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八月、信勝は反乱を起こした。
守山城の北には篠木庄があった。ここは信長の領土だったが、信勝は兵を送り込んで自分の領土にした。更に砦を築いて支配を確実なものにした。
信長は清州城の北櫓二階に諸将を集めて対策会議を開いた。
櫓の中は剣道場のような板敷の広間だった。いつも通り信長が正面奥の席に、諸将は部屋の左右に座った。
今回は新たに佐久間盛重と滝川一益が出席していた。盛重は信長の対面に座って状況を説明した。
「末森殿は河東の飛び地を全て回収する気です。終わったら今度は河西でしょう」
庄内川という川が尾張国内を北東から南西に向かって流れていた。清州城は庄内川の西岸、末森城は東岸にあった。この川が信長派と信勝派の国境になっていた。
東岸には信長領の飛び地が幾つか残っていた。重盛は東を固めてから西を攻める、と推理した。
佐久間信盛は補足した。
「林佐渡の反乱以降、末森殿は上守護代家、美濃斎藤家と密かに会って交渉を重ねていました。今回ようやく条件がまとまって同盟を結んだのでしょう。だからこうして出てきたのです」
信長は可成に尋ねた。
「今川はどうだ?」
「奥三河の平定に手こずっています。今回は無視して問題ありません」
三河は裏切りの連鎖で泥沼状態だった。今川家は大軍を派遣して反乱軍の城を潰して回っていた。
信長は盛重に尋ねた。
「信勝は次にどういう手を打つ?」
「砦を築いて清州城の河東への出入り口を封じます。安全を確保してから土地を回収するはずです。攻めの拠点にもなる」
「名塚だな……
作られる前にこちらで作ってしまおう」
盛重は頭を下げた。
「その任務、是非ともこの佐久間大学に命じてください。必ず果たしてみせます」
丹羽長秀は盛重を推薦した。
「鬼の大学殿なら敵も恐れるでしょう。是非ともその任、大学殿に」
信長は了承した。
「分かった。大学に兵三百を預ける。明日から仕事にとりかかってくれ。何かあれば砦に籠って援軍を待て。すぐに兵を送る。
皆も準備を怠るな。場合によっては名塚で決戦に入るぞ」
諸将は気持ちを引き締めた。
盛重は長重に感謝して頭を下げた。長重は「いやいや」という風に軽く手を振って応えた。
清州城から東に向かって街道が伸びていた。この街道を東に進むと庄内川の西岸に出る。川を渡ると名塚という場所に出る。
信勝派がこの名塚に砦を作ると、織田軍は庄内川を渡れなくなる。逆に信長派が作れば庄内川東岸の出撃拠点として活用出来る。
八月二十二日、盛重隊三百は川を渡って名塚に入り、砦を築いた。
初日は区画に杭を打って縄を張る程度の簡単な作業で終わった。ただし敵の襲撃が予想されるので、工事現場はかい盾、竹束でしっかり固めた。
盛重隊は数百平方メートルの正方形の区画を盾で囲んだ。兵士は区画内に天幕を張って寝た。
 




