「いやぁ、ルイン君。ちょっとあの喧嘩、気になってきたよ。」
「何言っているんですか。」困り顔を浮かべる。
「面白いのに気付いてしまったんだよ。さあ、面白いこととは何ですかと聞きたまえ。」
にやり顔で両手を空へと横へと伸ばす。
それを見て、ため息を放つ。
「はいはい。面白いこととは何ですか。」
指が怒りを顕にする私服の男に向かう。
「足元を見てくれ。何か気付かないかい?」
足元に視線を向ける。
ジーンズの裾近くは泥で汚れていた。履いているクロックスは新品に近いであろうと推測する程、綺麗な状態だ。隙間から見える裸足は泥で汚れている。
「えぇ、汚れていますね。靴以外。」
「そういうことだよ。」指を鳴らした。
彼はふふふと笑っている。
「僕は彼について少し、調べて見ようかなと思う。なぁに、運転免許証は持っているんだ。自力で運転できるさ。その間、アパートの方の事情聴取をお願いするよ。」
彼は運転席に乗った。
急発進。横見ずに真っ直ぐと道路へと出た。目を当てられない大きく迂回するような左折が運転の荒さを証明させる。車……大丈夫かな、と心配だけ募らせた。
*
夜が明けた。
誰もいない公園。少し寂れた滑り台の上に登った。そこからなら現場の様子がチラリとだけ覗ける。残念ながら殆どが木々に邪魔されて見えない。
そこから眺めても何もならない。そう判断して短い坂を下るように走りさった。
ひとまず事件の状況について時系列順に確認することにした。
まず昼に瑚子が外出する。その時に鍵を閉めていた。その後、裏庭に向かい「落し物をした」と言って数分そこにいた。それを牛林が確認している。
被害者である住吉は大量の睡眠薬を飲まされ眠らされた可能性が高い。その後、腕や足に縄を縛った可能性がある。落下後の遺体発見時に巻かれてたようなので確かだろう。
首を強く絞められて殺害された。警部や瑚子の言う通りなら相当強く絞められていて、力がない者――牛林や瑚子には難しいと思われている。
その後、窓から遺体を投げ捨てた。
その間、窓以外は鍵がかけられており侵入は不可能。管理人曰く、屋上には誰も行っていないため窓から侵入するのは至難の業だろう。
まさに透明人間が行ったといっても過言ではない状況。その遺体を牛林が見て今に至る。
全く事件の真相が見えてこない。
そんな時に着信音がなった。モタローからだった。一般的な着信音だ。モタローみたいに変な曲を着信音にしていない。
『もしもし。どうかされました。』
『ルイン君。分かったよ。』
『何が分かったんですか。』
『犯人だよ。』
『えっ――』きっと電話越しでもその動揺を感じ取れただろう。間髪入れずに繋げる。『誰ですか?』
『この事件の犯人は――』『犯人は?』
シーンとした状況。彼は言葉を溜めていた。
『犯人は大河虎之助さ。』
え――誰?
