やっぱりお金が足りません
「財政は厳しいの?慰謝料とかもらったんじゃないの?」
「そうなんだけれど、想像以上に出て行くお金が多そうなの」
今年の冬は寒波に襲われるとの予測もある。
今の状況では、ちょうど一年後に破綻するかもしれないという予測だが、寒波の被害が拡大すれば税収が減り、もっと早くに破綻するかもしれない。
フェリシテも、どうにかならないかと考えてくれているみたいだった。
「ねぇ、今年はまだあの人は来てくれないの?黒衣の冒険者様」
フェリシテが言っているのは、なぜか毎年秋になると現れる凄腕の冒険者のことだ。
ドレイファス伯爵家は、祖母がまだ健在だった頃に少しでも収入を増やそうと、魔物の毛皮や爪、牙などを買い取る素材店を開店していて、その店は今でも細々と営業している。
魔物繁殖期が近づく秋になると、一年で一番素材が集まり売買が行われるのだ。
中でも、黒衣の冒険者様と呼ばれる黒ずくめの青年は高ランクの魔物を狩ってきてくれて、それを王都や大都市ではなくうちの店で取引してくれている。
店のスタッフによれば、魔物はいずれも傷一つなく、一瞬で凍らされたとしか思えない美しい状態で持ち込まれているらしい。
そんなにすごい魔法が使える冒険者なら、もっと素材を高く買ってくれる都市へ行くのが常識なのに、なぜかその青年はいつもうちの店に来てくれるのだ。
おかげさまでドレイファス伯爵家には手数料収入が入り、我が家は持ち堪えていた。
「まだ今年は見てないわね。毎年、落ち葉が庭を埋め尽くして、掃除しなきゃって思う頃に来てくれるからもうすぐかしら?」
私は直接会ったことはないけれど、彼が毎年来てくれるようになってもう五年。来年も、と契約をしているわけじゃないから、あまり期待しすぎない方がいい。
「彼が来たときに、多めに融通してもらうよう頼み込むっていうのを考えたけれど、そもそも確実にやって来るとわからないなら難しいわね」
「ええ。それにロータルのことで学んだのよ。他人を頼りにするといざ失ったときに大変だって」
持つべきものは、寄りかかる相手ではなく、確固たる収入源。
しみじみと実感しながら言う私を見て、フェリシテは嘆いた。
「はぁ……。うちの兄や父みたいに『社畜』もどうかと思うけど、ロータルもあなたのお父様も働かなさすぎ。アリーシャが何でも背負わないといけないなんて、おかしいよ」
まっとうな指摘に、私はぎくりとする。
フェリシテの家は西側地方に住む人間なら誰もが知っているくらい裕福なルヴィル家で、爵位は男爵と低いものの、その資産は王国で五指に入るほどだ。
祖父から引き継いだ事業を父や兄がどんどん拡大させていっていて、家族が顔を合わせる暇がないくらい忙しいらしい。
「社畜って、働きすぎる人のことよね?確かに、うちの家系にはそういう人がいないわ」
自由気まま。よく言えば柔和な笑顔、悪く言えば緊張感がない。
一方、去年見かけたフェリシテのお兄様とお父様は、とても凛々しくて頼もしい印象だった。
二人とも、目力があった。覇気があった。……でも、ちょっと疲れていそうにも見えた。
「なんだか、どちらも極端な気がする」
中間はいないのかしら、と私は揃って首を傾げる。
フェリシテは「ほどほどにって難しいわね」と遠い目をした。
「ねぇ、一時的に私の財産から……」
「ダメよ。大事な親友からお金は借りられない」
フェリシテは、これまで二度借金を肩代わりしようかと申し出てくれていた。
でも私はいずれも断った。
「友だちには借りられない。これは我が家の問題だから」
そっか……と少し寂しげな表情になるフェリシテだったけれど、すぐにまた元気を取り戻し、語気を強めた。
「それなら!もう自分が何とかしようとしちゃダメよ!がんばるところはアリーシャの長所だけれど、本来はあなたの父親である伯爵がきちっとすべき問題でしょう?」
正論だった。
私はあくまで、当主代理。当主じゃない。でも……。
「お父様は、お母様が出て行っても変わらなかった人よ?」
楽しいことが大好きで、のほほんとした空気感のお父様をどうにかできる自信はない。
諦めの境地にいる私に、フェリシテはまだまだ怒り足りないという風に捲し立てる。
「そもそもお金を稼ぐのは父親である伯爵の仕事よ、甘やかしてはダメ!」
「うっ」
「ダメ男は、助けがあるとダメなまま!父親に領主の自覚を持ってもらわないと!」
「そ、そうね……?」
よく考えてみれば、私を含めエレファスも親戚も、皆が父のことを最初から諦めていた。
フェリシテの言う通り、本来であれば当主の仕事はお父様のやるべきことで、私にまかせっきりなのはおかしい。
昔は互いを想い合う普通の親子だったはずなのに、いつのまにか私が一方的に尽くす関係になっていた。
もしも私がいなければ、父は必死になって領地のことを考えてくれるのでは?
