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5.異文化だ




 さて、二人の結婚は今世紀最大の異種族結婚であったが、それは御伽噺のように輝かしいものではなかった。


 バトエルデニの暮らしていた狼族の村は、文明が遥かに遅れた獣と自然しか存在しない雪原地帯。そこには貴族としてのマナーや教養など存在しなかった。バトエルデニは次期族長として他の村人よりは高い教育が施され、指導者としての心得もあったが、大国の王を支え貴族の見本となる国母としてはあらゆるものが不足していた。そんな彼女が王妃となるためには、果てしない努力と忍耐力が必要だったが、バトエルデニはそのどちらをも乗り越えられる強靭な精神力を持っていた。きちんと必要な時間をかけてゆっくり見守っていけば、いずれは立派な王妃となれたはずだった。

 けれど、彼女の周りを取り巻く人々によってそれは叶わなかった。彼らは野蛮な国からの花嫁を快く思っておらず、端からバトエルデニの存在を見下していた。

“王妃教育”と呼ぶそれは、まるで出来の悪い犬のしつけのようであった。


「そのように大股で歩いてはいけません!」


「そのような言葉遣いは王妃に相応しくありません!」


「狩りなんて野蛮なことはなさらないでください!」


 過激な教師では、鞭や扇で机を叩き、わざと大きい音を立てて威圧する者もいた。狩りはおろか、走ることも大きな声を出すことも禁止、歩く時は大股ではなく控えめに。食事は必ずナイフとフォークを使い小さく切ってから食べる、音を立ててはいけない、零さないように、歯を見せないように、食べすぎないように、綺麗に食べる。詩の朗読、お茶会、刺繍は淑女の嗜み、出来なければ王妃に相応しくない、出来るまでやらせる。

 並の令嬢なら気を病んでも仕方ないほど、過酷な教育だった。

 しかし、バトエルデニは並の令嬢ではない。その程度のことでは少しも根を上げることなどなかった。


「都の人間たちは細かくてかなわんな」

 

 端から文明の違いにより苦労することは覚悟の上、それを込みで遥々山を越えて嫁いで来たのだ。バトエルデニは教育係たちの小言を程よく適当に受け流し、どれだけ馬鹿にされても堂々としていた。




 そんな中、王国では毎年開催されている狩猟大会に、バトエルデニも参加することとなった。


「狩猟大会?」


 朝食の席、いつもは黙って食事をするウラディミールが話しかけてきた内容は、バトエルデニにとってとても魅力的なものだった。


「あぁ。アリョールでは夏になると毎年、狩猟大会が王家主催で開催される。お前は嫁いだばかりだから準備に関してはこちらで進めるが、出席は確定事項だ」


「ほぅ」


 わざわざ確定事項と言われなくても、狩猟と聞いてバトエルデニが参加しないはずもない。彼女は久しぶりに自分の弓の腕を存分に振るえると、期待に胸を膨らませたが、そこにウラディミールが申し訳無さそうに水を差す。


「……何を考えているかは分かるが、君が狩りをすることは出来ない」


「!?なぜ!」


 ウラディミールの言葉に、普段何事にも動じないバトエルデニが珍しく声を荒げた。


「当然だろう。君は王妃だからな」


「…………はぁ。またそれか」


 ウラディミールの答えに、バトエルデニは深い溜め息を付き、浮かした手を下ろした。


「だからなんだというんだ。…………いや、いい。みなまで言うな。“淑女だから”、だろう?」


「一応、狩猟に紛れた暗殺を防ぐ意味合いもある」


「ありがたくて涙が出るな」


 他の理由として、“今まで狩猟大会に参加したいという王妃がいなかった”、というのもあったが、それを言うと「ならば我がその第一号になろう」と言い出しかねないため、ウラディミールは押し黙った。


「ただ、乗馬は問題ないからそれで我慢してくれ」


「競馬は?」


「なしだ」


「はぁ。なら雲でも眺めて笛でも吹いているよ」


 バトエルデニは完全に狩猟大会への興味を失い、デザートのフルーツを口に放り込んだ。

 彼女のその死んだ目を見て、ウラディミールは思わず謝罪の言葉を口にする。


「……すまない」


 ウラディミールは、自由なバトエルデニを好いていた。しかし王国に嫁いだせいで、彼女はどんどん束縛されて自由を無くしていく。

 そんなウラディミールの複雑な心境を知ってか知らずか、バトエルデニは何でもないように首を傾げる。


「なにがだ?」


「……いや、なんでもない。気にするな」


 彼女が何でもないように振る舞うから、ウラディミールもそれ以上何も言えず、結局普段と変わらない日常が流れていった。




−−−−−−−−−−−−




 そして狩猟大会の当日。


 狩猟大会はこれといったトラブルもなく、つつがなく進行した。指定された狩猟区域では男性貴族たちが談笑しながら自慢の馬を優雅に走らせ、婦人や令嬢は会場に用意されたパラソルの下で優雅にお茶と談笑を楽しんでいる。

