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8-12

 今川家は太原雪斎の死と三河の内乱の影響で侵攻能力を失った。

 駿府の街には閉塞感が漂っていた。

 人々は皆不親切になった。往来で肩が触れ合っただけで怒鳴り合った。釣銭の渡し方が悪いだけで店員をなじった。


 十月、本多小夜と息子の鍋之介が岡崎から駿府にやってきた。

 小夜の夫は本多忠高。七年前の安祥城攻略戦で戦死した松平家の武将である。鍋之介はまだ八才だが、体は大きく気も強かった。

 二人は道端で地図を開いて道順を確認した。初めての街なのでよく分からなかった。

 鍋之介は母親に言った。


「人に聞きましょう」


「お止めなさい。都会の方にそんな事。恥ずかしい」


「屋敷に着かない方が恥ずかしいです」


 鍋之介は大きな声で通行人に呼びかけた。


「道に迷って困っています!どなたか、松平蔵人佐様のお屋敷をご存じありませんか!?」


 誰も止まらなかった。

 鍋之介は何度も呼びかけた。通行人は舌打ちして通り過ぎた。

 小夜は最初恥ずかしがっていたが、最後は諦めて道端に座り込んでしまった。


 立派な身なりの武士が側近数名を連れてやってきた。

 武士は立ち止まって鍋之介に答えた。


「蔵人の家ならよく知っています。案内しましょう」


 鍋之介は大声で喜んだ。


「ありがとうございます!」


「そちらの方はご母堂ですか?」


「はい!」


 小夜は弱々しく立ち上がって名乗った。


「本多小夜と申します。岡崎から松平蔵人佐様に手紙と着物を預かって参りました」


 武士は小夜をいたわった。


「長旅でお疲れだったでしょう。

 駿府は今、ごたごた続きで少し疲れています。本当はこんな冷たい街ではないのです。嫌いにならないでくださいね」


 武士は側近に命じて駕籠を二つ呼んだ。


 武士一行と本多親子は屋敷に向かった。

 鍋之介は駕籠の揺れが気持ちよくて眠ってしまった。岡崎からここに来るまで、彼はずっと母親を守って疲れていた。

 小夜の腹が鳴った。彼女は道中では鍋之介ばかりに食べさせて、自分は野草を食べて凌いでいた。

 小夜は顔を赤くした。元康は微笑んで、懐から笹に包まれた握り飯を出した。


「まだ手を付けておりません。よろしかったらどうぞ」


 小夜は笹を開いた。塩むすびが二つ入っていた。

 小夜は一つは鍋之介に残し、一つは自分で食べた。一口食べると、自分の情けなさと武士の優しさで自然と涙がこぼれてきた。

 *

 元康の家は街の中央にあった。数寄屋造りの立派な屋敷だった。

 一行は屋敷の門の前で止まった。門番は一行に頭を下げた。

 武士は側近に指示した。


「このお二人を広間に案内して欲しい。子供の方は起こさないように」


 側近は頷いた。

 鍋之介は寝たままだった。側近の一人は起こさないようにそっと彼を背負った。

 別の一人は小夜に「案内いたします」と申し出た。

 武士は「それでは、一旦失礼させてもらいます」と別れを告げた。

 小夜は名前を尋ねた。武士は「後でお伝えします」と頭を下げて立ち去った。


 二人は一旦控室に通された。ここで身なりを整えた後、二人は書院造の広間に移動した。


 二人は座って元康を待った。

 鍋之介の腹が鳴った。小夜は笑って塩むすびを差し出した。

 鍋之介はむさぼるように食べた。


「先ほどのお武家様がくれたのよ。美味しい?」


「まずい!駿河の米は白くて柔らかくて食えたものではない!三河の固い玄米こそが至高!」


「じゃあお母さんにちょうだい」


「ヤダ!」


「今川家にはあんなに立派なお武家様がいるのね。お殿様は鬼のような人々に囲まれて心細く暮らしていると思ったけど、あれなら安心……」


 戸が開いた。二人は頭を下げた。

 二人の対面に元康が座った。


「顔を上げてください」


 二人は顔を上げた。

 先ほど門前で別れた武士が座っていた。二人は驚いて固まった。

 元康は二人に挨拶した。


「松平蔵人佐元康です。

 長旅ご苦労様でした。私の力が足りないため、国元の皆さんには苦労をかけ通しです。いつも本当に申し訳なく思っています。

 手紙と着物を預かってきたと聞きました」


 小夜は震える手で包みを差し出した。

 元康は包みを開いた。寝る時に着る浴衣と手紙が入っていた。浴衣のサイズは小さかった。

 岡崎にはもう十年近く帰っていなかった。国元は今の元康の背丈が分かっていなかった。

 元康は微笑んだ。


「ありがたいが、私には少し小さいな。

 この浴衣はここまで母上を守ってきた褒美に鍋之介にくれてやりましょう。鍋之介、こちらに来なさい。着せてやろう」


 鍋之介は喜んで元康の元に駆け寄った。

 元康は鍋之介に浴衣を着せてやった。小夜は二人の姿を見て号泣した。


 雪斎を越える怪物が生まれようとしていた。

 なお、鍋之介は後に本多忠勝を名乗り、戦国最強の武将となる。


(続く)

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