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一月下旬、元康は今川兵千を連れて三河岡崎城に入った。
城の住民は城下町の入り口に立って松平軍を歓迎した。
今川家の兵士は照れた。元康は馬上から笑顔で手を振り返した。
入口から城までの道沿いにも住民が立っていた。松平軍はここでも歓迎を受けた。
兵士はぎこちなく手を振った。元康は笑顔で手を振り続けた。
岡崎城主は今川家臣の山田景隆が務めていた。内政は旧松平家重臣の石川清兼と鳥居元吉が担当していた。二人の息子、石川家成と鳥居元忠は幼い頃から元康に仕えてきた。
元康は山田に遠慮して二の丸館の広間に諸将を集めた。
元康は正面奥の席に座った。部屋の右側には旧松平家の家臣が、左側には今川家の家臣が座った。
旧松平家の士気は高かった。家臣は皆血走った目で元康を見つめた。今川家の家臣は困惑した。
元康の対面に若手重臣の酒井忠次が座った。彼は地図を使って状況を説明した。
寺部城は岡崎城の北にあった。
寺部城の南西には挙母城があった。
寺部城の西には梅坪城がった。ここは以前織田軍の攻撃で奪われて織田方の城になっていた。
北西には伊保城、北東には広瀬城があった。
広瀬城は寺部城から八キロ離れた山の中にあった。この城を抑えれば、鈴木家と奥三河の河合家の連携を断つ事が出来た。
他の城は三キロ圏内の平地に建っていた。
「こちらの兵力は三千。敵の兵力は千五百。梅坪城に織田軍の援軍五百が入っています」
元康は寺部城の南東を指差した。
「お屋形様からは即座の鎮圧を要求された。城から誘き出して野戦で仕留めたい。
寺部城は南東から東にかけた一帯が手薄だ。
南東から鈴木領に入り込んで北に進み、寺部城に一撃離脱をかける。火攻めがいい。街を燃やしたらすぐに離脱して北の広瀬城を攻める。
河合か寺部から援軍が来るだろう。もしかしたら両方かも。どちらが来ても全力で叩く。ここで倒せば後がグッと楽になるはずだ」
旧松平家の家臣は涙を流した。
「何とご立派になられた事よ……」
「殿は清康(元康の祖父。三河を統一した)公の生まれ変わりだ!」
今川家の家臣は困惑した。




