初めてのおつかいへ
執務室での見学は、それからもしばらく続いた。
私に何かできることはないかと探し続けるも、今のところ見つかっていない。
フェリシテに相談したところ「社畜って人に頼らないから、自分で全部やっちゃってさらに仕事が増えるのよね」と苦笑いをしていた。
確かに、殿下の仕事ぶりを見ているとそんな気はする。魔法省の長官が暇なわけはないけれど、あまりにも仕事量が多いような。
体が心配なのでもっと休んでほしいと願っても、殿下は「大丈夫だよ」と笑っていた。
何日も執務室に通いつめ、そろそろ何かしたいとうずうずしていたところ、機会は訪れる。
「アリーシャ、本当にいいの?」
「はい、任せてください!」
さきほど、魔法省にある図書館から一冊の本が届いた。資料として取り寄せたはずのそれは、殿下が指示した物とは違っていて、取り替えてくる作業が発生したのだ。
私はここぞとばかりに手を挙げ、図書館へ行かせてほしいと願い出た。
殿下は難色を示していたが、これからご自分が会議に向かうこともあり、渋々了承してくれた。
「行ってまいります」
「気を付けてね?」
扉の前で、ぎゅっと手を握って名残惜しそうな目をされる。そんな風にされたら、相思相愛の婚約者みたいでどきりとした。
護衛騎士の女性三人とフェリシテまでいるのに、殿下は心配性だ。
私は返す本を胸に抱き、フェリシテと並んで歩き始める。
「愛されていますね、アリーシャ様?」
人がいるときは私のことを「様」付けで呼ぶフェリシテ。おもしろそうに、からかい交じりにそう言った。
「殿下はお優しい方だから、婚約者の私が困らないように心配してくださってるのよ」
「あら、そういう認識なんですか?」
そういう認識も何も、そもそも政略結婚なわけで、知り合った月日も浅いのに恋愛感情があるとは思えない。
でも、もしも私以外が婚約者になったとしても殿下はあんな風に優しく接するんだと思うと、もやもやした気分になる。
「こちらが図書館です」
「えっ、近いんですね」
魔法省を出て茶色のレンガ造りの道をまっすぐ進み、ちょっと歩いただけで到着した。離宮と反対側だから私がこれまで見かけなかっただけで、こんなにも近くに図書館はあったのだ。
あまりの近さに、この距離であんなに心配されていたのかと私は目を丸くする。
「しばらくお待ちください」
そう言って、護衛のエメランダさんが先に入る。まずは安全を確認してから私たちも入室するという、厳戒態勢のおつかいだった。
「私が移動するたびに、皆さんが動くんですよね……。おつかいに行くのも申し訳なくなってきました」
思わずそう漏らすと、一緒に待機していた護衛のリナさんが「お気になさらず」と言って笑った。
「私たちはお嬢様の持ち物です。荷物に行き先を聞くことはないでしょう?そういうお気持ちでどんどん連れ出していただければと思います」
王族や高位貴族は、そういう感覚でいなければどこへも行けないらしい。
護衛はついてきて当たり前、特に存在を気にかけることはない。そういえば、エーデルさんも似たようなことを言っていた。
理解はしていても、あまりに環境が変わりすぎて驚くことばかりだ。
「しばらくは慣れそうにないです。……でも、皆さんにとって守りやすい護衛対象でありたいと思っていますので、何かおかしなところがあればアドバイスをお願いします」
皆の仕事がスムーズに進むよう、せめて努力はしていきたい。
そんな思いから頭を下げると、リナさんはすごく不思議そうな顔で私を見た。
「アリーシャ嬢は王都にいないタイプのご令嬢ですね。護衛にアドバイスを求めるなんて……。殿下があれほど心配するのもわかりました」
「え、殿下が心配性なのではないのですか?」
私のせいなのか、と不安がよぎる。
確かに未だ何の役にも立っていないし、頼りないから過剰に心配されるのかもしれない。ちょっと落ち込みかけた私を見て、リナさんは柔らかく微笑んだ。
「どうかそのままでいてください」
「そのまま?」
リナさんは深く頷く。
隣のフェリシテを見れば、同じくうんうんと頷いていた。
「お待たせしました。中へどうぞ」
