王子様の気持ち
冬の訪れはまだしばらく先というのに、今朝は吐く息が白くなるほど寒い。
保温効果ばっちりの糸で紡がれたドレスを着て、その上からダークブラウンのケープを羽織った私は、魔物討伐隊のお見送りに王城の広場まで出てきていた。
以前、クレイド様から『本格的な冬が来る前に、まだ討伐が終わっていない南西部へ向かうことになった』と聞いていた、例の討伐遠征が今日から始まるのだ。
鎧姿の騎士たちが溢れる広場で、私は見送りのためにフェリシテや護衛騎士と共にクレイド様のいる場所へと進んでいく。
「南西部は、確か大きな山に囲まれているんですよね。通信機が使えないところもあるとか……。これまではさほど魔物被害に遭っていなかったと聞いていましたが、これほどの軍勢で討伐に向かうほど一大事なのでしょうか?」
私の疑問に、護衛騎士のエメランダさんが答えてくれる。
「三年前に領主が代替わりして、騎士団や自警団の規模を縮小したらしいのです。見通しが甘かったのでしょうね、今までは大丈夫だったから……と縮小したら討伐が追い付かなくなり、今では村を追われる人まで出てきているとか」
昨年の時点で、すでに王都から討伐隊を派遣する提案をしていたらしい。けれど、領主がなかなか受け入れず、今になってようやく返事を寄こしたそうだ。
「領民に被害が出ているのに、どうして今まで放置していたのですか?」
「見栄もあったと思いますが、何か知られてはいけないことがあったのでは、と魔法省では考えています。討伐隊が派遣されるということは国の干渉を受けるとも解釈できますので、領主はそれを嫌がったのではないかと」
基本的に、自領のことは領主が何とかする。けれど、その力がないと判断されれば国からの調査を受けることは知っていた。
ドレイファス領の場合は、調査しても「ただの貧乏です」というシンプルな事実しかなく、こちらはいくら国に干渉されても構わなかったのだが、国としては特に利益が見込めないのでまったく干渉してこなかった。
「クレイド様は『五日で戻ってくる』とおっしゃっていましたが、それほど早く移動できるのですか?」
「はい、南西部は遠すぎるので転移魔法陣を使います。クレイド様の魔法で、数百人を一度に転移させるそうです」
「数百人も、クレイド様お一人の魔法で?そんなことができるなんて、本当にすごいのですね。……相当なご負担のかかることなのでは?」
心配のあまり眉根を寄せる私に、エメランダさんはにこりと笑って「問題ありません」と言う。
「クレイド様は王国一の魔法使いですから。普通ではあり得ないことでも、平然とやってのけてしまうのです」
「でも……心配です」
どれほど本で魔法の知識を学んでも、実際に私の体で体験できるわけではない。
他国と戦争をしていた時代には、魔力を使い果たして亡くなった魔法使いもたくさんいたそうで、私は不安に駆られる。
「祝福のかかったお茶が、クレイド様にも効き目があればいいのに……」
遠征での疲労回復に役立てばと思い、私は魔法騎士の方々に飲んでもらうためのお茶を用意し、今朝エーデルさんに渡していた。普段はお茶を振る舞わないようにと言われていたけれど、エーデルさんも今回ばかりは受け取ってくれた。
「心配性なところは、婚約者同士でお揃いですね」
エメランダさんがふふっと笑う。
「あ……私はクレイド様ほどでは」
昨夜のことを思い出した私は、思わず苦笑いになった。
クレイド様はここに残していく私に何かあったら……と、離宮の一室を埋め尽くすほどの武器や護身用具を運んできたのだ。
フェリシテも同じことを思い出したようで、呆れ交じりに言う。
「大事な婚約者が心配なのはわかりますが、対魔物用の散弾銃や自動捕縛用のロープとか、あと『周囲の男を全員排除する魔法付与ネックレス』とか、どう考えても過剰防衛ですよね」
ずらりと並んだ光景を見て、「いつどこで使うのだ」と私たちは揃って困惑した。
エメランダさんも、さすがにあれは大げさだと困り顔だった。
「あぁ、噂をすればクレイド様のお姿が」
広場の中でも、城門の近い場所にクレイド様はいらっしゃった。指揮官のディエンさんやエーデルさんの姿も見える。
魔法省の隊服に漆黒のマントを着けたクレイド様は、凛々しい顔つきで何やら打ち合わせをしているような雰囲気だった。
少し待っていた方がいいか、と思ったときにその会話が聞こえてくる。
「あんなに可愛くて優しいアリーシャが、ほかの男に狙われないか心配で仕方がない。やはり護衛騎士を増やした方がよかったのでは?」
「!?」
まさかの言葉に、私は言葉を失い立ち止まる。
とても冗談を言っているようには感じられなくて、切羽詰まった雰囲気にクレイド様が本気でそう思っているのだと伝わってきた。
「たった数日ですから耐えてください。十年会いに行けなかったことに比べたらすぐですよ、すぐ」
旅装束のローブを纏ったエーデルさんは、さらりと答える。それに対し、クレイド様ははっと何かに気づいたそぶりを見せた。
「そうだった……!私はいつのまにこんなに贅沢に慣れてしまったんだ?アリーシャがいてくれるだけでも奇跡なのに、毎日一分一秒も逃さずアリーシャと一緒にいたいと思うようになってしまった……!」
立て続けに語られるクレイド様のお気持ちに、私は一気に顔が熱くなるのを感じた。
私がいるだけで奇跡って、しかも毎日一分一秒も逃さず一緒にいたいって……!?
