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5-5

 九月、今川義元と太原雪斎は一万の軍を率いて知多半島の水野家を攻めた。


 尾張と三河の国境を境川が流れていた。

 水野家の本拠地、緒川城はこの境川の西岸にあった。対岸には刈谷城があった。

 刈谷城の北東に重原城があった。今川軍は境川を渡って緒川城を攻撃するように見せかけて、この重原城に奇襲攻撃を加えた。


 重原城は守りの固い城だったが、少数の兵では支えきれなかった。金で裏切った住民が城の弱点や抜け穴も教えていた。

 今川軍は土俵を投げて南の堀を埋め、鉤縄で柵を引き倒して城内に突入した。

 城主の山岡伝五郎はせめて家族は、と北西の抜け穴から妻子を逃がした。今川兵は簡単に家族を捕まえて処刑した。城主は落城の混乱の中で行方不明になった。


 同じ頃、川中島で武田家と長尾家が激突した。いわゆる「第一次川中島の戦い」である。


 今川軍本隊は一部隊を残して撤退した。義元は本拠地の駿河に戻った後、援軍を武田家に送った。

 太原雪斎は知多の諸勢力に工作を仕掛けた。


 緒川城の北に村木という土地があった。北と東は川に囲まれていた。西の平地にはトゲの生えた草木が生い茂っていた。

 重原城に残った部隊は境川を使って村木に資材を運び込み、ここに砦を築いた。付近の住民も金で雇って協力させた。

 住民は今川派と織田派に分裂した。彼らは互いに争うようになった。


 緒川城の水野信元は救援を要請した。

 信長は小田原の北条家に密使を送った。また美濃の斎藤家にも支援を要請した。

 信元には「準備が整ったら攻めるから待って欲しい」と伝えた。信元は信長を信じて時間を待った。


 十二月、村木砦が完成した。今川家は砦に兵千人を入れて前線拠点とした。

 しかし今川家は緒川城を攻めなかった。たまに降伏を勧める使者が砦から城に来るぐらいだった。

 今川家の方も裏で準備を進めていた。


 明けて天文二十三年一月、寺本城の花井勘八郎が今川家に寝返った。連動して吉川城、藪城も寝返った。

 三つの城は那古屋城~緒川城の間にあった。


 那古屋から南に行くと熱田に着く。熱田から南に行くと藪城に、そこから更に南に行くと寺本城に着く。

 寺本城から東に進むと吉川城に着く。この吉川城からまた東に行くと緒川城に到着する。

 那古屋城~寺本城~緒川城までL字の道が出来ていた。寺本城一帯が寝返った事で、緒川城は補給ルートを絶たれた事になる。


 義元は緒川城討伐の軍を準備した。

 信元はたまらず救援要請を送った。

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