ロータルとの婚約がなくなったことで、父も今回ばかりは窮地に陥っていると気づくはず。
「ねぇ、アリーシャ。これまでがんばったんだから、自分のために生きることを考えて。アリーシャが自分を犠牲にしてばかりなのは、友だちとして見ていてつらいから」
「フェリシテ……」
その真剣な表情は、さっきまでとは違った。心から心配してくれているのが伝わってくる。
私はただひたすらに目の前の問題に対処しているつもりだったけれど、フェリシテには私が自分を犠牲にしているように見えていたんだ。
「アリーシャの人生ってアリーシャのものでしょう?今までと同じようにして父親や婚約者に尽くすことで、幸せになれるとは思えない」
「幸せ?」
「うん。私はアリーシャに幸せになってほしい」
最初は、フェリシテの言っている意味がわからなかった。これまで目の前のことで精いっぱいで、自分の幸せなんて考える余裕がなかったから……。
「これまでは、ロータルに尽くすしかないって……。結婚することが決まっているんだからって、それを前提に何もかも考えていたわ。だから、フェリシテの忠告も深く受け止めずに……」
ロータルのダメな部分に気づいたとしても、結婚することは変わらない。無意識にそう思っていたから、あえて流してきた部分はあった。
彼との未来がなくなった今、これから『私』はどうしたらいいんだろう?
「もう十八歳だし、これからのことをちゃんと考えなきゃね」
ふとそんな言葉が口から洩れた。それは当然のことで、何なら遅いくらいだ。
でも、胸の中では今自分のことを考えてもいいのかという不安も生まれる。
「私、幸せになりたいって思ってもいいのかな?お父様に何かを求めてもいいのかな?」
「当たり前じゃない!」
フェリシテは力強く励ましてくれた。
私は前向きな気持ちが込み上げてきて、自然に笑顔になる。
「お父様と話し合ってみる」
「それがいいと思う。……で、伯爵はどちらに?」
ここはすっかり私の部屋みたいな扱いになっているけれど、実際には当主の執務室であることをフェリシテは今思い出したらしい。
「婚約解消を報告に、王都へ手続きに行っているの。円満に解消しましたって、王の臣下として報告義務があるから」
「高位貴族ってめんどうね。男爵や子爵だとそんなことしなくてもいいのに」
「お父様が戻ってきたら、すぐに話をするわ。お父様に、ダメ男を卒業してもらわないと」
「そうね」
私たちはくすくすと笑い合う。
これから私がやるべきことは、エレファスと一緒にお父様に帳簿を見せて現実を理解してもらうこと。今度こそ散財をやめてさせ、当主として仕事をしてもらうように説得すること。
そして私は、家や領地のことだけじゃなくこれからの自分のことも考える。
きっかけは婚約解消という不幸な事件だったけれど、私の新しい人生が開けるようにと願った。