私が訝しげな顔をしているところへ安全確認を終えたエメランダさんが戻ってきて、中へと誘導してくれる。
館内は入り口に大理石でできた天使像があり、歴史ある建物ならではの荘厳な雰囲気があった。金の装飾が施されたアーチ型の天井の美しさに圧倒され、重厚な木製の書架がずらりと並んでいる。
「うわぁ……素敵ね」
私とフェリシテは、ドレイファス領にはなかった巨大な図書館に目を輝かせた。
クレイド殿下からは「本を返すだけでなく、読みたい本があれば何でも借りておいで」と言われている。
おつかいの目的である本を司書の女性に交換してもらうと、それをリナさんに預ける。その後は、フェリシテと共に図書館の中を見て回った。
「すごい!マーク・ローダ先生の新作がある!」
フェリシテがさっそく見つけたのは、人気推理作家の小説だ。
私はあまり読んだことはないが、フェリシテは推理ジャンルが大好きで、この作者のシリーズ作品は絶対に予約して発売日に買いにいくほどはまっている。
「すごく嬉しそうね」
「ええ、だってまだ読めないと思ってたから!王都とドレイファス領じゃ、五日は発売日が違うのよ?びっくりしたわ!」
今すぐ読みたくて仕方がない、そんな気持ちが見て取れた。
私はフェリシテに椅子を勧める。
「先に読んでいたら?私はまだ見て回りたいし、時間がかかると思うから」
「そう?それならお言葉に甘えて……」
一階のテーブル席に座ったフェリシテは、さっそく本を開く。
私はそんな彼女をかわいいなと思いながら、その場を離れた。
「魔法書……魔法書……」
基礎中の基礎、魔法が使えない人にもその仕組みがわかる本はないだろうか。
クレイド殿下はごく自然に魔法を使うけれど、ドレイファス領のような辺境に魔法使いはほとんどおらず、魔法について詳しく学ぶ機会はなかった。
訓練や討伐はもちろん、日常でも気軽に魔法を使う殿下を見ていたら、そんなに魔法を使って体に負担はかからないのかと気になった。
まずは基本的なところから知りたくて、初歩的な魔法書を探し歩く。
キョロキョロと視線を移しながら歩いていたら、一人の女性に声をかけられた。
「お嬢様、何かお探しですか?」
クレイド殿下とよく似た、魔法省の魔法使いが着ている詰襟服姿だ。薄紫色の長い髪を後ろで一つに纏めていて、きりっとした頼もしい雰囲気のお姉さんだった。
「簡単な魔法書がないかと思いまして」
魔法省の人というその道のプロに尋ねるのは、ちょっと恥ずかしい。
でもこの方は私を笑うこともなく「それならこちらの棚です」と言い、親切に案内してくれた。そこには、『生活魔法の基礎』『魔力と体の関係』『魔法道具研究』など様々な本があった。
「黄色のタグがついているのが初級ですよ」
「ありがとうございます」
お礼と言うと、彼女は爽やかな笑みを返してくれる。
そのとき彼女が左腕に抱えていた本が目に留まった。
「まぁ、『エディユンの備忘録』ですか。素敵ですよね」
隣国エディユンは自然豊かな国で、その美しさを世界に発信するべく魔法写真付きの写真集や画集がいくつも刊行されている。
私が幼い頃はうちにもたくさんあり、生活のために少しずつ売ってしまったものの、いつかあの美しい風景を自分の目で見てみたいと思ったものだ。
ドレイファス領はエディユンと面していることもあり、旅人や移民も多く、父の愛する音楽家たちにもエディユン人は何人もいた。
私にとって隣国は子どもの頃から身近に感じていて、基本的な言葉や文化は理解できるし、元婚約者の語学の課題も全部私がやっていた。
そして、翻訳の仕事で稼がせてくれたありがたい存在でもある。
「ご存じなのですか?もしかしてこれが読めます?」
「はい、一応は。シリーズはすべて読みました」
懐かしさから目を細める私に、彼女は勢いよく前のめりになって言った。
「あなたはどこの所属!?それとも魔法省の誰かのお嬢さん!?ちょっとうちの研究室で手伝ってくれませんか!?」
「ええっ?」
早口で詰め寄られ、私は驚いて一歩後ずさる。
彼女は真剣そのもので、まるで懇願するかのように私を見つめていた。