ポカンと口を開く。
頭の中をぐちゃぐちゃにするように思い出そうと探ってもその名前は一切出てこない。
『当てて上げよう。君は誰だと惚け顔をしながら思い出そうとしている。違うかな。』
図星だった。
『それもそうだろうね。だって君にとってはコンビニ前で喧嘩してるだけの一般人だからね。』
あの人か。コンビニの前で声を荒らげていた私服の男性のことだろう。
『まあ、まだ確認したいことがあるんだよね。それと、先程、違う仕事も増えてしまったんだよね。依頼人から探していた人物が見つかったと連絡があって、すぐに面会を求めてきていてね。』
それに対して、
『それがタイムリープの最後です。また、歴史をやり直すことになります』と呟いた。
『そうなのかい。確認したいことがあったんだけどねぇ。じゃあ、未来に繋ごうかな。』
相変わらず公園は静かだ。
人が自身以外いないお陰か風の音だけ響いている。
涼しい風がなびいていく。
『ルイン君。お願い、いいかな。』
『はい。どうぞ。』
『まず過去の俺に事件の流れを伝える際に、コンビニの前で言い争いをしていた男についても加えて欲しい。これを言えば、すぐ伝わるはずさ。彼――大河虎之助は山に行くのに、釣具店で良~い釣り糸を購入していた、ってね。』
残念ながらその真意は、ルインには伝わらなかった。しかし、伝えることはできた。
『それと確認のために行かなければいけない所が二つあるんだ。』
『二つ?』
『一つはコンビニ。犯人がいないといけないからいち早くいくべき所だね。こちらはルイン君にお願いしたい。』
『分かりました。して、もう一つは?』
『キャバクラさ! こちらは俺が行こう。』
いや、キャバクラ行きたいだけじゃん、なんて突っ込みたかったがやめた。突っ込むタイプではないからだ。
『こちらもいち早く行かなければならないからね。大丈夫。安心してくれ。やるべき事があるから行くだけさ。』
その言葉を聞いて安心した。
『やるべき事とは?』
『可愛いキャバ嬢と連絡先を交換することさ。』
『なんでやねん!』
危なかった、とほっとする。突っ込むタイプじゃないのに、使ったこともほとんど無い関西弁で突っ込んだような気がしたからだ。
そのまま『よろしく』と最後のメッセージを受け取り、通話が終わった。
風が吹いている。
自販機で炭酸飲料を購入した。
炭酸飲料を飲み干した頃に、光に包まれ、図書館へと戻された。
八――
《6》
依頼人が帰宅した。
急いで探し人の情報を探る。そして、そこから職場の連絡先を入手した。アポを取る。無茶言って、今日にも面会時間を設けてくれるみたいだ。『うさぎの箱庭』様々だ。
車を走らせていく。
その中で、今までの軌跡をしっかりと共有する。もちろん、虎之助についても伝えた。
一時停車させる。
シャッターの降りた店。看板には色気のある女性達の写真が並んでいる。その建物の前に店長が立っていた。「ルイン君、後は頼んだよ」と助手席から降りていく。
彼を置いて車を発進させた。
豊田市に向けて走っていく。平日のお陰で高速道路は思ったより空いていた。制限速度にプラス十ぐらいの速度で進んでいく。
思ったより混み始める豊田市付近。特に、降りる道は混んでいる。
コンビニでまだ喧嘩していてくれ、と祈りながら渋滞の列に加わった。
何とか渋滞を抜けて、下道を走らせる。
幾つか信号に足止めされながらも、事件の現場付近へとやってこれた。
左折すれば例のアパート。少し進んで右折するとコンビニがある。最初にコンビニへと向かった。
数字の書かれた看板がよく目立つ。そのコンビニで言い争いが止まない。そんな雰囲気の悪いコンビニに車を置いた。
近寄り難い。
ひとまず喧嘩の場面に向けてスマホのカメラを向け、パシャリと写真を撮った。それをラインのグループで共有した。
どう切り込んでいこうか考えながら運転していたが、ここまで何一つ浮かばなかった。やはり、当たって砕けろの精神で行くしかないのかと考え、無理やり胸を撫で下ろす仕草をする。
緑の制服の店員と赤の私服の虎之助。今にも手が出そうだ。そこに困った顔の青の制服の警察官がいる。
警察官がこちら側に気付く。
喧嘩する二人を置いて向かってくる。
