いきなりの婚約式
突然の婚約話から数日後、私は二頭立ての豪華な白い馬車の中にいた。
何が何だか、とにかくエレファスに仕事を預けて家を出るしかなかった。
使用人や侍女はいくらでも連れてきていいと王家からは言われたものの、私に連れていけるような使用人はいない。その結果────。
「馬車の中で食べようって思っていたの。一緒にどう?」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
フェリシテが私においしそうなアップルパイを差し出してくれる。
「ありがとう」
私は、包み紙ごとそれを受け取る。
たった一人で王都へ向かうはずが、私を心配したフェリシテが侍女として一緒に来てくれることになった。
もぐもぐとアップルパイを頬張ったフェリシテは、ごくんと飲み込むとあのときのことを思い出して言った。
「とにかく急いで王都へ来てくれって、なんか変じゃなかった?とにかくアリーシャに逃げられたくない、って感じで。ものすごく切羽詰まってる感じがしたわ」
実は私も違和感があった。
使者の人は、何度も「お待ちしております」と念を押し、とにかく必死に頼んできた。「これは私が逃げたら、この人の命が危ういのかな」とさえ思うくらいに……。
「王都からは、優秀な財務担当や経営担当も派遣されて、大臣はお父様を支援するといった約束を十分すぎるほどに守ってくれている……。王子様の婚約者探しが、よほど難航していたのかもしれないわね」
私があれほど憂いていたドレイファス領の未来も、優秀な人材が王都から派遣されてきたのでしばらくは安心だ。
借金だって、フォード大臣の名前が出た途端に「返済はいつでもいい」「利息もいらない」なんて言われたのだ。
これまでがんばってきたのは一体何だったのか、と悔し涙が出そうになったものの、これでよかったのだと無理やり思い込むことにした。
これから私は、第二王子であるクレイド殿下の婚約者になるんだから、彼のためにどう振る舞えばいいかを考えなくては。
「私が王子様の婚約者だなんて……」
本音を言えば、結婚じゃなくて働きに王都へ行きたかった。未だに自分にはふさわしくないって思っている。
でも、クレイド殿下のためにいい婚約者になりたい。
王子妃教育をがんばって、『大臣公認の無価値な家』の娘から『役に立つ立派な婚約者』になろう。
私は密かにそう決意していた。
王都で私を待っていたのは、貴族の邸宅かのような煌びやかなお邸だった。
すぐに王城へ上がるのだと思っていたのに、どうやらここで一泊するらしい。
お城はここからも見えているのに、迎えが来るまでここにいてくださいと言われて留まることになった。
一夜明け、陽が昇る前から起きていた私は、たくさんのメイドに囲まれドレスに着替えをすることに。クローゼットにはぎっしりと衣装が入っていて、これは全部クレイド殿下からの贈り物だそうだ。
キラキラと宝石が輝くドレスの海は、眩しくて目が痛い。
「よくお似合いですわ」
「素晴らしい」
メイドたちは口々に褒めてくれる。
飾り立てられた姿を鏡で見ると、これが自分とは思えないくらいちゃんと貴族令嬢の姿になっていた。
フェリシテと共に食事をとり、これから迎えが来るまでどうしようかと思案するまでもなく、そのときはやってきた。
「おはようございます。アリーシャ・ドレイファス伯爵令嬢をお迎えにまいりました」
恭しく挨拶をしたその人は、赤褐色の髪を短めに整えた精悍な青年で、二十代半ばに見える。
「私はクレイド殿下の従者で、エーデルと申します。クレイド殿下とは乳兄弟でして、幼少期からおそばに仕えております。どうかお見知りおきください」
王子様の従者にしては、明るく気さくな印象だ。
この婚約は、クレイド殿下にとっては押し付けられたようなものだから、殿下の従者にどう思われているか一瞬不安に思ったけれど、彼の目や声はとても友好的でホッとする。
「おはようございます。初めてお目にかかります、アリーシャ・ドレイファスです。これからお世話になります」
私に続いて、フェリシテも頭を下げた。
自己紹介もそこそこに、エーデルさんはにこりと笑って本題を告げる。
「さっそくですが、アリーシャ様を神殿へお連れいたします。神殿で婚約式を行いますので、侍女の方も友人としてご参列いただければと……」
「「え?」」
フェリシテと私の声が重なる。
何それ、聞いてませんよ!?
いきなり婚約式ってどういうことなのか、聞き間違いかと思った。
「婚約式は、三カ月以上先のご予定ではありませんでした?」
びっくりしすぎて固まる私の代わりに、すかさずフェリシテが尋ねる。
エーデルさんは「え?」と少し驚いた顔になり、またすぐに笑顔に戻った。
「それは当初の予定で、急遽前倒しになったことは伝令を走らせましたが……。行き違いになってしまったようです」
いきなりのアクシデントに、私は眉根を寄せて深刻な表情になる。
「今日ですか?」
「今日ですね」
「本当に今日ですか?」
「はい、こちらの都合ですみません」
エーデルさんの困り顔から察するに、本当に今日婚約式をするしかないのだろう。
ここで私が嫌だと言ったところで、どうにもならないことはわかった。
私が納得したというか、諦めたことを察したエーデルさんは「ありがとうございます」と言い、右手で扉の方を示す。行きましょう、ということらしい。
「あの、殿下は神殿へ……?」
「殿下は、魔法省から神殿へ直接向かわれます。そろそろ到着しているかもしれません」
「えっ!私がお待たせしているんですか!?」
王子様を待たせるなんて、とんでもないことだ。
狼狽える私に、エーデルさんは「大丈夫です」と笑いながら言う。
「いくらでも仕事は持ち込めますから!アリーシャ様はどうかごゆっくり」
「仕事を持ち込む……?ご自分の婚約式なのに?」
婚約式の直前まで仕事をしているなんて、聞いたことがない。
フェリシテも驚いたらしく「え?社畜なの?」と呟く。
婚約式に、神殿で書類にサインするまだ見ぬ殿下のイメージがふと浮かんだ。ただし今は、そんな想像をしている場合ではない。
「それでは、神殿へご案内いたします」
私たちはエーデルさんに連れられ、急いで神殿へと向かった。