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3-6

 朝倉家の本拠地、一乗谷。北の京都と呼ばれる華やかな街である。

 街の中央を貫くメインストリートの左右に、武家屋敷や寺院、町屋が計画的に建ち並んでいた。街は日本海貿易の拠点だった三国湊と河川で繋がっていた。市場では中国や琉球の品まで売買されていた。


 街の中心部に当主が住む朝倉館があった。

 朝倉家の当主、朝倉延景と重臣達は館の常御殿大広間に集まった。


 朝倉家は越前五十万石に加賀半国二十万石を治める北陸一の大大名である。

 実際の当主は重臣の朝倉宗滴だった。彼は幕府の命令で関西、北陸を転戦して朝倉家の家格向上に努めた。今回この功績が認められて、延景には将軍足利義輝から「義」の字と左衛門督の官位が与えられる事が内定した。朝倉家は幕府の重臣に大出世した。


 宗滴は百戦錬磨の老人で、「俺は百才になっても歩けるなら戦に出るぞ」と常々周りに言うような性格だった。一方、義景は十九才の人のいい御曹司だった。

 重臣達は義景の前に進み出て、様々な祝いの言葉を述べた。御曹司は笑顔でそれを聞いた。

 宗滴の番になった。彼は義景の対面に座って頭を下げた。


「おめでとうございます。朝倉の長い歴史の中でもここまで出世されたのは義景様が初めてです。歴史に名を残されましたね」


「ありがとう。義景という名前はまだ慣れないな。これからも私と朝倉家を支えて欲しい」


「もちろんです。朝倉はまだまだ強くなりますよ」


「それには私の成長も欠かせないだろう。

 左衛門尉殿(宗滴)、私はどのようにすれば良き国持ち大将になれるだろうか」


「日本には手本となるべき人使いの優れた国持ち大将が何人かいます。彼らを真似するのが近道でしょう」


「例えば?」


「まずは駿河の今川義元殿。それから甲斐の武田晴信殿。越後の長尾景虎殿。このお三方などは良い手本となるでしょう」


 重臣達から声が上がった。誰もが知っている有名な大名ばかりだった。


「摂津の三好長慶殿もおりますな。安芸には毛利元就殿、上総には正木時茂殿もおります」


 重臣達は顔を見合わせた。三好までは全員分かった。毛利も三万の大軍を三千の兵で破った事があるので、情報収集に余念のない家臣ならその名を知っていた。しかし正木は誰も知らなかった。


「そうそう、尾張の織田信長殿も」


「尾張の織田家?の誰です?」


「去年亡くなった織田備後守(信秀)の息子です」


 正木の事も知らないので、信長の事も当然誰も分からなかった。義景はピンと来ない顔だった。宗滴は御曹司の顔を見て微笑んだ。


 信長は戦国最強の老人にロックオンされた。


(続く)

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