「やあ、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、喧嘩を止めなくていいんですか。」
「いいんだよ。それよりも何しにここに来たのかな。ここにいちゃ危ないよ。」
「実はアソコで起きた事件の犯人が分かりましてね。」山の方を指さした。
「その犯人がいるかどうかを確認しに来たんです。」
「なるほど。それでそれからどう行動するんだ?」
「そこにいる警部に話をしようと思います。」
「分かった。俺も着いていこう。すぐそこだ。何も問題ないだろ。」
二人はモタロー探偵事務所の車に乗った。
助手席にいる彼は「ようやく修羅場から抜け出した」と安堵している。
ドライブに変え、ロックを外して、アクセルを踏む。それと同時に気になったことを呟く。
「もしかして君、プレイヤーXかい?」
それに対して頷いて「正解だ」と言う。
窓を挟んだ景色を見ながら、
「お前が来て良かった。あそこから抜け出したかったんだよ。全く」と愚痴を零す。
「逃げ出せなかったんですか?」と聞く。
「出来るならそうしてるわ。俺には歴史を変える力がねぇんだ。テメェさんが近くにこなけりゃ、永遠に歴史の歯車から脱せねぇんだよ。ほんとにうぜぇ。」
思いっきり窓を叩いた。
「壊さないでくれ。窓を。」
すぐに目的地に着く。
車を降りて立ち入り禁止テープの前へときた。歴史の歯車通りなのか見慣れた歩き方で警部がやってきた。一方で、助手席に乗っていた人物は外に出てうろつきながら煙草を吸っていた。
男が「俺はこういうものだ」と言いながら手帳を取り出した。
「ここは立ち入り禁止なんだが。」
「えぇ。ご存知です。我々こういうものなんですが――」名刺を渡す。
「探偵か。まっ、帰った帰った。ここは遊びじゃないんだ。探偵ごっこする場所じゃない。」
「警部さん。一ついいですかな?」
「まあいい。なんだ?」
「我々、彦根瑚子さんという人の素性について調べていたんですが、そこでここに住む彦根住吉さんとの繋がりを知り、ここまで来たのです。」
「そうか。残念だが、その方はいない。……どこにもな。残念ながら、今朝、亡くなられたよ。」
「それも存じています。」
「はあ? なんで知ってるんだ。」
「それも犯人も特定できてます。」
「どういうことだ。犯人って誰なんだ?」
「そのために一度、我々と一緒に下のコンビニに着いてきてくれませんか。」
彼は「分かったが少し待っててくれ」といい、現場に戻っていった。暫くするとこちら側へとやって来た。
二人は車で下のコンビニへと向かった。
風を切って進んでいく。
相変わらず喧嘩している二人。いや、警察官が抜け出したことで余計悪化した感じを与える。
警部は飛び出して、その喧嘩を止めに行った。
強い口調で制止する。
「いい大人が何やってるんだが。」
ため息を吐く。
「さて、そこの探偵とやら。教えてくれないか。」
二人は息を荒げながらも落ち着こうとしていた。そして、それぞれの持ち場へと戻ろうとする。一人はコンビニの中へ。一人は大きめの黒い車に向かって。
「まず結論から言いますよ。そこの男はこの彦根住吉殺害の実行犯なんですよ。」
男は進行方向を変えて、ズガズガと近づき、思いっきり胸ぐらを掴む。「何言ってやがんだ、てめぇ、殺されてぇのか。」
それよりも強い力で思いっきり握る腕。男は警部によって引き離された。
「急にそんなこと言うこいつが悪いが、手を出したら終わりだ。お前はもう大人だろ?」
落ち着いた声に力強いオーラ。
もう一人は怒りで我を忘れかけているが、何とか保っている。
スマホを目線の位置に向けた。液晶画面越しからモタローの声が響いていく。
『さて、自己紹介を致しましょう。わたくしは探偵の森太郎。モタローとお呼びください。そして、貴方がたの前にいるのは助手のルインです。以後お見知り置きを。』
歪んだ空気を吹き飛ばすかのように風が優しく吹いた。葉っぱがゆっくりと舞った。
『まず、実行犯の名前を言いましょうか。実行犯の名は大河虎之助。貴方ですよね。』
「なんで俺の名前を知ってるんだ。」
それは怒りではなく、驚きが大半を占めていたのだと感じられる。
『まず彼の足元を見てください。』
