私が殿下にできることは?
初めてのおでかけは、観劇に始まりレストランで昼食をいただき、王立植物園を散策して終わった。殿下は大劇場で眠ったことでかなり回復したようで、食欲もあって楽しそうでホッとした。
日暮れ前に王城へ戻ってきた私たちは、着替えをしてまた共に夕食を取る。
毎日執務室で一緒に過ごしてはいるけれど、殿下は会議や訓練でよく席を外すので、こんなにも長い時間を過ごしたのは初めてだった。
いつもなら、夕食後は魔法省へとまた戻っていくのだが、今日はもう離宮で過ごすのだとおっしゃっていた。
「婚約者とゆっくり過ごすのは大切なことだ、とエーデルや部下にも言われてね」
「そうでしたか」
殿下は、これまで自分が至らなかったと苦笑する。
そのとき、控えていたエーデルさんがぽつりと言った。
「アリーシャ嬢のおかげで、部下が心置きなく休めます」
なるほど、殿下がずっと働き続けているから部下の方も遠慮していたのか……。
クレイド殿下は「おのおの勝手に休んでくれ」とおっしゃっているそうだが、気を遣うタイプの部下は遠慮なく休むことができないんだなと想像する。
殿下はバツが悪そうな顔をして、でもすぐにはっと気づいて私を見る。
「違う、そうじゃなくて……!」
「え?」
「仕方なく休みを取ったわけではなく、アリーシャと一緒に過ごしたいから……!だから丸一日予定を……」
勘違いしないでくれと殿下は言う。
以前のように、解釈違いが発生するのを恐れているように見えた。
「えっと、私のことは『ついで』ではないと?」
「もちろん!アリーシャが目的だ!」
必死過ぎるせいか、また眼光が鋭くなっている。
私が一瞬だけびくっとしたのを見逃さなかった殿下は、すぐに「すまない」と謝罪する。
エーデルさんは、殿下を残念なものを見る目で見ていた。
「あの、殿下。……このあとはまだ大丈夫でしょうか?」
夕食が終われば、私は部屋に戻るつもりだった。
もう食事は終わっていて、話に区切りがついてしまえば「それでは」という一言で今日が終わってしまう。
何となく離れがたくて、でもお忙しい殿下を引き留めることには気が引けて……。
そんなときに今日は丸一日お休みを取ってくれたのだとわかり、勇気を出して誘ってみた。
「もしよろしければ、私の部屋でお茶でもいかがですか?お疲れでしたら、ご無理なさらず断っていただいて構いませんので……」
「っ!?」
だんだんと声が小さくなっていったのは許してほしい。
自分から提案してみたものの、いざ口にしてみると「無理なお願いをしているのでは」という罪悪感と恥ずかしさが思った以上に込み上げてくる。
視線を落とせば温かいミルクティーがあり、お茶ならここにあるからわざわざ部屋に行く必要はないじゃないの……と気づき、その場に蹲りたくなった。
「ありがとう、もちろん行くよ」
「え……?よろしいのですか?」
それから私の部屋を移動し、護衛には部屋の前で待機してもらって、マレッタに用意してもらったティーセットで私自身がお茶を淹れた。
殿下は「私がする」とおっしゃったけれど、今日は私が淹れますと譲らなかった。
「あれから私も練習したんですよ?」
ソファーに座る殿下は、私がお茶の用意をしている間ずっと心配そうな目を向けていた。どうやら、火傷しないか心配らしい。
私は白いティーポットを手に、マレッタに習った通りにお茶を淹れた。
茶葉の浄化や毒見は済んでいて、お湯を注げばすっきりした爽やかな香りが広がる。
大丈夫、人様に出せる味になっているはず……!
「どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう」
殿下は優雅な所作で、カップに口を付ける。そして、ゴクリとハーブティーを飲んだ。
私は隣に座り、ドキドキしながら殿下の反応を待つ。
「おいしい。心が軽くなる気がする」
「お口に合ってよかった」
すっきりした味わいだけれど、ハーブティーは好き嫌いが分かれるので実際に飲んでもらうまではちょっと心配だった。
殿下は本当に気に入ってくれたようで、残さず飲んでくれる。
飲み終わると幸せそうに微笑み、和やかな目をなさった。
「執務室にも置こうかな」
「はい、王城にたくさんあるとマレッタに聞きましたので、すぐに準備してもらえると思います」
「これを飲んでいれば、永遠に働けそうだ」
「ダメですよ!?」
疲れが取れると評判のお茶ではあるが、急に元気を取り戻したら怪しいクスリみたいになってしまう。慌てて止めると、殿下は口元に握った手を当てて「冗談だよ」と言って目を細めた。
あぁ、またかわいい表情だ。
凛々しくて覇気のあるところも素敵だけれど、こんな風に少し気を許してくれたのがわかる柔らかな表情が好きだな……。って、好きって何!?
「ひゃあああ!」
「っ!?どうした、アリーシャ!」
私、今とても恐れ多いことを思ったのでは?
思わず悲鳴を上げてしまった。
殿下も驚き、私を見つめている。
「いえ、ちょっとおかしなことを考えてしまって、いえ、大丈夫です。お構いなく」
「そうか……?火傷したのではない?」
「大丈夫です!」
私は何度もコクコクと頷く。
殿下を好き、これはいいの?婚約者だから好きになっても大丈夫?
胸がドキドキと激しく鳴っていて、顔が熱い。じっとしていられなくて、いったん気持ちを落ち着かせようと殿下のカップに二杯目のお茶を注いだ。
「ありがとう」
殿下は弾んだ声でお礼を言い、私に向かって微笑む。
その笑顔がまた心臓に悪い……。
再びお茶を口にする殿下の横顔を、ちらちらと盗み見て観察してしまった。
見たところ特にこれといった変化はなく、私が殿下を好きだなんて大それた気持ちを抱いていることはわかっていないみたい。
まだドキドキは収まらないけれど、そこだけは安堵した。
「あぁ、本当においしい……」
殿下がぽつりと呟く。
感動すらしている様子に、私は不思議に思って尋ねた。
「そんなに気に入ってくださったんですね」
「あぁ。……アリーシャは私に色々なことを教えてくれる」
「私が、ですか?」
殿下はカップに視線を落としたまま、静かに頷いた。
私は殿下の言葉の意味がよくわからず、小さく首を傾げる。
「アリーシャが執務室にいてくれるようになって、部下が私に声をかけやすくなったと言うんだ。私はいつも用件だけを端的に話すけれど、アリーシャは誰かが来ると丁寧に挨拶をして笑顔で気を配ってくれるだろう?」
殿下の話は、私にとっては初耳だった。
最初は皆さんが目を合わせてくれなくて、怯えられているから少しでも場を和ませたくて笑顔で挨拶をしていただけなのに……。
「私はずっと、必要最低限の言葉を最短で伝えるべきだと思っていたのに……。執務室の雰囲気が和んでいる方が部下との何気ない会話が生まれて、結果的に効率よく仕事が進むなんて思いもしなかった」
殿下が魔法省に入ったのは、確か十五歳のときだと聞いた。圧倒的な魔法の才能があったとしても、若くしかも側妃の子というだけで風当たりが強い時期もあっただろう。
今、魔法省の魔法使いたちが殿下に従っているのは、エーデルさんが話してくれたように殿下の実力を認められたから。でもそこに至るまでは、威厳ある態度を取っていなければならなかったのもあるのでは……、とも想像した。
「私が婚約者として執務室にいられるのは、殿下のお力があるからですよ……?魔法省の職員でもなく、ただの伯爵令嬢をそばに置いても問題にならないのは、部下の方々が殿下を信頼しているからだと思います」
私が来たのはただのきっかけで、うまくいき始めたのは殿下のこれまでの積み重ねがあったからだ。殿下は誠実で、努力家で、とても素晴らしいからだから……。
そんな方だから、私も好きになってしまった。
