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井ノ口の南に加納という街があった。中山道の要衝として古来から栄えてきた。
織田軍一万七千は加納を占拠して、南側から井ノ口を狙う構えを見せた。
明智隊は井ノ口の寺に布陣していた。
午前中、光秀は寺の屋根に上がって望遠鏡で織田軍の動きを監視した。ウサギの耳の前立てが可愛らしい黒の南蛮具足を着ていた。
織田の前衛部隊は井ノ口の入り口数百メートルまで接近して陣を敷いた。
前衛部隊は騎兵隊を偵察に派遣した。
街の入り口は閉ざされていた。騎兵隊は堀を回って外から様子を確かめた。
斎藤軍は市街地を要塞化して待ち構えていた。
町人を徴兵して各部隊に配備していた。総兵力は二万を越えた……
騎兵隊は真っ青な顔で前線部隊に戻っていった。
昼、光秀は屋根の上で昼飯を食べながら織田軍を眺めた。
織田軍の動きにまだ変化はなかった。今本陣では今後の対応を長々と話し合っているのだろうか。
寄り合い所帯の織田軍は決断に時間がかかる。トップが決めて部下が従うようには出来ていなかった。
午後、織田軍は加納の後衛部隊から順に撤退を開始した。
斎藤軍は喜びの声を上げた。武将と足軽は抱き合って喜んだ。
本堂に詰めていた側近グループは立ち上がって大声を上げた。
利政は座ったまま舌打ちした。周囲は静まり返った。
利政は指示を出した。
「各隊に追撃を開始させろ。木曽川は越えるなよ」
伝令騎兵は市内各地の部隊に指示を伝えた。
各隊は追撃準備を整えていなかった。彼らは防衛戦に備えて重たい鎧をフルセットで着込んでいた。これで戦も終わったと鎧を脱ぎ始める部隊もいた。酒盛りしている部隊もあった。
伝令騎兵は明智隊の寺を訪れた。
明智隊は境内に整然と並んでいた。鎧は追撃戦に備えて草摺と脛当てを外していた。槍は短い持ち槍を持っていた。
伝令騎兵は利政の指示を伝えた。
「織田軍を追撃してください!ただし木曽川は越えるなとの事!」
明智隊は寺から出撃した。光秀は鉄砲+弓隊を率いて部隊の先陣に立った。誰も彼が初陣だと思っていなかった。
織田軍の後衛部隊は撤退した。前衛部隊だけが残った。
夕方、明智隊は鬨の声を上げて井ノ口から出撃した。各隊も続々と街から出てきた。
織田軍は武器を捨てて逃げ出した。
光秀は逃げる足軽大将の後頭部を打ち抜いた。鉄砲隊は背後から足軽達を次々打ち倒した。
光秀隊は猛射撃を加えながら前進した。矢と銃弾が絶え間なく敵に浴びせられた。
時間がかかるので首は取らなかった。首切り役の雑兵は死体の耳を切り落とした。
日本の火縄銃は狙撃銃として運用される。全員が命中率度外視で乱射して弾幕を張るのではなく、一人一人が狙い澄まして敵を打つ。FPSで言う所の「突スナ」の集合体が日本の鉄砲足軽隊だ。
鉄砲は命中率、威力共に高い。五十メートル以内なら百発百中。当たれば鉄の鎧も楽に貫通する。
装填時は無防備になるが、ここで弓隊が矢を放って火勢を途切れさせない。日本の鎧は矢までは完全にガード出来る。足軽なら矢で倒せるが、鎧を着た武者だと難しかった。
連射すると銃身内に燃えかすがこびりついて穴が狭くなる。打ち手は二十発ごとに尖った特殊弾を装填して燃えかすをそぎ落とした。
光秀隊は前衛の足軽部隊を蹴散らした。正面に後衛の侍部隊が見えてきた。
馬に乗っていると的になる。敵の侍達は従者の手を借りて下馬して迎え撃った。
