王子様は最愛の人を見守りたい②
あれから十年。アリーシャへの気持ちが膨れ上がったクレイドは、報告書を握り締めて怒りを露わにする。
「伯爵が頼りないのも腹立たしいが、一番許せないのはアリーシャの婚約者だ」
アリーシャに仕事を任せ、自分は連日遊び歩いていると報告が上がっている。
人知れず始末するか……と物騒な考えがつい言葉になって漏れ出すほど怒っていた。
「いっそ勝手に借金を全部返すか?そうすればアリーシャがあの男と婚約しなくて済む」
「借金がなくなっても、侯爵家との縁談はなくなりませんよ」
エーデルがそう指摘する。彼女の婚約は家と家との契約だから、借金の有無はそもそも関係ないのだとクレイドもわかっていた。
「アリーシャは、律儀でおもいやりがあって素晴らしい女性だからな。自分から婚約者を捨てることはしないだろう」
「……殿下はアリーシャ嬢の何を知ってるんですか」
エーデルが冷めた目を向けてくる。
たった一度会っただけでなぜ、と言われてもわからないが、アリーシャはクレイドにとって心を救ってくれた恩人であり、今も想い続けている初恋の相手だ。
この十年の間に、アリーシャのことをたくさん知った。
勝手ながら、彼女の家庭状況や日常生活、好きな色や好きな物などを調査して報告させた。どうにかして、苦境からアリーシャを救いたかった。
西の方は積極的に魔物を狩り、ドレイファス伯爵領がこれ以上の困難に見舞われないように継続的に対策を行い、水害が発生するという場所には、水が流れ込む量を抑えるべく隣領の山を買い取って流れを変えた。
直接的な支援を受け取ってくれないから、できることには限られていたが……。
この十年でアリーシャへの気持ちはどんどん膨らんでいて、婚約者の男がアリーシャに嘘くさい笑みを向ける報告写真を見たときは、嫉妬を通り越して憎悪を抱いたくらいだ。
「なぜあんな男がアリーシャと婚約できるんだ……!」
思い出しただけで腹が立つ。
祖父同士が親しく、領地が隣同士だなんてとんでもない強運だ。アリーシャと婚約できるなんて、世界で一番の幸福を手にしたようなものだろう。
それなのに、あいつは……!
「もういっそ、結婚を申し込んだらどうですか?殿下の功績を考えれば、無理も通るでしょうに」
エーデルの提案は、クレイド自身も何度も考えたことだった。
子どもの頃は本気でアリーシャを迎えに行くつもりで、そのために努力を続けてきた。
(でも、今ならわかる。私と結婚したら、アリーシャにつらい思いをさせてしまう)
思い出すのは、五歳のときに離宮を去った母のこと。
王妃や側妃たちからの嫌がらせに耐えられず、クレイドが物心ついた頃には心を病んでいて、すでに一日のほとんどをベッドの上で寝て過ごすような暮らしだった。
(城で女の争いに身を置くには、母は繊細すぎたのだ)
王子妃になれば、たとえ妃がたった一人しかいなくても似たような嫌がらせは起きる。
継承問題や側妃問題、大臣らの足の引っ張り合いや省庁同士の予算の取り合い……、人間の嫌な部分がこれでもかというほど詰まった場所へ、愛する者を巻き込むつもりはない。
クレイドは、最愛の人をそんな目に遭わせたくないと思っていた。
「アリーシャを母のようにしたくない。こんなに汚い世界を見せたくないんだ」
絞り出すようなその声に、エーデルは残念そうな顔をする。
「だいたい、アリーシャは責任感の強い女性だ。伯爵領を捨てて王都に来るなど、そんなことはさせたくない。……それに、父親のことも愛しているのだろう。私にはわからないが、家族の情というのは強いと聞く」
どんな父親でも、アリーシャにとっては父親には変わりない。大切な人のはずだ。
今あるすべてを捨てて自分を選んでくれ、とクレイドは到底言えなかった。
「ほかにもまだ懸念はある。アリーシャがあの婚約者を好いているのかもしれないだろう?無理やり婚約解消させて私が求婚した結果、不本意だという顔をされたら死ねる!アリーシャに嫌われたくない!!」
結局のところ、意気地がないだけだ。クレイドは己を責める。
彼女の幸せを願いながらも、自分も傷つきたくないし、このまま時が止まってくれたらと何度も思った。
「あぁ、好きな物も好きな色も何でも知ってるのに、声が思い出せない……。会いたい、でも正面から会いに行く勇気はない」
エーデルは、嘆くクレイドに憐みの目を向ける。そして、もうお手上げだとばかりに冗談めかして笑った。
「ははっ、恋って面倒ですね。王国一の魔法使いがこんなになってしまうんですから」
魔法省のトップの座についても、どれだけ魔法道具を開発しても、どれだけ魔物を倒しても、叶えられない初恋に振り回されている。
「アリーシャ、どうかあいつと結婚しないでくれ」
「無理ですよ。このままじゃ」
情けない嘆きに、エーデルからは至極当然の回答が寄こされた。
一人になるとアリーシャのことを考えてしまい、永遠に解決しない思考の渦に飲み込まれる。それが苦しくて、一日のほとんどを仕事にあてるようになっていった。




