話し合いが必要らしい
「アリーシャ、大丈夫か?」
クレイド殿下が心配そうに私の顔を覗き込む。
私は頷き、大丈夫だと言って笑って見せた。
そのとき、いつの間にかすぐそばまで来ていた王太子殿下がふっと笑った声が聞こえ、私はびくりと肩を揺らす。
「相変わらずだったね、陛下も母上も」
煌めく明るい金の髪に、慈しむような優しい瞳。神々しいほど澄んだオーラは、さすがは神殿に「神の御子」と認定された王子様だ。
私たちを見つめる目は穏やかで、気さくに話しかけてくださった。
「アリーシャ嬢。此度はクレイドとの婚約を受けてくれてありがとう。兄として嬉しく思っているよ」
国王陛下とは反対に、こちらを気遣う気持ちが伝わってくる。まさかこんな風に話しかけてもらえるとは思っておらず、私は恐縮してしまった。
王太子殿下はにこりと微笑み、その目を見れば私とクレイド殿下の婚約を祝福してくれているのがわかる。
「初めてお目にかかります。アリーシャ・ドレイファスと申します」
「あぁ、とても可愛らしい人だね。クレイドとよく似合う」
社交辞令を社交辞令と思わせない、自然な口調。本来なら目を合わせることすらできない高貴な方なのに、私のような貧乏伯爵令嬢にまで優しかった。
強張っていた肩の力が抜け、自然な笑みが戻ってくる。
「ありがとうございます」
嘘だとしても、クレイド殿下とよく似合うと言ってもらえて嬉しかった。婚約者として認めてもらえた気がしたから……。
はにかみながら、隣にいる殿下を見ればぎりっと歯を食いしばっている。
「殿下……?」
どういう感情なのかさっぱりわからない。
必死で何かに耐えている?
私の呼びかけで、殿下ははっと気づくと「大丈夫だ」と言った。
「どうかなさいました?」
「いや、何でも……」
小首を傾げる私。クレイド殿下はまた前を向き、真顔になる。
それを見てクッと笑った王太子殿下は、嬉しそうに目を細めて言った。
「あ~、クレイドが喜んでいてよかったよ。アリーシャ嬢、これからはクレイドの支えになってあげて欲しい」
喜ぶとは、何に対して喜んでいるんだろう。
よくわからないけれど、私は王太子殿下に向かって「はい」と返事をする。
「殿下のために、精いっぱい務めさせていただきます」
私は、心からそう伝える。
ただ、ここで王子妃教育が延期になっていることが頭をよぎる。精いっぱい務めると言っておきながら、それが本当にできるのだろうかと不安になって視線を落とした。
私の胸中を察したのか、王太子殿下は少し申し訳なさそうな顔をした。
「すまないね。母は何でも自分の思い通りにしたい人だから、アリーシャ嬢の王子妃教育についても勝手に話を止めてしまって……。もうしばらくの間だけ、合わせておいてほしい」
「は、はい」
王太子殿下は、ご自分の母君の性格をよくご存じのようだった。
もうしばらくの間だけ、とおっしゃったのは何か変わるんだろうか?
もしかして、王太子殿下が説得してくださるとか……。それなら希望が持てると、気分が明るくなってくる。
私が頷いたのを見た王太子殿下は、今度はクレイド殿下に向かって満面の笑みを向けた。それはちょっと苦言を呈するといったような、含みのある笑顔だった。
「アリーシャ嬢との婚約が調って本当によかった!でも、婚約式を勝手に早めた理由はきちんと報告するように」
勝手に早めた?クレイド殿下が?
エーデルさんからは「こちらの都合で」としか聞かなかったから、てっきり何かそうしなければいけない事情があったのだと思っていた。
隣を見ると、クレイド殿下が苦しげに眉根を寄せている。それを見た王太子殿下は、まるでからかうような表情に変わった。
「弟の婚約式をその場で見られなかった兄の気持ち、察してくれない?寂しくて寂しくて、涙が止まらないよ……!」
「涙など出ていませんが……?面白がって笑っておられるでしょう?」
反論するクレイド殿下は、本気で嫌がっているわけではなさそうだ。ちょっと困っているようには見えるけれど。婚約式を早めた理由については、聞かれたくなかったらしい。
これは、兄弟のじゃれ合い?
