7.嵐の襲来だ
「入っていいぞ」
「早朝より失礼します」
入ってきたのは、初老の使用人頭の男だ。彼はウラディミールが信用する使用人の一人で、彼のそばにいつも控えているのをバトエルデニも認知している。彼が来るということはつまり、ウラディミールに関連する用件ということだ。
「陛下が今すぐ王妃様に会いたいと」
「我に?朝から?」
「もう既に外までいらっしゃっています」
「それは、随分と急だな」
内容はやはり、ウラディミールに関することだった。しかしその内容は、5年の王宮生活で初めてのことだった。彼がこんな朝起きてすぐにバトエルデニの元を訪れることなど、今までなかった。彼はマメな人間なので、バトエルデニを連れ出す予定があるのなら1週間前までに伝えるし、急な話なら必ず朝食の席でバトエルデニの予定を確認するし、先触れだって出す。それなのに、もう扉の前で待っているとは。
「(つまり、それほどに急な用件ということか……)」
用件はとんと想像がつかないが、彼らしくもない、よほど緊急の事態だということは理解した。普段は自分に何も頼ってこないウラディミールが、自分を頼らざるを得ない状況というのはなんとも興味深い。
「分かった。入ってもらえ」
着替える時間も惜しいだろうと、バトエルデニは寝巻きのままウラディミールを部屋に通した。
「早朝からすまない」
現れたウラディミールは、早朝にも関わらず遠征用の服を汚し、既に長い間外で活動してきたことが伺えた。
「(はて、どこかに行くという話は聞いていなかったが)」
けれどそのことも、ウラディミールが急に部屋を訪れたことに関係しているのだろう。バトエルデニはそう考え、疑問を一旦おいておいてさっそく本題へと入った。
「何があった?お前がこんな風に我の部屋を尋ねるなど、余程のことなのだろう」
「話が早くて助かる。急な頼みですまないが、この子供たちの世話を頼みたい」
「子供?」
話の展開が読めず首を傾げるバトエルデニの前に連れてこられたのは、4人の子供だった。
1人目は、今にも泣き出しそうな顔で他の子供たちの後ろに隠れている、黒髪に黒目の少年。
2人目は、バトエルデニを前にしてもこくこくと居眠りをする、白銅色の髪に紫の目の少年。
3人目は、爬虫類を思わせる縦の瞳孔でバトエルデニを睨みつける、赤髪に青い目の少年。
4人目は、女の子と間違えそうなほど可愛らしい、黒い翼が生えた茶髪にピンクの目をした少年。
それぞれ個性的で、おそらく兄弟ではないことは分かる。しかし、どう言う成り行きで王宮に連れてこられたのかはさっぱり見えてこない。
「まぁ、構わないが……いつまでだ?」
「分からん。もしかしたら死ぬまでかもしれん」
「は?」
バトエルデニはウラディミールの言葉に、目を点にして固まる。そんな彼女に気付いてはいるはずなのに、ウラディミールは忙しさから、もう話を切り上げたがっている。
まだ彼らが何者なのかなど、何一つ伝えていないのに。
「バトエルデニ。お前をこの子どもたちの世話役に任命する」
「いや、それよりまず、もう少し説明を、」
「頼んだぞ」
そう一方的に子どもを押し付けると、ウラディミールはバトエルデニの返事も聞かずに部屋から出ていってしまった。
「…………」
「「「「…………」」」」
「……正気か?」
残された4人の子供を見ながら、バトエルデニは誰に言うでもなく呟いた。
バトエルデニは子どもの面倒を見たことがほとんどなかった。故郷では子供が生まれれば村総出で育児をするため、バトエルデニも幼い頃は自分より幼い子どもたちの面倒を見たものだが、正直どう育てればいいのか分からず、山の中を赤ん坊を背負って駆け回ったり、泣きじゃくる赤子に無理やり離乳食を食べさせたりしているうちに、頼まれることがなくなっていた。曰く、お前に子どもを任せると気が気じゃない、と。それに、幼少から父に似た男勝りであったバトエルデニに求められることは、家事や子育てといった女の役割ではなく、狩りや力仕事といった男がする役割だった。
だからバトエルデニは、未だに子どもの扱いというものがいまいち分かっていなかった。いずれ子を産むとは思っているが、その育て方もノープランだ。けれど王命が下された以上、バトエルデニに断るという選択肢はない。
何を言うべきか悩んで、バトエルデニは結局当たり障りのない自己紹介から始めることにした。
「あー…………、お前たち、名前は?」
「…………」ビクッ
「…………ふぁ」
「…………」キョロキョロ
「…………誰だお前」
