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斎藤高政は父道三から美濃国を奪い、富国強兵政策を推し進めた。高政の国内支持率は日ごとに高まった。
道三は焦った。このままでは国を盗まれてしまう。
弘治元年十一月の夜、道三は稲葉山城の麓の館に支持者数名を集めた。
道三の弟、長井道利。
道三の息子、孫四郎、喜平次。
道三派筆頭の林通政。彼は信勝派筆頭の林通勝のいとこでもあった。
高政体制で冷遇された明智光安。彼は明智光秀の叔父だった。
道三は彼らと反乱計画を練った。
数日以内に道三自ら兵を率いて稲葉山城に乗り込み、高政を殺して孫四郎を新国主に就ける。道三本人は「大殿」として孫四郎の政務を後見する……
翌朝、長井道利は稲葉山城本丸館に向かった。彼は既に高政に寝返っていた。
高政は館の私室で道利の報告を受けた。
高政は二メートル近い大男で、相撲取りのように太っていた。子馬に乗ると両足が地面に付くほどの体格だったが、争いを好まない穏やかな性格をしていた。
高政は悩んだ。長井は決断を迫った。
「数日中に道三はここに乗り込んできてあなたを殺します。後継に孫四郎を就けるつもりです。
先手を打って道三と孫四郎を殺す他ありません。喜平次も生かしてはおけない」
高政は大きなため息を付いた。長井は更に迫った。
「国主様、ご決断ください。やれと仰ってくだされば、後はこちらで全てやります。
国主様の下で美濃は強い国に生まれ変わりました。道三が再び返り咲けば、罪人を釜で煮殺す地獄のような国に逆戻りです。俺はもう嫌だ。皆嫌ですよ!」
高政は床の畳をじっと眺めた。長井は決断が下るまで待った。
新国主は判断は遅いが、正しい判断を下してくれる。長井は高政を信頼していた。
高政は口を開いた。
「分かった。やろう。計画を進めてくれ」
長井は頭を下げて退室した。
その日の午後、長井は「高政が急病で倒れた」という情報を稲葉山城下に流した。