そこにいた二人の目線が一人の男の下に向く。見られている一人は少し片足を後ろにした。
「だいぶ汚れていますね。しかし、履いている靴は何故か新品だ。つまり、元の靴は別にあったのではないでしょうか。」
『例えば、血が着いた靴は山奥に捨てた……とかね。』
この時には怒りの空気は風に消されていた。
『さて、警部さん。捜査をアパート内だけでなく現場付近の山奥に広げては如何でしょう。警察犬で血を辿った山林の中に、犯人が使用した靴や縄、釣り糸などが見つかるかも知れませんよ。』
警部は「分かった」と頷いた。
『ひとまず彼の名前と顔は覚えておいてください。そして、消えないように見張っていてください。今はまだ、ただの容疑者ですが、すぐに確信に変わりますから。』
「しかし、妙な自信だな。そもそも動機が分からん。」
「ああ、そうだ。俺はその殺された男とは何の関係はねぇよ。」
『えぇ、存じ上げていますよ。』
「余計、動機が分からんな。」
『簡単ですよ。先程、助手のルインに彼の写真を撮って貰ったのですよ。そして、確認も終えました。さて、俺はどこにいるでしょうか。』
この空気感を知らない彼の陽気な声が木霊する。「知らねぇよ」と投げ捨てられる。
『正解はキャバクラでしたぁ。』
「はぁ? ふざけてんのか、あぁん。」
『ピンとこないのですかい。キャバクラの名前は"うさぎの箱庭"ですよ。』
男は目を見開いた。
『そこの女の子に聞いたら、彦根瑚子さんが彼氏さんを連れて来たことがあったと聞きましたよ。その顔と貴方が一致するとも言ってましたね。』
「なんで、そこまで知っているんだよ。」
自身げに答えていく。
「カンニングをしたからさ――」
その真意はそこにいる誰にも伝わらなかった。
『さて、彼が捕まるのは時間の問題でしょう。その仕事は警察の仕事ですから我々は身を引きましょう。もし犯人等が分かっても事件の謎が解けない場合は、名刺の電話番号におかけ下さい。』
通信は終わった。
取り残された三人に風は知らん顔で吹いていった。
「俺は知らねぇよ。悪いのは全部あの女のせいなんだよ。俺が悪いんじゃねぇ。」
その場で崩れ出す男。
「事件について何か知っていそうだな。安心しろ、俺はお前を犯人とは一ミリも思っちゃいねぇから。お前はまだ単なる容疑者だ。だから安心して知ってることを教えてくれ。」
警部は優しい口調で吐いた。
その見つめる先は、あの怒りに満ち溢れたような赤いオーラなどはそこにはなく、悲壮感に溢れた虚しい色に変わっていた。
その姿を背景に車へと戻っていく。
「きっと未来は変わったはずだ」と一人呟く。
帰り道に黄色のコンビニに寄って、その場で作られるアイスを食べて帰ろう。そう考えながらその場を後にした。
九――
ポッドのボタンを押してお湯を入れる。
薄黒く艶やかな色味のコーヒーが茶色の湯気を出しながら佇んでいる。
乱雑に置かれた荷物が子汚さを演出している。
窓から射す太陽の光が美しい。
探偵事務所は美しい景色に包まれている。
シュガーとミルクを入れて混ぜる。そして、コップに口をつける。一口。ほろ苦い味が流れ込んでいく。
どこか爽やかな日常が進んでいた。
その日常は未だに途切れていない。
「こんな爽やかな日にはクラシックでも流したいね。」
カーテンの向こう側にある居間へと向かった。
そこは客室となっており、風なイメージのためにクラシック的なイメージにしてある。その一つとしてレコード機器が置かれてあるのだ。
機械を通して放たれる声が聞こえてくる。
そっと耳を済ました。
アイハヴァペン。アイハヴァアッポー。ウーンッ。アッポーペーン。
思ってたものと違う。
金ピカの芸人の声が風潮な雰囲気を掻き消していく。
「全く。せっかくの優雅な時間が台無しだよ。」
その着信音にしたのは誰だよ、なんてツッコミは誰もしなかった。
数分間、耳にスマホを当てている。
その後、スマホをしまうと否や口を開いた。
「ここに面白い来賓が来ることになったよ。」
「面白い来賓? 誰ですか?」
「鬼怒川警部だよ。」
*
今日ばかしは制服ではなく私服のようだ。
茶色を基調とした服装はどこか古めかしい探偵のようなイメージを与える。
どっしりとソファに腰掛けた。
「コーヒーか紅茶。どちらがよろしいですか。」
