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二人は屏風の向こうの会見場に移動した。
既に席が用意されていた。二人は座布団に向い合せに座った。
信長は改めて挨拶した。
「織田上総介信長と申します。向後万端よろしくお願いいたします」
光安がお盆に茶漬けと酒をて持ってきた。
桜花の塩漬けと三つ葉を散らした鮮やかな春の茶漬けだった。入れ物はお洒落可愛い紅志野茶碗だった。
利政も挨拶した。
「斎藤山城だ。
色々話は聞いている。いい噂も、悪い噂も。しかし今日会ってみて……」
信長は綺麗な女性に目を奪われるように茶碗を見つめた。全く話を聞いていなかった。
利政は声を荒げた。
「おおい!」
「失礼。明智殿、その茶碗はどこで?」
光安は二人の前に茶碗を置きながら答えた。
「美濃のどこか、です。私は数寄の事はまるで分からないので、甥の光秀に頼んで選んでもらいました。後で手紙でお伝えします」
「いただいてよろしい?」
「どうぞ。お気に召してもらえたのなら嬉しい限りです」
光安は頭を下げて退室した。
二人は茶漬けを食べながら話した。
「婿殿、うちの娘は元気か?」
「さあ。分かりません」
「まあ女と遊ぶより、男を騙したり男を殺したりする方が楽しいもんな。
後で起請文を寄越す。濃尾同盟強化を約束する内容だ。俺はお前の対今川戦を全面的に支援する。
見返りは土岐頼芸(正当な美濃守護。利政は土岐家から美濃を奪った)の処遇だ。あいつは追放された後、揖斐の田舎に引き籠って俺に敵対する派閥を陰で作っている。おかげで反乱が絶えない。
あいつを揖斐から追放する。手を貸すなよ」
「親父殿は俺が土岐と組んで反乱勢力を支援していると思っています?」
「ともかくだ。あいつとは縁を切れ。もしも頼ってきたら幽閉しろ。死ぬまで出すな」
信長は食べるのが早かった。もう一杯完食してしまった。
利政は信長の盃に酒を注いだ。
「俺は生まれ育った美濃を守りたいだけだ。人の目には乱暴に映るかもしれないが、それだけ愛が強いんだよ」
信長は注がれた酒を一口で飲み干した。今度は彼が利政の盃に酒を注いだ。
二人は盃を交わしながら話した。
「息子は分かってくれない。あの図体だけで中身が空っぽの馬鹿ヅラを見ていると、たまに殺してやろうかと思う。
本当にあれは息子なのかね?」
「私の父は甘い男でした。親父殿に負けてからは甘い上に腑抜けになってしまった。そして心を病んで死んでいった。
親父殿を恨んでいる訳ではありません。ただ、父と同じように失敗する事が怖いのです」
「俺のやり方は美濃を治めるために最適化されたやり方だ。
土岐家が百年間内乱を続けたせいで、美濃は疑心暗鬼と内部抗争の国になってしまった。だから剛腕で一つにまとめないといけない。
しかし尾張には尾張を治める最適化されたやり方がある。備後守殿(信長の父、信秀)は上手くまとめていたように見える。お前には甘く見えたかもしれないが、あの時代の尾張ではそれが最適解だったんだ」
「なるほど」
「今の時代の尾張に最適な統治方法が必ずある。それを見つけるといい」
会見は終わった。
夕方、二人は揃って寺を出た。彼らの後ろに織田家と斎藤家の面々が続いた。
斎藤家の槍は二メートルの持ち槍だった。六メートルの織田家の槍と並んで行軍すると見劣りした。利政は機嫌を悪くした。
信長はお気に入りの靴やフィギュアを手に入れたかのように、紅志野茶碗をニコニコと手に取って眺めた。
両家は二キロほど進んだ所で別れた。
斎藤家は稲葉城に向かった。
利政はずっと無言で苛立っていた。側近の一人、猪子兵介が利政におべっかを使った。
「あの信長という男、どう見ても大馬鹿者でございましたな!」
利政はため息を付いた。
「だからこそ腹立たしい。俺の息子は将来その大馬鹿者の使用人になるだろう」
信長軍は那古屋城に向かった。
信長はニコニコ笑顔で大満足だった。長秀は尋ねた。
「斎藤山城殿はどうでしたか?」
「聞いていた通りの人物だった。戦闘力が高く、猜疑心が強く、内政能力が低い。
この美濃焼を育てれば日本中で売れる。美濃は日本一の工業国になるだろう。懐が温まれば、国内の反乱分子も手の平を返して親父殿を支持するのに。
やっぱりお洒落が分からない奴は駄目だなー」
信長は茶碗を両手で掲げた。ピンク色の茶碗が夕日に染まって美しかった。
「明智光秀、か……」
信長は美濃五十五万石の大名を仲間にした。国内外の諸勢力は雪崩を打って信長派に鞍替えした。
知多の水野家は今川家を裏切って織田家に付いた。清州城の重臣は何人も信長に寝返った。
状況はプラスに転じた。
しかしこの好状況は斎藤家の全面支援があってのものだった。もしも斎藤家が外交方針を転換すれば、一気に状況が悪化する可能性があった。
以前、利政は土岐頼芸を美濃守護館から追放した。頼芸は美濃北西部の揖斐の丘陵地帯に立て籠もり、抵抗活動を続けた。
今回、利政は頼芸を揖斐からも追放した。頼芸は関西に落ち延びていった。
利政は頼芸が国内の諸勢力をそそのかして非主流派を形成していると思っていた。裏で糸を引いている頼芸を何とかすれば、国内から反対勢力を一掃出来ると考えて、今回完全に土岐家を滅ぼしにかかった。
しかし本当に裏で糸を引いていたのは息子の高政だった。
土岐家を滅ぼしても国内の反対勢力は日増しに強大化していった。遂に高政派は利政を引きずりおろす謀反の計画を練り始めた。
(続く)




