閉じ込められている疑惑再び
クレイド様の執務室で、私は今日もリズさんからのお仕事を黙々と片付ける。
王子妃教育は相変わらず延期のまま。マレッタに教本を取り寄せてもらって自主的に勉強するだけでは限界があるので、エーデルさんに頼んで家庭教師の先生を手配してもらった。
翻訳の仕事と家庭教師の先生のおかげで、私の毎日は充実している。
今、クレイド様は魔法使いたちとの訓練を行っていて、執務室にはいない。そろそろ戻ってくる頃だな……と思いながら、私はフェリシテと一緒に殿下の帰りを待つ。
「所作がさらにおきれいになられましたね」
仕事がひと段落したところで休憩していると、護衛のリナさんがそう言って褒めてくれた。
お世辞かもしれないけれど、重いドレスを着た状態での移動にも慣れてきたという実感はあったから、誰かに認められるとホッとした。
「ありがとうございます」
私は笑顔でお礼を述べる。
たわいもない会話の最中に、窓から見える木々の様子から季節の移り変わりを感じた。
お父様は今頃どうしているかしら?
ふと思い出したのは、領地のこと。王都から派遣されてきた文官たちが支えになってくれているそうなので、ドレイファス伯爵領はきっとこれから財政を立て直せると思う。
ただ、父はきちんと当主として仕事をしているかは疑問だった。まさか彼らに丸投げしているのでは……と不安が頭をよぎる。
こちらに着いてすぐに手紙を出したのに、まだ返事がない。ふた月も経って返事がないのは心配だ。
う~んと頭を悩ませる私を見て、リナさんが尋ねる。
「恋煩いという雰囲気ではありませんね」
「ええ、領地に残してきた父のことを思うと悩みが尽きなくて……」
護衛の騎士の皆さんとは、この二カ月で随分と親しくなった。
特にリナさんは、私と同じ貧乏伯爵家出身ということでとても親近感を抱いている。二十二歳になった今も婚約者がおらず、生家から持ってこられる縁談はとても喜べないお相手ばかり。だから今回、私の護衛騎士にと話が来たときは「これで縁談を断る理由ができた!」と飛びあがるくらい嬉しかったのだと話してくれた。
王子妃の護衛に就くことは、騎士としてとても名誉なことらしい。守る相手が私と言うのがちょっと申し訳ない気持ちになったけれど、リナさんが助かったならよかったと思う。
「お父上からの手紙が来ていないか、確認させますね」
「ありがとうございます」
リナさんは、さっそくメイドに伝えてくれる。
窓際でレースを編んでいたフェリシテが、私の気を紛らわせようといたずらっぽく笑って提案する。
「ねぇ、誰が一番早く編み上がるか競わない?リナさんも一緒に」
「私ですか!?い、いえ、仕事中ですので私は……」
フェリシテが冗談でそう言うと、リナさんは全力で首を横に振る。剣の腕と編み物の才能はまた別らしい。
編み物に限らず、じっと座って作業するのが嫌なんですと言う。貴族令嬢としてはかなり致命的な性分なのだと嘆く。
「皆それぞれ得意不得意がありますもんね。リナさんは編針を持つよりも騎士として励んでいる姿が素敵ですから」
私が笑いかけると、リナさんは感激したように眉根を寄せる。そして口元を手で押さえ、「嬉しいです……!」と言った。
「連勤を勝ち取る甲斐があるものです」
嬉しそうなリナさんだったが、私はその言葉に「ん?」とひっかかる。
護衛の人たちは、隊長はエメランダさんでそのほか八人の騎士がいる。朝昼晩の三交代で私に代わる代わる付いてくれているが、そういえばリナさんがそばにいる時間が妙に長いような……。
ここに加えて訓練もあり、報告会もあるそうなので働きすぎではないかという懸念が浮上した。
私は恐る恐る尋ねる。
「あの、勤務体制って誰が決めているんですか?」
「基本的には、自己申告の早い者勝ちです」
「早い者勝ち?」
その言い方だと、皆が仕事をしたがっている風に聞こえる。
フェリシテは「あぁ……」と納得した様子だった。一体どういうことなんだろう、と私が疑問を抱いているのを察したリナさんは、誇らしげに話し始める。
「アリーシャ様は『ありがとう』とか『何か困ったことはないですか?』とか、いつもこちらを気遣ってくださるじゃないですか?私たちに何気ない話もしてくださいますし、対応が丁寧でお優しいので、私たちもやる気が出るといいますか……。それにクレイド殿下とのやりとりも微笑ましいですし、できれば朝昼の勤務連続で入って見守りたいのです」
以前、図書館に行ったときは「私たちはお嬢様の持ち物です。荷物に行き先を聞くことはないでしょう?」と言っていたリナさんだったが、今は「人として扱われるってこんなに幸せなんですね」と言う。
やや遠い目をしていたのは、誰かにつらい仕打ちを受けたことがあるのかもしれない。
でもすぐに目を輝かせ、私を見つめて言った。
「アリーシャ様の護衛は取り合いです。アリーシャ様をお選びになったクレイド殿下に感謝しています」
「えっと……、それは何というか……」
私は殿下に選ばれたわけではない。けれど、今ここで掘り返すようなことでもなく笑ってごまかした。
フェリシテはリナさんを見て、「ここにも社畜が……」と呆れたように笑う。
そこへ、扉をノックする音が聞こえてきた。