「紅茶を貰おうか。」
インスタントの紅茶パックにお湯を注いだ。透明な明るい色が揺らいでいる。紅茶を警部の前に出した。
「アドバイス通りに警察犬を出動させたら、血の着いた靴や手袋、釣り糸が絡みついた縄の入った袋が見つかった。血液が被害者のものと一致したため、それで大河虎之助は逮捕に至った。彼は彦根瑚子が共犯したと供述しているが、どのように関わったのか全く分からないんだ。どのようにあの事件が行われたのか。犯行時には誰も家には居ないんだ。」
「そこについては供述されなかったんですねぇ。」
「全くだよ。」
紅茶を啜る。
そんな時に指パッチンをするモタロー。
「では、我々の考えをお教えしましょう。」パチン。
「お願いする。」
「まず反抗理由は単純に死亡保険金目当てだろうね。彼が死ぬことで瑚子に多額なお金が入ることになる。しかし、自殺では通らないし、他殺でも自らが捕まったら意味がない。そこで未解決事件とすることで、捕まらずに死亡させ保険金を得ようとしたのだろうね。」
なるほど、と頷いている。
「さあ、犯行時の矛盾を解いてくれ。」
「まず瑚子が大量の睡眠薬を飲ませた。その間に縄で手や足を拘束した。ここからが簡単な仕掛けの始まりさ。」
「トリック……だと?」
「麻縄の先端を丸く結び、反対の端を輪っかに入れれば引っ張るだけで首が絞まるようになる。それを首にかけたんだよ。その先端に釣り糸を外れないように巻いてくっつけた。縄は家に垂らし、テグス――ま、釣り糸だけを窓の外に垂らしたのさ。」
「釣り糸の目撃情報はなかったはずだが。」
「それもそうさ。釣り糸は透明だよ。」
「なるほどな。その日、裏の畑にいたのは確か隣に住む牛林さんという方だったな。あの人、老眼が進んで見にくくなっているって言ってたな。だから、気づけなかったのか。」独り言を呟く。
「その後、瑚子は裏庭へと行って、釣り糸をレンガや何やらに巻き付けたのだろう。そうすることで、被害者の住吉が目を覚ましても、動けば首が絞まるため動けなくなる。その作業も巻き付けるだけだから、すぐ終わるはずだよ。それさえ終われば瑚子はアリバイのために、遊びに行ってしまえばいい。ここまでは昼の部さ。」
「昼の部?」
「ここからが夜の部さ。虎之助が暗躍する。まず防犯カメラに映らないように、防犯カメラのない草原の道を通ってアパートの裏庭へと向かった。」
「そんなことしてりゃ容疑者候補に浮上しにくいな。お前さんらがいなきゃ候補すらなってなかったかもな。」
「例の場所に行き、レンガから糸を解し、その糸を手繰り寄せる。それと同時に縄は絞まる。下から引っ張るとすると、壁から窓へと行く間に相当な力で引っ張られたと考えられるね。つまるところ、強く首が絞まったってことだね。」
「引っ張っていけば遺体は落下する。そういうことか。」
「想像通りさ。落下した遺体から首の縄だけ取って袋に入れる。後はそこから離れて山林に行き、袋を捨てればいい。その時に血の着いた靴も入れたのだろうね。そのせいで彼は汚れることになった。」
警部は紅茶を飲み干した。
「しかし、防犯カメラの件で車を近くには停められない。そこでコンビニに長く停めていたのだろうね。そして戻ってきたら、車に張り紙が貼ってある。人を殺したんだ。彼は気が気では無い状況だと思われる。だから、あんな喧嘩が起きたんじゃないかなぁ。」
「ようやく腑に落ちたよ。」
彼は優しく微笑んだ。
力強く、そして優しく。
入り口の付近まで行き、後ろ向きのまま手を挙げた。
「感謝するよ。」
彼がそこから去っていく時に入ってきた風はとても爽やかなものだった。
*
来客だ。その男は瑚子を探していた依頼人であった。
彼は客席に座ると、さっぱりとした態度で本題へと入った。お金の話だった。
モタローは彼に瑚子の居場所を伝えていた。それによって彼は彼女を見つけることができたのだ。つまり、探偵の仕事は確りとこなしたことになる。
雰囲気を読むと、あまり彼に触れない方が良いと分かる。
短時間で彼はさっといなくなった。
モタローが机に置かれた飲まれなかったコーヒーをシンクに流しながら、
「そう言えば、虎之助と瑚子はそれぞれ起訴されたみたいだよ。」と教えてくれた。
