お願いします
窓の外は、紫紺色に染まる美しい夜景が広がる。
離宮の広い食堂で殿下を待っていると、そう長く待たずして彼はやってきた。
「遅くなってごめんね」
殿下はそう言うと、私の正面に座った。私を待たせないよう、ここまで急いで戻ってきてくれたんだとわかり、嬉しい気持ちになる。
テーブルの上にはすぐに料理が並べられ、私たちは二人きりで夕食をいただいた。
「あの、殿下」
私は頃合いを見計らい、今日あった出来事を話し始める。
「図書館で偶然魔法省のリズ・ダイオンさんにお会いして、それでお仕事に協力を求められました」
「リズ?あぁ、教育部門の室長だよね」
「はい。そのように聞いています」
図書館で出会った女性は、魔法省教育部門の室長を務めるリズさん。二十八歳の若さで室長のポジションについているエリート文官だった。
彼女は私に、隣国への留学生用の資料と教科書づくりの手伝いをしてほしいと頼んできたのだ。
「私にできることがあるなら、ぜひと思ったのです。魔法省のお仕事なら、殿下のお役に立つことにも繋がるのではないかと」
どうか許可をください、とじっと殿下を見つめて返事を待つ。
「アリーシャ、本当に何もしなくていいんだよ?執務室でもずっと仕事を探してくれていたみたいだけれど、無理しなくていいんだ」
「いいえ、私は働きたいのです」
「働きたい?」
見つめ合い、真剣な表情で訴えかける。
殿下なら、きっと話せばわかってもらえると思った。
「何もしなくていい、自由にしていいと言われてもどうしていいのかわからなくて……。ここにきて気づいたんですが、私はあれこれ考えたり動いたりするのが好きみたいです。この婚約が決まる前は、王都で文官の試験を受けて仕事がしたいと思っていたくらいでして……」
「文官!?」
クレイド殿下はみるみるうちに青褪めていく。息を呑み、呆然としているように見えた。
殿下はしばらく黙り込んだ後、拳をテーブルの上で握り締めて言った。
「君は働きたかったのか……!てっきり、伯爵や前の婚約者に酷使されているんだとばかり思っていた。つまり、私との婚約がアリーシャの夢を壊した……?」
「いえ、そんな夢といえるような立派なものでは!」
「すまない、まさかアリーシャが働きたいと思っていたとは知らず」
殿下は苦悶の表情を浮かべ、私に謝罪する。
どうしよう、王子様に謝らせてしまった。
私は慌てて殿下に伝える。
「そんなっ、謝っていただくことは何もございません!」
「しかし、君を傷つけたのでは?本当にすまない。命を以て詫びたいところだが、遺産はすべて君にと遺書は用意しているものの、まだ守護霊になる魔法を開発していないからそれもできないし」
「遺書?守護……?」
突拍子もない言葉に、私は困惑した。
クレイド殿下が責任を感じる必要はまったくない。むしろ、殿下の方が私の告白で傷ついているように見える。
殿下は何か思案しながらぶつぶつと呟いていて、「魂魄の定着が」とか「霊体の魔力値が」とか不穏な言葉が漏れ聞こえていた。
このままではいけないと思い、懸命に殿下に声をかける。
「今は!今は、ここで大切にしていただき嬉しいんです!だからその、過去のことはどうかお忘れください」
そう、大切なのは今!そしてこれから。
私は胸の前で手を組み、殿下に懇願した。
「お願いします、リズさんのお手伝いをしてもいいと許可をください。どうか……」
働きたい。その思いを必死で伝える。
クレイド殿下は少し落ち込んだ様子だったが、沈黙の後で「わかった」と承諾してくれた。
「ありがとうございます!」
嬉しい。私も仕事ができる!