「アリーシャ……」
じっと見つめられると、息が止まるかと思うほどドキドキする。
これ以上は耐えられなくなって、そっと視線を落として冗談めかして忠告してしまう。
「あ、その、いくら前より効率よく仕事が進むようになったからといって、働きすぎは禁物ですよ?」
「エーデルにも兄上にもよく叱られる。できるだけ部下に任せろ、と」
「まぁ、皆さん心配なさってるんですよ。やっぱり働きすぎです」
やっぱり、働きすぎだと思っているのは私だけじゃなかった。殿下を慕う人は皆、同じように心配してるのだ。
「どうしてそんなにお仕事をなさるのです?」
王族なら、ある程度は人に任せることができるのではと思った。クレイド殿下が誠実で責任感の強い方なのだから、とは予想がつくけれど……。
殿下は、気まずそうにカップに視線を落としながら話し始める。
「兄上がやらずに済むことは、すべて私が引き受けたいんだ。魔物討伐もそうだけれど、私は私に与えられた能力を余すことなく使って、兄上を支えたい。それが自分の存在意義だって教えてくれた人がいてね」
クレイド殿下は子どもの頃に母君に去られ、とても寂しい思いをしていたときに王太子殿下に救われたと言う。
「兄上がいなかったら、今頃は人の温かさも知らずにいたはずだ。誰かのために力を使うということが、どれほど生きがいになるかも知らなかったかもしれない」
王太子殿下とクレイド殿下は、互いに思い合う兄弟だった。世間ではそんな話は聞かないが、謁見の間でお二人が随分と親しげに見えたのは間違っていなかった。
「お兄様がお好きなんですね」
「……尊敬してる。この国になくてはならない人だと思ってるよ」
王太子殿下のことを話すクレイド殿下はとても穏やかで、少し瞳がキラキラしていた。
微笑ましくなり、私は目を細める。
「殿下もですよ。殿下も、お兄様と同じくらいこの国になくてはならない方です。とても尊敬しています」
西側地域は、クレイド殿下が討伐隊の指揮を執る以前は、魔物に襲われ村ごとなくなって行き場を失う人たちも多かった。
日々恐怖を感じながら生きていくのは、想像しただけで胸が苦しくなる。
「ドレイファスの領民や近隣の者たちは、殿下にとても感謝しています」
それに、殿下が開発してくれた魔物除けや結界を作れる魔法道具のおかげで、討伐隊が来ない時期も移動がしやすくなった。平和な王都では実感しにくいだろうけれど、辺境に行けば行くほどクレイド殿下に感謝している民は多い。
「アリーシャ」
殿下はカップをソーサーに戻すと、真剣な目で私を見つめた。躊躇いがちに伸ばされた右手が、私の頬にそっと触れる。
「アリーシャも、なくてはならない存在だよ」
「わ、私がですか?」
そんなはずがない、と思わず苦笑いになる。けれど、殿下は少しも茶化すことなくきっぱりと言い切る。
「私にとって、アリーシャは絶対になくてはならない存在なんだ」
「えっ?」
殿下にとって?私が?
じっと見つめられれば、胸が高鳴って苦しくなった。
こんな風にされて、勘違いしない人はいない。殿下は私のことを好きでいてくださるんだって、信じてしまいそうになる。
「──とてもありがたいお言葉です」
そう返すのが精いっぱいだった。
殿下はとても誠実なお方だから、『婚約者』に対してまっすぐに向き合ってくださっているだけだ。そこに恋愛感情があると錯覚したら、きっと「もっと愛されたい」と願ってしまう。
父や母を慕っていた、子どもの頃もそうだった。
自分を見てほしくて、でも両親の目はいつも別のところに向けられていて、私の愛されたいという気持ちが満たされることはなかった。
一方的に愛されたいと願うのは、虚しい。笑顔でいればかわいがってもらえる?言うことを聞いていい子でいれば、優しく接してもらえる?
見返りを求めても、何も返ってこないのはつらい。もうあんな想いはしたくない。
急に目を伏せて黙り込んでしまったから、殿下が不思議そうに私の名前を呼ぶ。
「アリーシャ?」
「あ……、はい」
今は殿下といるのに、昔のことを思い出して落ち込でしまった。たとえお心がいただけなくても、こうして大切にしてもらえるだけで十分なのに……。
私は急いで笑顔を作り、何でもないふりをした。




