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今日から離宮で暮らすらしい

神殿の外に出ると、クレイド殿下が立ち止まって尋ねる。


「転移魔法は?」

「……?」


じっと見つめられ、何となく「これは転移魔法で移動したことはあるか?」と聞かれているのかと予想する。


「は、初めてです」


質問が違っていたらどうしよう、とどきどきしながら答える。

殿下の次の言葉を待っていると、急に肩を抱かれ引き寄せられた。


「えっ?」


周囲に光が溢れ、私は思わず目を瞑る。

殿下が転移魔法を使ったのだと気づいたときにはすでに場所は神殿ではなく、明るい茶色の壁にアイボリーの絨毯が敷き詰められたお邸の中だった。


可愛らしい淡いピンク色のクロスや白を基調とした家具は、貴族令嬢の私室といった雰囲気だ。どれも上質の物が揃っていて、庶民より貧乏な暮らしをしてきた私には息を呑むほど美しく素晴らしいお部屋だった。


クレイド殿下は、私からそっと離れると淡々と説明する。


「今日から君はここに住む。ここは第二王子用の離宮で、この部屋は二階だ。このフロアに何もかも揃えた」

「離宮……?私がここに……?」

「あぁ、君の部屋だ」


一気に説明され、私は言われた内容を一つ一つ頭の中で整理していった。


どうやらここは王城の一角で、クレイド殿下の邸宅みたいなものらしい。


今、私たちがいるのは二階であって、このフロアに暮らしに必要な物がすべて揃っているということだろうか。


こんなに豪華な部屋が私の部屋だなんて、本当にいいんだろうかと恐縮する。

ちらりと隣を見れば、殿下がおもいきりこちらを見下ろしていてどきっとした。


「あ、ありがとうございます」


殿下の言葉は色々と省略しすぎている気がしたものの、もっと詳しく教えてくれと言える勇気はない。

ただ、ここで私は「ん?」と気づく。


事前に聞いていた話だと、私は王城の本塔にあるゲストルームで生活する予定だった。結婚するまでそこに滞在し、王子妃教育を受けると聞いていたのだが……?


婚約式でのことを思い返せば、その理由がわかった。


「もしかして」

「君の姿を誰にも見られたくないから、本塔ではなくこちらに住めるよう手配したんだ」


殿下は不敵な笑みを浮かべてそう言った。

やっぱり、この方は私を見られたくないほど恥だと思っている。徹底して隠そうとする意志を感じた。


いくら隠したって、どうせ三カ月後には婚約のお披露目があるって聞いていますよ……?

そのときは一体どうするつもりなんだろう?


「専属のメイドをつける。欲しい物は何でも用意しよう」

「……ありがとうございます」


人に見せたくないほど恥じている婚約者のために、どうしてここまでするのかまったくわからなかった。


殿下の行動には一貫性がなく、考えても考えても彼が私をどうしたいのかわからない。


「何だ?」

「ひっ」


ちらちらと視線を向けていたら、ぎろりと睨まれた。

小さな悲鳴は聞こえてしまったかもしれない。

殿下の機嫌を損ねないよう、私は引き攣りながらも笑って言った。


「ひ……、広くて、素敵なお部屋ですね」

「これが素敵……?本当に?」


殿下は、目を見開いて驚く。

この部屋はとても素敵だと思うけれど、どうしてそんなに意外そうな顔をするんだろう?

もしかして、褒めたらまずかった?センスを問う試験だった……?

すでに王子妃教育は始まっている?


「…………」

「…………」


見つめ合い、しばらく時間が経過した。

冷や汗が止まらない私は沈黙に耐えきれなくなり、必死で愛想笑いを浮かべて取り繕う。


「とても素敵です。このようなところで過ごせるなんて、嬉しいです」


あまりに普通のことしか言えなくて、もっと上手に感想が言えないのかと悔やむ。緊張で握り締めた手が揉み手になっていて、本心で言った言葉も嘘くさくなっていた。


「さすが王子様の離宮ですね!」


焦って何を言っているのかわからない。とにかく褒めて、沈黙を埋めたかった。

こんなことでどうにかなるんだろうか、と思ったとき、殿下はぱっと顔を逸らし口元を右手で押さえた。


『……った』


噛み締めるような声。「よかった」と聞こえた気はするが確証はない。

しっかり聞き取れなくて、私は首を傾げる。


ところがその瞬間、慣れないヒールにバランスを崩した私はガクンと膝の力が抜けてしまった。婚約式から続いていた緊張に重いドレス、私の足はとっくに限界だったのだ。


「きゃっ」


倒れかかった私を助けてくれたのは、白い手袋を付けた大きな手。転ばずに済んだ安堵よりも、殿下の手を煩わせたという事実が衝撃的で、私は慌てて身を起こす。

これはまずい、絶対に失敗した……!


「失礼いたしました!」


ぎゅっと瞼を閉じ、謝罪の言葉を口にする。

ただでさえ人に見せたくないと思われているのに、こんな無礼を働けばきっと殿下はもっと私を嫌になるはずだ。


息遣いが聞こえてしまいそうなほどに静まり返った部屋で、緊張感だけが増していく。


「……座るんだ」


頭上から降ってくる低い声。そこには苛立ちも嫌悪感はなかった。

顔を上げれば、殿下は少しだけ申し訳なさそうな目で私を見下ろしていた。


殿下に手を引かれ、私は近くにあったソファーに腰を下ろす。ふかふかのソファーに座ると、殿下は横に立ったまま無言で私を見ていた。


殿下が立っていて私が座っているという状況に、どうしようもなく居たたまれない気持ちになる。

でもその時間はすぐに終わった。


「また様子を見に来る。メイドと侍女にもここへ来るように言ってある」

「わ、わかりました」


殿下は私の返答に満足したのか、少しだけ目を細め、ニィと口角を上げて去っていった。

有無を言わさぬ怖さがある。


お顔立ちだけで言うと年頃のご令嬢が一目で好きになりそうな美形なのに、その表情や雰囲気が恐ろしい。


一人になると、どっと疲れが押し寄せてくる。

ソファーに倒れ込み、さっきの殿下のことを思い出していた。


「転びそうになっても、叱られなかった」


独り言が静かな部屋に響く。

婚約式のときからずっと睨まれていたから、ちょっとでもミスをしたら罵倒されるか殴られるか、そんな目に遭うかもしれないと頭の片隅で思っていたのに。殿下は何もおっしゃらなかった。


「もしかして、睨んでるわけじゃない?」


昔、ドレイファス伯爵家で働いていた料理人が、とても怖い顔なのに実は優しい人だったということがあった。

殿下もそのパターンである可能性も……?


そういえばこの部屋は快適な温度に温められていて、私にはもったいないくらい何もかもが整えられている。


この婚約は、殿下にとって不本意なはず。

それなのに、どうしてこんなによくしてくださるのだろう?

いくら考えてもわからなくて、私はとりあえずお茶を飲むことにした。


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