少し早いノックの仕方から、エーデルさんがクレイド様と共に戻ってきたのだと思った。
ガチャッと扉が開く音がして、地図らしき丸めた大きな紙を持ったエーデルさんとクレイド様が執務室に入ってくる。後方には、大柄な男性を先頭に五人の騎士がいた。
クレイド様は訓練後特有の険しい空気を纏っていて、以前の私なら恐ろしくて体が強張ってしまったことだろう。
今の私には、凛々しくて素敵なクレイド様が帰ってきたとしか思えず、人の心はこうも変わるのかと自分でもちょっと驚く。
「おかえりなさいませ」
席を立ってそう言うと、クレイド様とぱっと目が合った。その瞬間、クレイド様は柔らかな笑みに変わり、私も笑みを深める。
「ただいま、アリーシャ。変わりはない?」
「はい、何も」
クレイド様は、いつものように尋ねる。私も、いつもと同じように返事をした。
微笑み合うと和やかな空気が流れ、もう随分と婚約者らしくなれたような気がする。
ここへ戻ってきたとき、出迎えた私に殿下が笑いかけてくれる瞬間が好きだった。でも今日は殿下とエーデルさん以外にも騎士たちがいて、いつもと様子が違う。
彼らは革の鎧や剣を装備していて、殿下と共に訓練場からやって来た魔法騎士隊の方々だろうと予想する。
「突然、大勢で戻ってきてすまない」
「いえ、そんなことは」
クレイド様は、ご自身の後方を気にしながらそう言った。私が怯えていないのを確認してから、彼らに「入れ」と言って入室の許可を出す。
この方たちは……と私が尋ねようとしたところ、クレイド様が振り返って私のことを紹介した。
「私の婚約者のアリーシャだ」
こうして紹介されるのは、初めてのことだ。
少し緊張しつつも、できるだけ優雅に見えるように挨拶をする。
「初めまして。アリーシャ・ドレイファスと申します」
一番先頭にいた騎士の方は、四十代くらいで隊長格に見えた。体も大きく、いかにも隊を率いている貫禄を感じる。
彼らにとったら私は主の婚約者だ。どういう反応をされるだろうか、認めてもらえるだろうかという不安でドキドキする。
クレイド様がいる場では冷たくされることはないだろうけれど……と思っていたら、予想外にフランクな反応が返ってきた。
「ご丁寧にありがとうございます。私は、魔法騎士隊で指揮官を任されているディエンと申します。むさくるしい男共が押し掛けてすみません、ははははは」
彼は豪快に笑い、部下の騎士たちも明るい笑顔を見せてくれていた。
指揮官を始め、クレイド様の執務室に来られるほどの部下なら全員が貴族のはずなのに、いい意味で貴族らしくない人たちだった。
私はつられて笑顔になり、安堵の息をつく。
そのとき、クレイド様がディエンさんにそっけなく言った。
「もういいだろう?あちらの部屋へ行け」
「殿下、まだ挨拶しかしておりません」
「十分だろう?」
クレイド様は、私とディエンさんたちの間に立ちはだかるようにして「早くしろ」と急かす。もしかして、とても急いでいるんだろうか。
そうだったら私が邪魔をして申し訳なかった……と思っていると、クレイド様がこちらを向いて彼らが来た理由を説明してくれた。
「本格的な冬が来る前に、まだ討伐が終わっていない南西部へ向かうことになった。その準備で色々と話し合う必要があって彼らはここに……」
「討伐へ?ということは、ここを留守になさるのですか?」
「あぁ」
突然の知らせに、驚いてすぐに言葉が出てこない。
本格的な冬が来る前にって、それはいつから?どれくらいの期間、留守にするの?どれくらい危険な任務なの?
聞きたいことはたくさんあるのに、どれも口にしてしまえば私の不安が伝わってしまいそうで、聞くのが躊躇われる。
婚約者としては、こんなとき何をどう伝えるのが正解なんだろう。
御身が心配だと口にしたら、クレイド様や魔法騎士の皆さんを信用していないと受け取られるかもしれない。
それに……毎日会えなくなるのが寂しいだなんて、なおさら言えなかった。魔物討伐隊がどれほど人々の暮らしと心を守ってくれるか、辺境出身の私はよくわかっている。
私なら大丈夫、寂しいくらい我慢できる。殿下が安心して討伐へ行けるよう、平然としていなければ……!
婚約者としてクレイド様のご負担にならないよう、どうにか笑顔を作る。
「そうですか!どうかご無事で……いってらっしゃいませ!」
「…………」
最善の言葉を選んだつもりだった。けれど、クレイド様は眉根を寄せて悲しそうな顔になる。
予想外の反応に、私は動揺してしまう。もしかして素直に疑問や不安を口にした方がよかったのかと思った一瞬のうちに、クレイド様は背後を軽く振り返って言った。
「そうだった、彼らがどうしても君を一目見たいと言いだして連れてきたんだ」
「私を、ですか?」
「……私がアリーシャを閉じ込めていると、噂になってるらしい」
クレイド様が、気まずそうに笑う。
確かに今の私は離宮と魔法省だけを行き来していて、婚約式まで済ませたのにその招待客はゼロで、社交界にも出ていない。私だって最初は軟禁されていると勘違いしていたくらいだ、噂になるのは納得だった。
騎士の方々の視線は私たちに集中していて、まるで安否確認をされているみたいな空気を感じる。




