王子様は最愛の人を見守りたい③
ある日、思いもよらない話が舞い込む。
兄に呼び出され、クレイドは地下通路を使ってこっそりと兄の私室へ向かった。
そこで聞かされたのは、「アリーシャの婚約解消」についてだった。
「相手の侯爵令息が、本当にどうしようもないダメ男でね。浮気した上に女性を妊娠させて、責任を取らなきゃいけなくなったんだ。そういうわけで、ドレイファス側に有利な条件で婚約解消したそうだよ」
「あの男……!アリーシャという婚約者がいながら!」
「だからもう、何の障害もない。クレイド、アリーシャ嬢と結婚しろ」
「は……?」
一瞬、呼吸が止まり、心臓がどくんと大きく跳ねる。
クレイドは、兄が何を言っているのかわからなかった。
「これまで十分すぎるほど、クレイドはがんばってくれた。私を支えてくれて、国を守ってくれた。だから、結婚くらい本当に好きな相手とするといい」
「しかし」
兄は、クレイドの気持ちを知っていた。以前「どうしても忘れられない女性がいるので、一生結婚しないつもりです」と伝えたことがあったからだ。
「もうそろそろ、ここも代替わりが必要だ。今までの努力が実りそうだし、クレイドが幸せになれるよう私も手を尽くそう」
代替わり、それはつまり父の代から利権にまみれてきた者たちを一掃するということ。その中には、王妃派の大臣も含まれる。
兄は、自分側の勢力でも不正に手を染める者は一掃するつもりだった。
「アリーシャ嬢との縁談は、王妃である母上やフォード大臣が中心になって決めた話だ。誰からも文句は出ないから安心して」
「王妃様が?」
クレイドは、その思惑に予想がついた。
(ドレイファス伯爵家は、王都で政治にかかわる貴族じゃない。私とアリーシャが結婚しても、私が力をつけることはなく、国政には何の影響も出ない)
嫌がらせのつもりか、と呆れた笑いが漏れる。
「何もかも大丈夫だから」
一方で、兄はすべてを包み込むような優しい笑顔だった。
でも、クレイドは兄が笑顔の裏で何を考えているのかもわかっていた。兄は目的のためなら手段を択ばないし、神聖で曇りのない笑顔を浮かべているときほど何か企んでいる人だ。
きっと今回のことも、すべて目的があってのことなんだろうとクレイドは察する。
しかしここで、ふと気づく。
「まさか……」
アリーシャの婚約解消は本当に自然に起きたことなのか、クレイドはそこから疑問を抱いた。
(いくら頭の足りない箱入り息子でも、好きな女ができたからといって領地が絡む婚約をそれほど軽く扱うか?)
さらに、両親までがあっさり婚約解消の話を受け入れるのか。誰かがさりげなくそこへ導いたのでは……と確信に近い疑念を持つ。
「クレイド、これは私のわがままだ。たった一人の弟すら幸せにできない兄にはなりたくないよ」
その言葉に、すべては兄が手を回したのだと理解する。
(そうだ、しかもアリーシャの婚約解消をここで今初めて聞くのはおかしいんだ。本来なら、ずっと見守ってきた私の方が先にそれを知るはずで……)
通信の傍受と報告の妨害と、きっと色々あったんだろうがそれはいったん置いておく。
クレイドは、自分にとって一番大事なことに気が付いた。
「私が、アリーシャと結婚?」
「あぁ」
呆然とするクレイドを見て、兄は苦笑いになる。
(運命なんてきれいなものではなく、裏で手を回した結果の略奪婚という現実は死ぬまで隠しとおすとして、アリーシャが私の婚約者になるということは「ここへ来る」ということだ)
彼女にとって不本意な婚約ではないのだろうか、故郷を離れるのは嫌なんじゃないか、など様々な不安がクレイドの頭をめぐる。
「クレイド、思うところはあるだろうが、もうこの婚約は決まったんだ。アリーシャ嬢を幸せにするために、前向きに考えよう」
「アリーシャを幸せに……!」
膝の上で、ぎゅっと拳を握り締める。
アリーシャには、これまでできなかった何不自由ない暮らしをさせてあげたい。もう働かなくていい。領地ではあちこち忙しく動き回っていたし、どこへも行かなくていい。
(何もさせない。私が全部してあげよう)
それに、アリーシャを母のようにはさせないと決意する。
ずっと大切にして、彼女を幸せにしようと思った。
「アリーシャには、ずっと笑顔でいてもらいたい。私は陰からそれを見守ります」
「うん、陰じゃなくて普通に正面から堂々といようか」
「そ、そうですね。婚約者なんですよね。婚約者……、婚約者……」
アリーシャが自分の婚約者になる、という現実に頭がおいつかない。長年、恋焦がれてきたあの子に会えるのだという興奮は、クレイドの体を震わせた。
