スーパームーン、転んだ
※この作品は武頼庵様の2023年秋企画『月のお話し企画』参加作品です。
いつもの風景、建物と建物の間。
まだ日も落ちない夕方近く。
そこにおそろしく大きな月が浮かんでいた。
ぼくはすべり台の上からそれを見た。
見たこともないほど大きな大きな月。
スーパームーンというのだと、あとで知った。
たまさか月が昇った直後で、建物の間に挟まれた状態で見えていたため、異様なまでに大きく見えていたのだという事も。
ぼくはすべり台の上で、順番を待っていた。
あっけに取られて、ぼけっと突っ立っていた。
後ろから友だちが声をかけてきたのにやっぱり心ここに在らずで生返事をし、座るんじゃなくて足を一歩、前に踏み出した。
そして、「おい!」という声にはっと気がついてたたらを踏み、足をもつれさせながら進み、大きく前のめって何度もバク転をするように転がり落ちた。
数回、頭を打った。
体もあちこち打ちつけた。
すべり台の1番下で心臓がバクバク言いながら座り込むと、友だちがみんな慌てて駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か!?」
「平気!? ケガしてない!?」
「痛いところは!?」
ぼくはまだ呆然としながら返事をした。
「うん、平気、みたい」
「平気って、本当に? すごい転び方したよ」
「うん。なんでかな、あんまりどこも痛くないや。でもビックリしたから、今日はもう帰るね」
「送ろうか?」
「いい、いい、大丈夫。1人で帰れるよ」
友だちが送ると言うのを断って、ぼくは1人で家に帰った。
頭の中では、何日か前に聞いたばかりの話を思い出していた。
頭を強く打って、痛みが全然無かったと言っていた人が、その夜寝てるうちに亡くなったという話だ。
ぼくも死ぬんだろうか。
だって、何度も頭を打ったのに全然痛くない。
だけど親には話さないでおこうと思った。
話したらきっと怒られるし、死ぬかもしれないのに最後に怒られるのはなんか損をしているみたいで嫌だ。
死ぬかもしれない。
死なないかもしれない。
いきなり目の前に迫った死に、でもぼくは恐怖を感じなかった。
これで死んだとしても仕方ないな、という感じだ。
ただ、みんなが泣くかな、と思ったらちょっと申し訳なかった。
「ちょっと、ちょっと。せっかく助けたのに、なんか君、人生にあっさりしすぎじゃない?」
そう後ろから声をかけられて振り向けば、そこにはぼくと同じ年くらいの男の子が立っていた。
何を言ってるんだろう、と不思議に思っていると、その子は続けた。
「なんか地上の男の子と目が合ったな、て思ったら、その子がすべり台から転げ落ちたから、慌てて手を伸ばして助けたのに。慌てすぎてつい転んじゃって落っこちちゃったけど、君が無事だったからまあいいかって思ってたのに。なのに本人は泣くでも喜ぶでもなく『死ぬのかな、仕方ないな』って、一体どういう事さ!」
「え、どうして……」
「どうして考えてる事が分かるのか? そりゃ分かるよ、だってぼく月だもの! 人間の考えてることくらいは読めて当然!」
目の前の男の子は自分のことを月だという。
普通なら笑って終わりのそんな言葉を、ぼくはどうしてだかあっさり信じた。
心の中で考えている事を当てられたからかもしれないけれど、きっとあの大きな月を見たせいだとぼくは思う。
不思議なことが起きてもおかしくない。きっと今日はそんな日だとそう感じたのだ。
「ねえ、君はまだ子どもだろう? そんなに小さいのに、人生に対してちょっと淡白過ぎやしないかい?」
たんぱく?
「冷めてるってことだよ。諦めが早すぎる!」
「そう、かな。そうかも……」
「人間ってもっと、楽しいことがたくさんあるはずだろ? 子どもは子どもなりの楽しいこと、大人は大人なりの楽しいこと。それを興味も持たずに捨てちゃうのはちょっともったいないよ」
「うん……」
よくわからないままにうなずくと、男の子は大げさに頭を掻きむしった。
「ああもう! よし決めた! どっちにしても、落ちてきちゃったら次のスーパームーンまで月へは帰れないんだから、それまでぼくが君に楽しい事をいっぱい教えてあげる!」
「う、うん」
「じゃあ、今日から君のうちに泊まるから!」
「ええ?」
「さ、帰ろう帰ろう!」
楽しそうにぼくの腕を掴んで引っ張る月の男の子。
腕を引かれながら空を見上げると、そこにはぐんぐんと高く昇っていく月がある。
なんだよ、月はやっぱりあそこに……。
「あ!」
ぼくは気がついた。
見上げた月はとてもきれいなつるんとした卵の黄身ような黄色で、うさぎの影がどこにもなかったのだ。
その日から、男の子はぼくの部屋にこっそり住むようになって、ご飯どきやおやつの時間には他の人には見えないように姿を消して、パクパクモリモリなんでも美味しそうに食べた。
楽しいことを教えると言っていたけれど、自分が楽しいだけなんじゃないかな。
そう思うぐらい本当に楽しそうだった。
毎日一緒にお風呂に入って、毎日一緒の布団で寝て。
山とか近所の林とか公園とか、毎日どこかに遊びに行って、お腹が空いたらうちに帰って。
「たくさん食べても全然太らないのね」
なんて、ぼくはママに羨ましがられて。
気がついたらぼくも毎日楽しくて、大笑いして過ごすようになった。
テレビでは消えた月の影の話をずっとしていて、不吉な前触れなんて言われていたけれど、ぼくは全然気にならなかった。
その影は今日のおやつにドーナツを食べて幸せそうだったから、災いなんて起こりっこないって知ってたんだ。
次のスーパームーンの日、暗い中にま白く輝く大きな月を背に、男の子は笑って言った。
「長生きしなよ、死ぬときは幸せそうにしてなきゃ許さないからな!」
ぼくは笑って返した。
「期待してろよ、土産話でたくさん羨ましがらせてやるからな」
男の子は帰って行った。
月の世界へ、スーパームーンを辿って。
ぼくは泣かなかった。
だってまた会えるから。
それからしばらく、消えた月の影が戻ってきたと大騒ぎになったけれど、ぼくは我関せず、気にしなかった。
月の影は消えたり現れたりするものなんだ。
スーパームーンにあの子が転んでこっちに落っこちてくる事があるんだから。
あれからもう随分たって、僕は大人になって、社会に出て仕事をしている。
世界を楽しむコツを少しだけ教えてもらったから、毎日笑って土産話を作っている。
今日はスーパームーン。
見上げれば、丸い大きな月にくっきりと影が浮かぶ。
『楽しんでるかい』
月が笑う。
僕はニヤリと笑うと心の中で『羨ましいだろ』と言ってやった。
笑い転げるあの子の姿が目に浮かぶようで、『笑いすぎて転げ落ちるなよ』と声をかける。
ほんとはまた転んでもいいんだけどね。
そしたらまた、一緒に過ごそう。
次のスーパームーンまで。
僕の心を読んだように、空で月がケラケラ笑った。