華麗なる軟禁生活のはじまり
殿下の婚約者になり、私には専属の使用人がつけられた。
「おはようございます、アリーシャ様。お召し替えのお手伝いに参りました」
専属メイドのマレッタは、二十五歳の子爵令嬢。黒髪が美しい楚々とした美人だ。
エーデルさんとは遠い親戚だそうで、城の本塔でメイドとして勤め十年の経験があるという。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ、おかげで気分がすっきりしています」
昨日、クレイド殿下が私の部屋を出ていった後、すぐにやってきたのがマレッタだった。
私が貧乏伯爵令嬢であることは知っているはずなのに、彼女は私に冷たい態度を取るどころか、着替えも入浴も食事も何から何まで手厚く世話をしてくれている。
この離宮にはたくさんの使用人がいるものの、私のいる二階フロアに入れるのは許可を持つ一部の者だけで、用事はマレッタに伝えれば各使用人に連絡がいくというシステムになっている。
限られた使用人しか私と接触しないよう、ここでもクレイド殿下の「見せたくない」が徹底されていた。
「こちらのドレスは、侍女のフェリシテ様がお選びになったお衣装でございます」
マレッタが見せてくれたのは、淡いピンク色の上品なドレスだった。
隣にいるフェリシテは、「私のセンスは確かでしょう?」と得意げな顔を見せる。今朝のドレス選びが、フェリシテの侍女としての初仕事である。
私はマレッタやメイドたちによってコルセットを絞められ、ドレスや装飾品で飾られていく。
どんどん仕上がっていく私を見て、フェリシテが嬉しそうに声を上げる。
「わぁ、やっぱりアリーシャによく似合う!すっごくきれいよ!」
「ありがとう。フェリシテの見立てがいいからよ」
褒められると、慣れていないから少し照れてしまう。はにかみながら返事した私に、フェリシテは「う~ん」と悩むそぶりを見せた。
何かあったのか、と目で問いかけると彼女は衣装部屋の方に視線を向けて言った。
「今の流行色って、はっきりとした濃い色味なのよね。それなのに、ここにあるのは淡い柔らかなカラーばかりなの。もちろん、式典用の赤や紺のフォーマルドレスは揃ってるけれど……」
「そうなの?」
「ええ、アリーシャがオーダーしたのかなって思うくらい、あなたが好きそうな優しい色のドレスが揃ってるわ」
今私が着ているドレスも、カーネーションやガーベラをイメージする優しいピンクだ。目に優しいし、心が和む色だからすぐに気に入った。
ネックレスやブレスレットも、飾りが小ぶりで可愛らしい。
「私としては派手で目立つ色より、こういう控えめな方がいいわ」
そう言って微笑むと、フェリシテも満足げに頷いた。
そして、冗談めかしてふふっと笑う。
「これならクレイド殿下だって喜ぶんじゃない?アリーシャが可愛すぎて恋に落ちること間違いなし!」
私が何を着たところで、あの殿下が喜ぶとは思わない。
ため息が出そうになるのを堪え、私はフェリシテに冷静に告げる。
「フェリシテ、昨日の婚約式を思い出して?」
「……生き残ることに全力を尽くしましょう!」
どうやら現実を思い出してくれたらしい。
私とクレイド殿下が恋に落ちる兆しはまったくない。
「とはいえ、ちょっとくらい殿下の好みを知りたいわよね」
フェリシテは真剣に悩み始め、少し屈んだ状態で私のドレスの裾を整えているマレッタにふと尋ねた。
「マレッタから見て、クレイド殿下はどんな方かしら?」
「え?」
突然の質問に、彼女は顔を上げてフェリシテを見る。そして身を起こし、背筋を正して私たちに向き直った。
「殿下は、そうですね……。執務室でずっとお仕事をなさっているか、訓練場で魔法使いたちと訓練に励んでおられるか、魔物討伐でしばらくご不在が続くか、とにかく忙しくしておいでです」
フェリシテが「社畜ね」と呟く。
メイドがクレイド殿下と接する機会はほとんどないらしく、マレッタは「お役に立てず申し訳ありません」と謝罪を口にする。
私はきっと安心したかったのだ。「とてもいい方ですよ」とか聞けたらいいなって、勝手に期待していた。
「殿下はお仕事がお好きなのでしょうか?よく働くのはいいことですよね……」
働かない父と兄を見てきた私としては、王子様なのにまじめに職務に励むのはとてもいいことのように思えた。
覇気のない、頼りない人よりはずっと……。
頭を悩ませる私を見て、マレッタは励ますように笑顔で言った。
「突然に婚約が決まり、ご不安ですよね。でも、これからお時間はたくさんございますので、アリーシャ様がご自身の目で殿下のことを知っていってはいかがでしょうか?」
「そ、そうですね……?」
マレッタの言うことはもっともで、ただ問題は私に殿下と会う勇気がないということだった。
衣食住を揃えてくれて、婚約者としてもてなしてくれるけれど、また会いたいと思えるかどうかは……。
理不尽に怒るような人ではなくても、とにかく眼光とその雰囲気が怖い。
婚約式をするまでは「殿下の役に立つ婚約者に!」と少なからず思っていたのに、こんなことではいけないと心の中で自分を叱咤する。
「さぁ、お支度ができました」
いつのまにか俯いていた私は、マレッタの声で顔を上げる。
鏡の前にいる淡いピンク色のドレスを着た私は、宝石に負けないよう上品にメイクも施され、金色の髪は緩く編み込まれてリボンでまとめられていた。
さすがお城の上級メイド、おしゃれなんてしたことがない貧乏伯爵令嬢を見違えるほど変身させてくれる。
今はまだ見た目を取り繕っただけの偽物みたいな令嬢姿だけれど、中身もしっかり伴ってくれば殿下の態度は変わるのだろうかとふと思った。
「王子妃教育をがんばれば、殿下は私を恥だと思わなくなる……?」
鏡を見ながら、そんなことを呟く。
婚約者生活はまだ始まったばかりだから、弱気になっている場合じゃない。
どんな貧乏も耐えてきたでしょう?
「何とかなる、何とかなる……!次にクレイド殿下にお会いするまでに、一歩でも前に進む!」
声に出して言ってみると、何だかちょっと気分が浮上した。
「さすがアリーシャ、あの殿下に立ち向かう気になるなんて」
「とにかくがんばるしかないわ。諦めるのはまだ早い」
元気を取り戻した私は、くるりと振り返ってマレッタの姿を探す。
彼女は扉のそばにいて、ほかのメイドから何かメモを受け取っていた。私のそばに戻ってきたタイミングで、私ははりきって彼女に尋ねる。
「マレッタ」
「何でしょう?」
「クレイド殿下にお会いできる日は、どれくらい先ですか?」
社畜と定評のある殿下なのだ、きっと数日は会えないだろう。それどころか、軽くひと月くらい放置されるかもしれない。
その間、私は予定通り王子妃教育を受けて立派な婚約者を目指す。そんなプランを考えていたのだが────。
「たった今、昼食をご一緒にという連絡を受けました」
「…………え、昼食?」
「はい。殿下がこちらにお越しくださるそうです」
よかったですね、と微笑むマレッタ。
どうしてこんなに早く!?
私とフェリシテは呆気に取られていた。