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明けて天文二十四年。この年の十月に弘治に改元されるので弘治元年となる。
弘治元年三月、駿河の浅間神社(駿河で最も格式が高い神社)で、松平竹千代と家臣の鳥居鶴之助の元服式が同時に行われた。式には今川家の主だった家臣が参加した。
神前結婚式のようなおごそかな場所で、大相撲の行事のような恰好をして、髪を切って烏帽子を被る、という儀式である。
髪を切って烏帽子を被るまで様々な手順があった。それぞれの手順に役目があり、名誉ある仕事とされていた。
髪を切る役。髪を切る時に鏡を持つ役。髪を切る時に整髪料を渡す役。切った髪を箱に仕舞う役。
特に烏帽子を被せる役が最も名誉ある役目とされてきた。これを加冠役という。烏帽子親とも呼ばれる。
加冠役が烏帽子を被せた瞬間、その子供は武家社会では成人したと見なされる。今後は幼少時代の名前を改め、加冠役から一文字もらって別の名前を名乗る。
元服式には吉良家当主の吉良義安も参加していた。
吉良家当主は松平家当主の加冠役を代々務めていた。しかし今回の元服式では、義安は髪を切る理髪役に回された。名誉ある加冠役は義元が務めた。
この元服式は三河の統治者交代を印象付ける意図もあった。
義安は内心はともかく、この場では穏やかに振舞った。
義元は烏帽子を持って竹千代の前に立った。
フェザー級ボクサーのような引き締まった体をしていた。表情には厳しい訓練に耐え抜いた自信と、その自信から来る余裕と優しさがみなぎっていた。
初めてこの守護館に来た時、竹千代は庭に降りて立小便をした。あの時のあどけない子供はもういない。竹千代は雪斎の教えで立派な武士に成長していた。
義元は竹千代に烏帽子を被せた。
近習が槍を二本持ってきた。義元は言った。
「今後は竹千代は松平元康、鶴之助は鳥居元忠と名乗りなさい。
私からの祝いだ。二人にはこの槍を与える」
二人は頭を下げて感謝した。
義元は諸将に呼びかけた。
「それでは、二人の門出を祝って!」
最後に義元の音頭で一丁締め(全員で一回手を叩く)を行い、式は終了した。
義元は三河統治に自信を持った。
吉良義安は駿河から元の領地の三河西条城に帰された。彼の心の中には名家の誇りを汚された怒りが渦巻いていた。
四月、織田家の使者、島田秀満が雪斎の住む臨済寺を訪ねた。
雪斎は書院の間で島田と面会した。会見には元康も同席させた。
島田は雪斎に頼んだ。
「大変重要な話です。ここからは我々だけで話したい」
「これはうちの息子です。話が漏れる事はありませんから、どうぞお話しください」
島田は仕方なく要件を切り出した。
「我が主、織田上総介は今川家との和睦を望んでいます」
雪斎と元康は驚いた。
雪斎は何とか事情を理解しようとした。
「まあ、まあ……分からんでもない。斎藤新九郎殿の主君押込もあったし、守山殿のご不幸もあった。一方で、我々は北条家と和睦して自由に動ける。織上(おりかず。信長の事)殿は全力の我々と戦いたくないだろうな」
「その通りです。斯波武衛公は上総介を心配して、今川と織田の和睦を仲介すると仰っています」
「家中の意見を統一してから正式に回答させてもらうが、私としては前向きに考えていきたいと思っている。戦争はない方がいいに決まっているからな」
「ありがとうございます」
交渉は好感触で終わった。島田は上機嫌で退室した。
二人はお茶と桃饅頭を食べながら話した。
元康は感心した。
「織上殿はすごいですね。生き延びるためなら敵にも味方にも土下座出来る」
「斎山(道三の事)殿は敵に命乞いは出来ても、味方には決して弱みを見せない男だった。あれに比べればずっと立派だ」
「ですが先生、この和睦に利益はありますか?織田家だけ得しているように思えますが」
「尾張が取れないなら、和睦して伊勢志摩を取ればいい。伊勢には山田(伊勢神宮の門前町。東海地方最大の商業都市として発展していた)がある。山田を今川の津島に出来れば素晴らしい」
苦境に立たされた信長は斯波家を動かして今川家と和睦しようとした。義元はこれに応じて吉良家を動かした。
二人が和睦するにはそれなりの言い訳が必要だった。
織田家の形式上の主は守護の斯波家だった。吉良家は今川家の本家筋に当たる家だった。
主に当たる両家が手を組みたいというので、二人も両家の意思を尊重してしょうがなく手を組む事にした……そういう言い訳が用意された。
しかし斯波家は自分達は足利家に続いてこの世で二番目に尊い家だと思っていた。そして吉良家も自分達こそが二番目に尊い家だと思っていた。




