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二十五日、信長は砦建設に関わった村の幹部の処刑を信元に命じると、緒川城を出て西に向かった。
まず吉川城に火を放って落とした。
次に藪城を攻撃した。城内で裏切りが起きて城主は殺された。
夕方六時、織田軍は寺本城の城下に到着した。冬の六時はもう真っ暗だった。
信長は城攻めを断念して城下町に火を放った。街を焼く炎が小山の山頂に築かれた城の姿を照らし出した。
織田軍は北上して木田城に入り、そこで一泊した。
二十六日、織田軍は陸路で那古屋城に帰った。
信長は休む間もなく志賀村に向かった。
村の中心部に寺があった。信長と安藤は本堂で面会した。
安藤は驚いた。
「五日で三つの城を落とすなんて聞いた事がない。もう上総介様を大うつけと呼ぶ人間はいないでしょう」
「もう少し手際よくやれば兵も死なずに済んだし、寺本城も落とせたはずです」
「兵が先走ったのは士気が高いからです。織田家の未来を信じているのですよ」
「勝利祝いと思って、親父殿に一つお願いを聞いてもらいたい。
織田家はこれからますます大きくなります。人手が足りなくなるでしょう。
土岐家の家臣を吸収したと聞きました。あの猜疑心の塊のような親父殿の事です。敵の家臣は死ぬまで飼い殺しにするはずだ」
安藤は笑いを堪えた。信長は微笑んだ。
「腐らせるなら俺にください」
「話は伝えておきます。土岐家には土岐五本槍という豪傑が五人います。特に森可成は美濃国内では知られた勇士です。一緒にいて気持ちのいい男ですよ」
「明智光秀という男はどうですか?」
「何を考えているか分からない男です。しかし優秀ですよ。鉄砲を持たせたら天下一です。内政も交渉も完璧にこなします」
翌二十七日、安藤隊は稲葉山城に帰還した。
稲葉山の西の麓に利政の武家屋敷があった。
侵入者対策で塀は高かった。威圧感があって入りづらかった。
屋敷には立派な日本庭園が整備されていた。池のほとりには茶室も建っていた。
安藤はこの茶室で利政と面会した。
利政は尋ねた。
「ご苦労だった。婿殿はどうだった?」
安藤は戦いの詳細を報告した。
利政は険しい顔で話を聞いた。終わると大きなため息を付いた。
「婿殿は凄まじいな。隣にいて欲しくない人間だ。
もういい。下がってくれ」
安藤は頭を下げて退室した。
利政は斎藤家の将来を考えた。
利口者の信長と愚か者の長男高政では勝ち目がない。斎藤家存続のためには高政を追放して、利口者の次男孫四郎を跡取りにするべきではないか……
麓には高政の武家屋敷もあった。
塀は低かった。フレンドリーで入りやすかった。
広間の左右に武将が何十人も座っていた。高政は一番奥の当主席にいた。
安藤は高政の対面に座り、深々と頭を下げた。
高政派の利政追放計画は既に完成していた。後は実施の機会を待つだけだった。
一月二十六日、義元と雪斎率いる今川軍二万が駿河を出発した。軍勢は二月一日には三河の岡崎城に入った。
二月二日、空になった駿河に北条軍三万が侵攻した。
信長と示し合わせた上での軍事行動だった。信長はこれをずっと待っていた。
今川軍は直ちに駿河に撤退した。
水野信元は窮地を脱した。彼は周辺諸勢力を攻略して知多支配を盤石にした。
寺本城は逆に孤立する形になった。信元は降伏の使者を送った。しかし城主の花井は降伏を拒否して信元と何年も戦い続けた。
花井は独立城主の誇りを守り抜いた。逆に今回の戦いで水野家は織田家に組み込まれる事になった。
義元は武田家に救援を要請した。これに応えて武田家は一万五千の援軍を出した。
北条家と今川、武田連合軍は駿河東部で何度も争った。
太原雪斎は北条家との和睦を考えた。東と和睦すれば、今川の全軍を尾張にぶつける事が出来る。
信長は戦国最強軍師を本気にさせた。
(続く)