鼓動が激しくなり、胸がきゅっと苦しくなる。クレイド様がそんなにも私のことを想ってくださっているなんて、嬉しくて涙が滲んだ。
婚約者だから大切にしてくれているんだと思いながらも、私のことを好きになってくれたらいいなと願っていたから、感激のあまり力が抜けてその場に座り込んでしまいそうになる。
「よかったね、アリーシャ」
フェリシテに微笑みかけられ、私は真っ赤な顔で小さく頷く。
でも、ふと気になったことがあった。
エーデルさんの言った『十年会いに行けなかった』ってどういうことなんだろう?
そのとき、前方からクレイド様の声がする。
「アリーシャ!?」
愕然とするクレイド様の反応から、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと直感する。でも、嬉しくて嬉しくて笑みが零れるのを堪えきれなかった。
「クレイド様、すみません。あの、お話を聞いてしまいまして……」
「…………」
次の言葉が見つからずに困っていると、エメランダさんとフェリシテに背中を押されて前に出る。クレイド様の正面までやってきた私は、どうしていいかわからず沈黙した。
「アリーシャ」
頭上から低い声が降ってくる。
ドキドキしながら顔を上げると、クレイド様が苦悶の表情を浮かべていた。
浮足立つ私の目の前で、クレイド様は絶望の色を滲ませる。彼にとっては、聞かれたくなかったことなのだと伝わってきて、「私はこんなに嬉しいのにどうして?」と困惑した。
クレイド様は、何かを覚悟したように口を開く。
「……本当にすまない、アリーシャ。かっこいい王子を演じきれなくて……!」
「え?え?」
「あんなことを聞かせるつもりじゃなかった。すまない、許してくれ」
まさか謝られると思わなかった私は、少し狼狽えながらクレイド様の様子を窺う。
かっこいい王子とは、一体何のことだろうか。演じるも何も、クレイド様はかっこいい王子様なのに……。
「クレイド様?謝られるようなことは何もありませんよ?」
恐る恐るそう告げれば、クレイド様は驚いた目で私を見た。
じっと見つめられると恥ずかしくて、私は視線を落としながら告白する。
「その……お気持ちを知れて、私は嬉しかったです。クレイド様が私を想ってくださっているとは思いませんでしたから」
「え?」
今度はクレイド様が不思議そうな顔をする。
あれ?私は何かおかしなことを言った?
互いに「なぜ?」という目で見つめ合う。
「もしかして、今まで伝わっていなかったのか?」
クレイド様は、ぽつりと呟くように言う。
「私なりに、アリーシャを大事にしてきたつもりなんだが」
「はい、大事にしてもらっていると感じていました。でも、それは婚約者に対しての責任といいますか、真面目で誠実な方なんだなと……」
「いや、私はそういうつもりで君を大事にしてきたわけでは」
「つまり?」
それは、好きだから大事にしてくれていたということですか?
どうやら、殿下はずっと私に気持ちを伝えてくれていたらしい。態度で……態度で!?
最初に大きくすれ違っていたのに、さらにここでもすれ違ってしまっていた。
クレイド様は顔を顰め、しばらくの無言の後でそっと私を抱き締める。
「アリーシャ」
「は、はい」
耳元で声がして、息が止まるくらいにドキドキした。
抱き締められている緊張や皆に見られている恥ずかしさが混ざり合い、クレイド様の腕の中で硬直する。
「戻ってきたら今度こそゆっくり話そう。聞いてほしいことがある」
クレイド様は、私の様子を窺うように告げた。
「私も、お話ししたいです」
都合のいい家だから選ばれただけの婚約者でも、クレイド様のことを好きになってしまった。その気持ちを、正直に伝えたい。
クレイド様は腕の力を緩めると、私の髪を撫でてかすかに笑った。
それを見ると、幸せ過ぎて胸が締め付けられるようだった。
「すぐに帰ってくるから、待ってて」
出発の時間が迫り、クレイド様はそう言って私から離れる。ようやくクレイド様のお気持ちが知れたのに、すぐにいなくなってしまうことがとても寂しくて、胸が締め付けられるようだった。
それでもどうにか笑顔で「いってらっしゃいませ」と伝え、無事を願いながらクレイド様の出立を見送った。