お二人はものすごく仲が良さそうに見えた。
第一王子派と第二王子派の権力争いがあるとはいっても、それは周囲の人間の話であって、実際のところ兄弟仲はいいのかも……。
「そうだ!クレイドの結婚式は私が神父を務めよう」
「そんな無茶な」
「できるよ?神殿に認められた私なら、神父になれる」
「なれるなれないの問題以前に、兄上は王太子です……」
王太子殿下の目が本気だった。冗談ではないと感じ取ったクレイド殿下が、顔をやや引き攣らせている。
それを見た私は自然と口角が上がる。
王太子殿下は、今度は私に目線を向けた。
「そうだ、アリーシャ嬢も今度一緒に食事をしよう。めんどうでなければ、本塔の特別室へおいで」
「めんどうだなんて、そんな……。とても光栄です。ありがとうございます」
「離宮で籠ったままだと聞いていたから、もしかして無理に王都まで来させてしまったのかなと心配していたんだ。元気そうでよかった」
「ご心配をおかけしてしまいました。私はこの通り、とても元気です!」
王子妃になろうという娘が、二日移動しただけで疲れて療養するくらいのか弱さでは困るはず。そもそも私は、一般的なご令嬢方より丈夫だと思う。
全然大丈夫です、と健康をアピールした私を見て、王太子殿下は「ん?」と何か疑問に思ったようだった。
「クレイド。どうしてこんなに元気なアリーシャ嬢がずっと離宮にいるの……?」
「…………」
ここにきて、何か不穏な空気が流れる。
「まさか、閉じ込めてるとか?」
あぁ、これはまずい。
王太子殿下は、笑顔だけれど怒ってる!
クレイド殿下が答える前に、私が二人の間に割って入った。
「離宮は快適ですので、私は何の不自由もしておりません!それに、私のような婚約者を人に見せたくないと恥じるお気持ちは理解できます!私は殿下にとって、押し付けられたも同然の婚約者ですから、恩情ある待遇を受けられるだけで十分です。だからどうか……」
「「は?」」
どうか何も聞かないでほしい、私がそう言うより先にお二人が揃ってこちらを見る。
お二人とも、「どういうことだ?」と不思議そうな顔をなさっていた。あまりにその反応の仕方がそっくりで、異母兄弟といってもよく似るのだなと思った。
ところがここでふと気づく。王太子殿下はともかく、どうしてクレイド様までこんなに驚いているのだろう。
クレイド殿下は何かに気づいたみたいに、みるみるうちに青褪めていく。
「アリーシャ……、まさか……」
「え?え?」
言ってはいけないことだった!?
失敗したと気づいた私は、クレイド殿下と同じくらい青褪めていく。
殿下は私に何か伝えようとして、でも言葉を呑み込んで、そんなそぶりを見せた。それを見かねた王太子殿下は、「はぁ」と大きな息をつく。
「どうやら、二人はよく話し合った方がいいらしい」
「……はい」
「クレイド、おそらく君の言葉が圧倒的に足りていない」
王太子殿下は弟君の腕に軽く触れ、私に向かって「すまないね」と笑いかけた。クレイド殿下は視線を床に落とし、苦しげに目を細めている。
「東の庭園を散歩でもしながら、ゆっくりと話し合ったらいいさ。誰も近寄らないよう、私が命じておこう。東の庭園は、魔法で咲かせたダリヤが一年中美しく咲いているからね。きっとアリーシャ嬢も気に入るよ」
王太子殿下のお言葉に従い、私たちはすぐに東の庭園へ向かうことに。クレイド殿下はおずおずと右手を差し出し、私の反応を窺いながら言った。
「一緒に行ってくれるか……?」
その手も言葉もとても遠慮がちで、私に気を遣っているのがわかる。
「はい、もちろんです」
重なり合った手は、ぎこちなくもしっかりと握られる。ふと殿下の顔を見上げると、まるでこれから大きな戦いにでも挑むような決意の表情だった。