「幸せにします……!」
「うん」
「ありがとうございます」
クレイドはすぐにその場を下がり、アリーシャを迎える準備に取り掛かった。
エーデルには、彼女の好みの淡い色のドレスやそれに合う装飾品などを揃えるように指示し、婚約式用の衣装も発注した。デザイナーも針子たちも魔法が使えるスタッフに依頼し、アリーシャの着心地最優先で作ってもらう。
離宮はできる限り明るい雰囲気になるよう自ら魔法で改装した。使用人は信頼できる者たちに厳選し、庭師も料理人も女性で揃えた。
エーデルから「殿下ご自身のこともちゃんとなさってくださいね」と忠告され、伸ばしっぱなしの髪もきちんと整え、婚約式用の衣装もアリーシャと揃いのデザインで用意してもらった。
しかしここで問題が起きる。
「かっこいいと思われたい、頼られたい、隙は見せられない!」
十年ぶりの再会に、自分をよく見せたいという見栄が出てきてしまう。
「わぁ、拗らせてますね!ダメですよ、実力以上のことを発揮しようとしたら」
「アリーシャに愛されたい……」
「つい最近まで『一生見守るだけ』って言ってた人が変わりすぎですよ」
エーデルは苦笑いだった。
アリーシャが王都へやってくるまで、クレイドの興奮と緊張で眠れない日々は続いた。
いよいよ再会の日。
クレイドは、この日に婚約式を行うことに決めた。
(招待客を誰も呼ばなければ、アリーシャに不躾な視線が送られることもない。あぁ、彼女は覚えているだろうか?私だと、気づいてくれるだろうか?)
アリーシャに会えたら「久しぶりだね」と言い、余裕の笑みでかっこいい王子を演じてみせると決意する。優しくて、大人で、スマートにエスコートできる王子になりきろうと気合いを入れた。
十年ぶりの再会に胸が高鳴る。
そしてその結果、魔力が暴走してしまい、控室が荒れた。
この惨状をアリーシャに見られてはいけない。……と思っていたが、もう遅かった。
「殿下、アリーシャ嬢をお連れしました」
「──っ!!もうそんな時間か!」
振り返れば、エーデルのすぐ後ろにアリーシャがいた。
水色のドレスを纏った彼女は、ほかの何もかもが霞むくらいに美しい。
「…………」
「…………」
クレイドは、感動で胸がいっぱいだった。
(もっと早くこうしていればよかった)
これまで自分の意気地がないばかりに、アリーシャにつらい思いをさせてきたのかと恥じた。
再会できた感動で泣きそうになるのを、クレイドは目に力を入れて堪える。
「はじめてお目にかかります。アリーシャ・ドレイファスと申します」
高く澄んだ声が愛らしい。
絶対に幸せにする。そう誓いながら、まずはここまで来られた無事を労った。
「よくここまで無事で来られたものだな……!」
緊張のあまり、いつもより低い声が出た。
(しまった、「久しぶりだね」と言って笑顔で手を差し伸べる予定はどこへ行った?今から挽回できるか!?いや、無理だ!なぜかわからないが、アリーシャの顔が凍り付いている!名前か?まずは私も名前を名乗るべきだったか!?もうだめだ!わけがわからない!)
背中に冷や汗が伝い、体が強張る。
そのとき、エーデルに背中をバシッと叩かれた。
「うっ!」
「はい、殿下しっかり!殺人鬼の顔になってますよ!」
これにより、ようやく体の自由が利くようになる。
クレイドは無我夢中で、アリーシャに向かって右手を差し出した。
「早く、早く婚約式を……!今すぐ婚約式を」
「え?よろしいのですか?」
これ以上、ボロが出る前に婚約式を始めようと気を取り直す。
アリーシャの細い手が、ぎこちなく自分の手に重ねられる。実物に触れられた感動で息が止まりそうになるも、どうにか礼拝堂まで向かう。
アリーシャを疲れさせないため、儀式は最速で進めろと命じてあった。静かな礼拝堂で粛々と儀式は執り行われ、クレイドとアリーシャは神の下で承認された婚約者同士となった。
(恋焦がれた人と迎える婚約式が、これほど幸せとは……)
昔はそう変わらなかった身長も、今では頭一つ分ほど違う。
まじまじと彼女を観察したクレイドは、十年の変化を改めて感じる。
「君は私の婚約者……!君は私の婚約者なんだ」
この人を、絶対に守らなければ。そう胸の中で誓ったクレイドに向かって、アリーシャが声を震わせて言った。
「せ、誠心誠意……、お、お仕えさせていただきます」
その健気さが愛おしくて、苦労はさせまいとさらに誓う。
「君は何もしなくていい」
ただそばにいてくれればいいんだ。
(じっくり目を見れば、この気持ちは伝わるだろうか?)
まったく伝わっていなかった、と知ったのはこれから少し後のことだった────。