光秀隊と侍部隊は激突した。
一メートル八十センチの荒武者が三メートルの太郎太刀を振りかざして光秀に突進してきた。
光秀は一撃で兜ごと額を打ち抜いた。荒武者は仰向けに倒れた。
敵部隊は最強の勇者が即死した事で恐怖した。光秀隊は浮き足立つ敵に正確に矢玉を叩き込んだ。
斎藤軍各隊も足軽隊を撃破して侍隊に追い付いた。
敵の騎兵隊は下馬して戦った。追い払うとまた乗馬して逃げた。
武装して大きな馬に乗り降りするには従者の手が必要だった。従者が逃げたり死んだりするともう乗れなくなった。
激戦を繰り返す間に従者は消えた。名のある騎馬武者が戦場に沢山取り残された。
織田軍の大将クラスが何人も討ち取られた。清州三奉行。熱田宮司。勝幡織田家四家老。そして織田信康……
織田軍は前衛、後衛共に総崩れになった。斎藤軍は逃げる織田軍を追撃して木曽川の岸までやってきた。
織田軍は川岸まで追い込まれた。
この川の向こうが本拠地の尾張だった。しかし川は秋雨で増水していた。濁った水面を流木や村人の焼死体が勢いよく流れていた。
逃げ場を失った織田軍は木曽川に飛び込んだ。大勢が川に押し流された。
斎藤軍は土手の上から弓、鉄砲、石で攻撃した。織田軍は一方的に打ち殺された。大量の死体で川の流れが詰まった。赤い泥水が河原にあふれ出した。
織田軍は壊滅した。
五千人が戦死したという。普通、負傷者は戦死者の二倍出る。一万七千の内、死傷者は一万五千人。ほとんどの人間が死ぬか怪我を負っており、無傷の人間はわずかしかいなかった。感覚的には全滅だろう。
夜、土手上の斎藤軍は勝鬨を上げた。
目の前の川には大量の死体が浮かんでいた。誰もが利政の手腕を認めずにはいられなかった。
光秀は発砲煙で真っ黒になっていた。
高政と従者数名が人混みをかき分けて前からやってきた。彼らは返り血で真っ赤に染まっていた。
高政は光秀を褒めた。
「よくやってくれた、十兵衛(光秀)。
父の軍略、皆の奮闘。どちらが欠けていてもこの勝利は得られなかった。特にお前の働きは素晴らしかった。これからも美濃のために励んで欲しい。
つまらないものだが納めてくれ」
高政の従者は光秀に褒美の刀に与えた。光秀は頭を下げて受け取った。
「ありがとうございます、新九郎(高政)様」
高政達は光秀の前を去った。
光安が後ろからやってきた。彼は傷一つない綺麗な体だった。戦闘中、彼はずっと安全な後方にいた。
光安は甥の肩を無言で嬉しそうに叩いた。
光秀は高政達の方を眺めた。彼らは手柄を上げた武将の所を回っては、自ら褒美を与えていた。もらった武将も嬉しそうだった。
翌日、斎藤軍は大軍を朝倉軍と大垣城に派遣した。
しかし朝倉軍は既に撤退した後だった。斎藤軍は残された陣地を見て驚いた。
朝倉軍は大きな穴を掘ってそこで大小の用を足していた。普通は個人でそこら中に用を足す。朝倉軍はそこまで徹底的に兵をコントロールしていた。
大垣城は斎藤軍の攻囲を受けて落城した。斎藤軍は西美濃を取り返した。
信康を失った事で、信秀は上尾張に対する支配権を失った。下尾張でも反乱が頻発した。駿河の今川家も西三河に攻め寄せてきた。
信秀は三か国の大大名から下尾張の小大名に転落しようとしていた。
敗戦から一か月後、信秀は大軍を率いて西三河に出兵した。
敗戦直後は強きだった彼も、大敗の精神的ショックから徐々に病気がちになっていく。政務は嫡男の信長に任せる局面が多くなっていった。