しかし言葉を返してくれたのは、マグマのように赤い髪に空のように青い瞳の少年だけだった。後の面々は知らない場所に怯えていたり、立ったまま眠っていたり、バトエルデニにより部屋の中に興味を示している。
まともに意思の疎通を図ることさえ出来ないことにバトエルデニは一瞬で疲労感を覚えたが、溢れ出そうになるため息をグッと堪えて、代わりに自らの名前を告げた。
「我はバトエルデニ・アガフォノフ。名がバトエルデニで家名がアガフォノフだ。国王陛下よりお前たちの世話を仰せつかった」
「あっそ」
バトエルデニは貴族令嬢らしい美しい礼を披露したが、赤髪の少年は興味なさそうに下を向いて、足で絨毯の毛を逆立てて遊んでいる。そして他の少年たちも、各々どこか違うところを見て彼女の話を微塵も聞いていなかった。
「……それで、お前たちの名は?」
「「「「…………」」」」
やはり、誰も答えてくれない。バトエルデニは仕方なく、一番気弱で押しの弱そうな夜空を思わせる黒髪に黒い瞳の少年の前にしゃがみ、質問した。
「…………お前、名前は?」
「ヒッ!」
少年はバトエルデニが目を合わせただけで、まるで怪物に出会ってしまったかのように顔を真っ青にして涙をにじませる。返事をするのも怖いが無視して怒られるのも怖いのか、他の子供達にウロウロと助けを乞うような視線を送るが、誰一人として目が合わない。しばしの絶望の後、少年は誰も助けてくれないことを悟ると、蚊の鳴くような小さな声で返事をした。
「な、名前はない、です」
「ない?」
「ヒェ、ご、ご、ごめんなさい!」
「あ、いや、怒ってはいない」
“名前がない”という言葉に眉を潜めたバトエルデニに、黒髪の少年は大きく肩を揺らして両手で頭を庇った。バトエルデニの目は大きく吊り上がっており、村の中でも“ただ立っているだけで怖い”と不評だった。その事を思い出し、バトエルデニはできるだけ少年を怖がらせないように、精一杯口角を上げて目尻を下げる。
「ではなんと呼ばれていた?」
「お、“お前”とか“黒いの”とか………」
「それは……、うん。陛下に詳しく事情を聞いたほうが良さそうだな」
思いがけない返答に、バトエルデニは少年たちを理解することを放棄した。世の中には、考えても理解できないことは数多く存在している。その一つ一つに真剣に向き合うことは、時間の無駄だ。人の生は短い。もし他に分かる者がいるのなら、素直に教えて貰ってしまうほうが余計な体力を消費しなくて済む。これはバトエルデニが21年という短い人生で学んだ教訓だ。
しかしウラディミールは国王として多忙を極めており、寝室にも現れることも少ない。次に会えるのかなどは全く分からず、それまではバトエルデニが一人で謎の少年たちの相手をする必要がある。
「茶でも飲むか?菓子も用意するが?」
「かし?」
「甘い砂の固まりみたいなやつだ」
そう言いながらバトエルデニが想像しているのは“クッキー”なのだが、あんまりにも不味そうな言い方である。けれど焼き菓子に馴染みのなかった彼女は、初見で本当にそう思ったのだ。
バトエルデニは侍女に紅茶と菓子を用意させて、少年たちの前に置く。赤髪の少年と白銅色の髪の少年はそれらに興味を示さなかったが、薄茶色の髪の少年と黒髪の少年の少年はクッキーを手に取り不思議そうな顔を浮かべている。
「ほんとに砂の塊だー!」
「わっ、崩れて…………わわわ!」
「砂なのに甘い!」モグモグ
「え、えーん!な、なくなっちゃった…………」
「我のをやるから泣くな」
薄茶色の髪の少年はクッキーを口いっぱいに放り込みながらボロボロとカスを零し、黒髪の少年はクッキーを握りつぶして泣きじゃくる。それらの世話を焼きながら、バトエルデニは子育ての難しさを痛感した。そして“そういうものだから”という安易な理由で子供を産もうとしていた自分の甘さを恥じた。
「(まさかあいつは、我にこのことを教えるために子供を拾ってきたのか?)」
ウラディミールは、ずっと子供を作ることに非協力的だった。その理由を彼はバトエルデニの身体がまだ未熟だからと言っていたが、もしかしたら単に自分の子育て能力を疑っていたのではないか?と、バトエルデニは思い至った。というより、そっちの理由であるほうがすんなり納得がいった。
何故なら子を生むのは国王と王妃の義務であり、16歳ならもう立派に子供を産める歳だ。けれど、城に来たばかりのバトエルデニは、王国の教育基準で言えば赤ん坊も同然の世間知らずだった。
「(ならばこれは、ちゃんと子供を育てられるかの試練なのではないか?)」
バトエルデニは国王の狙いを完全に理解した、と薄く笑った。
それは全くの検討外れの理解であったが、それに気付けるものはこの場に誰もいなかった。