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物憂げ  作者: 山神伸二
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親の七潰し

 私は三笑亭空圓という噺家であり、弟子を八人程持っている言わば師匠と呼ばれる噺家でありました。師匠は五代目三笑亭圓秀、私は三番弟子であり、圓秀の落語を聞き、落語家を夢見て、その圓秀師匠に弟子入りすることができた。それは私にとっての一番の幸福であったかもしれない。

 五代目圓秀は高座ではその大笑いが印象的な落語家でおおらかな噺家のように思えましたが、高座の印象とは裏腹に師匠の稽古はとても厳しく、それは私自身、何度もこの噺家という仕事を捨ててやろうと思ったことか。

 ある日の事です、私が二ツ目であったとき、師匠から枕がうまくないと大声で怒られた時がありました。弟弟子などがそんな私を哀れに見ているのがなんとも情けなく私自身この事を思うと今も、涙が出てくるようで、それを忘れようと、酒を何度も何度も記憶を捨てるまで飲み続けてしまうのです。

 私の父は噺屋平吉という噺家でありまして、私が二十歳になる前に病死しております。私が圓秀師匠に弟子入りをする前に亡くなっておりますので、私の高座というのは見たことがない、つまり、父にとって私は噺家でもなんでもないただの息子であった。ただし、世間はそうはいかない。隠そうとしていても顔の輪郭は父の生き写し、名人平吉の息子となれば例え、三笑亭にいようともその父の話ぶりは私の期待へと変わっていく、ところが私はどうと父のようにはなれなかった。周りの期待もあろうことか、どんどんと批判的になっていく、ただし、師匠は私を平吉の息子とは見ていなかったようで、私の悪い所をしっかりと言い当ててくださった。厳格な師匠でしたが、噺家の私にとっては平吉よりも父親のようでございます。

 ところが同い年の秀太郎が弟弟子として入門してくる。彼の話ぶりは天性のものと言わん事なかれ、あの圓秀師匠ですら舌を巻くまさに、師匠超え。これには圓秀師匠もだいぶ落ち込んだようでございますが、それは師匠だけでなく、私も同じでございました。私よりも後から入ったやつが私よりも落語がうまく、そして、ついには恐れていた真打を私よりも先に昇進してしまうという私の面目丸潰れでございます。ある新聞が秀太郎こそが平吉の血を引くのではないかとからかい半分の記事を出し、私としてはそれを涙しながら屑籠に捨てました。ただ、秀太郎はそれでいて天狗にもならない鼻持ちならないやつ、少しは調子にでも乗ってくれたら、私の嫌な口々も弾んでしまうのですが、これでは私の口が開けば開くほど私は悪者になってしまう。そう事ですから、私はこれまで秀太郎を悪く言うことはできませんでした。私の膨れた身体がしみじみと哀れを語り、私としては父の引く一人の噺家そう思いながら落語を続けていたのですが、どうもその思い上がりがよろしくないようで、私はどんどん落ちぶれ、酒の量が増え、ついには師匠から破門の言葉が出てしまう始末。申し訳ないとすかさず謝り、それ以降は芸により力を入れて、なんとか二ツ目から約十年経ち、真打に昇進できたわけですが、その頃にはもう秀太郎は弟子もとっている一人前、私はもう彼のことを考えるのはよそう。人は人自分は自分だと思い、自分らしい落語をしていたわけであります。それでも世間様はやはり冷たく、父のような話ができない。親の七潰しなどと高座で言う方もおられるのでした。それでも私はじっと我慢をしていたので、お客様は意気地のないやつと言い始める。私としてはどうしていいものかわかりませんが、かつて師匠がそれは運命だと割り切るしかないと仰っておりましたので、その言葉を信じ、自分なりの評価を掴み取っておるのです。

 そして時は経ち、師匠が年齢が年齢なものですから、噺家を引退すると発表、そして、その圓秀の名を秀太郎に継がせると言うと世間は賛否両論。もちろんそのことに好意的な意見もありますが、中には秀太郎の兄弟子の面目がつかないとなんとも嬉しいような悲しいようなことも言い始める人もいる事実。私としては一応は師匠の言う事ですし、秀太郎は圓秀の名を継ぐのに相応しいと行ったわけですが、腹の底ではやはり、悔しい気持ちと、その名を継ぎたかったという怒りがあり、ただ、秀太郎が師匠の名を継ぐのにはやはり、納得がいってしまうのです。

 こうして、秀太郎は圓秀の名を受け継ぎ、五代目三笑亭圓秀となったわけですが、そうなってからは私の芸はより見窄らしさが見え始め、目標となる事柄が無くなったからとでも言いましょうか。私の中の大事な維持しなければねらない、噺家としての気持ちがここから大きく欠如致したのです。

 ただ、これ以上の芸を磨くことはせず、話も新作はやらず古典ばかり、それも今できるものを永遠とやる事になり、私の話を聞いた人が少しずつ、不満を言い始める始末、そんな時に私の弟子が真打に抜擢、私としてはこのままこの名前を継いでもらい廃業をしようかと思ったのですが、その時にラジオから圓秀の落語が流れたのでした。悔しさに涙を流した私は酒を止め、再び芸に身を入れる事を決意、そして例え圓秀のようにならなくとも私らしい空圓の名に相応しい芸人であろうと思ったわけです。

 そんな時、圓秀の訃報が流れ出ました。私はその訃報を自然と受け止め、自分でもわかりませんが、涙が出てくるのでした。あれだけ憎いとまで恨んでもいた弟弟子の死に涙したのです。やはりどれだけ、私を追い越し、背中も見せない程に立派になっていった嫌なやつですが尊敬していたのでしょう。私は自分でも気が付かない心の奥底に眠る彼への思いがこんな形で知ることになってしまいました。彼の晩年は元々細身であった体つきは針のように痩せ細り、私は声こそ掛けることはなかったものの、それ誰が見ても心配になるものでした。ただ相変わらず、話はうまく、声は枯れ始めてもその間は最期まで衰えることを知らなかったのです。

 そんな折に彼の追悼公演が圓秀の弟子によって開かれることになりまして、弟子が勢揃いし、真打の者や、二ツ目や前座のままで他の噺家に移った物もいる中で私がとりを務めることになったのですが、私にはそれが皮肉のようにも思え、例え彼らにそんな気がなかろうと私にはいささか不快な思いを持つのです。ですが、兄弟子という立場上、その仕事を収めなくてはならなく、そのために準備をしていたのですが、追悼公演の五日前、私は部屋で一人、酒を飲んでいると、ふと全てのことから逃げ出したくなり、有無を言わずその日の夜明け前に旅行に行くとだけ書いた手紙を置き、上州の方へ向かって行ったのでした。逃げるのに上がっていくのです。

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