 これこそが、王国貴族のあるべき姿だというように。


 アリョール王国は戦好きの先代王の統治のもと、長年に渡り戦続きで困窮を強いられてきた。そのため貴賤関係なく国民たちの間には常にピリピリとした緊張感が走り、日々を楽しむ余裕などなかった。舞踏会も狩猟大会も、領地を守るために精一杯の地方貴族たちは参加できず、王都に住む貴族たちも明日は我が身と財を蓄えいつでも海外へ逃亡できる手筈を整えていた。

 けれど国王が変わり、国の安定が見込めたことで貴族たちはようやく貴族らしい優雅な暮らしを取り戻せた。のだ。狩猟大会に参加した貴族たちの顔は、なんとも晴れやかだ。


「…………平和だな」


 ただ一人、豪華なドレスを身にまとったバトエルデニを除いて。


「乗馬は問題ないと言っていたが、こんなに重たいドレスだと馬に跨るのも一苦労だろうな」


 バトエルデニは屋外に似合わない立派な椅子に深く腰掛け、繊細な刺繍の入ったドレスの裾を払った。狩猟大会において、王妃の役割はほとんどない。開始の宣誓は国王であるウラディミールが行い、バトエルデニの役割は大会の最後に優勝者に冠を被せることくらいだ。あとはただ、笑顔で大人しくそこに居ることだけが役割だ。日々狩猟を生業に生きてきたバトエルデニにとっては、なんとも退屈極まりない行事だった。


「いいですか!狩猟大会は王宮とは違い、多くの貴族が訪れます!王妃様はまだ王族の礼儀作法が身についていませんので、今回はとにかく大人しく座っていてください!」


 狩猟大会前の1ヶ月間、バトエルデニは教育係に口酸っぱくそう言い含められていた。曰く、少しでも動けばボロが出るから。バトエルデニ本人としては大変頑張ってはいるのだが、ただでさえ侮られている身であるため、少しでも粗を見せれば大げさに馬鹿にされるのが社交界。特に、ポッと出の格下(と思っている)国の女に王妃の座を掻っ攫われた令嬢は、今からでも王妃を蹴落とそうと虎視眈々と機を狙っている。

 なのでバトエルデニはいつもより重くて豪華なドレスを着て、人形のようにウラディミールの横に座って大人しくしていた。


「あれが噂の…………」

「本当に耳が…………」

「あれが国母ですの?」

「目が吊り上がって意地悪そう」



「(……全部聞こえているんだが)」


 それでも余計な因縁をつけられ、バトエルデニは辟易した。

 彼女の耳が、ベールの下でピコピコと揺れる。

 令嬢たちは遠巻きに囁きあっているが、彼女の耳が飾りではなく、本当に犬のように遠くの音まで聞こえることには気づいていないようだった。


 それにしても、“目が吊り上がって意地悪そう”は、本当にただの誹謗中傷である。バトエルデニ自身、子供の頃から怖いと言われてきた父親譲りの強面は気にしている。けれど、生まれついた顔はどうすることも出来ないのだ。


「(山の外でもこの顔は避けられるものなのか)」


 思わず頬を撫でたバトエルデニは、チラリと横目で隣にいる冷酷王と呼ばれるウラディミールを見やった。


 表向きは“実の父を追い落とした冷血な男”、と貴族たちに忌避されていたウラディミールだったが、令嬢たちの間では「理性的で寡黙でかっこいい」「武と知を兼ね備えた理想の王」「憧れの存在」と影で懸想されていることを、メイドたちの噂話からバトエルデニは知っていた。


「(こいつも大概、細めがちで冷たい顔付きなのに、男であるだけでクールでかっこいいと言われるのは不公平じゃないだろうか)」


 バトエルデニとしても、ウラディミールの顔は嫌いじゃない。細く鋭い目は野生の獣のようだし、ヘラヘラと笑わないところも物事への真剣さを感じて大変好ましいと思っている。ただ少し、解せないだけだ。


ジッ……


「…………、なんだ?」


 彼女の少しトゲトゲとした視線に、それまで黙って座っていたウラディミールも流石にたまらず声をかける。


「いや、なんでもない」


「退屈であれば、令嬢たちの茶会に加わってきても良いぞ」


 令嬢たちの方を気にしていたことに気づいていたのか、ウラディミールはバトエルデニにそう提案した。しかし令嬢たちが影でどんな悪口を言っていたのか聞いていた彼女は、その提案を鼻で笑う。


「冗談だろう?一体何について話すと言うんだ。好きな男の名前でも言えばいいか?」


「それはそれで興味深い話題だが、答えが怖いのでやめておこう」


「そうだな、それがいい」


 2人はそうした夫婦とは思えない会話をしながら仲良く(?)狩猟大会を過ごした。







2025.01.02改稿

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