健康チェックをされる婚約者
クレイド殿下は、正午すぎに離宮へと現れた。
今日の殿下は魔法省の黒い詰襟隊服で、凛々しい……を通り越して道を譲りたくなる威圧感がある。一緒にいるのはエーデルさん一人で、護衛は連れていない。
食堂の前で出迎えると、真正面で立ち止まった殿下は私を凝視してぽつりと呟く。
「本当にいた……!」
「え?」
私は訳がわからず、きょとんとしてしまう。婚約者として昨日ここへ連れてこられたのだから、私がいるのは当然のことだ。
殿下は信じられないと言った様子で私を見つめ続け、そろそろ作り笑いがきつくなってきたと焦った頃にエーデルさんが「中へ入りましょうか」と声をかけてくれた。
その言葉にはっとした殿下は、足早に食堂の中へと入っていく。私は黙ってそれに続いた。
テーブルの上には最初からずらりとお料理が並んでいて、時間をかけてゆっくりと昼食を取る暇はないという状況が見て取れる。
二人とも着席したところで、グラスに水が注がれた。
殿下を見ると、今は私のことを睨んでいない。ただ、なぜか探るような目でずっと私を見ている。
「──昨夜は」
「は、はい」
殿下が突然口を開いたので、私は緊張から背筋を正す。何か問題でもあったのだろうか、と少し不安がよぎった。
「昨夜は、その、何を食べた?」
「……は?」
なぜか昨夜の食事について聞かれ、私は戸惑ってしまう。
今、目の前に色々なお料理が並んでいるのに昨夜の食事の話ですか……?
この質問に大きな意図が隠されているのではと勘繰る私。
「昨夜は、子羊のソテーとシチュー、それからキッシュ、ミートパイ、マッシュポテトとゆでた根菜を混ぜたものを少しずついただいて、えっとほかには……」
殿下は、私の話を黙って聞いていた。
正確にすべてを伝えなければと、必死に思い出そうとする私。でも途中で、呆れた様子のエーデルさんに止められた。
「アリーシャ嬢、もうそれくらいで大丈夫です。殿下、どうでもいい質問でアリーシャ嬢を困らせないでください」
「え?」
重要なことではなかったのか、と私は拍子抜けする。
エーデルさんは、「もっとあるでしょう?」と笑顔で殿下に訴えかけていた。それに対して、殿下はほんのわずかに焦りの色を浮かばせる。
「これから……、アリーシャと呼んでもいいだろうか?」
さっきすでに呼ばれた気がするのは、気のせいではない。でも、私にそんなことが指摘できるわけもなく、「はい」と言いながら何度も頷いた。
私の返事を聞いた瞬間、殿下がかすかに笑ったように見えたので、本当にそうなのか確かめたくてつい真剣に見つめ返してしまった。
ぱっと目を逸らされ、私は自分が非礼なことをしたのだと自覚し、慌てて視線を落とす。
「あの~、そろそろ食べていただけません?」
「「っ!」」
エーデルさんに促され、私たちはようやくお料理に手を付け始めた。
魚介類のスープや鶏のコンフィ、ベーコン入りのリゾットなど、ドレイファス領でも馴染みのある料理が多くて安堵する。
黙々と食べ続ける私に、殿下がさらに話しかけてきたのはすぐのことだった。
「ここでの食事は、量は足りているか?」
「んっ!」
その質問に、うっかりニンジンを喉に詰めそうになった。
私が黙々と食べているから、飢えて食事が足りていないのかと思われた!?
「……十分です。足りています」
「そうか」
「はい」
「そうか」
殿下は何度も小さく頷き、納得した様子だった。
もしかして、食事に並々ならぬこだわりがあるのか?
互いに探り合うような空気が漂う。
「その、君は、……元気か?」
どうして殿下はこんなことを確認するのだろう。
私はとっくに愛想笑いを忘れていて、困惑の表情で答えた。
「はい、元気です」
「不自由はないか?」
「ありません」
壁際に立っているエーデルさんをちらりと見れば、目を閉じていた。その雰囲気は「見るに堪えない……」と呆れているようだった。
まるで飼い始めたばかりの鳥か何かの体調管理をしているみたいだ、と思った。
私の健康チェックを終えた殿下は水の入ったグラスを取り、よほど喉が渇いていたのか勢いよく飲み干した。
問診が終わったようなので、私は食事の続きを再開し、気まずさから逃げるように手を動かす。
しんと静まり返った食堂では私がナイフとフォークを使う音だけがやけに響いていて、まるでマナー違反をしているみたいで余計に気まずくなる。
ちらりと殿下の顔を見れば、食事を楽しんでいるようにはまったく見えない。どちらかというと苦悶の表情を浮かべている。
殿下は今日、何をしに来たのだろう?
前の婚約者は、会ってすぐ『お願いがあるんだけど』というお決まりのセリフがあったから、こんな風に無言の時間を過ごしたことは一度もない。
「……………………」
「……………………」
結局、殿下との初めての昼食は私がひたすらたくさん食べて終了した。
魔法省に戻っていく殿下は、何度も振り返って私の姿を確認していた。もしかして、脱走すると思われているのかもしれない。
「殿下、アリーシャのことを監視に来たのかしら?」
フェリシテが不思議そうな顔でそう尋ねる。
「きっとそうね……。心配性なのかも」
離宮の長い廊下に、すでに殿下の姿はない。
昼食という一大イベントを終えた私は、軽い足取りで私室へと戻っていった。
今日は特別に昼食を共にしただけで、そもそも殿下はお忙しい方だ。
この先、しばらくは私と顔を合わせることもないはず────。