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7-9

 織田軍本隊は大良寺に入った。遅れて道三残存軍がやってきた。最後に森隊、佐久間隊が戻ってきた。


 織田軍、斎藤軍の首脳部は本堂に集まった。

 信長は本尊の前に座った。対面に林通政と斎藤新五郎が座った。

 部屋の左右に両軍の首脳部が座った。


 林は泣きながら道三の最期を告げた。そして必ず仇を討って欲しい、と願い出た。

 信長は黙って聞き続けた。

 新五郎は涙ぐみながら遺言書を見せた。いわゆる「国譲り状」と呼ばれる書状である。


 ―「これは美濃の国を織田上総介に任せる内容の書状である。

 新五郎は京都の妙覚寺に入って僧侶になれ。一人が出家すれば、その一族は全員天国に行けるという。寺に話は通してあるから心配するな。

 斎藤山城は明日戦う。戦死を遂げる事は間違いないだろう。

 それもまた夢の如し。法華妙体(仏教の根源的真理)に抱かれて苦しみなく死ねるのだからありがたい事だ。


 身や捨てだに この世の他はなきものを 何処か終の住処なりなむ

(訳・命以外は全て捨てた。さあ俺の死に場所はどこにある?)


 弘治二年四月十九日 斎藤山城守入道 道三」


 偽造された遺言書だった。

 道三が手紙で信長の事を書く時は親しげに「三郎殿」、「婿殿」、あるいはかしこまって「織田上総介殿」と書く。必ず「殿」を付けて呼び捨ては絶対にしない。書面の上では礼儀や気配りを欠かさない聖人だった。

 書いたのは道三の周辺に違いない。しかし側近でさえ、道三がどんな形式の文書を発給しているか知らなかった。


 側近は信長を使って道三の恨みを晴らそうとしていた。その見返りに美濃をやると言うが、こんな手紙一枚では何にもならない。子供銀行券で一兆やるから高政軍二万を倒せ、と命令するに等しい内容だった。

 信長はぼやいた。


「陶謙が劉備に徐州を譲ったような話だな」


 陶謙は三国志の英雄の一人である。徐州という国を治めていたが、死ぬ間際、三国志の主人公劉備の人徳を見込んで国を譲った。

 三国志には小説の演技と歴史書の正史がある。演技での陶謙は劉備の才能を見抜く温厚な老人として描かれているが、正史では「論ずるに値しない」と書かれてしまうほどの悪徳政治家だった。


 新五郎は泣きながら怒った。


「斎藤山城を陶謙に例えるなんて許されません!訂正してください!」


 信長は驚いて新五郎の目を見た。少年の瞳は父親に対する愛で溢れていた。

 信長は新五郎に命じた。


「新五郎。寺には入るな。俺に仕えろ。一緒に高政を倒して親父殿の無念を晴らそう」


 新五郎は下唇を強く噛んで涙を止めた。そして大きく頷いた。

 信長は立ち上がって歩み寄り、彼の右肩に手を置いた。


「俺は美濃一国を手に入れた事より、新五郎を手に入れた事の方が嬉しいよ」


 信長は新五郎の脇を通って出口に歩き出した。


「さあ逃げるぞ!しんがりは俺が務める!」


 諸将は信長に続いて本堂を出た。新五郎は座ったまま振り返り、赤い目で信長の背中を見送った。


 新五郎は後に元服して斎藤利治を名乗り、斎藤家を継いだ。利治は知勇兼備の名将として織田軍の中核を担うようになる。


 織田軍は寺を出て河原の船着き場に集まった。

 信長は最初に運搬用の牛馬を船で対岸の尾張に送った。次に人員をピストン輸送で送った。

 撤収作業は順調に進んだ。


 稲葉隊は北の河原に留まっていた。

 指揮官の稲葉は織田軍は籠城して本国からの援軍を待つ、と考えていた。

 利三は追撃を主張した。織田軍の動きは速い、今日中に逃げる、と。

 稲葉は偵察騎兵を出して大良の様子を探らせた。


 船着き場から最後の船が出発した。河原には空の船一艘と信長だけが残った。

 斎藤利三が精鋭騎馬隊を率いて河原に乗り込んできた。その内の数騎が鞭を当てて加速した。

 信長は船に乗り込んだ。漕ぎ手の新五郎は船を漕ぎ出した。


 敵数騎は川岸までやってきた。船はもう川の中ほどまで進んでいた。

 船上の信長は鉄砲を構えて打った。敵一人が頭を打ち抜かれて倒れた。

 敵は川を渡る事をためらった。その間に信長は悠々と退却した。


 織田軍の退却中、上守護代家の岩倉城主、織田信安が挙兵した。岩倉軍は清州城近郊の村を焼き討ちした。

 織田軍は信安領の村々を放火して回ってから清州城に帰還した。

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