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10-6

 二月七日、信長一行は清州城に帰還した。守護職を得た事で、信長は名実共に尾張の支配者となった。


 四月、美濃の斎藤高政が上洛し、献金の見返りに美濃の支配権と幕府の官職を授けられた。義輝の命令で六角家も上洛に協力した。


 五月、越後の長尾景虎が上洛し、将軍と朝廷に謁見した。

 幕府からは「上杉の七免許」と呼ばれる莫大な特権が与えられた。

 関東を支配する関東管領職の授与と、関東管領を代々務めてきた上杉家の家督継承の許可。「お屋形様」の名乗りと「桐紋」の許可。特別な輿、鞍覆、書式の許可。

 輿は塗り輿と呼ばれる上から二番目の格式のもので、ごく一部の名門大名と公家しか使えない。公用車のセンチュリーのようなものだ。

 鞍覆は馬の体にかける真っ赤な布で、将軍しか使えない。競馬の優勝馬にかける優勝レイのようなものだ。

 桐紋とお屋形様の名乗り、特別な書式はごく一部の名門大名しか使えない。

 この七免許によって、景虎は幕府の副将軍格に成り上がった。

 景虎は「例え越後が滅んでも将軍家への忠義を貫く」と発言して幕閣を感激させた。

 朝廷には御所の修復費用を献上して大いに喜ばれた。


 義輝は一連の上洛を通して「三好家包囲網」の幻を長慶に見せた。

 義輝の要請で有力大名が次々上洛してきた。景虎は「将軍家に何かあれば京都に駆け付ける」と誓った。

 義輝が本気になれば、全国から幾らでも有力大名を呼び寄せる事が出来る。長慶はそう判断した。

 長慶は義輝との対立路線を放棄し、協調路線に転換した。義輝は外交で勝利した。

 義輝政権は安定した。その後、長慶の勢力は身内の不幸と六角家の反撃で衰えた。代わって現れたのが松永久秀だった。彼にブラフは通じなかった。


 信長、高政、景虎はそれぞれ中央政界とのパイプを手に入れた。

 信長は義輝を仲介して六角家との仲を深めた。

 高政は裏切り続きだった美濃国内を幕府の権威で安定化させた。

 景虎は関東に進出した。関東の諸勢力は関東管領の景虎に従った。北条家は圧迫された。

 北条家は武田家に支援を要請した。武田家はこれを受けて北信濃の川中島に進出した。


 今川家はこの流れから弾き出された。

 今川義元は驚いた。幕府とは良好な関係を築いていると思っていたのに(今川家は塗り輿の使用を許されていた)、義輝は突然宿敵の織田家と手を結んだ。アメリカと北朝鮮のトップが日本を無視して突然首脳会談を始めたようなものだった。

 軍師の太原雪斎が生きていたら、このような外交的不覚は取らなかった。彼はビスマルクのように周辺諸国を手玉に取った。中央政界とも深いパイプを築いていた。

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