それは、この事件の華々しい終わりを示していた。
ゆっくりと背筋を伸ばす。
力が抜けていくと同時に、意識が段々と遠のいていく。
乗っ取られていた体から乗っ取った存在が消えた。乗っ取った存在は再び未来にある死後の世界へと身を落とした。
十――
図書館へと戻ってきた。
静かに佇む一人の女性。白のワンピースと黄色のガーディガンで包まれたその人はゆっくりと小さな声で「まずは一つ。おめでとうございます」と呟いた。
持ってた本は最後まで埋まっていた。
その本を閉じ、本棚へとそっと返した。
「訪ねたいことが三つあるのですが、良いですか。」
ここに佇む二人は向き合う。
「何でしょう。」ゆっくりと口を開く。
「一つ。あなたは何者なんですか。」
「今はまだお互い知らない関係です。何れ知ることになると思います。その時になったら教えます。」
「二つ目。プレイヤーXとは何者なんですか?」
「それもまた何れ分かります。きっと。きっとその時になったら、彼の方から教えてくれるはずです。」
「最後、プレイヤーXは失敗事にメリットがあると言っていた。逆に、僕の方はデメリットがあると言っていた。メリットとデメリットってなんですか?」
「彼のメリットについても、その時になったら彼から教えてくれるはずです。デメリットは――聞く覚悟はありますか?」
彼女の目線は少し下を向いていた。
少し重い空気が流れているように。
「そうだね。聞きましょうか。」
「貴方が過去改変に失敗する事に、助けられる命が一つ減ります。タトルクルーズ号の爆破テロで救える命が、失敗分だけ助けられなくなるのです。」
重い空気感がさらに重くなる。
風一つない世界だからか、重みがずっしりとしている。
「六人は助けられません。残念ながら。」
「つまり、失敗事に犠牲者が増えるってことですね。」強く握り拳が握られる。
「この事件は最短でクリアしたと思います。あまり気を煮詰めないでください。」
本が一冊光り出す。
次の改変すべき過去だ。
ルインは強い眼差しをその光出した本に向けた。
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主要5キャラ その1
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【森 太郎】Mori・Taro-
年齢:39歳
性別:男
身長:168cm
誕生日:2/10
カラー:ローズレッド
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裏主要キャラ その1
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【嘴平 亥】Hashihira・Gai
年齢:31歳
性別:男
身長:189cm
誕生日:11/15
カラー:墨色
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新透明人間 登場人物
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【彦根 住吉】Hikone・Sumiyoshi
年齢:62歳
性別:男
身長:159cm
誕生日:4/14
カラー:鼠色
【牛林 隆重】Ushibayashi・Takashige
年齢:71歳
性別:男
身長:151cm
誕生日:11/30
カラー:枯葉色
【兎神 悠作】Ugami・yu-saku
年齢:36歳
性別:男
身長:175cm
誕生日:4/7
カラー:白百合
【彦根 瑚子】Hikone・Koko
年齢:21歳
性別:女
身長:156cm
誕生日:5/30
カラー:灰桜
【大河 虎之助】O-gawa・Toranosuke
年齢:30歳
性別:男
身長:181cm
誕生日:8/15
カラー:黄色
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プレイヤーXの成り代わり記録簿
《1》牛林
《2》コンビニ店員
《3》鬼怒川警部
《4》彦根 瑚子
《5》兎神
《6》(コンビニ前にいた)警察官