4.初夜だ
時を少し飛ばし、国王夫妻の盛大な結婚式と披露宴のその後。
「だから、何故拒む?」
「物事には適切な時期というものがある」
「それが今だろう」
「いや、私はそうは思わない」
今日でめでたく夫婦になったはずの二人が、何故だか寝室のベッドの上で睨み合っていた。
一日の終りに二人は、召使いたちにより今日の疲れを癒やすためマッサージを施されたうえでピカピカに磨き上げられ、潤滑油や酒や薔薇などが置かれた、やたらムーディーな寝室へと通された。
それもそのはず。結婚の日の夜といえば夫婦が初めて夜を共にする日だ。まぁ、近年では婚約者同士で婚前前に一夜を過ごすことは珍しいことでもないが、少なくとも二人は今夜が初めて床を共にする瞬間だった。周りは既に世継ぎの話で盛り上がっているし、バトエルデニも当然ウラディミールと契を交わし、子を成すのだと信じて疑っていなかった。
しかし、こともあろうか寝室に着いたウラディミールは、裸同然の薄いレースの下着を身に纏いベッドで待っていたバトエルデニにバスローブを羽織らせると、そのまま放置して早々に身体をベッドに預け寝ようとしたのであった。
「おい、寝るのか?」
「今日は疲れた。お前も早く寝るといい」
「…………」
この態度には、流石のバトエルデニも女としての矜持が傷ついた。
「(好きあって結婚した仲ではないが、番であるのならもう少し情欲を持つべきではないのか?)」
バトエルデニは閨での男女の行為について詳しい訳ではなかったが、初夜が特別な意味を持つ夜だということは流石に理解している。だからこそ平時なら寝ている時間にも関わらず、自分の趣味ではないペラペラの薄布を着てウラディミールの来訪を待っていたのだから。
そんな配慮をぞんざいに扱われたバトエルデニはムッとしながら背を向けて横になったウラディミールの肩を揺する。
「おい、寝るのならせめて一回でも我を抱いてからにしろ」
「…………何?」
バトエルデニのあまりにはっきりとした物言いに、ウラディミールも思わず飛び起きた。そこからは、上記のような押し問答だ。
「婚姻を結んだのなら、男女の契りを交わすべきだろう」
「本気で言っているのか?」
絶対に抱いてもらう気のバトエルデニvs絶対に抱く気のないウラディミール。道理でいえば、バトエルデニのほうが有利である。しかし、ウラディミールの方も頑なに譲らない。
「お前はまだ16だろう」
「初潮は迎えた。つまり子を産むには何の問題もない」
16歳といえばアリョール王国ではまだ社交界入りしたばかりのお嬢さんだ。子作りの真似ごとなら問題ないが、子供を産むにはやや早熟である。しかし、狼族の村での文化は違う。初潮を迎えた限りはすでに子を産むための準備が整っているという解釈で、大人の仲間入りを認められる。そして早ければ14歳で子供を産む者もいる。ようは倫理観の違いである。
「はぁ……。分かった、お前の国の文化と主張は尊重しよう。しかし、望まぬ結婚をして、その上身体まで差し出すなど、お前の人生はそれでいいのか?」
このままでは平行線だと思ったウラディミールはバトエルデニへの反論を諦め、別の角度から問題を提起する。しかし、それすらも彼女の主張を覆すには至らない。むしろ、余計に「何を言っているんだこいつは?」という顔をされるだけであった。
「お前は何か勘違いをしているが、我は別にこの結婚を不服に思っていないし、お前のことは好意的に思っている」
「…………は、」
思わぬカウンター攻撃を喰らって、ウラディミールは目を見開き固まる。そしてそんなウラディミールに畳み掛けるように、バトエルデニは恥ずかしげもなく彼を称賛した。
「我と“強さ”の定義は違うが、お前なら我の伴侶として不足ない。お前の子を産めるのは我の誉れになるだろう」
「…………」
あまりにまっすぐな目で見据えられて、ウラディミールは顔を手で覆い、深い深いため息を零した。バトエルデニは世辞を言えるような人間ではない。悪いものは悪い、良いものは良いと素直に評価する。そんな彼女からの賛辞は、悪い気がしなかった。
そうでなくても彼は…………。
「…………そうか」
グイッ
「!」
ーーーーーードサッ
「なら、遠慮する必要ないということだな」