ホッと胸をなでおろし、笑みを浮かべる。
それを見た殿下は、困ったような、どこか寂しげにも見える顔で言った。
「アリーシャ、私からもリズに頼んでおこう。でも、一つだけ条件がある」
「条件?」
殿下は立ち上がり、私の隣にやってくる。そしてすぐにその場に片膝をつき、私の右手を取った。
いつもより近い距離に胸が高鳴り、少しだけ緊張する。そんな私を殿下はじっと見つめた。
「アリーシャの希望は叶えてあげたい。でも、どうしても手放したくない」
殿下の目が、行かないでと訴えかけているみたいだった。手放したくないだなんて、私がいないと寂しいと言われているようでますます鼓動が速くなった。
鏡を見なくても顔が真っ赤になっているのがわかり、殿下と目を合わせていられなくなって斜めに視線を逸らす。
「リズは優秀だから安心だが、アリーシャのことはすべて私が見守りたいし知っていたい。だからせめて……」
お願いしたのは私の方なのに、なぜ殿下が縋るようにしてくるのか。殿下の婚約者として冷静でいたいのに、どきどきして息苦しいし何も言葉が出てこなかった。
もう限界だと思ったところで、いつの間にかそばにいたエーデルさんの声で我に返る。
「お取込み中のところすみません。殿下の婚約者でいる限りは、働かせることはできませんよ?」
厳しい現実を突きつけられ、私は「そうですよね」と一気に頭が冷える。
エーデルさんの言う通り、第二王子の婚約者が文官になるのは難しいだろう。ちょっとお手伝いをするだけでも、現状では難しい。
一方で、殿下はパッと振り返りエーデルさんを睨んだ。
「おまえはアリーシャの敵なのか!?」
「そういう極端な考え方はダメですよ?だいたい、私ほどの味方はいないでしょうに……。私が言いたいのは、仮初めの身分を作るなり何なりが必要だということです」
リズさんには「アリーシャ・ドレイファス」としか名乗っておらず、私が殿下の婚約者だということは話していない。あの場で告げたら、「やはりこのお話はなかったということで」と言われてしまうと思ったから……!
私って卑怯。
「すみません、軽率でした」
落ち込みながら謝ると、殿下は私の手を一層強く握って言った。
「大丈夫だ。アリーシャが望んだことは、叶えると決めている」
頼もしい言葉に、胸がじんと熱くなる。働きたいのは私のわがままなのに、叶えてくれると言いきる殿下の優しさが嬉しかった。
エーデルさんは少々困った顔はしていたけれど、私を止めることはなかった。
「ありがとうございます」
私もぎゅっと手を握り返し、心からのお礼を伝えた。
殿下は優しく微笑むと、これからのことを思案する。
「そうだな、リズに掛け合ってみるから明日一日だけ待ってほしい」
「一日ですか……?」
もっと時間がかかると思っていたのに、予想外の早さだった。
私は殿下の行動力に目を瞠る。
「今すぐ魔法省へ戻ろう。エーデル、アリーシャが働けるように手続きを」
「かしこまりました」
殿下は立ち上がり、すぐさま食堂を出ようとする。
私はそれを追いかけ、殿下を引き留めて言った。
「殿下!待ってください、今ですか!?もう遅いですからリズさんは……」
食堂の柱時計は、とっくに就業時間を過ぎている。魔法省へ戻ったところで、リズさんはいないのではと思った。
ところが、殿下は笑顔で言った。
「大丈夫。リズはだいたい研究室にいる。というより住んでる」
「住んでるんですか」
リズさんも社畜系魔法使いだった。エーデルさんも「よくあることです」と頷いていて、私は皆さんの健康状態がとても気になり出した。
「では、行ってくる。すべて任せてくれ!」
「は、はい。行ってらっしゃいませ」
食事の途中で私が話を持ち出したから、殿下はまだ食べ終わっていなかったのに魔法省へ戻ってしまった。せめて食事が終わるまではと思ったものの、殿下が何だかキラキラした表情で意気揚々と出かけていくのでその背を見送ることしかできなかった。




