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天文二十一年八月十五日、坂井大膳は軍事行動を起こした。
清州城から河尻与一部隊三百、織田三位部隊三百が出撃した。両隊は南東の那古野城ではなく、南西の深田城、松葉城に向かった。坂井大膳、甚介兄弟の本隊九百は清州城に残った。
那古屋城の北西に清州城があった。
尾張に庄内川という川があった。北東の山岳部から南西の伊勢湾に向かって斜めに流れていた。この川が清州城と那古野城を隔てていた。
那古野城から西に向かうと秀敏の稲葉地城があった。城の西側には庄内川が流れていた。
稲葉地城から川を渡って北西に二キロ進むと松葉城があった。稲葉地城から真っ直ぐ西に三キロ進むと深田城があった。
深田城主は信長の叔父、織田信次が城主を務めていた。松葉城城主は織田一族の織田伊賀守だった。
川尻隊、三位隊は両城を攻撃した。城は簡単に占領された。城主二人は捕虜になった。
信長は守山城と末森城に直ちに援軍を要請した。
守山城の信光隊五百は準備が遅れた。出撃は翌日になった。
末森城の柴田勝家隊三百は即座に準備を整えて那古野城に入った。数は少ないが柴田、佐久間信盛、佐久間盛重と信勝派のエース格が揃っていた。
八月十六日の明け方、柴田隊を加えた信長軍千は那古野城を出撃した。
信長軍は西に進んで庄内川東岸に移動した。
水深は浅いが流れが早く、橋を使わないと渡れなかった。信長軍は橋の手前で信光隊を待った。
敵は信長軍出撃を聞いて慌てて動き出した。
深田城の部隊は城を出て、何の防備もない三本木村(稲葉地城から見て西一、五キロにある村)に入った。
松葉城の部隊も出撃して、周りを柵と門で囲んだ間島村(稲葉地城から見て北西一キロにある村)に入った。
清州城の本隊も動いた。
清州城から南に五キロ進むと稲葉地城があった。坂井兄弟の本隊は南に二、五キロ進んで萱津の街周辺に移動した。
萱津は大きな商業都市である。土塀と門で街を囲んでいた。
街は庄内川と五条川(清州城の西側を南北に流れる川)の合流地点にあり、中世から宿場町として栄えていた。かつては尾張経済の中心地だったが、現在は津島にその座を譲っていた。信秀はこの萱津を治めていた土田政久の娘を後妻に迎えていた。
住民は信長側だった。門を閉じて本隊を入れなかった。
本隊は萱津の西側に待機した。ここから南下すればすぐに深田隊、松葉隊の救援に入れた。
信長軍の首脳陣は橋の手前に集まった。
信長派の若手武将は派手な恰好をしていた。赤い鎧や金色の鎧を着ていた。
信勝派は落ち着いた色合いの恰好をしていた。黒や茶色の鎧を着ていた。
信長は白いアラブ馬に乗って橋の手前に立っていた。カラス天狗をモチーフにした天狗当世具足を着ていた。
後ろから柴田勝家が金毛のアハルテケ馬を連れてやってきた。亡き織田信秀から受け継いだ紺糸威胴丸具足を着ていた。
勝家は信長の前にひざまずいた。信長は振り向かずに対岸を眺めた。
勝家は信長に話しかけた。
「深田城、松葉城は清州側に寝返ったという情報もあります」
「信じたくなるほどの弱さではある。俺はどうするべきだったかな。信勝ならどうしていた?」
「私は末森(信勝)様ではありません。あの方がどうされるかは私に分からない。
ただ、私が深田(深田城主の織田信次)様なら援軍を信じて待ちます。現実にこうして一日待てば上総守(信長)様に助けてもらえたのに」
「信用されていなかったのかなあ」
「勝利を積み重ねれば信頼も増しましょう」
後ろから歓声が上がった。後発の信光隊が合流した。
後ろから信光が徒歩でやってきた。黒い鎧と鉄地鯱形兜を着ていた。
信長は勝家の助けを借りて馬から降りた。
二人は信光に頭を下げた。信光は謙遜した。
「止めてくれ。織田の当主はお前だ。それより遅れて申し訳なく思っている」
「叔父上のご助力感謝します」
「遅れた分はしっかり働こう。勝家、いい馬じゃないか?」
勝家は金毛の馬の首を撫でた。馬は嬉しそうに目を細めた。
「汗血馬の血を引く馬だと聞いています。前の馬は戦で潰してしまいました。これには無理はさせないつもりです」
「汗血馬が何かは知らんがその方がいい。武田は戦が始まる前に馬から全員降りるらしいぞ。意地を捨てて命を取る。こういうのは強い。
退くべき時は意地を張らずに退く。進むべき時は怯えずに進む。良将とはそういうものだ」
「勉強させていただきます、叔父上」
「止せやい。俺もまだまだ修行中のはなたれ小僧だよ」
朝六時、信長軍は橋を渡って西岸に移動した。
軍はここで三隊に分かれた。
織田秀敏隊四百。西進して深田城を救援する。
佐久間信盛、盛重隊四百。北西に進んで松葉城を救援する。
信長、信光、勝家の本隊七百。北進して萱津の敵本隊を叩く。
本隊は北に進んで萱津の街の西側に移動した。
敵本隊は街道上に布陣した。
長方形の陣形が西に向かって三段に並んだ。前列は坂井甚介隊三百。中央は那古野弥五郎隊三百。後列は坂井大膳隊三百。
味方本隊も三段に分かれて布陣した。前列は信光隊二百。中央は勝家隊二百。後列は信長隊二百。
敵味方は東西に分かれて正面から向かい合った。
清州軍は尾張守護斯波家の白い旗を背中に挿していた。斯波家は足利幕府内では将軍家に継ぐ名門だった。清州軍の兵士は賊軍を成敗する気持ちだった。
信長軍は織田弾正忠家の黄色い旗を背中に挿していた。弾正忠家は斯波家の家臣のそのまた家臣の家だった。狂犬揃いの信長軍兵士はこの世で二番目に尊い旗を見ても怖気づかなかった。むしろ士気が高まりすぎて殺気立った。
朝八時、合戦が始まった。
 