長い長い沈黙のあと、ウラディミールはバトエルデニの腕を掴み、そのままベッドへと押し倒した。半分はヤケクソ、半分はこれで少しでも危機感を覚えてくれないかという脅しのつもりであった。しかし、そうまでしても彼女の態度は変わることはない。
「あぁ。夫として、当然の権利だ」
「その余裕、いつまで続くか見ものだな」
「……っん」
ウラディミールはバトエルデニへ口付けた。しかしその口付けは冷めた口調と裏腹に、彼女の反応を探るような慎ましやかなものだった。それだけで、バトエルデニは彼が噂通りの冷酷な人間ではないのだと理解できた。
「ん。接吻というのは初めてだが……なんだ、くすぐったいな」
唇が離れたとき、バトエルデニはクスクスと笑いながらそんなことを零した。彼女は生まれてこの方16年、次期族長として恋よりも一族を率いていくための能力を磨くために生きていた。決して異性からの求愛を受けなかったわけではないが、いずれ族長の決めた男と結婚するのだから恋人は必要ないと切り捨てていた。そしてバトエルデニはその豪胆な性格から、どちらかといえば女性からの人気が高い方だった。男からは統率者としては評価されるが、家庭を守る女としてはあまり評価されていない。そのため、キスも性行為も彼女にとっては縁遠いものであった。
だからこそ初めてのキスにそんな感想を漏らしたわけだが、その初々しい反応にウラディミールは苦虫を噛み潰したようなしかめっ面をするしかない。
「…………」
「ん?なんだ?何故睨む?到底、新郎が新婦に向ける目だとは思えんな」
「誰のせいだと……」
これは今夜は苦労するぞ、とウラディミールはすでに気疲れを感じていた。正直、このまま行為を続けるのが嫌になってきたほどだ。彼女にはもう少し、閨での情緒というものを学ばせたほうが良いのかもしれない。
「ふむ?よく分からんが、接吻は私からもしたほうがいいのか?」
「やめろ、お前は何もするな。黙って俺に抱かれていろ」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
しかしこのまま捨て置けば、いずれ彼女がとんでもない強行に及ぶのは薄っすらと読み取れた。寝込みを襲われるくらいなら、さっさと事を済ませてしまうに限る。そうしたなんともへんてこな雰囲気のまま、アリョール王国の若き国王夫婦の初めての夜は過ぎていった。
-------------
「…………ん」
翌朝、ウラディミールは一人きりのベッドで目を覚ました。バトエルデニが寝ているはずの場所は既に冷たく、彼女が随分前にここを出ていってしまったことが伝わってくる。
「………」
彼女が早々にいなくなってしまう可能性を考慮していたウラディミールは、特段慌てることもなくローブを羽織り、カーテンに隠されたバルコニーへと向かう。なんとなく、風に当たりたくなったのだ。
ガチャ……
「起きたか」
「………」
しかし、そこには既にバトエルデニが立っていた。彼女の銀色のはずの髪は、朝日に照らされ金色に輝き蜃気楼のように風に揺れている。
「………………」
「……なんだ、まだ寝ぼけているのか?王族は随分と起きるのが遅いんだな。もう夜が完全に明けているぞ」
ぼんやりと自分を見つめるウラディミールに、バトエルデニは首を傾げる。彼女は日が上りきる前には目を覚まし、入浴を済ませていた。村での習慣ならばこのまま山へ行ったり、食事を作ったりしていたのだが、初夜の翌日に夫を置いて部屋から出ていいものか分からず、仕方なくバルコニーで日の出を見ていたのだ。
ウラディミールはゆっくりと何度かまばたきを繰り返し、少しだけ間を置いてバトエルデニに言葉を返した。
「……お前たちが、起きるのが早いだけだ」
「狼族は夜明け前には起きるからな」
「狼なのにか?」
「今では人間の血の方が濃いからな。生活リズムは人間よりだ」
「そうか」
そこで会話は終わった。けれどそこに続くのは嫌な沈黙ではなく、同じ場所で同じものを感じる、夫婦の穏やかな時間だ。
「……ここの風は暖かいな」
「そうか」
「あぁ。それに、空も青い」
「そうか」
「我は、これからここで生きていくのだな」
「………」
彼女の横顔には、哀愁が込められていた。ウラディミールはその淋しげな表情に何も言えず、ただ彼女の見つめる先を、ただ一緒に眺めていた。
2024.12.30改稿